第9話 阿七の秘密の穴

「しかしお前もよく食うな……ひょろっとした体なのに。ちょ八戒はっかいとでも名前を変えた方がいいんじゃないか?」


 痩せの大食いという言葉を体現する男の食事姿を見ながら俺は言った。


 卓の上には饅頭に包子、にんにく入り汁麺、ニラ玉炒飯、豚肉とノビルの炒め物、らっきょうの漬物、ねぎ塩ダレの蒸し鶏、他にも様々な料理がずらりと並んでいる。


「つくづく仏教の戒めを破る食事が好きなんですね」


 俺の隣の六花が呆れ顔で言うと、ふなの姿煮を豪快に食べながら八戒が微笑む。


「戒めは破るためにある。わかるでしょ? 美しいお嬢さん」

「いえ、さっぱりです」


 六花が冷ややかに呟くが、八戒は意に介さずにむしゃむしゃと食べ続ける。

 あれを食べ、これを飲み、それを追加注文して――。


 どうやら彼は鉄の胃袋の持ち主らしいが、俺と六花は既にすっかり飽きていた。


「なぁ、もう充分食っただろ? 俺たちは急いでるんだ。いい加減に昴日星官ぼうにちせいかんの居場所を教えろよ」

「ダメダメ。それは食べ終わってから。話し終えた時点でお勘定にされたら困るし」

「わかってるじゃねぇか。じゃあ、なんか面白い小話でも聞かせろ。お前が食い終わるのをただ待ってるのは本気で退屈なんだよ」

「面白い小話ねぇ」


 俺の要求に八戒がしばし思案する。


「そうそう。だったら、ささやかな謎かけはどうだろう? 君らと縁のある阿七あしちさんの話だ」

「阿七さんの……? お前、なにか企んでるんじゃないだろうな」

「滅相もない。ただ、さっき君らが彼の話をしてるのが聞こえたからさ」


 同じ村の住人だから阿七さんのことは俺も当然知ってるんだよ、と八戒は言った。


「じつは彼のことで前から気になってる謎めいた出来事があってね。ずっと考えてるんだけど、いまだに自分の中で結論が出ないんだ。軽い胸のつかえってところかな。その話をするから、ぜひ自由に見解を聞かせてよ」


 すると俺の隣で話を聞いていた六花が涼しげに応じる。


「つまりあなたが解けない謎を代わりに解けということですよね?」

「飲み込みが早いなぁ、お嬢さん。これは案外期待できるのかもね。もしも正解したら食事をやめて、すぐにお望みの場所を教えるよ」

「肝心の阿七さんが話せない状態ですから、答え合わせはできませんけどね。その手の遊びは得意なんです。いいですよ、わかりました。仮説でよかったら妥当なものを提示しましょう」

「うん、それで構わない。早速始めよう」


 八戒は食事を続けながら語り出した。



 ◇ ◇ ◇



 あれは約一年前――俺がこの村に来てまもない頃の話だよ。


 その日、昴日星官の住み家を探して山の中を歩き回っていると、茂みの先からざっざっと妙な音が聞こえてきた。


 俺はちょっと驚いた。

 音が聞こえてきたのは、密生した草が重なり合って行く手を阻む壁のようになっている、森の中でもとりわけ鬱蒼とした場所だったからだ。

 普通の人が行き来する山道からはあきらかに外れている。


 なにか珍しい獣でもいるのか?

 俺は気配を殺して近づくと葉の隙間から様子をうかがった。


 するとその先には植物の生えていない狭い場所があって、若い男が一心不乱に地面を掘っていたんだ。


「……穴掘り?」


 意表をつかれて俺は思わず口に出す。

 直後に若い男がびくっとして振り返り、あたふたしながら俺に挨拶した。


「あ、ああ――どうもどうも! こんにちは!」

「どうも」

「僕は阿七といいます。いやぁ、こんな山の中で人と会うなんて驚きました」

「俺もだよ。一体なにをしてるんだい?」

「じつは、その――飼ってる犬が年老いてすっかり弱っちゃって、あと何日ももたない感じなんです。だから今のうちに埋葬用の穴を掘ってるところです。この山のふもとで拾った犬だから最後は来た場所に返してやりたくて」

「なるほど。愛犬を埋める準備か」


 確かに実際に死んだ後は気落ちして、穴を掘るどころではないだろうと考えた俺は大いに納得し、それから愛情深いなとも感じた。

 この大陸では犬を食べる者もいるからね。俺はごめんだけど。


 大事に飼っていた犬を生まれ故郷の山で眠らせるために穴を掘りつつ、悲しみに備える阿七の姿勢には心打たれるものがある。

 犬の墓にするには穴はまだ浅いから、野生の獣に荒らされないように、もうしばらく深く掘り進める必要があるだろう。


「じゃあ引き続き、がんばって」


 俺は彼を励ましてその場を立ち去ったんだ。


 ところが、その一か月後のこと――。

 俺がたまたま阿七の家の近くを通ると、白い犬が玄関の前で走り回っているのが目に入った。

 まもなく家の中から阿七が出てきて、皿に入った餌を与える。

 わんっと犬は嬉しそうに吠えて食べ始めた。


 俺は衝動的に彼に駆け寄る。


「久しぶり、阿七さん。その犬どうしたの? すごく元気そうだけど」

「えっ、えっ? ああ……あのときの人か」


 最初のうち阿七は、やたらと目を泳がせていた。


「じつは奇跡的に持ち直したんです。なんだろう。回復を祈る思いが天に通じたのかな? おかげで今は見ての通り元気いっぱいですよ。掘った穴は無駄になってしまいましたけど」


 不自然な早口で語る阿七に、俺は不審の念を抱かずにはいられなかった。

 なぜなら覚えている。

 あのときは年老いて弱った犬と語っていたが、実際はどう見ても若さ溢れる成犬だったからだ。


 俺は阿七のもとを立ち去ると、近所でひそかに聞き込みをしてみる。

 すると阿七の犬は数年前から飼われていて、病気などで弱ったことは一度もないとわかった。

 もちろん一か月前、俺と阿七が山で出会った時期も健康そのものだったという。

 つまり彼は俺に嘘をついたのだ。


 ――だったら山で掘っていたあの穴はなんだったんだ?


 さらに詳しく阿七について調べると、彼の家に通い詰めている恋人が現在失踪中であることも判明する。

 既に一か月近く行方不明だということで、どこにも見当たらないのだそうだ。

 忽然と消えてしまったらしい。


 なんだか無性に気にかかる。

 彼が山の中で掘っていたあの穴は一体なんだったのだろう?



 ◇ ◇ ◇



「とまぁ、そんな話なんだけどさ。どう思う?」


 八戒が卓上の料理を食べながら語り終えた。

 酒楼は相変わらず多くの客で混み合い、俺たちに注意を払う者はいない。


「どう思う? なんて言ってるが、ほとんど誘導尋問じゃねぇか。山の中で阿七さんが掘ってた穴は、犬じゃなくて殺した恋人を埋めるためのもの……。あからさまにそう答えてほしそうだ」


 俺が仏頂面で言うと八戒が切れ長の目を細める。


「その結論でいいのかい?」

「いいわけねぇだろ。そう答えるように誘導されるってことは安直な間違いだってことだ。少なくとも恋人殺しではない」

「ふうん。どうして?」

「そもそも一年前の話なんだろ? もしも行方不明が一年も続いてたら、いくらお前でも告発するはずだ。つまり行方不明の件はもう解決してる。阿七さんの恋人はとっくに見つかって、何事もなかったとわかってるんだよ」

「へえ、見かけによらずやるじゃない。その通りだよ。阿七さんの恋人は山向こうの町に新しく好きな男ができて、こっそり駆け落ちしてたって後からわかった。だから人殺しとかじゃなかったんだ」

「ほらな」


 俺は口角を上げて続ける。


「ちなみに他のこともわかるぞ。お前の行動だ。こうして俺たちに穴について尋ねるってことは、そっちには大なり小なり、なにかしらの謎が残ってる。ってことはお前は例の山にもう一度行って穴を掘り返したはずだ。実際に自分の目で確かめてみたんだろ?」

「すごいね。それもその通りだよ」

「で、なにが埋まってた?」

「なにも」


 八戒が意味深な間を置いた。


「かなり深くまで丁寧に丁寧に掘り返したんだけどね。なにもなかった。穴の中に埋まってたのは柔らかい褐色の土だけだったんだよ」

「そっか。じゃあ穴を掘ってまた埋めただけでした、と。……からかってるのか?」


 もちろん、からかってなどいないのは八戒の様子を見れば一目瞭然だった。

 掘り返した場所には本当に土以外なにもなかったらしい。

 だからこそ八戒は今でも不思議で仕方なく、村人よりも知恵の回りそうな俺たちにこうして尋ねたのだろう。

 阿七には嘘をつかれている以上、直接問い質しても無駄なのは明白だからな。


「……わからねぇな。阿七さんは意味もなく穴を掘ってたのか? 酔狂な刑罰じゃあるまいし、なにかの罪の意識で自分を罰するために――なんてのも現実味がないしな。六花はどう考える?」


 俺は隣の六花に振ってみた。


「どう考えるもなにも答えは簡単」

「簡単? まさか、もうわかったのか?」

「大我はもう少し頭使う。阿七さんはなんのために山で穴を掘ってたのか? 偶然それを見かけた八戒さんになぜ嘘をついたのか? 今までの出来事と照らし合わせれば答えは出る」

「ほんとかよ」

「わたしが大我に嘘をついたことあるか?」

「その言葉自体が大嘘だろ」


 俺は余裕綽々の六花にぼそりと言った。

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