1人目『ジサイアント』 災厄と向き合う者カリナ・アムナイト

 *5700文字

 *ジサイアントの職業説明は末尾に掲載しています。簡単にいうと『災厄と立ち会う存在』になります


 ■プロローグ


 その船は、黒い霧の海を切り裂きながら進んでいた。

 大波が船腹を叩き、風は怨嗟の声のように甲板の上を駆け抜ける。乗組員たちは誰もが怯えた目をして、船首に立つひとりの女性を見つめていた。


 彼女の名は カリナ・アムナイト。

 27歳にして伝説的な「ジサイアント」の称号を持つ女性である。彼女は船を守るための最終防衛線であり、災厄を引き受け、死霊や異界の力と対峙する術師だった。


 僧侶や聖職者との違いは彼女の性質が組織に所属した信仰の力ではなく、もっと大きな根源的な力によるものである。これは職業というより、業みたいなものかもしれない。


 月光に照らされるその姿は、異形の美しさを放っていた。

 白銀の髪が風に翻り、彫刻のような端正な顔立ちは冷徹な意志を物語る。

 長いマントの下には黒と紫を基調とした緻密な紋様が施された衣装をまとい、彼女の手には、魂を宿したとされる短剣が握られている。


 彼女の瞳は左右で色が異なっていた。一方は深い海を思わせる青、もう一方は燃えるような金色。その目で睨まれるだけで、誰もが己の罪や弱さを見透かされるような気がするという。


「ジサイアント……これほど頼りになる存在はいないが、これほど恐ろしい存在もない」

 そう人々は言った。


 彼女がその力を行使するたび、災厄の一部が彼女自身を蝕むと言われている。

 それでもカリナは決して顔に苦痛を表さない。ただ、冷然とその役目を全うするだけだった。



 ■第一章:霧の中の試練

 

 船が迷い込んだのは、航海者たちの間で「亡霊の海」と呼ばれる呪われた海域だった。伝説によれば、この場所を通る船は、必ず何かを「失う」とされている。それが命なのか、心なのか、魂なのかは分からない。


「カリナ様! 霧の中に何か……何かいます!」

 見張り台の男が震える声で叫んだ。彼が指差した先には、霧の中から現れた無数の影がうごめいているのが見えた。


「黙れ」

 カリナは低く鋭い声で男を一喝し、船首に向かって歩み出た。霧の中の影は次第にその姿を露わにする。

 それは人の形をしていたが、人ではなかった。彼らの目は暗い空洞であり、口元からは血と腐肉の臭いが漂う。亡者――かつてこの海で命を落とした者たちの成れの果てだった。


「彼らは怒りを持ち、この世界に縛られている。だが、私には通じない。」

 カリナは静かに呟いた。彼女の声は波音に紛れることなく、亡者たちの耳にも届くかのように響き渡った。


 亡者たちが一斉に船へと向かって突進してくる。乗組員たちは武器を取ろうとしたが、カリナがそれを制止した。


「私に任せろ」


 短剣を掲げた彼女の姿は、不気味な月光の下で神秘的に輝いた。彼女が呪文を唱え始めると、空気が震え、霧が渦を巻く。亡者たちは一瞬怯むように足を止めたが、すぐに再び襲いかかってきた。


「災厄となりし者よ、我が軍門に下るが良い」


 彼女が短剣を天に突き刺すと、亡者たちの身体から黒い鎖のようなものが生まれ、カリナの手元に向かって引き寄せられていく。その鎖は魂そのものであり、彼らの怒りと憎しみの形だった。


 カリナはそのすべてを引き受ける。

 痛みが全身を駆け巡る。身体が裂けるような感覚に襲われるが、彼女は顔を歪めることもなく、その場に立ち続けた。


「お前たちはもう自由だ」

 カリナの言葉と共に、亡者たちは静かに霧の中へと消えていった。空には雲の切れ間が現れ、冷たい月光が船を優しく照らした。



 ■第二章:失われた記憶


 カリナが操る力には代償がある。

 それは「記憶」の喪失。

 彼女が災厄 —— 今回は亡者たちの憎しみや痛み—— を引き受けるたび、自分の過去の一部が霧の中へと消えていく。


「これでまた……私は何かを失った」


 彼女は誰にも聞こえないように呟き、甲板を去った。

 自室に戻った彼女は、胸の奥にある虚無感と向き合う。

 彼女の部屋には古びた小箱が置かれており、その中には彼女が失った記憶を象徴する品々――かつての愛、友情、家族の欠片――が詰められていた。


 それでも、彼女は依頼主を守るために次の戦い ——航路・戦場・開拓地など—— へ向かうことを選ぶ。

 カリナにとって、それが生きる意味そのものだったからだ。



 ■第三章:呪いの航路


 翌朝、亡霊の脅威を退けた船は、再び静かな航海を続けていた。しかし、乗組員たちの顔に安堵は見られない。彼らはカリナの背中に潜む冷たい影を感じ取っていた。


 船長の ヴァリック がカリナの特等室を訪れたのは、太陽が薄く雲を透かして輝く頃だった。

 船長は中年の男で、日に焼けた肌と鋭い目つきを持つ。長い航海の経験から生じた落ち着きがあるが、カリナに対してはどこか遠慮する様子が伺えた。


「入れ」

 カリナの冷たい声が扉の向こうから響く。ヴァリックは扉を押し開け、部屋に入った。


 カリナは窓辺に座って外を見つめていた。手には小さな銀のペンダントを握りしめている。それは失われた記憶の断片を象徴する、唯一の手がかりだった。


「お前に頼むしかないことがある」

 ヴァリックの声は低く、慎重だった。彼の目には、カリナの力に頼らざるを得ない苦悩が映っている。


「何だ?」

 カリナは振り向かずに答えた。その横顔には疲労が浮かんでいたが、その瞳には鋭い光が宿っている。


「前方に《虚無の礁》がある。避けるには時間がかかるが、ここを通ることで他の輸送船を一気に出しぬける。だが、そこには“闇の潮”が満ちる時間帯があると聞いた。

 まあ、一般的には災厄とよばれて普通の航海者では渡れない場所だ」


 カリナはペンダントをそっと手に握りしめたまま、無言で立ち上がった。そして、ヴァリックを真っ直ぐに見つめた。


「どうして、私に言う?」

「お前がいれば、船を通せると信じている」

「そうか……だが、代償を覚悟しておけ」


 ヴァリックは短くうなずき、部屋を出て行った。残されたカリナは、銀のペンダントを見つめながら、失った記憶の断片を辿ろうとしていた。



 ■第四章:闇の潮


 その夜、船は《虚無の礁》へと到達した。礁には黒い波が砕け散り、不気味な音を響かせている。水面には異形の影が揺れ、何かが蠢いている気配がした。


「全員、甲板に出ろ!」

 カリナの指示で乗組員たちが集合する。彼らの表情には恐怖が滲んでいたが、誰もカリナに異を唱えることはなかった。


 カリナは短剣を取り出し、それを夜空に掲げた。彼女の口から響く呪文は、聞く者の心に直接響き、何か古代の力を呼び起こしているかのようだった。すると、海面に渦巻く暗闇が徐々に形を変え、巨大な異形の姿が現れた。


 それは《潮の守護者》――虚無の礁に住まう、魂を喰らう悪霊だった。

 その姿は蛇にも似ていたが、無数の触手と甲殻を持ち、青白い炎のような光を放っている。


「またか……」

 カリナは短く呟くと、短剣を構えた。潮の守護者は低い咆哮を上げ、船に向かって迫ってくる。



 ■第五章:呪いの代償


 カリナの戦いは苛烈を極めた。彼女の呪文と短剣が織りなす攻撃は、潮の守護者を追い詰めるが、同時に彼女の身体を蝕んでいく。

 ジサイアントの力は、災厄を祓うたびに彼女の記憶や感情を奪っていくのだ。


「これ以上は……奪わせない!」

 カリナの叫びとともに、短剣が守護者の核心を貫いた。異形の咆哮が海全体を震わせ、やがてそれは闇の中へと消えていった。


 守護者が消えた後、海は静寂を取り戻した。

 だが、カリナは膝をつき、顔を伏せた。彼女の瞳からは一筋の涙が零れ落ちる。それは、失われた記憶が何か重要なものだった証だった。


「カリナ様……」

 ヴァリックが恐る恐る声をかける。だが、カリナは振り向かず、ただ冷たい声で言った。


「行け、私は少し休む」


《虚無の礁》を越えた船は、無事に目的地へ向かう航路を再開した。だが、カリナの胸の中には新たな空虚感が広がっていた。


「私は、どこまで失えばいい?」

 彼女は自問する。

 ジサイアントとしての宿命を果たすたびに、彼女の中の人間らしさが薄れていく。それでも、カリナはその足を止めることはない。

 彼女が止まれば、災厄が人々を飲み込むことを知っているからだ。


 次なる旅路はどこへ続くのか――その答えを知るのは、彼女自身すらも知らない。


 ■


 船が静かに揺れる中、カリナは甲板の隅に腰を下ろしていた。

 闇の潮との戦いが終わり、海は不気味なまでに静けさを取り戻している。潮風が傷ついた肌にしみるが、彼女は気にする様子もなく、空を見上げていた。


 ヴァリック船長が甲板に上がってきた。手には二つのマグを持っている。彼の足音を察したカリナは、顔を向けずに低く言った。


「お前が来るとは思わなかった」

「酒を持ってきた。

 話したいことがあるんだがな」

 ヴァリックは無言のままカリナの隣に腰を下ろし、一つのマグを差し出した。

 カリナはそれを受け取り、一口飲む。

 強い酒の香りが喉を焼くようだったが、心地よくもあった。


「聞いておくが、お前はどれだけの代償を払った?」

 ヴァリックの声は静かだが、その中には不安が滲んでいる。彼はカリナが払う犠牲を目の当たりにし、彼女の背負う重荷を感じ取っていた。


 カリナは苦笑した。

「どれだけか? それを数えるのは無意味だ。代償はいつも同じ――私自身の一部だ。」

 彼女はマグを持つ手を見つめる。細長い指先には、かすかに光を失ったような影が宿っている。


「それでも、お前は続けるのか。」

「当然だ。この力を持っている以上、それが私の役目だ。」

 カリナの声は冷静だが、その奥底には何か鋭いものが潜んでいた。ヴァリックはその一瞬の感情を見逃さなかった。


「お前のその宿命ってやつが、いずれお前を消し去ることになるんじゃないのか?」

 ヴァリックの問いに、カリナは短く笑った。

 だがその笑いは自嘲に近い。

「おそらくな。だが、それが私の望みでもある。

 ジサイアントの力が必要とされなくなる世界。

 それが来れば、私は消えても構わない」


 ヴァリックは視線を海に向け、深く息をついた。

 潮風が二人の間を吹き抜ける。

「もし俺が選べるなら、そんな世界より、お前が生きている今を選びたいもんだ。」

 その言葉に、カリナは少し驚いたように顔を上げた。


「意外だな。お前がそんなことを言うとは思わなかった」

「船長ってのは、乗組員を守るのが役目だ。それがどんな奴であってもな」

 ヴァリックは軽く肩をすくめ、マグを傾けた。

 その仕草は自然体だったが、どこか人間らしい温かみを持っていた。


 夜の海の静けさの中で、二人はただそこに座り、互いの言葉を噛みしめていた。

 それは一瞬の平穏だったが、戦いの中で生きる者にとって、それ以上の贅沢はなかった。



 ■月光の下、報酬の交渉


 波音が静かに船体を揺らす中、カリナは船首の柵にもたれていた。

 月光が彼女の銀色の髪に反射し、淡く輝く。その姿は、まるで人間離れした神秘そのものだった。

 ヴァリックは甲板を渡り、彼女に近づく。

 カリナの背中に声をかけるのを躊躇する自分に気づき、内心苦笑した。

 船長として厳然とした態度を取るべきだと分かっていながら、彼女を前にすると何かが崩れる。


「何か用か、船長?」

 カリナが振り返ることなく言った。その冷静な声は、ヴァリックの動揺を見透かしているようだった。


「いや、ただ少し話を――」

 言葉を切ると同時に、カリナが振り返る。その琥珀色の瞳がまっすぐにヴァリックを捉えた。


「なら、ちょうどいい。報酬の話をしよう」

 彼女の突然の切り出しに、一瞬気圧されたが、すぐに笑みを浮かべた。

「もちろんだ。約束通り、お前には相応の――」

「相応、ね。」

 カリナはその言葉を繰り返し、低く笑った。その笑みは美しいが、どこか刺すような冷たさを帯びている。


「私はジサイアントだ、船長。通常の報酬では釣り合わない」

「なら、何が欲しい?」

 ヴァリックはその問いを真剣に返した。


 彼女の瞳に映るのは、商売人としての駆け引きではなく、何かもっと深いものだった。


 カリナはわずかに首を傾げ、月を仰ぐ。銀色の光が彼女の横顔を照らし、その輪郭はさらに儚げに見えた。

「私が望むもの? 一つだけだ。」

 その声はささやきのように静かだったが、ヴァリックにはしっかりと届いた。


「私に嘘をつかないことだ。」


 ヴァリックは驚きに目を見開いた。

「それだけなのか?」

 カリナは軽く笑い、ヴァリックを見つめた。その瞳にはどこか悲しげな色が宿っている。

「私に嘘をつく者が多すぎるからな。もしお前がその一人になるなら、私はここを去る」


 その言葉の裏にある意味をヴァリックは感じ取った。


 彼女が求めているのは信頼――そして、孤独の中にいる自分に手を差し伸べてくれる存在だった。


「カリナ、俺は――」

 言いかけたその瞬間、彼女が手を挙げて制した。

「勘違いするな、船長。これはただの交渉だ。」

 そう言いながらも、彼女の唇の端には微かな笑みが浮かんでいる。それが挑発的であるのか、それとも彼自身への信頼の証なのか、ヴァリックには分からなかった。


「分かった。」

 ヴァリックは深く息をつき、力強く頷いた。

「俺はお前に嘘はつかない。それが俺の報酬だ」


 カリナはその言葉を聞き、満足げに頷くと再び月を見上げた。

 ヴァリックはそんな彼女を見つめながら、胸の奥で募る想いを抑えきれなくなる自分に気づいた。


 だが、今は何も言うべきではない。彼女が振り返る時まで、ただ待つのが船長として、そして男としての務めだと感じていた。



 ■■ 職業解説 ■■


 ジサイアントの特徴:

 ジサイアントは「災厄と立ち会う存在」という名に象徴されるように、超常的な能力を持ちながらも、災いそのものや不吉な出来事と結びついた存在です。その役割や職業的な特徴を以下に挙げます:


 役割:

 災厄の予兆や災害そのものを察知し、それを制御・軽減するために活動します。

 人々を守るために、呪いや災厄の中心に身を投じる犠牲的な側面もあります。


 力の性質:

 自然や魔力、呪詛といった「災厄の根源」そのものを操ります。

 力を発揮する際には、自身にも負荷がかかりやすい(例えば、寿命が縮む、精神が削られるなど)。


 立場:

 社会的には畏怖や忌避の対象になることが多いですが、同時に必要とされる存在です。

 個々のジサイアントは自律的で、宗教組織や国家に所属することなく、独自の信念で行動します。

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