第9話

 純季と別れて、私は脇山口まで歩き、そこから飯倉方面へ向かうバスに乗った。まだ帰宅ラッシュの時間帯では無いけれど、バスの中に座れる席は無かった。


 春の陽射しを吸った帰宅客が、熱を身体に溜めたこんだまま乗りこむせいで、バスの中は少し蒸し暑かった。


 バスの降車口付近に立った私は、鞄から本を取り出して、周囲の世界から自分をシャットアウトする準備を始めた。


 ただいつもならすぐに文字の森の中へ引き込まれる筈なのに、どういうわけか私の気持ちは白い頁の上を上滑りしていた。まるで紙の上の活字が、紙面からするすると零れ落ちていくようだった。私の意識はバスの中の喧騒に開かれたままだった。


 そのうち字を追うのも辛くなったので、私は本を閉じ鞄にしまい、窓の外へ意識を向けゆっくり流れて行く景色を虚ろな心で眺めた。


 バスは何度となく止まり、そしてまた動きだす。時々乗客を吐き出し、そして入れる。それを繰り返しているうち、バスはいつの間にか私の降りるバス停のすぐ手前まで来ていた。私はもたれ掛っていた細いオレンジの柱から身体を引き剥がして、ICカードを取り出した。


 バスが停車すると、何人かの乗客と一緒に私もバスを降りた。信号が丁度青に変わったおかげで、バスの真後ろにある横断歩道をすんなりと渡る事ができた。


 横断歩道を渡った先には洒落た外装の住宅が林立していた。同じ規格で立てられた二階建てメゾネットタイプの集合住宅の駐車場に、EVの自動車が水が浸み込むように静かに駐車するのを、私は何の気なしに目で追った。


 その隣にある灰白色の壁と平面の屋根で構成された一軒家の軒先には、芝生の植えられた小さな庭があった。庭先では若い母親が幼い子供と二人で、子供の顔よりも大きいゴムボールを投げ合って遊んでいた。


 私はそんな家々を両脇に見ながら、その間に通された細い道をすり抜けるように進んだ。程なく、年季の入ったアパートの群れが、橙色に滲む空を背に寂しく立ち並ぶ場所に出た。


 私はくたびれたコンクリートの林の中をとぼとぼと歩いて、塗装のごっそりと剥がれ落ちた建物の一つに、吸い込まれるように入った。


 三階まで階段を上がると、向かってすぐ右側にある部屋のドアに鍵を突っ込み、すこしばかり乱暴にそれをまわしてドアを開けた。


 カーテンが閉め切られたままの暗い部屋から、リンゴを切ったばかりの爽やかな香りがした。


 本当にリンゴを切ったばかりであれば、その瑞々しさに心躍るのかもしれない。けれど、光の射さない古アパートの一室からその匂いがするのは不気味だ。我が家ながら、入るのを躊躇してしまう。とはいえ、このままここで立ち往生するわけにもいかず、私は部屋へ入った。


 ドアを閉め切ってしまうと、もう夜なのかと見紛うほどに部屋の中は暗くなる。私は靴を脱ぎ、揃えることもせず部屋へ入った。そして鞄を放り出すように床に置くと、窓を覆う分厚いカーテンを開けた。


 部屋の中の様子を見られたくない母は、用心のためにと毎日カーテンを閉めていくよう私に言う。そのせいで、部屋の中はいつも湿った様な重い空気に支配されているのだ。母は何をそんなに嫌がっているのか、貧乏な母子家庭の部屋を覗き見るような物好きなどとてもいるとは思えない。


 カーテンを開け放ち、窓に寄り掛かるようにして私はその場に座った。両膝を抱き寄せて、散らかった部屋を見渡した。1DKの狭い部屋は、窓から射しこむ弱い夕方の陽射しだけで、部屋の半分まで照らし出してくれる。ただし台所の周りは陰になっていた。


 朝ごはんの片付けをしたろうかと、私は流し台の方へ目をやるけれど、私のいる場所からはシンクの中まではわからない。ただ隣に置かれた食器かごの中には、朝ごはん用の食器が立て掛けられていた。ちゃんと後片付けはしていたようだった。


 母と私の御揃いの柄物の皿は、百円均一で買った割には長持ちしている。お互い愛着があるから、買い換えようとはせず既に五年以上使い続けているはずだ。もちろん、買い換えないのは気に入っているから、という理由だけではない。百円均一の皿とはいえ、金のかかるものは出来る限り大切にしたい。本当にダメになるまでは。


 このアパートは築年数がもうじき五十年を越えるらしい。市営住宅だから、市は建て替えを検討しているそうだけれど、家賃が安すぎるのと市の財政状況を勘案して、現状中々実行には移せないということだ。


 今はまだ噂に過ぎないけれど、市は今の住民を速やかに立ち退かせて、民間にこの団地一帯を売却しようと画策しているらしい。目下、建物の撤去も含めて売却に応じてくれる業者を探しているとのことだ。


 確かにこの一帯は、少し歩けば地下鉄の駅があり、通りにはバス停もあって、交通の便もそこそこ良好だ。天神など商業地区へのアクセスもそれなりに良い。 


 所帯持ちの居住者が多く、治安も悪く無い。近くにある大学の学生達のマナーの悪さが玉に瑕だけれど、殊更問題視するほどではないので、新たに家族連れが住めるマンションを建てるには最適な場所に違いない。


 西新や薬院界隈より地価も安いだろうし、糸島より博多の中心に近い。


 市は土地ともどもこの団地一帯の再開発を民間に任せ、売却益と新たな街づくりで得られる利益の両方を得ようという腹づもりなのだろう。低所得者や年寄りには速やかに出て行ってもらって、一帯に元気と活力を、ということだろうか。


 けれど、あくまで噂である。私達がここを追いだされる日が来るなんて事は無いだろう。そんなふうに、願望とも言える見通しを自分に信じ込ませた。ここを追いだされたとしても、今のところ、私達に他に住めそうな場所は無い。


 私の座る部屋は台所部分とカーテンで間仕切りされている。そのカーテンの隅に布団が二組、畳んだ状態で置かれている。手前の方が私の布団、奥のそれが母の布団だ。


 いつも夜遅くに帰って来る母のために、私は布団を敷いて待っている。でもいつも私は母より先に寝てしまう上に、朝起きた時には母は既に布団を畳んで、朝食の準備をしている。そのせいなのか、布団を敷くことで母から感謝された事は一度もない。


 そういえば、まだ母がそれほど忙しく無い頃には、毎晩二人で布団の中で話をしたっけ。今は話したい事ばかりが日毎に増えて、何一つ伝えられずにいる。忙しい母の事を考えれば仕方のないことなのだけれど、たまにどうしても、話を聞いてほしいと思ってしまう。思ってしまってから、すぐに掻き消す、その繰り返しだ。


 私はさっきまで背中に負っていたバッグを引き寄せ、教科書やプリント類でちらかったその内側を掻き分け、英語と数学の宿題を取り出した。ついでにペンケースも取り出して、床にそれらを広げてそのまま宿題を解く作業に入った。


 私は這うような格好で床に寝そべり、まず数学から説き始めた。行儀も姿勢も悪いが、このやり方の方が集中できるのだからどうしようもない。


 けれどどういうわけか、今日に限って無用の雑念が私を捉えて離さなかった。思い出したくもないのに、私がまだ小さい頃の母の記憶が思考を占有して、目の前の数式やら文章問題やらが、私の頭の中へ収まることなく目の前を素通りしていく。


 私は諦めて、プリントの上にシャープペンシルを置いた。うっかり手の平なんかに刺してしまわないよう、芯は中へ納めた。


 それから顔を持ち上げるようにして、丁度目の前の白い壁にぴったり視線が行くようにした。この姿勢で頬杖をついて頭を支える姿勢が、思索を巡らすには都合が良いように思えた。そうして、母と私の昔を、つらつらと頭に浮かぶことから順番に思い出すことにした。

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