終電を一緒に逃したおっさんが、実は特殊メイクをした女子だった件について
丹羽坂飛鳥
第1話
週末、花の金曜日。
会社の飲み会が、終電近くになってようやく解散の運びになった。
「んだよキンタロー、お前も二次会に来いよー!」
「終電なんすよ先輩ぃ。俺は帰りますってぇ」
大盛り上がりした後の会社の飲み会は、挨拶後にもまだ店舗前での会話が続く。
目をかけてくれる先輩の話に付き合い、絡んでくる先輩を二次会に連れて行く同僚たちと別れて、ようやく解放された俺は急いで電車に向かった。
しかし、時すでに遅し。
社交に励んでいた俺を待ってくれるわけもなく、終電は既に発車していた。
要領がいい同僚たちはちゃんと電車に乗れたのだろう、駅のホームには誰も残っていなかった。
やむなくタクシーに乗るために踵を返す。
毎回同じような目には遭っているので、もう慣れたものだ。
しかし、辿り着いたタクシー乗り場では今回、いつもと違うことがあった。
噴水の端に酔っぱらいなのか、くたびれたスーツのおっさんがボストンバッグを抱えて座り、途方に暮れている。
帰りたくても帰れないのだろう。田舎のタクシー乗り場には、確かにタクシーの影も形もなかった。
待っていても来る保証もないため、タクシー会社に配車を連絡して、二十分かかると言われてベンチに座る。
すると、先ほど途方に暮れていたおっさんが、肩を叩いてきた。
目の前にスケッチブックなんて代物を出されたので一応目をやったが、ペン字でも習っていたのかと言いたくなるような、綺麗な文字が綴られている。
『どこまで行きますか』
筆談?
不思議に思ったが、おっさんはさらに『話せないので、電話も出来ない』などと書いている。
事情があるのなら仕方ない。ネットから予約なんてことも出来ないような場所だ。納得したので、今から走る方を指差した。
「茶屋町ですね。東部に五十分くらい走ります」
『折半で一緒に乗せてもらえませんか』
悪い話ではない。正直、一万円以上タクシー代がかかる予定だった。半分浮くのはありがたい。
最近はあいのりタクシーなども都会の方ではあるらしいし、同じ境遇のおっさんでもある。
ただで乗せてくれと言うのではなく、ちゃんと半額出すと自分から言い出すくらいだから、悪いやつでもなさそうだと、酔っ払ってはいるが判断した。
「いいっすよ。飲み会で終電逃したんですか」
『YES』
おかしなおっさんだと思いながら、しかし煙草なども吸わないため、ぼうっとタクシーを待つ気にもなれず、お互いになんとなく話した。
「趣味とかあります? 俺はゲーセン行くことなんですけど、おっさ……おじさんは?」
『クレーンゲームに自信があります』
「お、いいっすね。俺もなんすよ」
お見合いではないが、趣味の話から意気投合した。
ぬいぐるみの取り方や箱物の取り方を話したが、おっさんはスケッチブックを活かして図解説明までしてくれた。
嘘などはなく、おっさんもかなり詳しいので、これは相当の猛者だとわかった。
お互いに取ったものをどうしているのかまで話したが、心優しいおっさんなのだろう、とは感じた。
『欲しそうにしている子供にあげます。取って遊びたいだけなので、欲しかったらどうぞ、って』
最近は店舗での買取やアプリでの売り買いも出来るが、おっさんは自分が欲しいもの以外は、ぬいぐるみなどプレゼントしてしまうらしい。
昨今は子供に話しかけただけで不審者にされる可能性もある。話しかけようとも思わない俺とは大違いだった。
タクシーが来て、一緒に乗り込み、それでもまだ話した。
見知らぬ技の話が出てきて、詳しく教えてもらうのに必死になってしまった。
何度も図を書いて説明してくれて、それに質問を返して、やり方をようやく理解できた頃には、おっさんの様子がおかしくなっていた。
『すみません、車酔い』
スケッチブックに文字や絵を書くおっさんは目線の動きが多く、次第に弱り果ててしまったのだ。
悪いことをしたと思い、謝って寝かせた。窓も春なので開けてもらう。結構飲んだ俺のアルコールを直接浴びていたのも悪影響だったのだろうと、新鮮な空気を吸ってもらった。
しかし、問題が起きた。
俺が降りる場所になってもおっさんの体調は回復しておらず、気分が悪そうだったのだ。
正直、車酔いの極地に見える。もう我慢の限界のように唾を飲んでいる。
「どこに行くとか聞いてます?」
「いや、その話してなかったっすね」
おっさんは行く先を言おうとペンを持つが、エンジンの揺れで気持ち悪そうに口を押さえ、目を閉じる。流石にタクシーの運転手も困っているので、仕方なく降りてもらった。
「俺のせいなんで、うちで休んでってください。回復したらまたタクシー呼びましょう」
頷くおっさんを家に急いで連れ込み、親が寝泊まりしにくるときに使う布団を出して広げた。
トイレの場所も教えていたが、怪しい音がしたので、風呂に入れた方がいいかと準備した。
しばらく待っていると、ようやく少し落ち着いたようだが、おっさんは俯いてトイレから出てきた。
常備している冷えたミネラルウォーターをプレゼントし、風呂を案内する。
遠慮して困っているようなおっさんだったが、俺も困っている。
「朝の方がタクシーも拾いやすいと思いますし、これも何かの縁なので、泊まってってください。
俺も眠いんで、もう明日にしたいんですけど、駄目ですかね」
酒の影響か、週末まで目一杯働いた体が休む状態に入っているのか、あくびが止まらなかった。
正直、自分の家に戻ってきたこともあり、もう眠気に勝てない。
眠そうな俺を見て、少し考えて、おっさんは頷いた。
見知らぬおっさんと一緒の状況ではあるが、悪い相手ではないのは話していて感じた。
見立てが間違っていても、アパートの中には高価な品など何もない。
替えのパジャマや新しい水なども案内して入ってもらうと、仮眠と思い、俺もベッドで寝た。
気づいたら朝だった。
土曜日の朝だと携帯を眺めて気付き、二度寝し掛けたが、昨日は酒を飲みに行って……なんて思い出していたら、引っかかることがあった。
しまった、おっさんはどうなったのか、なんて慌てて起き上がった。
が。
さらに、飛び上がるほど驚いた。
ベッド下に敷いていた親の布団には、なぜか女性が眠っていたのだ。
俺が用意した、俺のパジャマを着た長い黒髪の可愛い女子が、目を閉じ、すやすやと気持ちよさそうに呼吸している。
ゲームの夢でも見ているのだろうか。
おっさんのスケッチブック、おっさんの靴など、おっさんの形跡はあるのだが、なぜか目の前にいるのは女性に代わっている。
パジャマの胸がちゃんと膨らんでいる。
おっさんは背が低くて女性の平均身長くらいだったから、百七十センチ以上ある俺のパジャマではサイズが合わなかったのだろう、隙間から臍がちょっと見えている。
見てはいけないと思いつつも、俺が先に起きている状況で何を言われても困ると、起こした。
「どこから来たのか分からないんですけど。あの。起きてください」
「……ん」
目を開けた彼女が、ぼんやりと目を開けて擦っている。
なんとか俺を見て「おはようございます」と頭を下げたので、俺も挨拶を交わした。
「早速で悪いんですけど、昨日のタクシーの会計、五千円でいいですよ」
「あ、すみません、お金まだでした……料金一万四千円でしたよね。ちゃんと半額払います」
筆談ではなく喋っているが、昨日のタクシーの話が通じる。
「おっさん?」
「……? あ」
ボストンバッグから取り出した財布を手に、自分の格好に気づいたような女性が、こちらを振り向いた。
徐々に赤くなり、頭を勢いよく下げて土下座した。
「すみません、すみませんっ。騙すつもりでは、なく。仕方なくなんですっ」
「いや、女性が男性に化けてたりとか、俺もちょっと動揺してるんで。理由聞いてもいいですかね」
はっきり尋ねてやると、女性は恥ずかしそうに頷いた。
どうやら一人暮らしの大学生らしい。運転免許も見せてもらったが、二十歳だった。未成年者略取とか誘拐とか言われるような状況じゃなくて心底安心した。
「親と、将来について、揉めていて。むしゃくしゃして。夜遅くに出歩くのに、このままの格好だと危ないので、……男性に変装する癖が、あって」
おっさんの鞄からはメイク道具などが多数出てくる。検索したら、どうやら特殊メイクに使うらしい。
「仕事帰りの男性に扮してゲームセンターを行脚したり、していたら。終電も終わっていて。タクシーもないところで。親からの連絡があるとまた喧嘩になりそうだって、スマホも家に置いてきたから、景品のお絵かきセットしか持ってないし、って」
そうして途方に暮れていたら、タクシーを呼んだ俺を見つけたから、声がバレないように筆談で話したのだ。
彼女も悪いと思ったのだろう、懸命に応対しているうちに、車酔いにより今の状況になってしまったと。
女性は綺麗に正座をして頭を下げた。アパートのフローリングの上で、茶道の礼のように所作が美しい土下座を見た。
「お世話になってしまいまして、本当にすみませんでした。このご恩は必ずお返しいたします」
「いや、いいですよ。俺もクレーンゲームの話が出来て楽しくて、調子に乗りすぎたので。
それより、体調良くなりました?」
頷いているので、安心した。
おっさんがまさか女子大生とは思っていなかったが、素顔が可愛いのでむしろ得した気分だった。
「着替えてすぐに追い返すのもなんなので、朝食も食べていってください。詫びはそれでいいです」
「い、いえ、でも」
「女子大生と朝食なんて、普通に会社勤めしたら出来ないんで。他人の家で食事するのが生理的に無理ならいいですけどね。
ほら、用意するんで、早く着替えて」
どうやら強引に迫られると断れないタイプらしい。慌てて風呂場に着替えに行ったので、大したものではないが朝食を用意してご馳走した。一人暮らしでも朝食くらいは食べようと、パンと目玉焼きとベーコン、お湯で作るスープくらいなら常備している。
布団を片付けてテーブルを置き、一緒に食事をした。トーストを一口サイズにちぎって口に入れているのが、かじっている俺とは違い、随分上品だった。
「何から何までお世話になりまして、本当に申し訳ないです」
「おっさんが女子大生に変わるなんて、いい思い出になりました。もう気にしなくていいっすよ」
最初は緊張もしていたが、中身は昨日話していたおっさんだ。俺が砕けた態度を取ると、彼女も少しずつ笑顔を見せてくれた。
アルコールチェッカーなんてものを買ってあるので、計測したが正常値だった。これならタクシーも呼ばなくていいだろう。
「酒も抜けてるんで、駅までなら車で送ります」
格好つけたい気持ちも半分、昨日聞いたクレーンゲームの技を早速試しに遊びに行きたいのも半分。どちらにしろ駅方面に向かうので、そう伝えた。
しかし、俺が風呂や着替えなどをする間に朝食の後片付けを願い出て、皿洗いやコンロの掃除なんてことをこまめにやってくれていた彼女は、手を拭くと慌てて横に振った。
「いえ、これ以上のご迷惑は」
「タクシーなら呼ぶとまた二十分くらいかかりますし、俺も出かけるので、一緒に出てもらえると嬉しいんですけど」
俺の用件があると伝えると、一も二もなくすぐに頷いている。人様に迷惑をかけないようにと躾けられているのだろうか、随分と遠慮しがちな子だった。
荷物をまとめてもらい、忘れ物のないようにだけお願いして、駅へ送り届けた。
車を降りると、ボストンバックを抱えるスーツ姿の女の子が、深々と頭を下げている。
「本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「朝起きたら別人に変わってるなんて、貴重な経験が出来たからいいですって。
それじゃ、お元気で」
駐車場で別れたが、もう二度と会うこともないだろうと、お互いに名前も聞かなかった。
俺も友人に話すネタが出来たくらいにしか思っていない。
その後は予定通り、休日のうちにクレーンゲームの新技を試したが、ちゃんと景品が取れて快い気分で持ち帰れた。
彼女も猛者に違いないと、ますます出会いとは珍妙なものだと面白く感じたのだった。
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