赤毛の行商人
ひぐらしゆうき
ナリゲシの花
灯台の町のお嬢様
その日は初夏だというのにやたらと暑かった。
着ている衣類は汗で濡れて酢臭い香りを悶々と放って止まらず、肌は照りつける日差しで焦げてきている。先日までのジメジメとした梅雨も嫌いであったが、この夏の暑さはどうにも耐え難い苦痛であった。
水筒を手に取り傾けるが水は一滴たりとも落ちてはこない。どこかで水を恵んでもらわなければ干からびて死にかねない。
しかし、東の都から灯台の町まではこうも遠いものであっただろうか?こんなに辛いのであればケチらず汽車を利用すればよかった。今からでも駅に向かい汽車に乗り込もうかと考えていると、道の先に西洋式の灯台が姿を見せた。
(歩くしかないか。……しかしこの暑さ、
ふとそんな事を思った。そうだ、どうせ水をどこかで恵んでもらわなければならないのだ。ならば成芥子のお屋敷によるのが一番いい。どうせあのお嬢様は今日も見晴らしの良いその屋敷の中で
目的地があれば不思議と力が湧いてくるものだ。背負子を担ぎなおして俺は灯台の町を目指した。
町の中央、小高い丘の上に成芥子家の屋敷がある。医師の名家として知られており、成芥子家の現当主たる藤吉郎は国一番の医師であると言われるほどの名医である。そんな男の一人娘であるハナは病弱で、生まれてから今まで殆ど外に出ずに屋敷の中で過ごしている。しかし世間知らずという訳でなく、勉学もよくできる。病弱でなければ立派な医師になっていたであろう。全く惜しいお方だ。
だが、病弱であったからこそ俺のような行商人が突然赴いても会うことができるのだから俺としては良い商売相手であり親しき友人である。
彼女に会う為、水を恵んでんでもらう為、歩き続けた俺が丘の上の屋敷の前についたころには汗だくで息も乱れていた。心なしか頭が痛いような感じがする。
「ごめんください」
声をかけて門をくぐると屋敷の玄関に見慣れた老婆が立っている。確かハナの世話役で名をフサという。
「ああ、赤毛の行商人か。随分汗まみれだがこの暑い中、東の都から歩いてきたのかね?」
「そんなところで。すまんが水を恵んじゃくれないか?」
「構わんよ。あんたはお嬢様のところに行っておきな。どうもまた最近暇そうでね。旅の話でもしてやってくれ。こんな世話役のババアには面白い話ひとつしてやれんのでな」
「ああわかった。そうしよう」
屋敷の庭を通って海の見える縁側に向かった。彼女は天気の良い日にはいつもそこにいる。
縁側には大きな簾が立てかけられている。普段は眺めが悪くなると言って何も置かないあのお嬢様にしては実に珍しい。
「よう、お変わりなさそうで」
「うん?おやカミノマじゃない。よく来たね。中に上がりなよ。外にいると干からびてしまいそうだからね」
思った通り、ハナは縁側で煙管をふかしていた。浜風で揺れる波状にうねったくせ髪はいつ見ても艶美であった。
「そうさせてもらう。しかし簾をかけるとは珍しいこともあるものだ」
「あまりにも暑いのでね。風通しの良い場所に簾をかけて水をかぶせると風が冷えて涼しいからとフサにね」
「さようで」
屋敷に上がると先ほどまでいた外とは比べものにならないほどに涼しく感じた。成程確かに効果があるようだ。
「しかしいい時に来てくれたよ。実は丁度刻みタバコがきれてね。その背負子に入っていないのかい?」
「あるにはあるが、そう多くないぞ」
「構わないよ。夜には使用人が買って帰る。それまでのつなぎさ」
背負子を下ろして、中から小さな布袋を取り出して手渡した。
「30銭だ。あとでフサさんからもらえばいいか?」
「ああ、そうしてくれ」
「しかし昼間に刻みタバコが切れるとは、喫煙量増えたのか?」
「いやな、葉巻とどちらがうまいのか比べていたのだ」
「煙管の方がうまいのだろう?大概皆そう言う」
「ああ、まったくその通りでな。葉巻には味わい深さが足りていない」
「煙草を吸わん俺にはさっぱりわからん」
「吸ってみればよいのに。煙草を売り物にしているというのに何も知らないというのはどうなのだ?」
「必ず売れると分かっている物を持っておけば金に困らずに済むであろう?」
「……うむ、確かに煙草なら確実に売れるな。私のような客がいるのだから」
「そういうことだよ」
ハナは座敷の中央にある煙草盆の横に座るとカンと音を立てて煙管の火皿から燃えきった刻みタバコを落とした。
「まあ、座れ。雑談でもして暇を潰そうではないか」
「特にこれといった話もないぞ」
俺はハナの正面で胡座をかいた。
「何でも良い。私にとって外の話は面白くてしようがないのだ」
「沼にはまって抜け出すのに半日要した話とかならあるが?」
「そういうのはいい」
「そうか?、ならこれの話をするか」
俺は懐からニ寸程の透明な玉を取り出して見せた。
「ただの硝子玉か?」
「いや、こいつは珍品でな。龍神の瞳というものだ。こいつを空に投げれば先の天気を知ることができるという優れものだ。旅に重宝すると思って東の都で手に入れた」
「それはまた珍品だな。しかし、本当に当たるのか?」
ハナは袋から刻みタバコをとりだして丸めると火皿に入れて火をつけた。しかし、タバコの量が多い。やはり喫煙量が増えているではないか。
「……的中率は5割程。まあ大きく間違える事はない」
「……ふぅ、うむ、これ美味いな」
「タバコの感想ですかい……」
「ああすまんすまん。それで、その龍神の瞳とやらはどうやって手に入れたのだ?お前のことだから買ったり譲り受けたりはしなかったのだろう?」
「まあね。栄えている町から離れた山の中でひたすら岩やら土やらをかき分けて見つけた」
「それは、梅雨の間中か?」
「まあな」
「……それで沼にはまったわけか」
「おや、繋げて話せばバレないと思ったのにバレたか」
「山の中と言うからだよ」
それもそうかとあっさりと納得してしまった。俺自身話が上手いわけではないのだ。
「失礼します」
襖を開けてフサさんが俺の水筒と水の入った湯呑みを盆に乗せて持ってきた。
「すまんねフサさん。後で良いから30銭頼むよ」
「刻みタバコかい……。わかった準備しておこう」
フサさんは盆を置いて部屋から出ていった。顔が少しひきつっていたが、少々ハナの喫煙量にお怒りなのだろう。
俺は湯呑みの水を一気に飲み干して体から抜け出た水分を補給した。
「……ハナは何かなかったのか?」
「私か?」
「俺の話ばかりしていてもこちらが面白くない」
「そうは言ってもなぁ……。ああ、そうだ!」
「何だ突然!?」
いきなり大声を出されたものだから驚いてしまった。
「聞いた事はあるか?私の苗字と同じ名をした花があるというのだ。何でも幻とまで言われる花らしい!私はそれが見てみたい!」
「何とも唐突な……。まあいいが、見たいと言うからにはどこに咲くかは知っているのだろうな?」
「北の国のどこかに咲くということしか知らない」
「それは知らんというのと変わらんのではないか?」
いくらなんでも情報が少なすぎる。これはあの情報屋の元へ行ってみる必要がありそうだ。
「どうだ?私に見せてはくれないか?お前の集める珍品の一つとしてだ。な?どうだ?」
子供のような好奇心と純真な目。これを見せられると弱い。
「まあ珍品ということに変わりはない。わかった。取ってこよう」
「本当か?それでは楽しみにしているぞ」
「期待に添えるよう努力しましょうかね。そうなればすぐに出るとしよう。北の国となれば行くだけでも時間がかかる」
「ああ、ではまたな」
「ええ、また」
とんだお願いをされてしまったが、まあ良いだろう。俺も気にはなった。
縁側から外に出て玄関まで回るとフサさんが金を払ってくれた。
「またお嬢様のわがままか?」
「そんなことで。ま、どうにかする」
「すまんね。では気をつけて行くと良い」
「盆までにはまた来るよ」
屋敷の門を潜り坂を降った。都方面の汽車がまだ出ていれば良いがどうであろうか。
今時期ならあの情報屋は山奥の家にいるはずだ。急いで向かわねばいつどこにいくかわからない。
太陽の日差しが全身に突き刺さる中、駅の方へと歩みを進めた。
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