思い出が導く先に(第3話)
藍玉カトルセ
第1話
使う人が亡くなったバラのカップは、埃をかぶって食器棚の奥に眠っている。見ると辛くなるから。使ってくれる人はもう亡くなったから。僕にとってはもう意味をなさない。ただの食器に過ぎない。あのカップだけじゃない。よく聴いていたピアノクラシックも一緒にイヤホンのLとRをシェアする相手はいない。毎月のように定期購読していたファッション雑誌だって、オシャレになったところでその姿を見せたい相手がいなくなってしまった。僕の日常は墨一色で塗り固められた画用紙のよう。3年前のクリスマスが全てを変えてしまった。
ルノワールは僕の話を聞き終えるとこう言った。
「...…そうか。旗本君の恋人の死の全貌は分かった。だが、大切なことをまだ聞いていないぞ。君は、何故京香さんに会いたいんだ?核心となる理由を言ってないだろう」
本当の理由。僕が京香に会いたい理由。それは...…。
「後悔しているから。愛している、大好きだよと長らく言えていなかったこと。...…ゆくゆくは結婚したいと思っていた。だけど、先延ばしにしていたんだ。亡くなったクリスマスの日も指輪を渡そうとはこれっぽちも考えてなかった。プロポーズはもう少し先で良い。経済的な余裕が出てきてから。立派な自分になれたら。そうしたら想いを伝えよう。なんて、彼女との未来は安泰だと完全に信じ切っていたんだ。彼女を大切に思う気持ちをまっすぐ伝えられなかった自分の意気地なさが情けなかった」
涙が頬を伝う。フロアに幾粒もの小さなしずくが打ちつける。拭っても、後から後から涙がにじむ。
「失ったものの大きさは、手のひらからこぼれときに初めて気付くものだよ」
ルノワールは諭すように言った。
「亡くなったという過去・事実は絶対に変えることはできない。しかし、過去に戻って思い出を見つめ直すことはできるぞ」
思い出を見つめ直す…?過去に戻ることと思い出がどう関係しているのだろう。
「どうやって、過去に戻るんですか?」
「まぁ、待ちたまえ。そう焦らず。これから過去に君をタイムスリップさせるために必要なものを取ってくる」
彼はカーテンで閉ざされた薄暗い部屋に姿を消した。
戻ってきた彼の口にくわえられていたのは、大人の手のひらサイズの時計。よく見てみると、秒針も長針、短針もなく店のロゴの時計と全く同じ見た目をしていた。記されているのは4つのローマ数字、XII(12)、III(3)、VI(6)、IX(9)のみ。
「店のロゴと同じ時計だ。これは、一体…?」
「これは失墜の時計。見ての通り、ローマ数字が4つしか書かれていない。Xll(12)、III(3)、VL(6)、IX(9)。数字の意味するところは季節。失墜の時計は、春夏秋冬どれかの季節に君をいざなう。そこから君は四季を巡りながら京香さんと再会の時を過ごしてもらう。1つの季節を過ごすタイムリミットは24時間。次の季節にタイムスリップするとき、私の鳴き声で君に知らせる。最初の季節がどれになるのかも、次はどの季節を時間旅行するのかも分からない。これは、残念ながら私にも予測不可能だ。あ、そうそう大事なことを言い忘れていた。過去にタイムスリップをするとき、今まで京香さんと訪れたことのない場所に行くことは不可能だ。そこで君は彼女との思い出を見つめ直す旅をすることになる」
これから辿ることになる思い出たち。水底の小さな泡を包むように大切に記憶の蓋を開けていきたい。
「それから」
ルノワールは付け足すように言った。
「この時間旅行のサービス提供にあたって、君が守らなければならない条件が4つある」
「条件…?」
「そりゃあ、何の条件もなしに死者との再会ができるなんて、都合が良すぎるだろう」
「まあ、確かにそうですね。…何ですか?条件って」
「1つは、京香さんとの思い出を最も象徴する物を私が頂くこと。」
ああ、あのカウンターショーケースに並べられていたのは、ここを訪れた客と死者の「思い出」が詰まったものだったんだな。だから、年季の入ったものが多かったんだな。納得した。
「なんでも良いんですか?京香との思い出の品は」
「うむ。君たち2人の絆や互いを思い合う気持ちが詰まったものなら何でも良いぞ」
「それなら、これはどうですか?」
ちょうどズボンのポケットに入れていた、人気ロックバンド・「ソレイユ」のライブチケット。交際1周年記念日の10日後に開催されたライブ。付き合って1年経って、特別なことはしなかった。好きな音楽に共に浸るだけで良かった。端の方はヨレヨレになってしまって、文字もかすれてほとんど読めない。しかし、今でもあの熱狂的な空間を共に過ごした全てがこのチケットに全て集約されている。取り出して見つめる度に、懐かしさがよみがえってくる。お守り代わりにしていたが、これと引き換えに京香に会えるのならどうってことはない。
「良いだろう。しかと受け取った」
ルノワールの手に渡ったソレイユのライブチケットは、ショーケースの中に収められた。
「2つ目の条件。季節と季節を移動する瞬間、絶対に京香さんの持ち物に触れてはいけない。君の所持品を手渡すこともタブーだ。そんなことをしたら、時間軸が歪んで旗本君は永久に過去から抜け出せなくなる。現実の世界に帰ってこられなくなってしまうから、気を付けたまえ」
僕はこくりと頷いた。食べてはいけないお菓子の家に迷い込んだヘンゼルとグレーテルみたいだ。
「3つ目の条件。京香さんには決して君が未来から来たことを話してはいけない。時空旅行についてバラしてしまうと、その瞬間に君は現実の世界に連れ戻されてしまう」
「それから最後の条件。これは『しなければならない』カテゴリーに属するものだ」
「しなければならない…?」
「そう。これを見てくれ」
ルノワールが右足でつついたのは、リボンがかけられた直方体の淡いブルーの箱。開けるとオールドレンズのカメラが目に入った。
「horloge(オルロージュ)が提供するのは死者との再会だけではない。その思い出の証となるものもセットでサービスを展開している。君はこの時空旅行で京香さんの写真を撮ることができる。いや、撮らなければならない。辛くても、しっかり思い出の軌跡を残すんだ」
両手で抱えてみると、ずしりと重かった。京香の姿や表情を記念に残す。それが、時空旅行中にやらなければならない僕の使命。長年見ることのできなかった京香の写真が脳裏をかすめる。ルノワールは、そんな僕の弱さやいたたまれなさを知っていたんだろうか。
失墜の時計と時空旅行の4つの条件を握った僕は、思い出を見つめ直す旅に足を踏み出そうとしている。
ー第4話へ続くー
思い出が導く先に(第3話) 藍玉カトルセ @chestnut-24-castana
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