第12話

 夜。その時は唐突にやって来た。ベッドの中で一緒に眠っていると、亜子ちゃんの体が急に硬くなった。そして次の瞬間、亜子ちゃんの体は激しく痙攣を起こし始めた。それは亜子ちゃんのママの最後と同じ症状だった。笛を吹いてあげないといけないのに、僕は亜子ちゃんの名前を、亜子ちゃんの死に抗うように何度も叫んだ。意味の無いことだって、もう遅いんだって全部分かっていたけれど、僕はそうしない訳にはいかなかった。亜子ちゃんは信じられないくらいの強い力で痙攣したせいで、自分の舌を自身の歯で噛みちぎっていた。僕は亜子ちゃんの口から吹き出る亜子ちゃんの血を止めようとして、両手で必死に亜子ちゃんの口を塞いだ。けれどもどれだけ懸命に塞いでも塞いでも血は止まらなかった。赤い血が、亜子ちゃんの赤い血が、亜子ちゃんと僕を無情に濡らした。僕は亜子ちゃんの血に染まりながら、もうただ、亜子ちゃんを抱きしめていた。そして始まりと同じように唐突に、亜子ちゃんの体は唐突に力を失った。あれだけの強い力が嘘みたいにどこかに消え、だらりと意志を持たなくなった亜子ちゃんの体が僕の腕の中で静かに重くなっていた。僕は亜子ちゃんを胸に抱いたまま、これまでいくつもの夜を身を寄せ合って一緒に眠ったベッドの中で一人、蹲っていた。ぎゅっと、ぎゅっと、体を小さくして静かに蹲っていた。何も聞こえなかった。だんだんと死後硬直を始めた亜子ちゃんの体を両の腕に抱きながら、僕は一人、亜子ちゃんの不細工な可愛い泣き顔と、笑っても不細工な亜子ちゃんの可愛い笑顔を交互にぐるぐる思い出していた。

 月が沈んで太陽が昇って、また月が沈んでまた太陽が昇った。明るくなって暗くなって、それを何度も繰り返して繰り返して、僕はようやく硬く閉じた口を開いて、静かに亜子ちゃんの名前を呼んだ。

「亜子ちゃん、」

僕の腕の中で、亜子ちゃんはのんきな顔で眠っていた。何笑ってんのさって言おうと思ったのに、僕の声はもうそれ以上何も出て来なかった。

亜子ちゃん、またホットミルクが飲みたいよ。

亜子ちゃんはいつも優しいけれど、あの時の亜子ちゃんはいつもに増して優しかったから、僕、本当はあのままずっと具合が悪いままでいたかった。

ねぇ、亜子ちゃん、亜子ちゃんってば。

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