病弱な従妹ばかり大事にしている婚約者は、わたしの事を愛しているそうです。

霜月 零

病弱な従妹ばかり大事にしている婚約者は、わたしの事を愛しているそうです。

「ヴァネッサ。本当にごめん……」


「…………」


 何度目かわからないサフィラス様の謝罪に、わたしは無言だ。

 彼が本当に、本心から謝罪してくれているのはわかる。

 きっと、彼女の容体が安定して、すぐにわたしの家に馬車を走らせたのだろう。

 いつもはきちんと整えられている金髪は乱れ、上着は羽織ってきただけなのだろうということがうかがえる。


 それほど焦って、ルシュアーゼ侯爵家から我がディセンド伯爵家にきてくれたのだ。

 わたしは、誠意ある婚約者の行動に感謝こそすれ、こんな風に黙ってしまうのは失礼だろう。

 けれど約束を破られるのは、これで何度目になるのか。


「そのっ、この埋め合わせは、必ず……っ」


 わたしの手の中でくしゃりと握られたチケットを見て、サフィラス様は青い瞳を悲し気に歪ませる。

 わかってる。

 悪意がないことは。


 今日のこのチケットは、わたしが観たいと以前からいっていた観劇のものだ。

 王都でいまや大人気のこの劇団のチケットは、貴族であってもなかなか取れない。

 そんな人気の劇団公演を、サフィラス様は手に入れてくださって、本当なら二人で観られるはずだった。


 けれど今日、わたしを迎えに来たのは彼の従僕であるレンだった。

 サフィラス様が急用で来ることができなくなったから、せめてわたしだけでも観てきてほしいと言付けをしてきたのだ。


 もちろん、淑女が一人で出かけるのは外聞もあるから、レンと共にと。

 レンは侯爵家に従僕として勤めているけれど男爵家の子息でもあり、まだ婚約者がいない。

 一人で出かけるのと、婚約者の従僕とはいえ婚約者以外の男性と二人で出かけるのと。

 どちらがましだろう。

 わたしはサフィラス様以外と出かけたくなんてなかった。

 

「……何度目、ですか……」


 わたしは、涙をこらえて、そう問いかける。

 サフィラス様が来られなかった原因を思うと、どうしたって涙が出そうになるのだ。

 俯くサフィラス様に、わたしはさらに追い打ちをかける。


「また、クレア様なのですね……?」


 サフィラス様の顔が強張る。


「今日はもう、どうか帰ってください……。彼女はまだ、寝込んでいるのでしょう?」


「っ、それは……」

 

「わかっていますから。大丈夫ですよ。少しだけ、残念に思っただけですから」


 何とか、微笑を作ると、サフィラス様は再度深く頭を下げて立ち去った。


「お嬢様……」


「部屋に戻るわ。いつものことだもの」


 侍女のマーベルが心配気にしているが、わたしはにこりと笑って部屋に戻る。

 いつものこと、なのだ。

 

 クレア・ポーレント伯爵令嬢。

 サフィラス様の従妹で、わたしの二つ歳下の彼女は今年十五歳になる。

 

 ポーレント伯爵令嬢である彼女は、生まれた時から病弱だったらしい。

 そして数年前、とある占い師の助言で、ルシュアーゼ侯爵家に預けられることになった。

 なんでも、方角が良いのだとか。

 胡散臭い、とわたしは思ってしまうのだが、ルシュアーゼ侯爵家に居を移してから、クレア様は以前よりはずっと体調が良くなったのだという。


 侯爵家に来てからも、ベッドから起き上がっていることの方が少ない彼女は、ポーレント伯爵家では、いつ死ぬかもわからない生死の境を何度も彷徨っていたのだという。

 

 そんな事情だから、ポーレント伯爵家では藁をもつかむ思いでその占い師の言葉を信じてきたのだろう。

 ルシュアーゼ侯爵家でも、手厚い看護をし続けている。


 けれどクレア様は、ルシュアーゼ侯爵家でもよく具合が悪くなるのだ。

 そしてなぜか、使用人ではなくサフィラス様が彼女の看病に当たる。

 ルシュアーゼ侯爵夫人も看病に当たることがあるらしいが、基本的にサフィラス様がしている。


 なぜ?

 

 使用人でもなく、治癒術師でもないサフィラス様がつきっきりで看病しているのだろう?

 彼は侯爵子息だ。

 三男なので家を継ぐことはないが、わたしと結婚した際にはディセンド伯爵家に婿入りしてもらうことになっている。

 けれど彼は、常にクレア様を優先する。


『クレアの熱が高すぎて、他の者には任せられないんだ』


 初めて約束を破られたときに彼にそういわれて、そして彼が常に看病している事を知ったのだ。

 その後も、クレア様が体調を崩すたびに、そしてそれがわたしとのデートやお茶会の日であっても、サフィラス様はクレア様を優先する。

 

 理由は何度聞いても『他の者には任せられない』なのだ。


 わけがわからない。


 クレア様とは何度か彼女の体調が良い時にお会いしているが、華奢で儚げで、水色の瞳はいつも潤んで愛らしい令嬢だ。

 真っ直ぐな黒髪は艶やかで、癖っ毛でふわふわとまとまり辛いわたしの茶色い髪とは大違い。

 

 そして……とても良い子なのだ。


 彼女はいつでもわたしを気にかけてくれている。

 サフィラス様が自分のせいでわたしとの約束を反故にしたと知ると、体調が回復次第すぐに謝罪の手紙とお詫びの品が届けられるのだ。

 そのお詫びの品も、サフィラス様から聞いたのであろう、いつでもわたし好みの、わたしを想って選んでくれたのがわかる品々なのだ。

 

 見た目だけでなく、性格までもいい。

 わたしが、敵うはずがない。


 彼女が好きで倒れているのではない事も、十分わかっている。

 サフィラス様との事がなければ、きっとわたしたちは親友になっているぐらい、手紙も送り合っている。

 ううん、むしろいまでも大好きだ。

 やさしい彼女の儚げな笑顔を、わたしだって守りたい。

 恨むことなんかできっこないのだ。


 でも、サフィラス様はわたしの婚約者で。

 一目見た時から、ずっとずっと好きなのだ。


 それなのに……。

 わたしは、思いっきり枕に顔を埋めて大泣きした。


◇◇◇◇◇◇ 

  

「ヴァネッサ様。やはり昨日はあまり良く眠れなかったのですね……」


 朝起こしに来てくれた侍女のマーベルが、わたしの顔を見て表情を曇らす。

 きっと、目元が腫れてしまっているのだろう。

 思いっきり、泣いてしまったから。


「どうしても、ね……」


 俯きたくなってしまう。

 仕方がないとわかっているのに、胸の中にもやもやと黒いものが溜まっていってしまうのだ。


「旦那様と奥様にご相談したほうが良いのではないでしょうか」


「なにを?」


「ルシュアーゼ侯爵子息についてです! 婚約してからお嬢様との約束を守られたのは何回ですか。片手で数えるほどではありませんか。あとはずっと、当日になってから駄目になってばかりで、お二人でまともに出かけられたのなんて、一度きりではありませんか」


「マーベル……」


「そもそも、なぜ使用人でもないルシュアーゼ侯爵子息が居候しているご令嬢の面倒を見なければならないのですか。嫡男ではないとはいえ、侯爵家の三男です。身の回りの世話をされることはあっても、自ら世話をするなどありえません」


「えぇ、そうね……。でも、彼しか診られる人がいないのよ……」


「クレア・ポーレント様もどうかと思います。一介の使用人が言う事ではないのは重々承知しておりますが、婚約者のいる男性に身の回りの世話をお願いしているだなんて、あらぬ誤解を招いて下さいと言っているようなものではありませんか」


 マーベルのいうことももっともだ。

 クレア様の意識があるときは、侯爵家の使用人が身の回りの世話を任されている。

 けれど容体が悪化し、意識がもうろうとしているときは必ずサフィラス様か侯爵夫人が側についている。


(身体に触れられることを、極度に嫌がっている為でもあるらしいけれど……)


 サフィラス様は教えてくださらなかったが、以前侯爵家の使用人達が話しているのを聞いてしまったのだ。

 クレア様は、ご自身の身体に他人が触れるのを恐れていらっしゃると。

 触れることができるのは血縁者だけらしい。

 ポーレント伯爵家の家族と、ルシュアーゼ侯爵家の面々となる。

 なので着替えも、伯爵令嬢でありながら自分一人でしているのだ。


 身体の弱い彼女はお茶会もパーティーも出られない。

 だから、ドレスは身に着けず、身体を過度に締めることのないゆったりとしたワンピースをいつも身にまとっている。

 リボンやボタンも前についていて、あの衣装であるなら貴族令嬢であっても確かに一人で着られるとは思う。

 

 でも、熱があるときは?


 自分で動けないのだ。

 そしてその時クレア様のお世話をしているのはサフィラス様なのだ。

 

 病で苦しむクレア様と、それを必死に看病するサフィラス様に対して、わたしの気持ちは持ってはならない感情だ。

 とても、醜い。


「……お父様たちには、どうかまだ言わないで」


「お嬢様!」


「もう少しだけ、待っていて欲しいの」


「いつまでですか? いつまで、お嬢様はこんな仕打ちに耐え続けるおつもりですか……っ」


「二か月程度よ。サフィラス様にも言われているの。クレア様の誕生日がきたら、話したいことがあるって」


「それは……」


 マーベルが息を飲む。

 きっと、マーベルもわたしと同じことを想像したのだろう。

 

 この国では、十五歳になれば貴族は婚約ができるようになるのだ。

 幼少期から口約束のように結ばれている婚約もあるが、それはあくまでも仮婚約。

 正式な婚約は十五歳になってから、国王陛下の許可をもらって成り立つのだ。


 一時期、幼少期から結ばれていた婚約が破棄や解消になることが相次いだのだとか。

 家同士の結びつきを強くするための政略結婚において、夫婦仲が良いに越したことはない。  


 けれど幼少期から結んでしまうと、成長するにつれて互いに相性が合わないということが過去に多々起こってしまったらしい。


 円満に解消できればいい。


 実際は不仲のまま結婚をすることになったり、パーティーで派手に婚約破棄を突きつけて強引に婚約を無くそうとしたり。思う相手と駆け落ちする者達まで出てしまったというのだから、法律で婚約時期を決めたのも頷ける話ではある。


 二ヶ月後。

 クレア様は十五歳になる。

 婚約を結べるようになるのだ。


 だから、きっと、サフィラス様とわたしの婚約は、その時に終わるのだろう。

 常にクレア様を優先するとはいえ、彼は決して不誠実な方ではない。


 流行の物語のような悪役でもない。

 衆目の前でわたしを貶めるような、そんな婚約破棄の仕方はなさらないでくれるだろう。


 彼なら、わたしと会って、丁寧な謝罪の言葉と共に、最大限わたしに配慮した婚約解消を申し出てくれると思う。


 だから、もう少し。

 もう少しだけの辛抱なのだ。

 わたしがサフィラス様の婚約者としていられる時間は、あと二ヶ月。


 精一杯、楽しい思い出を作って。

 そして、笑ってお別れを受け入れることができたらいい。


 ◇◇◇◇◇◇


 侍女のマーベルと共にディセンド伯爵領にある修道院を訪ねる。

 教会と孤児院が併設されたこの修道院には、半年ほど前から個人的に寄付をさせてもらっているのだ。

 

「ヴァネッサ・ディセンド伯爵令嬢! よくいらしてくださいました」


「ボーロド院長。お忙しいのにお出迎えありがとうございます」


「そんなっ、忙しいなどと。ヴァネッサ様が多額の寄付をして下さったお陰でこの孤児院は修道女のほかにも職員を多く雇えましたから、わたくしの仕事などあってないようなものですよ」


 院長のボーロドは嬉しそうに微笑む。

 半年前この修道院を訪ねた時は、みな、顔色が悪かった。

 子供達も元気がなく、正直、虐待を疑ってしまったほどだった。


 けれど事実は全く違う。

 修道女達が孤児たちの面倒も見ていたのだが、流行り病で若い修道女達が次々と命を落としていたのだ。


(すぐに、ディセンド伯爵家に助けを求めてくれたらよかったのだけれど……)


 毎年きちんと運営費は支払われていたのだが、薬が高額ですぐに底をついてしまっていたのだ。

 なのでぎりぎりまでディセンド伯爵家には連絡をせず、たまたまヴァネッサが訪れなければ、最悪の結末を迎えていたかもしれない。


(どこの修道院に身を寄せるか、現地を見て考えるつもりだったのよね……)


 ディセンド伯爵家の領地には、いくつか修道院がある。

 この修道院は町外れにあり、教会と孤児院も併設されていることで現地に来る前から気になっていたのだ。

 

「ヴァネッサおねーーーちゃーーーーん♪」

「おねーたんきてくれたっ」


 わたしの来訪を知り、子供たちが駆け寄ってくる。

 初めて見た時とは比べ物にならないぐらい、ぷくぷくのほっぺたになっている子供達に嬉しくなる。

 

「みんな、元気にしていた?」


「うんっ! にーにがね、畑でおいしいやさいがとれたーってゆってたよー」


「神様にもいっぱいお祈りして、ヴァネッサさまにも祈りささげたよー」


「わたしにも? ありがとう」


「おねーちゃんだいすきー!」


「わたしもみんなが大好きよ」


 わたしは、子供が大好きだ。

 だから、結婚したら、できるだけ多く子供を産みたいと思っていたほどだ。

 けれど、わたしの夢は叶わないだろう。


 サフィラス様がどれほど丁寧にわたしとの婚約を解消してくれても、わたしには傷がつく。

 ルシュアーゼ侯爵家が敵になど廻らなくとも、周りの噂好きの貴族がそれを許さない。


 だからわたしは、わたしを受け入れてくれる修道院を半年前からひそかに探していたのだ。

 侍女のマーベルにはもちろん伝えていない。

 絶対に止められるだろうから。


 自分の子を持つことがきっと叶わないわたしには、この孤児院で、孤児たちをわたしの子供として大事にしていきたい。

 そして醜い感情は、教会で祈りを捧げて浄化して生きたいのだ。


 サフィラス様の幸せを、心から祝えるように。

 優しく微笑む白い像はチュリア神だ。

 この国で愛と幸せをもたらせる神として信仰されている。

 王都の教会でも祀られている神様だ。

 ステンドグラスの色鮮やかな光に照らされた像を見上げ、泣きたくなる気持ちをぐっと抑えた。



◇◇◇◇◇◇



 二か月はあっという間だった。

 あとほんの数日でクレア様の誕生日だ。


 わたしは、彼女の誕生日プレゼントにリボンを結ぶ。

 クレア様の艶やかな漆黒の髪に似合う銀の髪飾りだ。

 青い宝石と水色の宝石をちりばめたそれは、きっと、クレア様の美しさを引き立てるだろう。

 

 わたしの髪には、クレア様が贈ってくれた金の髪飾りを付けている。

 赤みの強いわたしの茶色い髪には、銀よりも金が似合うのだ。

 さりげなく可愛らしいウサギが彫られていて、愛らしい。


 きつめの顔立ちのせいで大人びたものを贈られることが多いわたしだけれど、本当は可愛らしいものが大好きだ。

 クレア様はいつも、さりげなく可愛らしいものを贈ってくれる。

 ご自身はさっぱりとしたものを好んでいらっしゃるから、この贈り物は彼女の趣味ではなく、わたし好みのものを選んでくれた結果なのだ。

 本当に、敵わない。

 

 また泣きたくなってしまったが、わたしは上を向く。

 

 二か月の間にサフィラス様と出かけることができたのは、たった一回だけ。

 約束は何度もかわしたけれど、クレア様の具合がよくなくて、叶わなかった。

 

 もしも万が一、婚約破棄されなかったとしても、これから一生それが続くことを思うと、耐えることができそうにない。

 

 だから、わたしは今日、彼に会いに行く。

 クレア様の誕生日は数日後で、わたしも呼ばれている。

 身内のみのパーティーだから、わたしが出席できなくなっても問題ないだろう。

 

 ルシュアーゼ侯爵家に先ぶれを出し、馬車に乗り込む。

 侍女のマーベルには、別の使いをさせている。

 わたし一人だ。

 決心が鈍らないうちに伝えたい。

 

 クレア様への誕生日プレゼントを、膝の上でそっと撫でる。

 水色の箱に青いリボンを結んだのは、彼女と、サフィラス様の瞳の色を思ったからだ。

 

「ヴァネッサ、急に珍しいね?」


 先ぶれを出してはおいたけれど、ルシュアーゼ侯爵家にわたしが突然来ることは今までなかった。

 だからサフィラス様は本当に驚いた顔をしている。


「クレア様の誕生日プレゼントが届いたの。一日も早く渡したくて」


 笑顔を作り、そう伝える。

 嘘はついていない。

 本当のことでもないけれど。


「そうか、丁度良かったよ。今日は彼女の調子がとてもいいんだ」


 そういって、サフィラス様はわたしをクレア様の部屋に案内する。

 

「まぁ、ヴァネッサ様! 来てくれたのね、嬉しいわ」


 わたしを目にした瞬間、ふわりとクレア様が微笑む。

 同性のわたしでもどきりとする中性的な笑みと、落ち着いた声で迎えられた。


「もうすぐお誕生日でしょう? プレゼントを届けに来たの」


 手にしていた箱を、クレア様に手渡す。


「開けてもいい?」


「もちろん」


 水色の瞳を輝かせて、クレア様はそっとリボンを解く。

 中に納められた髪飾りを見て、動きを止めた。


「……とても、素敵だけれど。ねぇ、ヴァネッサ様。この、宝石の色合いは……」


 クレア様の指先が震えている。


「美麗な髪飾りだと思うけれど、クレア?」


 サフィラス様は意味が分からず、きょとんとしている。

 青い宝石と、水色の宝石。

 それは、サフィラス様とクレア様の瞳の色を模している。

 

「二人は、とてもお似合いだと思うの」


「……っ!」


 クレア様が息を飲む。

 婚約者が自分の瞳の色を模した宝石を贈るのは一般的だ。

 なら、恋人同士を他人が祝福するときは?

 祝いたい二人の瞳の色を贈り物に込めるのだ。


「ヴァネッサ? 似合うって、え?」


「サフィラス様。今日わたしは、二人をお祝いしに来たんです。クレア様はあと数日で十五歳になります。正式に婚約を結べるご年齢になるのです」


「ヴァネッサ! それはどういう意味?! まさか君、僕との婚約を」


「えぇ、解消させて頂きたいと思っているのです」


 笑顔を浮かべたまま言い切ると、サフィラス様は絶句した。

 

「誤解よ。ヴァネッサ様! わたしとサフィラスはそんな仲じゃないの、信じて……っ」


「クレア様。どうか興奮なさらないで。お身体に負担がかかってしまうわ」


「だって、こんな、こんな事って……っ。あぁ、サフィラスにだから言ったじゃない! わたしのことなんか放っておいてって! ヴァネッサ様のところに行ってって!」


「だ、だが、高熱を出しているクレアを置いて出かけられるわけがなかっただろうっ」


 クレア様の瞳から大粒の涙があふれ、わたしの胸も苦しくなる。

 サフィラス様とこれでお別れだと思うと、泣きたくもなる。

 でも、どう考えても邪魔ものはわたし。

 思い合う二人を婚約者という立場で割り込んでしまっていたのだから、潔く身を引くべきだ。

 

(だって二人とも、本当にいい人なんだもの)


 堂々と憎めるような、酷い人たちだったらよかったのに。

 二人とも、わたしは好きになってしまったのだ。

 だから、醜い嫉妬に飲み込まれて、二人をもっとひどい言葉で傷つけるような、最低の人間になりたくない。


「二人が幸せになってくれることを、心から祈っています」


 最後まで笑顔を保って、わたしは席を立つ。

 その瞬間、クレア様が信じられないくらいの勢いでわたしの腕を掴んだ。


「駄目!」


「クレア様、手を放してください」


「駄目よ、これを、見て!」


 ぐっと、片方の手でご自身の髪を力いっぱい引っ張った。


「おい、クレアっ!」


「えっ」


 ばさりと、クレア様の長くつややかな黒髪が床に落ち、男性のように短い髪をクレア様は晒す。

 そして有無を言わさず、ぐいっとわたしの手を自分の胸に当てる。


(えっ、胸、固い……?!)


 クレア様の胸は、平らだ。

 女性らしいふくらみが一切感じられない。

 

「わかった? わたしは……ううん、俺は、男だ!」


 声もいつもより低く、けれどはっきりとクレア様はいいきる。

 

(そんな、そんな? え、男性?!)


「黙っててごめん、だけど、俺は……げほっ!」


「クレアっ」


 咳き込みだしたクレア様を、サフィラス様が抱きかかえる。


「お前なんでだよっ、あと、ほんの数日だったのに!」


「駄目だっていっただろ。ヴァネッサ様に誤解を与えてしまったんだ。もうこれしか誤解を解く方法なんて思いつかなかったんだよ」


 いいながら、クレア様はより一層激しく咳き込む。

 何が起こっているのかわからなくて困惑するわたしに、サフィラス様が語り出した。


「代々、ポーレント伯爵家は呪われているんだよ。黒髪に水色の瞳の男児は大人になるまで生きられない。けれど腕のいい呪い師に巡り合えたんだ。呪いを解くことはできずとも、呪いを騙すことはできるっていうね」


「それが、クレア様の性別を偽ること……?」


「そう。クレアを女性として十五歳まで育てることで、呪いを騙し、生き延びさせることが可能だとね。けれどポーレント伯爵家ではすでにクレアが男であることは当然知られている。だから、ルシュアーゼ侯爵家で令嬢として過ごすことになったんだ」


「そ、それならそうと、事情を話してくだされば……」


 眉間に辛そうにしわを寄せ、サフィラス様は首を振る。


「できなかったんだ。呪いを騙すには、身内以外に知られたら駄目なんだ……」


「え、まって。それじゃ、わたしが知ってしまったら……」


 目の前が暗くなる。

 先ほどよりも明らかに具合が悪くなったクレア様を、サフィラス様が抱きかかえて寝台に運ぶ。


「呪いは、もう騙せない」


「そんなっ」


「誕生日まであと数日。それまで、どうにか生き延びてくれれば……」


 既に意識のないクレア様の手を握り、サフィラス様は俯いた。

 その瞬間、わたしの脳裏に教会が思い浮かんだ。

 リンゴーンと、鐘の音までつけて。


(なに? 急に、なんで教会が)


 ずきずきと頭痛がしそうなほど、教会と女神像がぐるぐるとわたしの頭の中で回っている。

 

(……そうだ。侯爵夫人!)

 

 サフィラスのお母様である侯爵夫人は、ポーレント伯爵家の血筋ではない。

 けれどクレア様の看病に当たっていた。

 つまり彼女には男性と知られていても問題なかったことになる。


「サフィラス様。教えてください。身内は、妻も入るのですか?」


「あぁ、そうだ。だから母上もクレアの看病が出来たんだ」


 その言葉に、わたしは大きく頷く。

 何故頭に教会が浮かんだのかわかったのだ。


「サフィラス様。わたしといますぐ結婚してください」 


「急になにを?!」


「妻であるなら身内とみなされるのであれば、わたしと結婚して頂ければ呪いは発動しなくなるはずです」


「っ、確かにそれはそうだ。けれど貴族の結婚には国王陛下の許可がいる。申請しても数日はかかるのだから、クレアの誕生日にはもう……」


「違います。書類の上での結婚ではありません。教会で、女神様の前で誓いをあげましょう。それなら、すぐに済むはずです」


「たしかに、平民は教会で式をあげるだけだし、何なら誓いの言葉だけで済ますものもいる。試してみる価値はある」


「行きましょう、急いで!」


 わたしはサフィラス様の手を取り、二人で教会へと駆け込んだ。  

 

 

◇◇◇◇◇◇


「うーん、鬘を取るとすっきりするね!」


 侯爵家の庭先で、クレア様が短い髪をかき上げて嬉しそうに笑う。

 

「クレア。いいや、もうクレアムか。呪いが騙せたからって、まだ病み上がりなんだぞ。あんまりはしゃぐなよ?」


「もー、サフィラスは心配性だなぁ。二人のおかげであれから咳の一つもしなくなったよ」


 陽の光の下で笑うクレア様改めクレアム様は、先日までの病が嘘のようにすっきりとした顔をしている。

 わたしとサフィラス様の教会での結婚式は、司祭様に立ち会ってもらうだけの本当に簡潔な式だった。

 それでも、きちんと妻として認められたらしい。

 愛と幸せの象徴であるチュリア神に、感謝を捧げたい。

 あの時、クレアム様の病状が悪化した瞬間、教会が思い浮かんだのは、きっとチュリア神が導いて下さったのだと思う。

 

「ヴァネッサ様もサフィラスは心配性だって思うでしょ? ねっ?」


 っといいながらわたしの顔を下から覗きこみ、腕をとる。

 けれどサフィラス様はぐいっと、クレアム様をわたしから引きはがした。


「こらっ、どさくさに紛れてヴァネッサに引っ付くな」


「クレアだった時は怒らなかったくせに」


「いまは男だろうが。もともとクレアだった時も俺は嫉妬していたぞ。俺だってふれたいのを我慢してたんだ」


 冗談めかしているけれど、わりと目が本気に見える。

 そんな風に嫉妬してもらえていたと知って嬉しいのと恥ずかしいので、わたしは曖昧に微笑む。

 

 ポーレント伯爵家の呪いは、何世代も前のポーレント伯爵子息が、魔女をもてあそんで捨ててしまったことが原因らしい。

 黒髪で水色の瞳をもつ男子にのみ呪いが発動するのは、もてあそんだ伯爵子息の髪色が黒で、瞳が水色だったから。

 まったくもってはた迷惑な事である。


 でも、呪ってしまう気持ちはわからなくはない。

 大好きな人と別れなければならないと思うと、わたしも本当に辛かったから。


「ヴァネッサ?」


 サフィラス様がわたしを見てくれる。


「ふれてくれても、良いですよ?」


 わたしから、彼の手を握る。

 真っ赤になったサフィラス様をみて、わたしは幸せに微笑んだ。

 

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病弱な従妹ばかり大事にしている婚約者は、わたしの事を愛しているそうです。 霜月 零 @shimoduki

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