第3話

やってきたのが凛子だとわかったのは、その女子生徒の顔つきが、頬が横へ広がった丸顔であることを確認したからだった。


 私は彼女とはそれほど親しくはないが、杏の方は割と仲が良いようだった。というか、杏はクラスの人間すべてと仲が良い。


 そして、杏と仲の良い友達Aである凛子は、平たい頬を赤くして、興奮した様子で私の席までやって来た。


「ねぇ杏、これ見た?」


 彼女はわずかに息を切らせて、そして私の方へは目を向けず、手に持っていたスマートフォンの画面を押し付けるように杏の方へ向けた。


 杏は思わず身体をのけぞらせたが、それでもスマホからは目を離さず、画面に映し出された細かな文字の羅列を追おうとした。私にもちらりとその画面が目に入ったけれど、そこにはあるSNSの画面が映し出されていた。


「書いてある事読んでみて、びっくりするから」


 抑えきれない興奮と疼きで、凛子の手は小刻みに震えている。不規則にぶれるスマホの画面を、杏はなんとか目で捉えようとした。


 そしてようやく焦点が定まった時、彼女は投稿された文章に心を捕えられたように動きを止めた。


「何これ・・・、いたずらじゃないの?」


「そう思う?」


 スマートフォンの画面と凛子との間で、杏は困惑気味に視線を行き来させた。凛子はそんな杏の反応を面白がるように、思わせぶりな言葉を返した。


「ねぇ舞衣、ちょっと見て」


 杏は凛子のスマートフォンを私の方へ差し出した。凛子はちょっと待ってと言いたそうに小さく手を動かしたけれど、もうその時にはスマートフォンの画面と私の視線が交わっていた。


 見慣れたSNSの画面に、泳ぐような文字の羅列が映し出されていた。私は文章を最初から丁寧にそれを目で追った。


 ――――「舘岡雄樹は浜村克己,大野峻,井野瀬健、尾崎秀治に殺された」―――


 文字が不気味に震えて見えた。


「いたずらじゃない?」


 私は杏とほとんど変わらない感想を漏らした。凛子は少しイラついた様子で、杏からスマートフォンを取り上げた。自分の持ってきた情報を否定されたのが面白くないのだろう。


「別にいいよ、そう思うんなら思っとけば。でもこんな話もあるんだよ、舘岡先輩の身体中には、何かで殴られたアザが大量にあったんだって、腕とか、太腿や脇腹にもあるって話も聞いたし」


「ちょっといいか、その話・・・」


 ふいに、凛子の向こう側で深緑色のブレザーが揺れた。


「画面をもっと良く見たい、ちょっと借りる」


 その言葉とともに、凛子の肩口から手が伸びて、彼女のスマートフォンの縁を掴んだ。


 突然のことで抵抗するのも忘れた凛子の手元から、スマートフォンがするりと抜け出ていった。凛子はそれを声も上げず見つめていた。


 スマートフォンを手にしたブレザーの男子高校生は、しばらく画面を見つめて何か考え込むように口を結んだ。色白の肌に、画面の光が反射した。


 そこでようやく、凛子は我にかえり、自分のスマートフォンを何の断りも無く取り去った男子生徒からそれを奪い返した。


「何すんのいきなり」


 凛子は制服の袖でスマートフォンをくるみ、大事そうに画面を拭いた。男子生徒は悪かったと謝罪の言葉を口にしたけれど、その顔に反省の色は感じられなかった。というより、ほとんど表情というものを窺えなかった。


「純季さぁ、見たいんなら見たいって言いなよ」


 見せてあげるよと、凛子は画面の上で人差し指をちろちろと動かしながら言った。けれど純季は、そうだなと素っ気なく言ったきり、ふらりと私達の前から去っていった。


「なにあれ、変なの」


 ねぇ、と凛子は杏のほうへ視線をよこした。急に水をむけられ、杏は曖昧に微笑んだが、どう答えていいかわからずにいるようだった。


 凛子や杏にしてみれば、純季が声を掛けてくること自体が意外だったことだろう。同じクラスではあるけれど、普段から接点などほとんどないのだから。


「純君てさ、こういう話に乗ってくる人だったっけ?」


 杏がささやくように私に尋ねてきた。凛子はすでにひらひらと別の生徒の群れに去っていた。


「さぁ、どうなんだろ。ていうか何で私に?知らないよ、あいつのことは」


 そんなことないでしょと、杏はしたり顔で言った。


「あいつなんて言ってる時点で、もうアウトだよ。それにたまに見かけるよ、下校中に一緒にいるの」


 仲良さそうじゃん、同じ時間に帰ってさ。杏は手にしていた箸を輪を描くように動かした。


「べつに仲良くは帰ってないよ。あっちも私も部活してないから、下校時間が一緒になるだけ」


 どうかなぁ、と言い箸をカチカチと鳴らした杏は、私の弁明を信用してはいないようだ。


「好きなように想像したら、別にいいよ」


 私はサンドイッチを手にして、半分近くを一気にほお張った。


「冗談だって、拗ねないでよ」


 杏は私の頬を人差し指で軽く押した。私は何も言わずに、サンドイッチの残りを口に押し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る