答えは引き出しの中に

長月 有

第一話


 真冬、月曜日、朝。これほど最悪な組み合わせがこの世に存在していたら、人類はストレスで絶滅してしまうのではないだろうか。


 重い瞼を何とかこじ開けても、まだ布団は私を離してくれない。スマホにだけは簡単に伸びる手を使い、鳴り続けているアラームを止めた。


 冷えてしまった手を、ほかほかの布団が再び迎え入れる。


 あぁ、このまま一生寝ていたい。そんな私の願いは残念ながら聞き入れられず、母親の忙しない声により強制的に目覚めさせられる。


「有紗ー! そろそろ起きなさい!」


「はぁーーい」と間延びした返事をし、寒さで縮こまる体を連れてリビングへ向かうと、母がホットミルクを入れてくれていた。


 一口飲み込むだけで体が内側から温まっていく。


 前言撤回、人類は絶滅しません。ホットミルクは世界を救います。


 朝食を食べ終え、私は再び自室に戻る。さっきまで暖かく包み込んでくれていた布団の視線は、すっかり冷たく変貌していた。


 制服に着替え、スカートは膝より少しだけ上になるように折り込んでいく。


 鏡の前に座り、時間を費やす価値があるかどうかも怪しいほどうっすらとしたメイクを、下の上くらいの顔に施した。仕上がった後も中の下に昇格することはない。


 下ろした黒髪は櫛で適当にとかして、寝癖を押さえつけた。


 全てにおいて、私は中途半端だ。


 良くもないが悪くもない。誰かの目に止まるようなこともない。でも、これが一番上手な生き方。


「いってきます」


 誰もいなくなった自宅と小さな挨拶をし、鍵を閉める。


 彼女と出会ったのは、そんないつも通りの平凡なある日のことだった。


 それは通学路の階段を降りていた時のこと。そうだ、確かあの時は学校に遅刻しそうになっていた。突然目の前の景色がガクンとせり上がり、私の体は沈み込むように頭から落ちていった。


 体中を嫌な汗がぶわっと纏った瞬間。


「危ない!」


 そんな声と共に、私の体は先ほどとは逆に引っ張られた。


 ガンッという鈍い音で手すりへと打ち付けられる。


「ったく、何やってんのよ!」


 声と共に彼女の金髪がさらりと揺れる。釣り上がった眉に怖気立ち、私は咄嗟に視線を落とした。


「ご、ごめんなさい。助けてくれて……」


「急がなくていいわけ?」


 彼女は私のありがとうさえ待たずにそう言い放った。時計を確認するとあと20分。走ればギリギリ間に合いそうな時間だ。


「あっ、ありがとう」


 そう言い残し、私は学校へと急いだ。



「久しぶり」


 学校帰りにそう声をかけられ、振り返ると見覚えのある顔が目に入った。


「あっ、この前の」


 まさか再会するとは思っていなかった。正直少し苦手なタイプの人だ。すごくはきはきしているし言い方もきつい。頭の上で高く結った髪が彼女の自信に満ちた雰囲気を象徴しているようにさえ思える。


「ちょっと付き合ってくれない?」


 私の言葉に対し否定も肯定もしないまま、彼女はそう私に言った。一緒に向かったのは街の小さな商店街。賑わっているわけでもなく寂れているわけでもないここは私のお気に入りの場所だった。


 小さな商店街に訪れる客といえば、近所の人くらい。だからこそ、人々の暖かさに包まれているような感覚を覚えるそんな場所。


 暫くの間そんな空気を味わい、私たちはたい焼き屋さんの前で足を止めた。


 近くの公園のベンチに腰掛け、2人でふわふわにしっぽからがぶりと喰らいつく。口の中に幸せな甘さがふわっと広がった。


「しっぽからなんだ」


 私がそう言うと、彼女は「その方が最後美味しいじゃん」ときっぱり答え、「あなたも同じでしょ?」と私の手元を見ながら微笑む。


「案外気が合うかもね」なんて答える私の口角も自然と緩んでいた。


 なんだか凄く心地いい。いつもみたいに、言葉をたくさん選ばなくても会話ができている。

 

「見て、これ」


 そう言って彼女が取り出したガラスの球体。そこに太陽光が屈折し、キラキラと輝いた。


「ビー玉?」


「そう、ビー玉」


 そう言ったきり口を開かない彼女に、私は自身の昔の話を口にする。


「そういえば昔、近所のお兄ちゃんが宝石だって言って私にくれたことがあってね。私はそれをすっかり信じ込んで、小袋に入れて大切にしてたんだよね」


「大きくなって嘘だってことに気づいても、なんだか捨てる気になれなくてずっと引き出しに入ったまま」


 そんな私の話を静かに聞いていた彼女は、私がそう話すとおもむろに鞄へと手を伸ばし小さな小袋を取り出した。


 私が持っているのと全く同じの小袋。汚れ具合や口の糸が方つれてぶわぶわになっているところも全く一緒。


「そうそう、こんな感じの袋に入れてるんだよ」


 速くなる鼓動を感じながら、私はできる限り落ち着いた声色で「懐かしいな」と言う。


「もう気づいてるでしょ」

 

 そんな言葉を言い放ったのは確かに彼女の方だったはずだ。


「えっ……」


「そんな小芝居しなくても、もう分かってるから」


 彼女はそう言って静かに私を見つめた。まっすぐなその目には怒りなのか悲しみなのかよく分からない、難しい心が映っている。


 そう、私は気づいていたんだずっと前から。なんなら出会った瞬間から。


 この子は私だ、と。


 姿形も違えば性格なんて真反対。それでも、彼女に出会った時、彼女と自分は同一人物なのだと不思議ながらも直感した。


 でも認めたくなかった。別人だと思いたかった。


「自分を欺くなんて、そう簡単にできると思った?」


 そう言って口角をにやりとあげた彼女の姿は、やっぱり私とは全く違っていた。


 私は全てにおいて中途半端で、彼女のようにはなれない。だから違う、彼女は私ではない。そう言い聞かせていた。


「私以外にもあなたの中にはいろんな私がいる。みんなのこと、私のこと、認めて欲しい。どうか私を押さえ込まないで欲しい」


 彼女は私に、いや、私が彼女に?


 私は私に、そう言った。悲しい声で、でも力強く。


 誰もいなくなった、元から私だけの公園に、横殴りの太陽が差し込んでいる。明日の私はどんな私だろう。


「髪ゴム、どこにしまったっけ……」

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答えは引き出しの中に 長月 有 @yu_nagatsuki

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