ハカイミコ ~生きた怪異の怪奇譚~

大河井あき

『ハカイミコ』

 村への復讐ふくしゅうしか考えていなかったのが、彼の落ち度だ。

「悪かった。俺が悪かった」

 外へ出ていれば聞けただろう。黒い巫女装束みこしょうぞくを身にまとう怪異、『ハカイミコ』という都市伝説について。

「頼む、助けて、見逃してくれ」

 女の細長い指は、しかし強固なかせとして男の首と木をがっちりとつないでいる。

 夜、人気ひとけのない山奥。彼を助ける者はいない。仮に人がいたとして、誰が彼を――悪霊となり村をたたっていた彼を――見ることができただろうか。見えたとして、助けようと思っただろうか。

 男は情けない声を上げながら闇雲にあがいた。すると、その手が女の着けている黒い狐の仮面に当たってずれた。

 まろびでたのは、苦悶くもん恍惚こうこつが激しく拮抗きっこうする鬼気迫った表情。

 霊体であるはずなのに、男は肝が冷える感覚を味わった。

 瞬時にむしばんだのは、畏怖いふ。敵対した相手が明らかな上位存在だという理解。

 彼は発狂することもできないまま、諦念ていねんに押しつぶされ、身じろぎ一つしなくなった。

 女は掌底しょうていの構えを取り、呟いた。

「願わくば、次は良き人生に恵まれることを」



 夕日がえる季節。喫茶店にて二十代の女性が二人、白木のテーブルをはさんで話し込んでいる。

寿ことぶきちゃん。本業のほうは大丈夫なん?」

 ホットブラックコーヒーを飲んでいるスーツの女性が聞いた。

 寿と呼ばれた女性はスウェット姿で、貧乏ゆすりをしたり、張った筋肉をんだり、長い黒髪をかきむしったり、親指の爪を噛んだりとせわしない。手元には袋もぐしゃぐしゃになったおしぼりのみが置かれている。

「はい。年末は忙しくなりそうですが。球子たまこさんは?」

「こっちは副業が大変っちゃね。あたし、便利屋かなんかと勘違いされとるんじゃなかろうか。いろんなとこ駆り出されるせいで話言葉もめちゃくちゃに悪化するばかりよ」

 そうぼやきながら、淡いブラウンのビジネスバッグから「沢村さわむら球子たまこ担当」と筆文字で書かれた茶封筒を取り出した。

「じゃけん、今回も悪態をつかせてもらおうと思うて」

 悪態をつく。二人の間でのみ交わされる隠語。

 茶封筒をなかば奪うように取った寿は小さく頭を下げた。

「毎回ごめんなさい。私のエゴに付き合わせてしまって」

「気にしなさんな。こっちは面倒な案件を、寿ちゃんは厄介な衝動を片付けられる。思惑の一致っちゅうやつよ。あっ、おごってくれるいうんなら遠慮せんよ?」

「遠慮します」

「あっはっは。やっぱり寿ちゃんと話しているとぶち楽しいわ」

 寿は開いている封に手を突っ込み、紙をめくるのももどかしいと言わんばかりに数枚の資料を即座に通読した。

「そうですね……、見積もったところ、一週間以上でしょうか」

「寿ちゃんでもそんなにかかるん?」

「いえ、一晩あれば片はつきます。家から近いですし」

「あ、じゃあ、こっちの話か」

 沢村は自身の右腕をペシペシと叩いた。

「一週間ももつなら充分たい。明日は空き?」

「ええ。いつも通り、成果をまとめて持っていきますね」

「ほんま、頭が上がらんなあ」

「いえいえ、こちらこそ」

 自然に二人とも立ち上がり、会計を済ませた。

 喫茶店で別れたあとの帰路、寿は沈みかかった夕日を見つめて、しばらく黄昏たそがれていた。

 ――ああ、今夜もまた、破壊の時間が来る。



 三階建てのマンション。「寿ことぶき永住えすみ」と書かれた郵便受けからチラシを取って三〇五号室へ。個人情報があるものはとくに念入りに破いてチラシを捨てた。

 夜更けを待つ時間が最もきつい。風呂に入れば二度手間になるし、食事をすれば暴食必須。たかぶる心が睡眠欲を阻害する。布団にこもり、ただ、ひたすら、せわしなく身じろぎしながら待つしかないのだ。

 そうして、ようやく時が来た。日をまたいだ瞬間に跳ね起きて押入れを開き、衣装棚の引き出し一つ分ほどの大きさがある寄木細工を引っ張り出し、慣れた手つきで解錠した。

 中に入っているのは黒で統一された衣装。白皙はくせきの顔を隠す狐の面、烏羽色からすばいろの髪を束ねる数珠じゅずの髪留め、短い首巻、そして、葬儀を連想させる巫女装束。

 着替え終えてすぐ、ベランダから欄干らんかん、屋根へと素早く飛び移り、駆け出した。低い姿勢で明かりを避けながら家々を渡る静かな疾駆を目にできる者はいない。

 三十分足らずで住宅街を抜けた。人気のない畦道あぜみちを抜けて、鬱蒼うっそうと茂る森の中に入ると木に登り、時折服や髪に付いた葉を払いながら、枝から枝を伝って移動する。

 さらに一時間ほど経って、目的地に着いた。

 村だ。背の高い樹上からなら全体が見渡せるほどに小規模で、山の斜面に沿って並ぶ家々の中にはまだ明かりが付いているものがある。

 のどかというよりは閑散かんさんとしていた。村全体から活気が欠けた静寂。

 真夜中だからではない。そう確信できる臭いがあった。

 瘴気しょうき臭さ。

 鼻孔が拒絶しつつも、身体が火照り、疼く臭い。それが強くなるほうへ移動していくと、村を挟んで反対側の丘についた。こちらからも村全体が一望できる。

 そこに、いた。

 資料には生前の情報が写真付きで載っていた。一体どこから探り出してくるのか。手段は合法なのか違法なのか。そういったことは、寿には関係ない。

 木から静かに下り、横顔を観察する。しわや染みが少ない分若く見えるが、爪のように細い目、せこけた頬、伸びた前歯、細長い輪郭など、写真の特徴と一致している。そのうえ、おどろおどろしいオーラをれるがままに漏らしていた。

 間違いない。寿は近づいた。

「あなたがたたりの原因ですね」

 男は、まさか自分を呼ぶ者がいるとは思わなかったのだろう。目を丸くして振り向いた。

「お前、何者なにもんだ。どっからきた。白い息吐いてんな、もしかして生きてんのか?」

「どうして祟りなど起こしているのですか」

 顕示欲けんじよくが刺激されたのだろうか、男は質問を無視されたことを意に介さず、冷ややかに口角を上げ、武勇伝を聞かせるような語り口で答えた。

「聞くか? うちは貧乏でよ。幼いときに村長の家から食べ物を盗んでやったんだ。だが足跡ですぐばれちまって、村八分にされたのさ。そっからは嫌がらせを受ける日々よ。家のためにやったのに親からも見放され、成人しても結婚できず、村を出る金も貯められない。いつか恨みを晴らすことだけを考えて生きて、生きて、結局は何もできず病で死んだんだ。そうしたら、お前には見えるんだろう、この通り、霊に成れたのさ。せっかく霊に成れたんだ。そりゃもう、祟るしかねえよな?」

「それで、何代ほど祟ってきたのですか?」

 寿の声が、鋭くなった。

「資料を読む限りですと、あなたの没後から百年以上は経っているらしいのです。百年。すでにあなたが恨むべき者はいないでしょう?」

 寿の問いに、男は下卑げびた高笑いを上げて言い放った。

「恨むべき者はいない? 何言ってんだ。末代まで祟ってやるに決まってんじゃねえか。村がおとろえていくさまに加えて、土地を離れられない奴らのやつれた顔が見られる光景。俺がずっと望んでいたもので、ずっと望み続けるものでもあるんだ」

「どのような理由があろうと、無辜むこの者を巻き込むのは感心しませんね」

「説教か。正義面しやがって」

「正義面、ですか」

 寿は瞬時に間合いを詰めた。触れそうなほどに顔と顔が近づく。

「仮面の下の表情は見えないでしょう?」

 男は慌てて後ずさった。しかし、その動きを読んでいたかのように黒い巫女装束が迫り、細長い指が首をつかむとその勢いのまま木に押さえ込んだ。男はもがき、両腕で引きはがそうとしたがびくともしない。

「何なんだよ、お前。一体何なんだよ!」

「『ハカイミコ』。これでピンと来なければ、村に固執した自らを恨むことです」

 男はいぶかしげに眉を曲げた。だが、目の前にいる者から逃げなければならないことだけは分かった。

「悪かった。俺が悪かった」

 ええ、そうでしょうとも、悪霊なのですから、と冷たい悪態が黒い巫女の心の中に浮かぶ。

 悪態をつく。二人の間であれば、その意味は、――悪霊退治を依頼する。

「頼む、助けて、見逃してくれ」

「命がないのに命乞いとは、往生際も悪いですね」

 救いようがないとはこのような者のことを言うのだろうか。寿は刹那せつな、そう考えたが振り捨てた。仮に救いようがあったとしても、自身にその手段はないのだから。

「それでは、破壊させていただきます」

 寿にそう告げられると、男は情けない声を上げながら闇雲にあがいて抵抗した。すると、その手が黒い狐の仮面に当たってずれた。

 まろびでた表情を見て、男は何を感じ取ったのだろうか。そんな顔をさせるほどに、ひどい顔をしていたのだろうか。

 男は身じろぎ一つしなくなった。聞きたいことをたくさん抱えたままだったが、寿の身体は自然と掌底しょうていの構えを取っていた。

「願わくば、次は良き人生に恵まれることを」

 みぞおちを貫いたてのひらを中心にし、霊体が光の粒となって放射状に四散した。同時に、彼女の中の衝動も弾け飛んだ。あらがえない快楽に右腕が痙攣けいれんしていたが、胸の中は黒々としたもので満ちていく。

 浄化ではなく破壊。これは、破壊なのだ。



「これ、お返ししますね」

 翌日、白木のテーブルに茶封筒がそっと置かれた。中には悪霊退治の結果をまとめたレポートが加えられている。

「あんがと。で、どう。珍しい感じとかあった?」

「いえ。年数の割には典型的なケースでした」

「そっか。調子はどう?」

「ええ。おかげさまで落ち着いています」

 寿は微笑ほほえみ、温かいカップからカフェラテをすすり、胸中の黒をすすぐように飲み込んだ。窓から射す橙色だいだいいろのノスタルジーも、店内に流れるショパンも、いた豆の香りも、今日はゆったりとした心地で感じ取ることができる。

 そのあとは他愛のない談笑をしばらく交わし、お開きとなった。

「また週末に悪態つかせてもらうわ」

「ええ。よろしくお願いします」

 喫茶店で別れたあとの帰路、沢村は沈みゆく夕日を見ながら、独り言ちた。

「にしても、難儀やねえ。生まれつきの破壊衝動なんてなあ」



 その女子おなごは、生来の破壊衝動を持っていた。

 不幸中の幸いだったのは、霊がえること。

 彼女は衝動を、せめてこの世のためとなるように、悪霊へぶつけることに決めた。

 悪霊、神霊、はたまた霊媒師の間でも都市伝説として語られている。

 黒い巫女装束、生きた怪異、それが、――『ハカイミコ』。

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