Web版「月降る世界の救いかた」

友野 ハチ

プロローグ

第1話 高校生活最初の夏休み直前の教室で

 開け放した教室の窓からは、高く青い夏空が見える。暑気を帯びた風が、カーテンをふわりと揺らす。


 今日は一学期の最終日。既に終業式も終わっているが、我らが一年B組は教室での待機を命じられている。


 窓辺の最後部の席でカーテンに頬を撫でられながら、ぼんやりと教室内を観察する。人間観察は、趣味というわけでもないのだが、習性のようなものとなっている。片手にノートを携えていることもあって、誰にもばれていない……と思う、たぶん。


 この高校への入学から三ヶ月余りが経過して、クラスの勢力図ははっきりと固まっている。特に女子はほぼグループ化されていて、単独でいるのは高梨風音と、七瀬……、七瀬瑠衣奈の二人くらい。


 女子の中心として、女王蜂的立場にいるのはチアリーディング部の早乙女さんだ。髪を茶に染めた長身の美人で、姉御肌的な存在らしく、常に取り巻きに囲まれている。早乙女グループ以外も、趣味や部活を軸として数人ずつ括られているようだ。そして、概ね髪の色で分かれているようにも見える。金髪のポーランド人留学生、アリナ嬢は別として。


 一方の男子は、テニス部に所属する反町が率いる集団が最大勢力で、運動部系だけでなく文科部系の者も含まれている。そのほか、小さなグループがいくつかあるが、男子はそこまで群れていない者もいる。


 ぼく自身は、男女の主要グループとの接触はほとんどない。むしろ、疎外されている方だろう。とは言うものの、クラス内の序列やら階層にどんな価値があるというのか。進学すれば消えてなくなるものなのに。……と言ったら、負け惜しみ認定されるだろうか。


 そして、男女での交流は、この時間の教室内にはほとんど見られない。部活が一緒の人もいるだろうに、どこか遠慮があるのかもしれない。


 と、教室の外から戻ってきた人影が、目の前の席に大儀そうに腰を下ろした。


「睦月。相変わらずの人間観察か」


 やや低い声だが、特に機嫌が悪いわけではない。中学からの付き合いの久我隆史は、ぼくと同じ情報文化部のメンバーである。少し長めの髪に手をやっているのは、汗をかいているためか。


「まあね。先生からの呼び出しは何だったんだい?」


「夏休み中に部活動するなら、後追いでもいいから計画を書面にしろ、だってさ」


「ふむ……、なにかやろうかね?」


「取りたてて思い浮かばないな。……お、琴浪だ。めずらしいな、四月以来か」


「ああ、確かにそうだね。適性診断のテストだかがあるからかな?」


 我がクラスが終業式後に待機させられているのは、適性診断的な取り組みの試験運用に、この高校が選ばれたためだ。対象は十五歳となっているらしい。


 話題に上がった人物に目をやると、琴浪のふんわりとした髪の隙間から、視線が向かってきている。気取られたかな、と思って笑いかけてみると、びくっとされてしまう。余計なことをしてしまったか。


 そこに、ナベくんこと渡辺がやってくる。このクラスに三人いる、情報文化部構成員の一人である。


「春見野部長、夏休みの活動についてなんだけど……」


 情報文化部は、コンピュータが個人に普及し始めた頃に創設され、完全に忘れ去られていたものを今年になって復活させたクラブである。行きがかり上、ぼくが部長を務める形となった。だからって、部長呼ばわりはどうかと思うが、冗談めかしたあだ名のようなものとなっている。


 復活はさせたものの、部室を溜まり場として使っているのが現状で、特に大会があるわけでもなく、取り立てて活動予定もない。


「今のところ、なにも計画はないんだけど、むしろ何かやりたいことはあるかなあ?」


 問うてみると、ナベくんは慌てたように手を振った。


「ああ、いや。予定が無いならいいんだ。じゃあ、九月にまた」


「うん、よい夏休みをね」


 戻っていくのを目で追うと、自習している男子生徒の姿が目に入った。秋月という名の彼は、見事な学業成績を叩き出している人物だ。ページをめくるたびに、やや長めの髪が揺れている。


「秋月も学年トップなんだから、隙間時間にまで勉強しなくてもよいだろうにな。習慣なのか、知識を得るのが好きなのか」


「でも、奴が読んでるの、組織論についての経営書だったぞ。学校のテストや受験勉強とは関係ないだろう」


 なるほど。趣味だとしたら、理解できる。ぼくのカバンにも、授業とは関係のない歴史関係の書籍と、SF小説とが入っている。


「まあ、本当に勉強が必要なやつは、こんなタイミングで自習はしないからな。俺を筆頭に」


「ごもっとも。それにしても、組織論とはいい趣味をしているなあ」


「ああ、趣味は大切だ」


 趣味に打ち込むという点では、留学生のアリナと談笑している稲垣さんは、尊敬に値する人物だと言える。ただ、趣味が特殊……、というか、やや口に出すのがはばかられる方向性のため、手放しの称賛はしがたいが。


 金髪のアリナに対して、稲垣さんはやや紅毛気味の髪色となっていて、黒と茶が基本色となるクラスの中で、この取り合わせは異彩を放っている。二人は、美術部つながりとなっている。希望を胸に抱いて留学してきた少女を、変な趣味には染めないであげてほしいところである。


 席に戻ったナベくんは、隣席の山本と何事かを話し始めたようだ。よく通る声の持ち主であるその人物は、新聞部の所属となっている。漏れ聞こえてくる文言からすると、国際情勢方面の話題だろうか。


 そこで、男女の主流派グループの頭目である反町と早乙女が、この後の適性診断について話し始める。長身の美形同士が向かい合うと、確かに絵になる。二人を囲んでいた面々は、自然とそれを拝聴するモードに移行したようだ。


「中心にいるというのは、どんな気持ちなんだろう?」


「さあ?」


 そのとき、反町と目が合った気がしたが、すぐに別の方向に顔が向けられた。おそらく気のせいだろう。なにしろ、クラスのほとんどが彼らに注目してるもんな。


 ただ、両グループのトップ会談は特に目新しい情報もなかったようで、場はすぐにほぐれていった。それぞれの取り巻きたちが中央で他愛もない話を展開させはじめる。


 それに誘発されたのか、前方で他にも男女で話し始めた組み合わせが出現した。大柄な西川と並ぶと、さほど小さくもないはずの女子でも小柄に見える。柊さんの収まりの悪そうな波打つ黒髪のせいもあってか、どこか熊と猫とを連想させるこの二人は、料理部つながりだった。


 となると、孤高組女子の一人である高梨も一緒のはずだが……、と思っていると、柊さんが呼びに行った。やはり部活の話なのだろう。


 高梨風音は、後ろ頭で束ねた黒髪を跳ねさせて合流する。教室では孤高な雰囲気を漂わせているが、料理部ではなごやかにやっているようで、ちょっと安心する。


 男子一人と女子二人という取り合わせだが、ちょっとぼんやりしたところのある西川には警戒心も抱きようがないだろう。根はいいやつそうなので、かなりおすすめなのだが。


 そして、もうひとりの孤高組女子の……、七瀬。そう、七瀬瑠衣奈に目をやる。超然とした感じで座っている短髪で細身の少女の姿は、周りにどう映っているのだろうか。


 所属は手芸部だが、このクラスで同じ部活なのは、組織論についての書籍に夢中な様子の秋月のみ。交流相手としての期待はできそうにない。


 見ていると、視界にやや小柄な女子、音海さんが入ってきた。穏やかな人格者である彼女は、神社の娘で巫女さんも務めているそうだ。長いまっすぐな髪は、巫女服によく映えるだろう。


 ゆったりとした動きで七瀬の前の席に座り、穏やかに対話を試みている。反応している様子はないが、気にせずにのんびりと話しかけているらしい姿は、初対面の野良猫に声を掛けているかのよう。音海神社にも野良猫がいるのだろうか。この感じでは、楽園になっていそうな気もする。


 その向こうでは、源と有馬の男子水泳部コンビが、朗らかに笑い合っている。肩幅が広いと、うちの学校の夏服も見栄えがするのだなと感心する。仲良きことは、美しき哉。いや、決して稲垣嬢の趣味的な意味ではない。


「稲垣さんは、今年も出すのかな?」


「ああ、例の即売会か。連続で出られるものなのかどうかは知らないが」


 趣味に生きるのは一向にかまわない。ただし、ぼくを巻き込まないでくれるのならば、だが。


 と、その稲垣さんのところに、巻き髪が特徴的な長身の男子、那須が歩み寄った。アリナに一声かけて、しゃべり始める。クラス委員長の那須と紅毛のオタク女子の共通点は、弓道部所属であること。那須は、かの与一と関係があるかどうかは知らないが、弓術では全国レベルらしい。夏休み前で、どのクラブも連絡事項があるのだろう。


 扉が開き、ジャージ姿の中神先生が顔を出す。ぼくらの担任は、情報文化部の顧問を務めるうら若き女性教師である。身綺麗にすればかなりの美人だと思うのだが、その気は皆無のようだ。


「待たせたな。順番はどうでもいいらしいから、校庭に向かってくれ」


 皆がやれやれといった感じでゆっくりと立ち上がる中、一挙動で席を立った七瀬がすたすたと歩きだす。ある意味で見事なマイペースぶりである。音海さんが穏やかな表情で見送っているところからして、まったく会話が成立しなかったわけではないようだ。


「さて、行こうか」


「ああ。これが終われば待望の夏休みだな」


 立ち上がった時、教室の中央付近で小さな悲鳴が聞こえた。栗色の髪の少女が、床に座り込んでしまっている。


 どうやら、芦原さんが女王蜂的立ち位置の人物の進路を塞いでしまったらしく、突き飛ばされる形になったようだ。小柄な少女を見下ろし、早乙女さんが大げさねと笑う。この二人は、チアリーディング部で一緒という間柄のはず。これまで、教室内では仲の悪い兆候は見られなかったのだが。


 引き起こそうと手を伸ばしたのは、近くにいた胡桃谷だった。中学時代はテニスのジュニアツアーで活躍していたものの、現在はうちの高校の部活のテニス部に所属しているこの人物は、可愛らしい顔立ちで小動物を思わせる男子である。小柄な美少年が、こちらも可愛らしい小柄な少女に手を差し出す姿は、なんだかとても絵になる。


 どこか威圧的な反町と早乙女さんの取り合わせとは、また違った雰囲気を醸し出し、二人に多くの視線が集まった。

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