第3話 あおはるレイニーデイ ~ふたりのうそつき~ (2)



 午後の授業は、保健室で休ませてもらうことにした。

 曰く、いままで障害だと信じていた目の前の少女は、実際にはただ成長が遅いだけだという。

「障害ではあるのよ。でも、思ったより程度が低くてね。本当はおむつだって必要ないのよ?」

 そんな言葉に「えっ」と思わず言葉が漏れる。

 改めてまじまじと、すぐそこに居る親友――の姿をした少女を眺めると。

「……好きでしてるだけ。悪い?」

 一見何も思ってなさそうに、何気なく告げた。

 よく見たら顔が真っ赤で、すごく恥ずかしそうにしている。

 ……いつもの彼女は、ほとんど羞恥心なんて感じたこともないように振る舞っているのに。

「みんなには黙ってて。わたしが、本当はふつうの子だってこと」

 もじもじとしながらそう告げる彼女に冷や汗をかきつつ。

「きっと言っても、誰も何も言わないと思うよ?」

「言わない方が何かと便利なこともあるの」

 けれど、目を伏せつつも無表情な彼女に、わたしは顔を引きつらせた。


「でさ。……ゆかり」

「なに? まどか」

 彼女は微笑んだ。でも、いつものあどけない微笑みじゃなくて、少しつり気味の目を細めて唇の端を釣り上げた、大人びた微笑み。


「ゆかりはさ、こんなわたしでも好きでいてくれる?」


 そんな弱気な言葉。どきっとして、ティーカップを取り落とす。

 よく聞くと、少しだけ息が震えていた。

 割れるカップの音。

 ……きっと、怖くてたまらないんだと思った。

「うん」

 そう答えるのは簡単だった。けど。

「本当に?」

 聞かれると、わたしは押し黙るしかなかった。


「……なんで、嘘ついてたの?」

 しばらくの無言の後に、口をついて出た言葉。

 彼女は目をそらして、目を伏せて、それから、「嘘じゃ――」言いかけて、首を少し横に振って。

「…………なんで、こうなっちゃったかなぁ」

 顔を手で覆った。すんすんと鼻を鳴らして、彼女の目から涙がこぼれ出した。


    *


 わかっていた。

「…………なんで、こうなっちゃったかなぁ」

 自業自得だ。自分の言葉に、心の中で返す。

 嘘をついて、隠して、それを言い訳にやんちゃして。

 その結果がこのざまだ。


 ――一番知ってほしくない人に、知られた。


 その事実を反芻するたびに、嗚咽が漏れてくる。

『終わった』

 わたしの青春が。恋が。何もかもが。

 ボロボロこぼれる涙を手の甲で拭いながら、ただいつか来るはずだった終わりが来たという事実を噛みしめる。

 もう、いやだ。ここから逃げ出してしまいたかった。


「ごめん」

「なにが?」

「……裏切って」

「何を裏切ったの? わかんない」

「察してよ!」

「わかんないよ。――だって、裏切られたなんて思ってないもん」

「え……」


 ぽかんとするわたしに、彼女は朗らかに笑って告げた。

「確かに、嘘ついて騙してたのは『事実』。ちょっとショックなのは、確かにそうだよ」

「だから――」


「でも、まどかはまどかでしょ?」


 どこかさみしげに笑った彼女に、わたしは泣きそうになった。


    *


 騙してるのは、わたしのほうだ。

「でも、まどかはまどかでしょ?」

 そんなこと言ったって。


 目の前の彼女を「まどか」だと思えないのは、むしろわたしの方だから。


「うそつき」

 そう彼女が言った。

「……かもね」

 わたしはそう笑った。


 だから、うそつきは微笑んで告げるのだ。


「すきだよ。まどか」


「なみだ、こぼれてんじゃん」

「あれ? へへ、そっか」


 二人のうそつきは、笑いながら泣いた。

 それから、しばらく無言になった。

 校庭、体育。野球。誰かのホームラン。

 音楽室。合唱の音。

 教室、授業中。先生の声。

 響く音の数々の中で、ただ保健室だけが無音だった。


「好き。わたしも、ゆーちゃんが好き」


 ふと、まどかは口を開いた。

「ゆーちゃんも、『まどか』が好き。でも――」

 その先は言って欲しくはなかった。緩慢に伸ばした手もむなしく。

「でも、本当の『わたし』は好きじゃないんだよね」

 なにも言えやしなかった。

 だってその通りだったから。


「お互い様だ」

 言いながら笑う彼女に。

「ほんとだ」

 つられてわたしも笑い出す。


 今度はひとしきり小さく笑い合って。

 心が少し温かくなった気がした。


「ねえ、まどか」


 そうしてわたしは、小さく宣言した。

「……わたし、どっちのまどかも好きになる。だから」

 そしてわたしは、小さく懇願した。


「だから、どこにも行かないで」


 小さく伸ばそうとした手を、彼女は掴む。

「ん。……大丈夫。わたしはここにいる」

 彼女のどこか頼もしい微笑に、胸が熱くなって。


 これが、これからが本当の『恋』なのだ。

 そう、実感したのだった。


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