迷宮伯嫡子はカネがない
神奈いです
第1話 なるほど、おカネがないんだね
「なるほど、おカネがないんだね」
「はい」
明り取りの窓が全開にされても薄暗い城内。
スッカラカンのかがり火や魔道灯が虚しく佇んでいる。
「昨年の大不作の影響で、流民とか発生して。それを受け入れちゃったから借金が膨らんで」
「はい」
「母さんは借金を返すために冒険の旅にでてしまったと」
「はい」
「そこで、母さんの留守をあずかるのが、いそぎ帰国したこのボク!オウドリヒト・フォン・グリムホルンということだね!」
「はい」
紺青の眼をした若君の底抜けの晴天のように明るい声に対し、青年の書記官ルークが暗い声で答える。
なぜこの若君は少しうれしそうなのだろうか。領地の状況は今説明した通りで危機的状況なのだけど……。
「若君、この借金はですね、領内からした分だけじゃなくて、帝国への上納金や商会への返済金が含まれているんです」
「うん、さっき聞いたよ」
「どちらを延滞しても領地お取りつぶしか、領地差し押さえか……周囲の領主が一斉に攻めてきて全員奴隷に売られるかもなのですよ。だから……」
「お、お兄様……ど、どうしましょうか……」
ルークの説明を聞いて震えあがったのが若君の隣の椅子にちょこんと腰かけている姫君だ。
胸元に手を置きながら、兄と同じ紺青の瞳がおどおどと兄を見上げる。
「おお、ボクの小さく可愛いドルミーナ!安心しておくれよ、このボクの活躍ですべて解決してみせるから!」
「まぁ、お兄様!素晴らしいですわ!」
「いや、何もしないでください」
「えー」
えー、ではない。ルークは思った。
「母君、つまりグリムホルン迷宮伯様は偉大な冒険者でもあらせられます。今年の収穫までの返済金ぐらいは稼いでいただけるはずです」
「そうだね!」
「ですから、我々にできることはしっかりと留守番をしながら、少しでも経費を浮かせることです」
「ああ、だからボクの帝都留学が取りやめになったんだね」
「すみません、かなり高いので……」
申し訳なさでルークは伏し目がちになる。それなりの魔法貴族なら帝都に留学するのは当然。特に冒険者あがりの二代目にとっては帝都での貴族教育はとても大事なことだ。貴族としてのしきたりやマナー、帝都の魔法知識を身に着けるためなら高額の費用もやむを得なかった。
それなのに留学途中で学位も取れずに帰国するのは不本意だっただろう。
「はっはっは、大丈夫。ボクの愛する領地領民の危機にそんなことで文句は言わないさ。むしろこんな活躍の場が与えられて本望!」
「ですから活躍しないでください」
「えー」
えー、ではない。
若君ってこんなに軽い子だっただろうか?帝都での貴族教育が間違ってたんじゃないか?と思いつつもルークは現状の説明を続けた……。
- - - - -
相変わらず薄暗い城の謁見の間。
金になりそうな調度品はあらかた借金のカタに取られていてガランとしている。
伯爵嫡子のご帰国の挨拶をするため、領内の要人が次々に訪れていた。
「なんだって?ゴブリンが出たのか?」
「はい……作物や家畜への被害もあり、領民も安心して仕事ができず……」
身を乗り出して聞き入っている若君の前で頭を下げているのは領内の村長と村方役人たちだ。
「本当は冒険者を雇って討伐をすべきですが費用もなく……あ、いやなんとか追い払いはできております。……なにとぞ今年の年貢も配慮を」
まぁそれが言いたいことだろうなとルーク書記官は思った。
ゴブリンは小さいが厄介な魔物だ。臆病で一匹一匹は子供程度の力しかないが、こっそり作物や家畜を荒らしまわる。
下手すると子供がさらわれたりするが、ゴブリンが数体程度なら村人でも棒や農具で追い散らせる。
根絶するならば討伐が必要だが、ふつうはそうやって隣の村に追い込んで、その村がさらに隣に追い散らしということで追い払っていくものだ。
「ああ、大変だ。まったく大変だろう。とはいえ、今苦しいのはどこも同じ。今年の収穫についてはきちんと調査に行くので年貢はその時に……」
「しかし……」
口をはさむルーク書記官に村長が食い下がろうとしたとき。
「お兄様、とてもかわいそうです……」
「はっはっは、任せたまえ!ゴブリン程度このボクが討伐してみせよう!」
「お子様方ぁ!?」
- - - - -
大喜びで帰っていった村長たちを横目にルークが若君に詰め寄る。
「討伐費用は銀貨1枚出せませんからね?!」
「そうだね、だからボクがやるよ!」
何故か若君は自信満々に胸をそらしている。
「ダメです」
「えー」
えー、ではない。領主代理なのだから留守番でおとなしくしてくれと言っているのだ。
モンスター退治なんかで怪我でもされたらそれこそ大問題。
「伯爵嫡子が動いたとなれば、それなりに騎士や兵を集めないといけません、一人でモンスター退治なんかいかせられるわけないですよね」
「でもさ、これは領地防衛だから軍役で出てきてもらえるんじゃない?」
この伯爵領は封建制で騎士を召し抱えている。領内の騎士たちに領地の一部を預ける代わりに年何日は従軍するという軍役の義務があるのだが。
「その、軍役分はもう免除金貰って解除しておりましてですね」
「おお」
大借金をしたときに領内の騎士たちにも協力をお願いした。遠征分の兵糧を売り払ってもらい軍役免除金として集めたのである。
だから当然ながら領内の兵は動かせない。動かすなら領主側の義務として兵糧代相当のカネを払わないといけないのだ。
「えっと城付きの神官や魔導士は……母さんと一緒か」
「はい」
城の重臣である神官長、宮廷魔導士、総メイド長、元帥、騎士総長、密偵頭……は元冒険者であるグリムホルン迷宮伯のパーティメンバーである。
つまり領内最大戦力はごっそり資金稼ぎの遠征に出てしまっているのだ。
「じゃあボクの手勢は書記官1名かー」
「行きませんよ?!文官ですからね?!」
「えー」
えー、ではない。
若君はちょっと首をかしげて煤のついた天井を見上げると、ルークに問いかけた。
「……えっと、それなりに人数を集めたら行ってもいいよね?」
「おカネはだせませんが、はい。あ、村人だけ集めてもダメですよ?騎士か郎党か戦力になる人数です」
「じゃあ、お願いがあるんだけど……」
- - - - -
ボクはオウド!グリムホルン迷宮伯領の跡継ぎ、オウドリヒト・フォン・グリムホルン。
急に帝都留学から呼び戻されたら領地が破産寸前なんだけど。やばくない?
ルークから帳簿と請求書をまとめて出してもらったけどさ、ざっと金貨2万枚は足りてないよね。
読むのに丸一晩かかったよ、眠い。
事の始まりは昨年の大不作だ。
うちは迷宮伯領。つまり迷宮探索の冒険者たちが経済の中心だから不作だけならまだ耐えれた。
だけど耐えれない隣の領地が帝国上納金の未払いで取りつぶし。
奴隷にされかけて逃げた流民たちを見捨てられずに受け入れたって……
うん、母さんは正しい。ボクでもそうするからしょうがない。
でも借金がうちの税収見込みの4~5年分あるし。母さんの狩りの成果に期待するしかないってまずいなぁ。
なんとか収入を増やすか、借り換えの担保かを手に入れないと。
でも、可愛い妹や家臣たちを心配させるわけにはいかないから、ボクだけでも明るく前向きにやらないとね!
帝都での勉強が中断されたのはつらいけど、学費や帝都ビザ代で金貨千枚はかかってたからやむを得ないかな。
迷宮伯領の統治に役立てようと学んでた魔物研究が途中なのは残念だけど。
で、さっそく領地にゴブリンが沸いたって。
なんとか追い払ってますって……まずいなぁ。
みんなゴブリンは追い払えばいいと思ってる。
だけど本格的に駆除しないならあちこちの村でちょっとずつゴブリンを飼育しているようなものだ。
そのうち大繁殖して、慌てて大規模討伐することになる。
下手すると上位種ゴブリンすら産まれかねないから結局軍隊か英雄冒険者パーティを出す羽目になるんだ。
なんだけどカネがないし、今すぐ大繁殖するわけじゃないからなんとか1年2年は先延ばしにするという判断も間違ってはない。
他所の領地に追っ払ってそこで討伐してもらえれば費用も掛からないってのも間違いではないんだよね……。
ボクはいますぐ討伐すべきだと思うけど、こういうのはどっちも正しいから時間をかけて議論しても水掛け論になるだけ。行動あるのみだね。
さてと、討伐するにしても領地の騎士たちは従軍義務がないどころか、軍役免除金という名目で家臣たちの収入の召し上げまでしちゃってる。
権利や義務がないから領主代理として命令はできない。だから……
- - - - -
「やぁ!奥様お久しぶり!5年前のお花見の会以来だよね!」
「やだ若君ったらそんな昔のこと覚えてらして」
グリムホルン迷宮伯領の支城の一つ。城代騎士の奥方に若君が陽気に声をかける。
「いやいや帝都にも行ったけどやっぱりうちの領地は美人ばかりだし奥様見たらとくにそう思うよ。金糸の髪に絹の肌、花のようなほほえみに風のような歩みって歌そのものだ」
「もう、帝都でそういうのばっかり学んでいらしたんですか?」
と言いながら奥方はめちゃくちゃ上機嫌だ。
若君は奥方ににっこりと笑いかけて、夫である城代騎士に振り向いた。
「本当に城代がうらやましいなぁ。お二人の結婚式も覚えてるよ。二人ともきらびやかでね、羨ましかったなぁ」
「え、いやあの時は若君は5つか6つだったのでは?覚えておられます?」
「あたりまえじゃないか!」
よくまぁ次から次へと話題がでるものだ……。
若君に無理やり支城に引きずられてきた書記官ルークはあっという間に城の騎士たちと打ち解けていく若君を見て圧倒されていた。
「やぁマグク!そっちはヤンスじゃないか!二人が倒した魔熊はすごかったね!」
「覚えておられますか!いやぁなかなか新しい武勲がなくて申し訳なく!」
若君は城の騎士や郎党たち一人ひとりを名前でよびかけ、昔話で盛り上がっている。
「若君がお戻りと聞いてすぐに挨拶に行きたかったのですが、その」
「はっはっは、城代の仕事は城を守ることだからね!さすが職務優先、母さんもボクも信頼しているよ」
「ありがとうございます!」
城代騎士が言いづらそうに挨拶に行かなかった言い訳をしても褒め上げてしまう。
会話が盛り上がったところで若君が主題を持ち出した。
「でね、村でゴブリンが沸いたそうなんだ。で討伐に行きたいんだけどルーク書記官が討伐費ないからダメなんだって」
「ないですからダメですからね?!」
いきなり若君に肩を抱き寄せられて討伐にいけないのはこいつのせいだみたいな顔をされた。
されてもダメですよ!?
「だけどボクは領主代理で母さんのために領地を守らないといけないんだ!だからたとえ悪霊小鬼が千万といえどもボクは行くぞ!」
「おー」
なぜか兵たちから拍手が起こる。
いや、千万もいませんから。
「もちろん君たちの軍役義務がないのは知ってるし、討伐費もない」
「……」
顔を見合わせる城の騎士たち。みんな当然ながらカネはないのだ。
「だから軍役じゃなくてタダのお願いなんだ。ゴブリン討伐に来てくれないか?でも城の防衛も大事だからね!」
若君が微笑みかけながら付け加えた。
「あ、その……」
騎士たちが城の防衛を言い訳にしようとした瞬間に、城代の奥方が口をはさんだ。
「まぁ、若様がこんな決心だなんて!伯爵さまがご覧になったら立派になったとお喜びになりますよ。ほら、あなたもお願いして連れてってもらいなさいよ!」
「お、おう……ぜひ!」
「若君、わしも!」
「俺も!」
なんか流れで城騎士の全員が参戦を表明することになった。
- - - - -
「はぁ、なんか手品みたいな」
馬車に乗り込み。支城を後にしてルーク書記官は頭をかいていた。
若君がいきなり支城に乗り込んで昔話をして盛り上げて手弁当で参戦を約束させてしまったのだ。
たしかにここまで銀貨1枚も払ってない。
「はっはっは、ボクの誠心誠意がきっと伝わったんだよ。だって家臣たちはみんないい人だし!」
若君は紺青色の眼を光らせながら、満面の笑みを浮かべている。
ルークが帳面をめくって言う。
「で、えっと次の城の城代はフェスコ・フォン・ベスベルグ卿で……」
「フォン・ベスベルグか、えっとたしか3年前だっけなぁ。トラ21年の日記頂戴」
「はい」
「あったあった、えっとボクの送別会で……」
揺れる馬車の中で器用に日記を読み始める若君。
「若君ってマメだったんですね……」
「え?日記ぐらいみんなつけるよね?」
若君はこうやって城騎士たちの名前や過去に何を話したかなどを全部予習していたのだ。
「だってちゃんと話題用意しとかないと盛り上がらないじゃないか!」
「そうですけど」
もちろん領地にいなかった間の異動はわからないので、ルークが最新の軍役帳を持ってきて全員の名前を説明していく。
支城であれば騎士や郎党たちの数も数十程度とはいえ、よく覚えられるものだ。ルークはすっかり感心していた。
「げ、この城ってヨハナとヨフノとヨヒヌが居るの?!どれが誰だっけ……よし、全員19年の狩りに参加してる!同じ話で行く!」
「あ、全部覚えるわけじゃないんですね」
「むーりー!」
若君はこうやって領地中の騎士たちと親睦をふかめ、そのほとんどから自腹参戦の約束を取り付けてしまったのだった。
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