30話
空いた穴
「ただいまー!」
「たらいま!かっちゃん!」
静かだった工藤家に子供たちの元気な声が響き渡る。
「お帰りなさい」
玄関に飛び込んでくる二人を受け止めた芳江は笑顔で迎え入れた。
佑月の靴を脱がせている間に美月が弾丸のように旅行で経験した初めての体験を話出す。
遠出の旅行など経験したことがない二人にとっては、どれも新鮮で特別な経験だったのだろう。
少しして大きな鞄を持った正則も帰って来た。
「芳江帰ったどー!」
「ありがとうございました、お義父さん」
「いやー、なんもだぁ、芳江は?ゆっぐり休んだべな?」
「はい、ゆっくりと休ませていただきました」
玄関の騒がしさに紛れ、居ないはずの声が響く。
「帰ったのが、親父」
「―――守也・・・。おめぇ、なんでここに居るんだ?正一と一緒に帰ってくるはずだべ」
「・・・ケガしちまってよ、早まったんだ」
「・・・・いづ、帰って来ただ?」
「4日前、親父だじが温泉行ったその晩だ」
「その晩?―――」
正則は不可解な表情を浮かべる。
少し引っ掛かることがあるのだ。
子供たちは帰ったと同時にテレビのスイッチを入れて画面の前に並んで座り込んだ。
そのうち小さな鞄の中から旅の途中で買ったものを出し始めて遊んでいた。
良かった。子供たちはテレビが変わったことに気が付かないみたいね。
芳江がホッとしたのもつかの間、今度は正則が二人に問いかける。
「それで?おめえだち、俺らのいないどこで、言えねぇごとしてねえべな?」
「お義父さん、あの・・・」
「・・・・悪いのは俺一人だ」
「守也君」
「何ぃ?お前ら・・・俺たちを裏切ったのが?」
”俺たち”
その言葉が芳江の心に突き刺さる。
「お義父さん、」
「言い訳は聞きたくねえ…。子供らの前でするな、そんなみっともない話」
足元には不安そうに大人たちを見上げる子供たちの姿があった。
夜になり子供たちが寝静まってから正則は二人と向き合った。
「昼間も言ったけんど、悪いのは俺一人なんだ、父ちゃん」
「何年、お前の親父やってると思ってんだ。んなごと、わかってるじゃ」
「――――俺は、兄さんと話し合いたいって思ってる」
「話し合うって、なにする気だ?おめぇ」
「これからのことだよ」
「――――それは、芳江も同じ考えなのが?」
「・・・・・」
芳江は下を向くばかりで何も話そうとしない。
「俺一人の考えだ。姉さんにはきっと決められないと思うから。―――俺は彼女を大切にしたいんだ」
正則はその一言に激怒した。
子供たちが起きないようにと気を付けていたのにも関わらず、大きな声が出てしまう。
もともとあった気性の悪さは長年ひそめていたが、自分の理解を超えてしまう時に思わず出てくる。
「ばっかばかしいこと言ってんなよ!何が大切にしたいだ!おめえだじの気持ちなんかどうでもいいじゃ!!芳江も!30女がこんな若男捕まえて何考えてんだ!?」
「すみません―――」
「だがら!姉さんは関係ないんだってば!親父!」
正則は手のひらを振り上げ芳江の頬をひっぱ叩いた。
数年前の正則であればそれから酒をかっくらい始めて暴れだすであろう。
でも、そんな彼も変わった一面はあった。
「じいじ?」
「――みず」
「どうしたの?―――お母ちゃん、何か悪いことしたの?」
「―――なあんもねえんだ。ちょっとな、温泉の話してだのよ。ほら、母ちゃんと寝てこい」
子供たちが目を醒ましたと分かればブレーキがかかる。
かつてのように暴れまわることは無くなったのだ。
「親父、俺本気だがらな」
「・・・ばかゆうでねぇ。お前はとんでもないことしてんだ。その罪深さを分かってねーがら言えるんだ」
「何が罪なんだ、兄さんが姉さんにしてることの方が罪だべよ」
「あいつらは夫婦だがら、いいんだ」
「そんなのおかしいべよ、姉さんいっつも苦しんでる」
「―――知ったような口を聞くもんになっただな。正義の味方気取りが?・・・んで、芳江が苦しんでるのは正一のせいが?あいつが優しくしねーせいだけなのが?」
「そうだべよ」
「男に愛されるだげが女の幸せでねえ。お前はわかってないんだ」
「・・・あんたより、わがってると思うけど」
「んだども、お前は芳江のこと、わがってねーんだ。お前だって、芳江を傷つけてるってなんできがつかねぇのよ」
「なんで、俺が」
「お前と逃げたとして、その後どんなに芳江が苦しむが分かってねーがら言えるんだ。誰も知らない土地に行って新しい気持ちで始めます?馬鹿ゆぅんでねえ」
「別に、親父に分かってもらおうなんて、思っちゃいねえ」
「――――お前だじは、本当に自分勝手で、馬鹿だもな。馬鹿に何言っても無駄だな」
正則は呆れた表情で仏間から出ていった。
「”お前だじ”って、兄貴と一緒にするなじゃ」
守也の言葉は誰もいない仏間に消えていった。
数日後、正一が帰ってくる日になった。
「芳江、守也と正一迎えに行ってこい」
正則が突然そんなことを言い出した。
帰った日から守也と一緒に話すだけでも怒り出していたというのに、その日に限っては街までの長い道のりを二人だけで迎えに行けという正則に芳江は戸惑いを隠せない。
「三四郎の馬鹿に言われたんだ。・・・・オラもちょっと思い直してな…。確かにこのままじゃ、どうにもならんべ。――――どう捉えるか、あんたに任せるがら」
「お気遣い、ありがとうございます」
芳江は唇を固く結ぶ。
一度目を閉じ、深く息を吐き出した。
芳江は決意を固めるしかなかった。
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