ハカイミコ ~生きた怪異の怪奇譚~
大河井あき
『ハカイミコ』
村への
「悪かった。俺が悪かった」
外へ出ていれば聞けただろう。黒い
「頼む、助けて、見逃してくれ」
女の細長い指は、しかし強固な
夜、
男は情けない声を上げながら闇雲にあがいた。すると、その手が女の着けている黒い狐の仮面に当たってずれた。
まろびでたのは、
霊体であるはずなのに、男は肝が冷える感覚を味わった。
瞬時に
彼は発狂することもできないまま、
女は
「願わくば、次は良き人生に恵まれることを」
夕日が
「
ホットブラックコーヒーを飲んでいるスーツの女性が聞いた。
寿と呼ばれた女性はスウェット姿で、貧乏ゆすりをしたり、張った筋肉を
「はい。年末は忙しくなりそうですが。
「こっちは副業が大変っちゃね。あたし、便利屋かなんかと勘違いされとるんじゃなかろうか。いろんなとこ駆り出されるせいで話言葉もめちゃくちゃに悪化するばかりよ」
そうぼやきながら、淡いブラウンのビジネスバッグから「
「じゃけん、今回も悪態をつかせてもらおうと思うて」
悪態をつく。二人の間でのみ交わされる隠語。
茶封筒を
「毎回ごめんなさい。私のエゴに付き合わせてしまって」
「気にしなさんな。こっちは面倒な案件を、寿ちゃんは厄介な衝動を片付けられる。思惑の一致っちゅうやつよ。あっ、おごってくれるいうんなら遠慮せんよ?」
「遠慮します」
「あっはっは。やっぱり寿ちゃんと話しているとぶち楽しいわ」
寿は開いている封に手を突っ込み、紙をめくるのももどかしいと言わんばかりに数枚の資料を即座に通読した。
「そうですね……、見積もったところ、一週間以上でしょうか」
「寿ちゃんでもそんなにかかるん?」
「いえ、一晩あれば片はつきます。家から近いですし」
「あ、じゃあ、こっちの話か」
沢村は自身の右腕をペシペシと叩いた。
「一週間ももつなら充分たい。明日は空き?」
「ええ。いつも通り、成果をまとめて持っていきますね」
「ほんま、頭が上がらんなあ」
「いえいえ、こちらこそ」
自然に二人とも立ち上がり、会計を済ませた。
喫茶店で別れたあとの帰路、寿は沈みかかった夕日を見つめて、しばらく
――ああ、今夜もまた、破壊の時間が来る。
三階建てのマンション。「
夜更けを待つ時間が最もきつい。風呂に入れば二度手間になるし、食事をすれば暴食必須。
そうして、ようやく時が来た。日を
中に入っているのは黒で統一された衣装。
着替え終えてすぐ、ベランダから
三十分足らずで住宅街を抜けた。人気のない
さらに一時間ほど経って、目的地に着いた。
村だ。背の高い樹上からなら全体が見渡せるほどに小規模で、山の斜面に沿って並ぶ家々の中にはまだ明かりが付いているものがある。
のどかというよりは
真夜中だからではない。そう確信できる臭いがあった。
鼻孔が拒絶しつつも、身体が火照り、疼く臭い。それが強くなるほうへ移動していくと、村を挟んで反対側の丘についた。こちらからも村全体が一望できる。
そこに、いた。
資料には生前の情報が写真付きで載っていた。一体どこから探り出してくるのか。手段は合法なのか違法なのか。そういったことは、寿には関係ない。
木から静かに下り、横顔を観察する。
間違いない。寿は近づいた。
「あなたが
男は、まさか自分を呼ぶ者がいるとは思わなかったのだろう。目を丸くして振り向いた。
「お前、
「どうして祟りなど起こしているのですか」
「聞くか? うちは貧乏でよ。幼いときに村長の家から食べ物を盗んでやったんだ。だが足跡ですぐばれちまって、村八分にされたのさ。そっからは嫌がらせを受ける日々よ。家のためにやったのに親からも見放され、成人しても結婚できず、村を出る金も貯められない。いつか恨みを晴らすことだけを考えて生きて、生きて、結局は何もできず病で死んだんだ。そうしたら、お前には見えるんだろう、この通り、霊に成れたのさ。せっかく霊に成れたんだ。そりゃもう、祟るしかねえよな?」
「それで、何代ほど祟ってきたのですか?」
寿の声が、鋭くなった。
「資料を読む限りですと、あなたの没後から百年以上は経っているらしいのです。百年。すでにあなたが恨むべき者はいないでしょう?」
寿の問いに、男は
「恨むべき者はいない? 何言ってんだ。末代まで祟ってやるに決まってんじゃねえか。村が
「どのような理由があろうと、
「説教か。正義面しやがって」
「正義面、ですか」
寿は瞬時に間合いを詰めた。触れそうなほどに顔と顔が近づく。
「仮面の下の表情は見えないでしょう?」
男は慌てて後ずさった。しかし、その動きを読んでいたかのように黒い巫女装束が迫り、細長い指が首をつかむとその勢いのまま木に押さえ込んだ。男はもがき、両腕で引きはがそうとしたがびくともしない。
「何なんだよ、お前。一体何なんだよ!」
「『ハカイミコ』。これでピンと来なければ、村に固執した自らを恨むことです」
男は
「悪かった。俺が悪かった」
ええ、そうでしょうとも、悪霊なのですから、と冷たい悪態が黒い巫女の心の中に浮かぶ。
悪態をつく。二人の間であれば、その意味は、――悪霊退治を依頼する。
「頼む、助けて、見逃してくれ」
「命がないのに命乞いとは、往生際も悪いですね」
救いようがないとはこのような者のことを言うのだろうか。寿は
「それでは、破壊させていただきます」
寿にそう告げられると、男は情けない声を上げながら闇雲にあがいて抵抗した。すると、その手が黒い狐の仮面に当たってずれた。
まろびでた表情を見て、男は何を感じ取ったのだろうか。そんな顔をさせるほどに、ひどい顔をしていたのだろうか。
男は身じろぎ一つしなくなった。聞きたいことをたくさん抱えたままだったが、寿の身体は自然と
「願わくば、次は良き人生に恵まれることを」
みぞおちを貫いた
浄化ではなく破壊。これは、破壊なのだ。
「これ、お返ししますね」
翌日、白木のテーブルに茶封筒がそっと置かれた。中には悪霊退治の結果をまとめたレポートが加えられている。
「あんがと。で、どう。珍しい感じとかあった?」
「いえ。年数の割には典型的なケースでした」
「そっか。調子はどう?」
「ええ。おかげさまで落ち着いています」
寿は
そのあとは他愛のない談笑をしばらく交わし、お開きとなった。
「また週末に悪態つかせてもらうわ」
「ええ。よろしくお願いします」
喫茶店で別れたあとの帰路、沢村は沈みゆく夕日を見ながら、独り言ちた。
「にしても、難儀やねえ。生まれつきの破壊衝動なんてなあ」
その
不幸中の幸いだったのは、霊が
彼女は衝動を、せめてこの世のためとなるように、悪霊へぶつけることに決めた。
悪霊、神霊、はたまた霊媒師の間でも都市伝説として語られている。
黒い巫女装束、生きた怪異、それが、――『ハカイミコ』。
ハカイミコ ~生きた怪異の怪奇譚~ 大河井あき @Sabikabuto
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