依頼完遂
翌朝、水浴びをして体を清潔にして、服も比較的綺麗なものを選りすぐった。
[黒鉄の丸薬]は時間が経っても、様子は変化していない。これで何か起きていたら厄介だった。
9時頃、俺は堀井邸を訪ねた。この時間なら堀井氏は朝の食事や仕事を片付けて庭でも眺めている筈だ。
門をくぐり、右手の紅葉の大木が目を引く庭の方へと歩く。
「カミノマか?訪ねてきたという事は[黒鉄の丸薬]は手に入ったってことか?」
庭の中央で紅葉を見上げている堀井氏はこちらに背を向けたままこちらに問いかける。
「勿論。これから畑病院に向かい、粟木氏に服用してもらいますが、同行しますか?」
「それはできんのだ。仕事があるのでな。しかし、[黒鉄の丸薬]は確認させてくれ」
背負子から木箱を取って開いて見せる。振り向いて木箱に顔を近づけてじっくりと確認すると、納得したのか小さく顔を縦に振った。
「黒胡椒でも持ってきたらどうしてくれようかと思っていたが、確かにこれは[黒鉄の丸薬]のようだ。よく見つけてきてくれた」
危ないところだ。黒胡椒で誤魔化してくる可能性は視野に入っていたらしい。もし、見つけられず誤魔化していたらと思うと恐ろしい。
「ありがとうございます。して、報酬ですが……」
「いくらが良い?儂はいくらでも出すと言ったのだ。言ってみろ」
「そうですね……。では20円で」
「わかった。あとで使用人に届けさせよう。それまでは病院にいろよ」
「わかりました。では、これにて失礼します。今後とも御贔屓にお願いいたします」
堀井氏は何も言わず離れの方へと歩いて行ってしまった。
堀井邸を後にして畑病院へ赴くと、藤丸の診察室を覗き込んだ。今日は珍しく診察患者が少ないからか、すべての診察室が稼働しているわけではないらしい。
カルテに目を通してこちらに気が付かない。扉を叩いたら、眉を少し動かして目線だけこちらに向けた。
「よう、手を離せるかい?」
「カミノマか。[黒鉄の丸薬]が手に入ったのか?」
カルテを机に投げて、頭をかく。相も変わらずお疲れらしい。
「その通り。今、堀井邸に行ってきたところだ。しっかり確認してもらって、報酬も確約した。堀井様は仕事で立ち会わないそうだから、飲ませてしまえばいい」
「ほう。わかった。少し粟木の病室で待っていてくれ。担当の室内を連れてくる」
そういうと再びカルテに目を通し始めた。
言われた通りに粟木氏の部屋へ向かった。
病室は殆ど埋まっているようで、看護師が
慌ただしく動いている。先日の大嵐の負傷だろう。藤丸が頭を抱えているのも理解できる。
粟木氏の病室に入る。一週間前よりやつれていて、足の病状が悪化しているのは素人目に見てもよくわかる。足の色は茶褐色からだんだん黒ずんできていて、さらに膨れている。ここまで来ると切断しなければ本当に死んでしまうだろう。
背負子を降ろして、[黒鉄の丸薬]の入った木箱を取り出す。
「それが堀井様に頼まれたという丸薬か?」
顔を病室の入り口に向けると藤丸と室内先生が立っていた。
「そうだ。見てみるか?どう考えても薬には思えないぞ?」
木箱を開けて二人の顔に近づけた。
「おい、これが[黒鉄の丸薬]なのか?本当に?」
「そうだ。実際に見たという名取幸助氏の証言の通りだから間違いないだろう」
両者、半信半疑なのは顔を見ればわかる。当然の反応だろう。手に入れた俺自身も未だに薬になるとは思えない。
「先生、駄目で元々なんだ。試してみよう。それで駄目なら堀井様も諦めになる」
か細い声で粟木氏が言う。
「……詳しく調べることもなく飲ませたくないが、もう時間もない。患者も許可している。やれることはやろう。藤丸先生。責任は担当の僕がとる」
「わかった。カミノマ、これはいくつあるんだ?」
「全部で三つだ。調べることはできるぞ」
「調べるまでもないだろうが、念のためだ。貰っていいか?」
「お構いなく。持っていても使い道はなさそうだからな」
背負子からすべての木箱を取り、一つを室内に、二つを藤丸に手渡した。
「よし、それでは粟木さん[黒鉄の丸薬]を。水なしで飲めますか?」
「ええ、大丈夫です。すみませんが体を起こすのを手伝ってもらえませんか?」
手の空いている俺が粟木氏の上半身を起こす。痩せこけているとはいえ、大人の体重を支えるのはきつい。看護師というのも随分な重労働だ。よくやっている。
[黒鉄の丸薬]を飲み込んだ粟木氏の様子は、特に変化がない。
「どうやら即効性の影響はないらしい。暫くこれで様子を見る。とはいえ、悠長なことは言っていられないから、効果がみられないと判断したら、もう切断することを堀井様に進言する。よろしいですね?」
「はい。構いません。まだ死にたくはないですから」
「わかりました。それでは、失礼します」
病室を後にして、藤丸に続いて診察室に入る。椅子にドカッと座り机の上に丸薬の入った木箱を静かに置いて、中の丸薬をつぶさに観察する。しばらく黙っていたが、溜息を吐いて言葉を発した。
「カミノマ、やはりこれはカビ団子だ。カビの中でも人に影響のないものはある。だがこれは間違いなく毒だろう」
「カビ、カビか。それは薬とはいえないな。それで俺から回収したのか?」
「ああ。知識のないお前が使い方間違えても困るだけだろう」
「それは確かにな。だが藤丸。毒をもって毒を制すとも言うだろう」
「毒も薬も紙一重か。それは確かだ。しかし、だからと言って全てが病や毒に効果があるわけじゃあない。たまたま原因不明の病に効いたカビ団子の話は広まり、その過程で尾ひれがついて、過剰に持ち上げられた。伝説なんてのはそんなものだ。万病に効く薬なんて存在しやしない。大体、そんな薬があるなら医者はいらん」
話をしていると看護師がやってきた。どうやら堀井邸の使用人が来たらしい。
「ごもっともな話だな。それじゃあ、俺は行く。明日また鍵渡しに来る」
「ああ。お疲れさん」
診察室を出て、病院の玄関先に向かうと使用人が立っていた。使用人は懐から封筒を取り出す。
手渡された封筒の中身を見て、ちゃんと20円が入っているのを確認する。
礼を言うと使用人は頭を下げて、そそくさと堀井邸へと戻って行った。
「さて、これで終わりだな」
涼しげな風が吹いた。散った色づいた葉が舞い上がる。
季節はすっかり秋になっていた。
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