どうせ破談になるのなら、その本性を暴きたい。

れとると

第1話 冷血王子の婚約者

 カフェのテラス席でカップを傾けていたメディリアは、香りとともにため息を吐き出した。



(よもや〝Dragon’sドラゴンズ Fortuneフォーチュン〟の世界に転生するとは……)



 昨夜、夜会直前。メディリアは、前世の記憶を取り戻した。今は乙女ゲームの断罪イベントすれすれで、自身は〝悪役令嬢〟に転生したと即時に理解。この夜会に参加すれば冤罪で糾弾され、婚約は破棄される。そう判断した彼女は、踵を返した。

 侯爵令嬢の友に3つの頼みごとをし、情報を収集。現実とゲームの差分を精査。いじめの証拠・証言が集められ、夜会で公表される予定だったと突き止め、迎えた翌日。

 メディリアは婚約者のブラッド第一王子から、話があると連絡を受けた。



(冤罪でいじめ糾弾、〝ヒロイン〟アネモネへの傾倒。ここまでされてはもう、婚約の破談は避けられない……)



 メディリアは瞼を閉じ、その裏に婚約者の姿を思い浮かべる。

 体格もよく、頭脳も明晰。顔だちも非常に良い。

 瑠璃色の美しい髪と、紺碧の瞳が麗しい貴公子。

 彼女が愛し、愛されようとした〝冷血王子〟の姿を。


 第一王子の婚約者かつ王妃候補となる道は、公爵の娘に生まれたメディリアにとっても容易ではなかった。

 ドラグライト王国は始祖が竜の血を引くと言われ、代々の王の伴侶には極めて優秀な者が求められている。

 5歳のころから親元を離れ、幾人もの令嬢たちと共に、教育と厳しい試験を受け続けて来た。しかも監視もある中で、陰湿な足の引っ張り合いも横行し、才気ある令嬢たちは次々と脱落していった。

 そんな選定の最後まで残り、第一王子の婚約者に選ばれたのが、メディリアであった。



(あれだけ苦労したのに、これでご破算とは、癪ですね。結局わたくしは、あのお方の表情1つ変えられなかった)



 だが婚約者に選ばれてから王妃への道が、また遠い。

 メディリアから誘えばブラッドは受けるものの、彼から茶会などに招かれることは一切ない。

 時節の贈り物は欠かさず、贈られたものは大事に使って見せたが、彼がメディリアの贈った物を身に着けることはなかった。

 ブラッドの言いつけで、他の令息には極力会わず、交友関係はすべて報告している。だが彼は勝手にでかけることも多く、メディリアには何も言わない。

 おまけにメディリアは幼い頃から一度も――――彼の表情が動いたのを、見たことがなかった。

 愛しているつもりではあったが、愛されているとは言い難い。



(かき乱されるのはいつも、わたくしの心だけ。一度くらい……あの方の本性を見てみたい)



 その上。メディリアが苦心するのを尻目に、貴族学園に入って以降ブラッドには懇意の男爵令嬢ができた。連日、彼女の元へ通い続けている。このことは人づてにメディリアの耳にも入っていたが、詮索を嫌うブラッドに遠慮し、彼女は沈黙を貫いていた。

 しかも、かの令嬢アネモネには、他にも幾人かの上級貴族の令息たちが入れ込んでいる。その存在は彼らと婚約している令嬢方や、メディリアを悩ませていた。


 悩みの原因は〝ヒロイン〟アネモネには何の瑕疵もないことである。

 この学園は乙女ゲームの世界と違い、身分ごとに校舎すら異なる。彼女から王子たちになどそもそも会いに行けず、出逢えるわけもないのだ。王子や令息の方がどうしてか彼女の存在を知り、わざわざアネモネの元を訪れて、口説こうとしているのである。

 男爵の娘が彼らに言い寄られて断れるはずもなく、令嬢たちがアネモネに入れ込む己の婚約者に苦言を呈しても止む気配がない。

 罪のないアネモネを放逐するわけにもいかず、対処が難しかった。


 この状況に対し、メディリアは彼女を妾か側室に加えることを考えていた。ブラッドのものにしてしまえば、被害は広がらない。

 しかし大人たちと相談して、ことを進めていた最中。メディリアは前世の記憶を取り戻して、真実を知った。



(殿下たちがヒロインの〝秘密〟を知り、付きまとっていると見て間違いない)



 ゲームでは、アネモネからブラッドらに会いに行き、彼らと恋に落ちる。メディリアは嫉妬して彼女をいじめ、昨日の夜会で断罪。婚約破棄されるところだった。

 だが先の通り、現実は逆である。またメディリアもまた、アネモネに会っておらず、いじめてなどいなかった。彼女は王子らがアネモネを狙う理由を、看破していた。



(深刻です……わたくしの婚約破棄より、ずっと。まずは、ブラッド殿下らをあしらって、本命はその後)



 こつり、と扇の角がテーブルを叩く。よく手入れされた分厚い木の天板は、心地よい音を立てたが、メディリアの気は沈む一方であった。店の外に、問題の婚約者と、彼の側近候補の令息の姿が見えたからである。給仕に案内されて入店してきた婚約者を出迎えるため、メディリアは席を立って礼をとった。



「む……他にも客がいるのか」



 王子の発言に、メディリアは姿勢を正す。

 彼に動揺は見られなかったが、隣に控えている令息は居心地が悪そうであった。



「このテラス区画には、わきまえた方しかおられません。ご安心を」


「そうか」



 オープンカフェのいくつかの席には、人影があった。

 だがここはメディリアの支配する、小さな城である。かつて身分を越えた密会の場に成り果てていたこの中庭に、管理された交流場所としてカフェを建てたのだ。メディリアが誰かと密談するのを嫌う、ブラッドの意向を受けて用意したものである。身分や素性で案内される区画が決まっており、このテラス席にはメディリアの認めた者しか入れない。


 それを思い出したのか、透明な顔の王子はそれきり黙って向かいの席に腰を下ろした。

 メディリアも彼の着席を待ってから、椅子に戻る。



「お話があると伺っておりますが」


「昨夜の会で、伝えようと思ったのだがな」


「わたくしが、さる男爵令嬢に無体を働いている、という件でしょうか」



 王子の後ろに控える宰相の息子、クロアがはっきりと表情を変えて、消した。

 ブラッド王子は、少しだけ眉を動かし。それを見たメディリアは苛立った。自分が変えられなかった王子の表情が、アネモネを引き合いに出した途端に動いたからである。



「殿下が人を使い、何やら証拠を集めていると聞き及んでおります」


「君はアネモネ……アンドリュー男爵令嬢に非道を働いたそうだな」


「どなたでしょうか、その娘は」


「メディリア嬢、惚けるのですか……!」



 もちろん誰か知っているが、メディリアは惚けた。

 彼女の発言にいきり立ったのは、控えているクロアの方であった。

 いい機会だと、彼女は王子の側近として育てられた彼に、視線を向ける。



「クロア殿。あなたも殿下も、直接ご存知なのですね? そのご令嬢を」


「それがどうしたというのです」


「結構。以降は殿下とのお話なので、口を挟まないでくださいまし」



 令息が眉根を寄せたのを見て、メディリアは扇を広げて口元を覆った。確認はとれたと考え、彼女はブラッド王子をじっと見つめる。その表情の変化を、見落とさぬように。



「殿下も、アンドリュー男爵令嬢とご歓談などされたことがあると?」


「学園の中で会い、挨拶や立ち話をすることなど普通であろう」


「いいえ。この学園は自由平等を謳っておりますが、それは建前。簡単に身分違いの者が交友を持てぬよう、道も教室も分かれておりますのよ?

 男爵令嬢となど、どこでお知り合いになったのです? 殿下」



 メディリアの言う通り、身分の低い男爵令嬢から王子に接触するなど、同じ学園の中にいても不可能。有形無形の壁があり、挨拶ですら難しい。ここは貴族社会の、縮図なのだ。



「…………才気ある娘だと、人づてに聞いた」


「それで殿下自ら会いに行かれたと? 残念。彼女の成績は中の下です。男爵令嬢としては優れているものの、殿下のお耳に入るほどではない」



 王子の隣の男はわかりやすく表情を変えたが、メディリアは彼を無視した。

 ブラッド王子の顔から、目が離せなくなっていたからだ。普段なら表情は動かずとも、詮索されたと不機嫌な様子を見せる。だがいかにも、常とは反応が違った。



「そう言われようとも、知っているものは知っている」


(間違いない、ご機嫌が悪いのではない。殿下は焦っている……。

 これは良い機会です。彼女を知った理由は、殿下が隠したい部分なのですね。

 では、そこを抉りましょうか。あなたの本性、見せていただきましょう)



 自ら言い訳を口走った王子を目にして、目元にまで感情が出てしまいそうになり、メディリアはぐっと息を呑んでこらえる。扇をしっかりと広げ、その先を自身の目に向けた。扇に焚き染めてあるほのかな香を嗅ぎながら、声が震えぬように心を落ち着ける。



「なるほど……かのご令嬢が情婦の真似事をしているという噂、まことでございましたか」


「何だとメディリア! 彼女を侮辱しているのか……!!」



 ブラッドの目が見開かれ、唇がわななき、明らかな怒りの色を見せている。

 メディリアは〝冷血王子〟の表情が変わったその瞬間を、歓喜をもって迎えた。



(浅ましい――――!

 この男は今、自分ではなくアネモネが貶められて怒りに震えている! 婚約者がいる前で弁えず、〝冷血王子〟が浅ましい感情を露わにしている!

 たまらない、もっと見たい!)



 ずっと王子が隠してきた、仮面の下の醜い本性を見て。メディリアは、喜びで身を震わせた。

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