東京ファントムウォーズ
山岸マロニィ
<壱>──怪盗狩人は夜嗤う
1話 怪人、参上
――それは、到底信じ難い光景だった。
市電も寝静まる、深夜の銀座の国道沿い。
時計台のある百貨店の五階の窓から顔を出した男が、滑らかな
そしてそのまま壁に張り付き、まるで床を這うかのような動きで、垂直にスルスルと上りだしたのだ。
「ン……ンン……」
男が去った窓の奥では、
しかし、忍び返しの如く張り出すそこを超えるのは至難の業だ。
刻は深夜零時過ぎ。通りを歩く人影は無く、
悪逆非道の盗賊め、どんな手段で壁を上ったか知らないが、貴様の運命もそこまでだ……と、警備員は男を睨む。
――だが。
男はヒョイと庇の裏に飛び付くと、真っ逆さまに這いだしたのだ。
「…………」
眼を血走らせながら、警備員は口に捩じ込まれた手拭いを噛み締める。
噂には聞いていた。人間業では成し得ない、奇妙な能力を持つ盗賊の存在を。
ある者はガラス窓を水面のようにすり抜け、ある者は怪力で壁ごと粉砕する――そんな異能者が、夜な夜な東京の街を荒らし回っている。
そんな盗賊たちを、新聞は『怪盗』と書き立てた。
三文誌の
警備員は絶望的な目で闇を見上げた。
そこでふと思い出す。
新聞にはこうも書いてあった。怪盗には多額の懸賞金が掛けられており、近頃は賞金稼ぎが暗躍していると。
いや……とだが警備員は首を横に振った。
こんな化け物を捕まえられる者などいる
荒らされた現場を見れば被害のほどは分かる。高級腕時計や金の懐中時計、貴金属など、総額十万円は下らないだろう。
まんまとしてやられた自分はクビ。明日から家族共々路頭に迷う。生意気盛りの子供たちを、せめて高等科に通わせてやりたかった……。
そんな考えを巡らせる先で、
屋上伝いに逃げられれば、警察では手も足も出まい。
「クッ……」
警備員は、窓に伸ばしていた頭をガクリと落とした。
不甲斐ない夫ですまない……情けない父で申し訳ない……と、警備員は心の中で繰り返す。
――と、声がした。
「ギャーーー!!」
ビルの谷間に響く野太い悲鳴。上の方からのようだ。まさか、盗人か?
と、警備員は再び首を伸ばした。
その直後。
目の前にドサッと風呂敷包みが投げ込まれた。
「…………?」
先程、盗人が背負っていたものだ。恐らく、中身は盗まれた時計類だろう。
――その向こうに、影があった。
窓から覗き込む人影。黒い仮面で頭から顔までをすっぽりと覆っており、体に密着した奇妙な服装をしている。
だがそれより、
ここは五階。
「ヴ……」
驚きのあまり唸ると、仮面の人影は云った。
「ごめん、助けられなくて。こいつを警察に届けなくちゃならないんでね」
仮面の人影が立てた親指で示した先にあったのは、網に掛かり吊り下げられた盗人――それが、宙にブランブランと浮いているではないか!
「後はよろしく……じゃ」
仮面はそう云い残し、トンと窓枠を蹴ると宙に舞った。そして、まるで海中を泳ぐ
……もしや、あれが『怪人ジューク』か――!
警備員は呆気に取られてその行方を目で追うが、怪人は
☩◆◆──⋯──◆◆☩
眼下に広がる東京の夜景。
彼が元いた世界――二十二世紀末の東京に、こんな温かな光はなかった。
あったのは、荒廃したスラム街と、天高く
それすらも戦火に焼かれた後は、物資ひとつに血で血を洗う無法地帯になった。
そんな未来を変えるために
それにしても……
と、透也はフルフェイスのヘルメットのゴーグル部分を上にずらし、頭上を見上げた。
「スピードがやたら遅くないか? 高度が下がってるぞ、リュウ」
彼を二本のワイヤーで吊るした上方。
無音でプロペラを回転させるドローンの上から、緑色をしたヤモリの顔が覗き込んだ――透也の相棒のヤモリ型ロボットだ。
「このドローンは一人用でアリマス。二人は無理がアリマス」
「まあ、それもそうか……」
透也はドローンから伸びるもう一本のワイヤー……ではなく、蜘蛛の糸を下方に視線を移す。
そこにあるのは、奇妙な姿勢で唸る男。
自らの
「痛ェんだよ。な、助けてくれ」
「それは無理な話だ。俺はこれが商売でね」
「金か? 宝石か? 女か? 何でもやる! だから離してくれ」
「そんなモンいらねぇよ」
「なら、何が欲しい?」
「そうだな……」
透也はニヤリと男を見下ろした。
「――『黒い魔女』の
すると男は、夜闇越しにも分かるほど青ざめた。
「そ、そいつを、どこで……!」
「前に捕まえた怪盗から名だけは聞いた――魔能を分け与え、異能の賊を仕立てる
「…………」
「そいつのところへ俺を案内してくれれば、逃がしてやってもいい」
男は目に見えるほどガクガクと顎を震わせる。
「それは出来ない……それを云えば、殺される」
「ふぅん……そういや前の奴も、締め上げた時そう言ってたな」
「ヒッ……」
男は全身をガタガタと震わせだした。これでは無理だと、透也はドローン上のリュウを見上げた。
「どうする? コイツも締めてみるか」
「コイツは雑魚だから時間の無駄でアリマス」
「誰が雑魚だ?」
その声が背後から聞こえたと気付いた瞬間。
蜘蛛の糸が投網のように透也に襲い掛かった。その罠は確実に、透也の行動範囲を補足している。
絶対に逃げられない状況。
透也を待ち構えていた男は手足を蜘蛛のように開き、ビルの屋上から投網に掛かった獲物に飛び付く。
――が。
強烈な光に目が眩んだ直後、男は宙を漂う蜘蛛の巣に絡め取られて、無様に路地に転がった。
「――――??」
困惑する男は、すぐ横で同じく転がる男に声を掛ける。
「どうなってやがるんだ? 弟よ」
「し、知らねえよ、兄貴」
そんな二人の元に足音が近付く。
足音は二人のすぐ傍で止まり、情けない姿を覗き込んだ。
「下調べもなく賞金稼ぎがやれると思う?」
「…………」
「最初から、もう一人いるのは分かってたよ――指名手配番号・乙八十二、『蜘蛛兄弟』。魔能名『
蜘蛛兄弟は顔を見合わせ、ギリギリと歯軋りをする。
「兄貴がちゃんと見張りをしてねえから!」
「テメェが捕まるようなヘマするからだろうが!」
「そんなんだから雑魚なんだよ」
腕組みをした透也は、ヘルメットの隙間から二人を見下ろす。
「相棒ってのは、何より相手を信頼するモンだろ」
蜘蛛兄弟は黙り込んだ。
そこに、ワイヤーを回収しながらドローンが下りてくる。それを透也の背中のバックパックに収めると、リュウがヘルメットをよじ登った。
「こいつら、どうするでアリマス?」
「運ぶの面倒だから、ここに置いていこう。朝になれば誰か気付くだろ」
透也はそう言うと、蜘蛛の糸の隙間にカードを差し込んだ。
警察各位
指名手配犯『乙八十二』ヲ捕獲セリ
懸賞金三千円ヲ以下口座ニ振リ込マレタシ
怪人ジューク
「……さて、帰るか」
そう云って、透也は大欠伸をする。
「瞬間移動で家まで送ってくれよ、リュウ」
「無理でアリマス。続けては使えないでアリマス」
「ドローンは?」
「バッテリー切れでアリマス」
「しゃあねえな……」
透也は首に巻いた薄地のマントを下ろし、フードを被る――すると、その姿が景色に溶け込むように消えた。
「…………!!」
愕然と周囲を見回す蜘蛛兄弟が、再び彼を見ることは無かった。
☩◆◆────────────────⋯
【怪人ジューク】
本名・遠藤透也
年齢・十九
職業・賞金稼ぎ
能力・
(瞬間移動)
武器・ワイヤーガン、ダガー他色々
⋯────────────────◆◆☩
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