丘から見た、村の未来と僕の一歩

市場を歩き回った後、アーサーとラルフはリリーと別れ、次の目的地へ向かっていた。時間はすでに昼を回り、二人は少し遅めの昼食を取るために村の食堂を訪れることにした。


食堂は市場の近くに位置し、木製の看板には「ヴィヴィアンの食堂」と書かれている。中に入ると、活気ある雰囲気と香ばしい匂いが二人を出迎えた。


「ラルフ様、ようこそ! アーサー様もいらっしゃい!」

カウンター越しに声をかけてきたのは、この店の主人であるヴィヴィアンだ。エプロン姿で満面の笑みを浮かべ、手を振って迎えてくれた。


「今日は視察で村を回っているんだ。少し遅い昼食をいただこうと思ってな。」

ラルフが挨拶を返すと、ヴィヴィアンはすぐさま店の奥に向かって声を張り上げた。

「ティナ! お客様だよ! 手を止めて出てきな!」


ほどなくして現れたのは、ヴィヴィアンの娘であるティナだった。15歳の彼女は母親譲りのしっかりとした面立ちと、若々しい元気さを持っている。


「ラルフ様、アーサー様、ようこそお越しくださいました!」

彼女の礼儀正しい挨拶に、僕は軽く手を振って応えた。


「こういう雰囲気の食堂っていいね。何となく落ち着く感じがする。」

店内を見渡しながら感想を述べると、ヴィヴィアンは嬉しそうに笑った。

「それは光栄です! うちの自慢は、この家庭的な雰囲気ですから。」


「アーサー様が市場を回っていたと聞いて、驚いた人も多かったようです。」

ヴィヴィアンの言葉に、僕は軽く肩をすくめた。

「そんなに驚くことかな? ただの散歩みたいなもんだし。」


「いえいえ、貴族の方が市場を回られるのは珍しいんです。みんな、その話題で持ちきりでしたよ。」

ヴィヴィアンが冗談っぽく言うと、父さんが口を挟んだ。

「アーサーが毎日通うなんて言ったら、面倒くさい領主息子だと思われるだけだろう。」


「それはひどいな、父さん。」

僕は苦笑しながら答える。

「まあ、それでも話題になるなら悪くないかもね。」


ティナがそのやり取りを聞きながら飲み物を運んできた。

「ラルフ様、アーサー様、どうぞ。」

「ありがとう、ティナ。」

父さんが受け取ると、ヴィヴィアンが娘に話を振った。


「ティナ、アーサー様が市場を歩いてたのを見たんでしょう? どうだった?」

「村を直接見て回ってくださるなんて、すごくありがたいことだと思いました。」

ティナはちらりと僕を見て、「意外と楽しそうにも見えました。」と付け加えた。


「楽しそう?」

僕はティナを見つめ返しながら

「うん、まあ市場って見てるだけで面白いものが多いしね。」と飄々とした口調で言った。


食堂を出た後、僕と父さん――ラルフは市場を通り抜け、馬車へ向かった。午後の陽射しが少し和らぎ、村全体が穏やかな光に包まれている。


「さて、最後に少し回り道をして丘へ寄ろう。」

父さんが御者に声をかけると、馬車は砂利道をゆっくりと進み始めた。


「丘?」

僕が興味を引かれたように父さんを見上げる。


「村全体を一望できる場所だ。ここに来るたび、私も足を運ぶことにしている。」

ラルフが答えると、僕は窓の外を眺めながら頷いた。


「へえ、それなら楽しみだね。」

馬車が揺れながら進む中、僕は今日一日の出来事を思い返していた。


馬車が丘に到着すると、僕は風に吹かれながら草の匂いが漂う空気を深呼吸した。目の前には、村全体が見渡せる壮大な景色が広がっている。畑や家々、そして市場の喧騒が小さく聞こえる。


「すごい眺めだね。」

僕が自然と口にする。


「ここから見ると、村の成り立ちや人々の生活がよく分かる。」

父さんが少し感慨深げに言った。

「お前も今日、色々な場所を見たはずだ。どう思った?」


僕は腕を組み、少し考え込む。

「うーん、思ってたよりずっと賑やかだし、みんな元気だね。市場もそうだし、鍛冶場や教会も、それぞれ独特で面白かった。」


「そうか。」

父さんが小さく頷く。

「それぞれが一つの歯車となり、村全体が回っている。だからこそ、領主はそれを支え、見守らなければならない。」


「支えるかあ……。」

僕は小さくため息をつきながら、村を見下ろした。

「僕も何かできるのかな?」


父さんはその言葉に少し目を細めた。

「できることを考えるのも、今日の視察の目的の一つだ。だが、焦る必要はない。お前はまだこれからだ。」


「うーん、そうだね。」

僕は父さんの言葉に頷きながら、ふと笑みを浮かべた。

「でも、トランプの件は面白いと思うよ。村のみんなが楽しめるものだし、僕も作ってみて楽しかったしさ。」


「リリーも随分と熱心だったな。」

父さんが小さく笑う。

「お前が作ったものを、あれだけ興味を持ってくれるのはありがたいことだ。」


「そうだね。まあ、リリーがうまくやってくれるでしょ。」

僕が軽く肩をすくめると、父さんは呆れたように笑った。


丘を後にして馬車に戻ると、日が沈み始めていた。帰り道、僕は窓から夕暮れの景色をぼんやりと眺めている。


「父さん。」

僕がふと口を開いた。

「今日は、なんだか楽しかったよ。退屈するかと思ってたけど、意外と面白いことが多かったね。」


父さんは目を閉じたまま、静かに頷いた。

「それでいい。視察とは、ただ村の状況を知るだけでなく、お前自身が何を感じ、どう動くかを考える機会でもある。」


「動くって言われても、まだよく分かんないけどね。」

僕は苦笑しながら窓枠に肘をつく。


「それでいいさ。」

父さんが静かに答える。

「次に来るときには、もっと違うものが見えるだろう。それが成長というものだ。」


馬車はやがて屋敷の門に到着した。夜の帳が降りる中、僕は少しだけ疲れた様子で馬車を降りる。


「ただいま。」

屋敷の扉を開けながら、僕は小さくつぶやいた。その声は、今日一日を満足したような穏やかさを帯びていた。





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