第10話

 亜子ちゃんに僕の笛の音が聞こえている事を、なぜ僕が気付けなかったのか。それほどまでに僕の力が弱くなっているという事だろうか。きっとそうだ。

「亜子ちゃん、」

安らかな亜子ちゃんの寝顔を見つめながら僕はそっと亜子ちゃんの名前を呼んだ。亜子ちゃんの頬は指先で触れると温かくて柔らかで、生き物の感触がした。

 僕が笛で吹くのは終わりのファンファーレ。それはその名の通り終わる人にしか聞こえない。終わるというのはつまり人間界の言葉で言えば死ぬことで、僕たち天使の吹く笛の音は、人間を死の恐怖から救う麻薬のような効果を持っている。僕たちの吹く笛の音は、終わりが近くなったその人の脳内で徐々に聞こえ始め、最後のその瞬間には、生者であれば気が狂うほどに、脳みそいっぱいに響き渡る。僕たち天使が吹くのは死と安らぎの音楽だ。

「亜子ちゃん大丈夫だよ、僕がついてるからね。亜子ちゃん、僕がずっと亜子ちゃんの傍にいるからね」

今は安らかに眠る亜子ちゃんの寝顔を見つめながら僕は言った。怖かった。初めて今僕の目の前にある全てを怖いと思った。目の前の全てを失ってしまうことが。

 もう僕にはそれほど力は残っていない。僕はもう天界へは戻れないかもしれない。でもそれで構わなかった。僕はただ亜子ちゃんと一緒にいたかった。何も後悔はない。間違った天使の僕は何も間違っちゃいない。僕はこれで良い。


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