妖怪
夢咲蕾花
妖怪
僕には恋人がいる。二つ上の大学一年生の女性だ。もともと近所で付き合いがあったのが高じて、去年の七月の終わりに、どちらともなく体を求め、お互いの初めてを交換した。
「又吉直樹の人間を読んだよ」
僕は氷川さんにそう言った。夕方のファミレスで、僕はテスト勉強を片手間に言う。
氷川さんはフリードリンクのホットコーヒーを啜り、頼んで三十分、冷めてぺっちゃりしたフライドポテトを食べる。
「又吉をどう思う?」
作品の感想を聞かれると思ったのに、又吉直樹本人のことを聞かれるなんて思わなかった。
その質問は芸人としてのピース又吉なのか、芥川賞作家又吉直樹としての文脈なのかは明らかだったが、僕はしばらく悩んだ。
「努力家で、喧嘩っ早い、妖怪」
千鳥の、どっちだったか忘れたが、又吉が喧嘩っ早いことを暴露していたことを知っている。僕は意外すぎて、言葉を失った。テレビで見る彼はあまりにもマイペースでおとなしいし、目立たない。だから時々変なことをすると馬鹿みたいに面白くて、独特な考え方がツボにハマる。
己の価値観を散々話した後「つまり何?」と聞かれた又吉は「僕はあなただ」と答えたと、YouTubeで語っていた。
実際、人間刊行インタビューでも彼は「登場人物はみんな僕」と言っていて、なるほどな、となぜか納得してしまった。
「妖怪?」
「人間はわざわざ人間を描かないでしょ。あそこまで克明に人間を描けるのは、彼がきっと、どこかで自分を人間だと思っていないからだと思う」
僕はあえて「渦チャンネル」で又吉自身が己を妖怪と思っている旨を言わなかった。
「永山君はどう? 君は人間?」
「人間なら、もっと要領良く生きてますよ。僕は発達障害だし、考え方も変だし、昔から浮いてる。それは人間なんかと同じじゃないぞっていうルサンチマンじゃない。僕だって胸を張って、人間だって言いたい。でもできないから、人間のフリをする」
「見て、雪が降ってる」
氷川が窓の外を指差した。
「私、雪女だからさ。永山君が私の正体をバラしたら殺さないといけない」
そういえば初めて肌を重ねた夜、あまりにも冷たい肌に僕は「雪女みたいだ」といったら「そうだよ」と返されたのを思い出した。
僕は別に、雪女だろうが人喰い鬼だろうが構わなかった。同じ妖怪同士惹かれただけだと思うし、人間とは釣り合わないから、人外の化け物同士釣り合いをとるだけだ。
「下げた頭で鼻を狙いに行く、だったかな。人間じゃなくてすんませんって謝りながら、僕は時々痛烈な皮肉で人間に反撃してる」
「楽しそう。真似していい?」
「いいよ。あいつら基本妖怪を見下すから、反撃されたことにすら気づいていない、皮肉さえ理解できない猿の顔して、それが面白い」
「性格、悪。でも最高。想像するだけでめっちゃ面白い」
氷川さんが笑った。どこか寂しそうに笑う彼女は、春が来たら溶けて消えてしまいそうに思える。でも夏場は夏場で暑いとか言いながら元気だった。
僕は冬が嫌いでただでさえ冷たい僕の心は凍てついて割れるんじゃないかと不安になるが、決してそんなことはなく、鼓動を刻み、血と酸素を巡らせている。
「心は胸にあるのかな」
僕は、唐突にそう聞いた。
「脳科学的には神経回路が見せる幻。だけど私は胸にあると思う。だって胸を吹き飛ばされたら妖怪も死ぬから」
「だよね。心は胸だよね。妖怪にも心ってあるのかな。僕は人間の心を観測できないからわからない」
「私の心もわからない?」
「ときどき遠く感じる。でも、隣にいることもある。わかりそうでわからなくて、妙に焦ることがある」
「じゃあ、それが心だよ」
氷川さんはポテトを食べる。僕は勉強ノートに綴っていた文字が、なんだかよくわからない記号の連なりになっていることに気づいた。
何も考えないまま字を書いていたら、こうなった。
これは僕の心の姿なんだろうか。幼稚な落書きみたいで、到底、十七歳の青年というには幼すぎ、醜い。
消しゴムを掴んだ手を、氷川さんの冷たい手が押し留めた。
「このノート、このページだけちぎってもらっていい?」
「どうして?」
「宝物にするから」
氷川さんはそう言って、ノートを破った。
彼女はよくわからない。
僕らの恋路は平坦だ。山も谷もない。でも、奇妙な溝があって、二人で面白がってその中に降りて冒険している楽しさが、日々、強くなっている。
次の冒険はいつだろう。そう考えた時、氷川さんは紙を大事そうに見つめ、うつくしくほほえんだ。
妖怪 夢咲蕾花 @RaikaFox89
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