今市宿騒動記
北風 嵐
第1話
日光街道を今市宿めざして急ぐ一人の男があった。宇都宮宿を出れば7里、宿なしで日のあるうちに着ける距離である。男の足は急ぎの足になる。江戸を立って、草加の宿、古賀宿、宇都宮宿と泊まって来た。
三度笠を目深にかぶり、引き回しの道中合羽で身を包む姿は、渡世人風であった。渡世人にしては長脇差が見えない。代わりに、背中に何やら大事そうな風呂敷包みが、たすきにかかっている。
街道脇には菜の花畑が広がっていた。〈春風紋太郎〉、今市宿ではちっとは知られた渡世人であった。何故、春風なのか、木枯らしが去って、菜の花の咲く頃吹くゆっくりとした春風を思わせる男振りからついた名前だろうか、ともかく人はそう呼んだ。 三年前に江戸に出て久しぶりの帰り旅であった。逢いたい人もあろうとて、急ぎ足になるのは致し方ない。杉並木に入った。今市宿はもうすぐだ。
今市宿は、一街道の単なる地方宿ではなく、日光街道のほか、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝に立地する宿駅であった。上州からの道、日光例幣使街道は楡宿(鹿沼市)で壬生道に合流している。当然、これだけの街道が集まるのである、旅人の往来、投宿で宿は賑わっていた。又、日光参拝を前にした歓楽の宿場町としても名を馳せていた。
当然に、女と博打はつきもので、遊女を置いた廓も2軒あり、旅籠には飯盛女と呼ばれる客引きが激しく客を呼び込み、男たちの接待に応じた。宿を仕切るやくざが存在するのは致し方ない。
注釈:〈天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、今市宿の本陣は1軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が21軒あり、宿内の家数は236軒、人口は1,122人であったと云う〉
紺屋一家と、鬼怒川一家が今市宿を二分して勢力を競っていた。紺屋一家は、先代紺屋次郎吉が作った組で任侠の徒であった。無頼、無宿者でも今市宿では大人しくする程の仕切りを見せ、人望浅からぬところを見せていたが、病には勝てず、倒れた。後を継いだのが若頭だった男と一緒になった一人娘の歌子であった。勢力を伸ばすが、そのやり方に問題があった。
鬼怒川一家は宇都宮宿の峰屋馬之助の息がかかった新興勢力で、今市の利権を我が物にせんとする武闘派であった。二つの勢力はことあるごとにぶつかり、揉め事は絶えなかった。
親分の名前は鬼怒川飛翔(ひしょう)と云ったが、その姿は謎で、一家の子分らでさえ、見た者はないとされていた。もっぱら町衆が目にするのは代貸、山太鼓の音吉であった。
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