終幕のマスカレード

Folder

第1話「死は救済」


____「死は救済」


そんな言葉をどこかで聞いた。

果たして本当にそうなのだろうか?

闘病生活が始まりもう10年になる。

真っ白なベッドと質素な病室が私の世界の全てだ。

しかし幸い、命に関わる重い病気ではないことは不幸中の幸いだろう。

随分長引いてしまった入院生活だが、退院後には勉強して、働いて、平穏な日常を送る予定だ。


トントン。ドアをノックする音。

「恵麻さん。お話があります。」

いつもお世話になっている陽子先生が私の目を真っ直ぐ見つめる。

「どうしたの?陽子ちゃん。」

「恵麻ちゃんは好きなことってある?」

「うーん。あれかな。」

実家から持って来たトイピアノを指差す。

病気になる前は心から愛していたピアノ。

小学生の頃、一度コンクールに出ようとしたっけな。…その途中で倒れたんだ。

優勝、したかった。本格的にピアノを弾くことはもう出来ないが、おもちゃのピアノを遊びで鳴らすくらいなら出来る。


「あとは、ない。」

「なるほどね。分かったわ。」

陽子先生が穏やかに微笑む。思えば人生、病気で断念せざるを得なかったことばかりだ。

昔は色んな物事に興味を持ち、色んな趣味があったはずなのにな…。

「じゃあね。また何かあったら呼んでね。」陽子先生が立ち上がる。

ってか、結局話って何だったんだろう?

考えていると、先生はドアの前に立ち、私に背を向けながら言った。

「自分らしく生きて。ね。」


……?

話ってこれだけ?表情も見えなかったし、いつもとは違うどことなく妙な雰囲気だったな。

「自分らしさ」ってなんだろう?

この病室で寝たきりでいる自分こそ私そのもので、それ以上でも以下でもないのに。

あれもこれも。「そうだった…。私は病気だった。」なんて諦めてきたのだから。

ふと棚の上のトイピアノに目をやり、適当に鍵盤を触る。

昔のように楽譜通り弾く体力はないが、

下手くそな練習曲の演奏でも、音楽をやっている間だけはほんの少し心が癒される。


夕方には母と父がやってきた。

いつもと変わらぬ多愛ない会話。何気ない日常の風景に母が花を添えてくれた。淡いピンク色の薔薇だった。病巣に彩りが生まれた。

次の日には小学校時代の友人、それから暫く経ち昔お世話になった先生。

ここ1ヶ月で次々と人が見舞いに来るようになった。

…殆ど話したこともない人達だけどね。


お土産に貰ったミルクアイス。

実のところ、ここ最近はほとんど食欲がない。

仕方なく喉に流し込む。昔だったらきっと喜んで味わったのに、今では甘いものを楽しむ余裕すらない。

できればまだ若いうちに退院したいけど、まだまだ難しそうだ。

仕方ない。自分の意思ではどうしようもない。

のんびりと、マイペースに治していくしかないよね。


ザーザーと大きくなる雨音が耳を突き刺し、安らかな眠りのひと時を邪魔する。

ざわざわ。心臓が騒つく。脈拍が早い。

いつもの動悸の症状に胸が締め付けられる。

点滴を挿す時に右腕を消毒する為に使ったアルコール綿の独特の匂いが病室を支配する。

何も見えないので灯りをつけ、光に弱い網膜を守るのに手放せないサングラスをかける。

無機質な病巣で一人、思考だけが渦巻く。「あぁ、自由に動き回れたなら……。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る