年の初めに挨拶を

黑野羊

年の初めに挨拶を

「あ、ユースケ達いたよ! ロータリーのとこ!」

「お、本当だ」

 年が明けた三日目。仁科の車で狛山駅前までいくと、ちょうどバスやタクシーが停車するロータリーの近くで、長身の二人が立っているのが見えた。菅原のほうが気付いて、手を振っている。

 すぐ近くで停車すると、後部座席のドアを開けて、菅原と春日が乗り込んできた。

「あけおめでーす!」

「おめでとうございます」

「おー、おめでとさん」

 今日はいつもの四人に仁科を加えた五人で、狛山にある白狛神社跡地へ行く約束をしていたのである。しかし、一人足りない。

「あれ、小坂は?」

「自転車で先に行ってる」

「うわ元気ぃ」

 助手席に乗っていた和都は、後部座に座ったどちらかと席を代わろうとシートベルトを外したのだが、不要と分かってつけ直す。

 一月の寒い時期だというのに、小坂は一人で元気に坂道を自転車で駆け上っているらしい。さすがと言うべきだろうか。

「んじゃー、行きますか」

 狛杜高校の最寄駅である、狛杜公園前駅の一つ隣、狛山駅。

 そこから三つに分かれたうちの、山へ向かう道路を車は進んでいく。高校の屋上からも見える小さな山──狛山の中腹までのぼると、大きくカーブした箇所に差し掛かる。そこには自動車を数台駐められそうなスペースがあり、車はそこで停止した。

 車から降りて、トランク積んでいた荷物をおろしていると、何かに気づいた菅原が和都に声をかける。

「あれ、相模のコート新しいじゃん」

「うん、そう。実は凛子さんからの荷物、大量のお洋服でさ……」

 冬休みに入る前、安曇凛子から和都宛に荷物が届いたことまでは話していたのだが、それが洋服だったことまでは言っていなかった。

「へー! 最近人気のブランドやつじゃーん! いいなぁ」

 菅原がキャーキャー騒ぎながら和都の青緑色のコートを見ている横で、春日が仁科の着ている紫紺色のコートとまじまじ見比べる。

「……先生と色違い、だな」

 ボソッと言った一言に、菅原が改めて見比べながらヒートアップし、荷物を降ろす仁科の背中をバシバシ叩き始めた。

「えっ! あ! ホントじゃん!! ちょっと先生、やらしい!!」

「やらしいってなんだよ! 安曇のブランドなんだから被ることくらいあんだろ!」

 菅原と仁科のやりとりを呆れた顔で春日が見ていると、隣に立つ和都の顔が赤い。そういえば、和都の巻いているグレーのマフラーには、見覚えがある。

「そのマフラー、先生のだよな。お揃いになったのは先生が、っていうよりお前がそうした感じか?」

「……ユースケ、黙って」

 初めての一人ではないクリスマスは、なかなか良い時間を過ごせたらしい。

 春日は口の端だけで小さく笑うと、和都の抱えていた保温バッグを持ち上げる。

「他に運ぶのは?」

「あ、えっと。レジャーシートくらい、かな」

「じゃあそれはお前が持て」

「うんっ」

 クーラーボックスに保温バッグ、レジャーシートなどを持った四人は、車を駐めた場所から少し奥まった方へ足を向けた。

 石段の跡が残る坂道を上っていると、ちょうど登りきったあたりに、朱塗りの真新しい鳥居が建っている。

「あ、鳥居できてる!」

「おー。実家と安曇に掛け合って、建ててくれるように伝えてたんだけど、どうやら年明けには間に合ったみたいだな」

 鳥居をくぐると、雑木林に囲まれた空き地が広がっていた。白い砂利石が辺りに敷き詰められ、奥のほうには小さな祠と、しめ縄の掛けられた切り株。

 その手前で、小坂と白い狩衣に長髪長身の青年が、羽つきをしていた。そしてその様子を、奥にある切り株の前に座った黒い狩衣の男が眺めている。

「えっ!? 小坂と……あれ、だれ?」

 菅原と春日が驚いて立ち止まっているのを見て、ああそうだった、と和都は思い出した。

「ああそっか、二人は知らなかったんだっけ」

「白いのがハクで、黒いのがバクだよ。きちんと神様の名前を持ったお陰で、ああいう姿になったんだ」

 仁科が指を差して説明していると、こちらに気付いた小坂が大きく手を振る。

「おーい、こっち来いよぉ!」

「今行くー!」

 和都はそう返して、ハクたちの方へ足を向けた。



 御神体にもなっている切り株のそば、砂利石のない平らな場所にレジャーシートを敷くと、和都は保温バッグから重箱を出して広げる。

「お、うまそう!」

 三段に分かれたお重の中は、いなり寿司や筑前煮、だし巻き卵に鯖の塩焼き、ほかにも角煮や昆布巻きと言った主に和の料理が敷き詰められていた。

 その出来栄えに、菅原が感嘆の声を上げる。

「すげー! めっちゃおせちじゃん! どうしたのこれ……」

「今朝、作ってきたんだ。ハク達にお供えになるものがあったほうがいいかなって思って」

 取り皿とお箸を配っていた和都がそう答えると、すでに手をつけていた小坂とハクが大声をあげた。

「マジで!」

〔ボクたちのために!? わー嬉しい!!〕

 ハクは頭の上に生えた三角の犬耳をピンと伸ばし、ふさふさの白いしっぽをまるで犬のように左右に揺らす。

「うん、やっぱり美味いな」

「はー、相模まじでいいお嫁さんになるわぁ。……ねぇ、先生?」

「……俺に振らないで、菅原クン」

 菅原はどうしても、仁科と和都の関係を擦らずにはいられないらしい。

 和都が呆れていると、黒い長髪に黒い肌、ハク同様に黒い犬耳を頭上に生やし、金色のツノが額から伸びるバクが肩をツンツンとつついてきた。

〔カズト、酒は持ってきているか?〕

「ああうん、ちゃんとあるよ」

 言われてクーラーボックスを開け、和都は清酒を取り出してバクに見せる。

 すると、バクは和都の目の前でおもむろに手のひらを広げた。が、なにも無かったはずの手のひらの上には、どこからともなく朱塗りの大きな盃が現れる。

「……わっ」

〔ここに注いでくれるか〕

「うんっ」

 和都がゆっくりと盃に酒を注ぐと、たっぷりと注がれた酒の表面が金色に光り出した。そしてそれをバクがゆっくりと飲み始める。

〔……うん、いい酒だ〕

 半量ほど飲むと、バクは小坂と競うように料理を食べているハクのほうを見た。

〔おい、珀之守はくのかみよ〕

〔なぁに、莫之守ばくのかみ。あ、御神酒!〕

 すぐにバクの隣りに文字通り飛んでくると、盃に残っていた酒を一気にあおって飲み干す。

 それを見届けたバクはうん、と頷いた。

〔これでひとまず、新たな歳を迎えたとしよう〕

 バクがそう言うと、金色の瞳が光り出し、敷地内をぐるりと渦巻くような風が吹き始める。

「え、なに? なに!?」

 驚いている間に風は止んでしまい、空からハラハラと白い花びらが降り始めた。

「……きれい」

 和都が思わず手のひらで花びらを掴むと、すぅっと消えてしまう。

〔ちょっとした余興だ、案ずるな〕

 そう言うバクのほうを見ると、どこから取り出したのか大きな扇子で口元を隠して笑っていた。

「やっぱ神様はやること違うなぁ」

「……オレはお前のその順応力が怖いわ」

 感心する小坂に、菅原が呆れた声をあげる。

「こんな超常現象のようなことをホイホイやっていて大丈夫なのか? 鳥居もあるし、何も知らない誰かが来る可能性も……」

 確かに、以前までなら誰も立ち寄らない場所だったが、今は駐車場のようなスペースに車や自転車が駐めてあり、意味ありげに草の刈られた脇道の奥に鳥居まであるのだ。興味を持った人がやってくる可能性は高い。

 春日が少し心配そうな声で尋ねると、今度は一回り小さい盃を手にしたバクがニヤリと笑った。

〔何も心配はない。鳥居を建ててもらったのでな、敷地の次元を分けることができるようになった〕

「次元をわける?」

〔ああ。もし今、ボクらが認めたニンゲン以外が鳥居をくぐってきたとしても、この切り株と祠があるだけの空き地にしか見えていないよ。認めたニンゲンだけが、ボクらの視える世界に入れるのさ〕

 バクはそう言うと、和都に酒を注ぐよう促す。和都が盃に酒を注ぐと、バクはそれを美味しそうにあおり、長い舌で舌舐めずりした。

「そっか。相模と先生以外は、基本お化けが視えないし、チャンネルを合わせてもらわないといけないって話だったもんなぁ」

「つまり俺たちは今、普通の人間には視えないほうのチャンネルの世界にいる、というわけか」

〔まぁそういうことだ。鳥居はニンゲンを異界に運ぶゲートになってくれるからね。ボクらもイチイチ出てくる必要がなくなるから、楽なんだよ〕

 なるほどなぁと感心していると、菅原がそういえば、と小坂の方を見る。

「そういや小坂、お前なんか全然驚いてないけど、なんで?」

「ん? ああ。おれ、週一でここ来てるからな」

「えっ!? そうなの?」

「実は小坂商店に、週一でここへのお供えを依頼してるんだよね」

「はぁ?」

 小坂の代わりに答えた仁科に、菅原が驚愕の表情を向けた。

 この土地を管理している安曇家が、事情を知っている人間がいるということもあって、お供えの配達依頼と銘打ち、参拝と管理を山の麓の商店街にある小坂商店に依頼したらしい。

 商店の配達を普段から手伝っている小坂は、毎週この場所へやって来ており、ハク達の姿や鳥居による視えかたの違いも、一足先に知っていたようだ。

〔コサカが毎週来てくれるからね、ボク寂しくないよ!〕

「おれもいい体力づくりになるしな!」

 どうやら小坂商店は、とてもいいお得意さんを得たらしい。



 気付けば重箱の中身はほとんど無くなってきていた。

 きっと一般的な初詣とは違うのだろうが、神様と知り合いであるなら、こういうのも悪くないだろう。

 保温ポットに入れてきたお湯で食後のお茶を飲んでいると、小坂がそういえば、と口を開いた。

「なんで春日は、相模に霊力を分けてやれないんだ?」

 和都もそういえば、と気付いて春日を見る。

「波長が合ってて霊力があれば、分けられるんだろ? それなら春日も相模に分けてやれるんじゃねーの?」

「……たしかに」

 春日とは、自分と波長が合っているから執着も過剰にならないし、霊力を持ってないから状態が改善しないのだと思っていた。けれど、バクによれば春日は視るチカラはないものの、仁科並に強力で膨大な霊力を持っているらしい。それなら、春日からも霊力を分けてもらえるはず。

 和都が慌てて振り返ると、バクは切り株の前で横に寝そべり、片肘をついていた。そして、ああ、なんだ、という表情で。

〔気付いてなかったのか。ユースケはカズトと波長が合っているわけじゃないし、きっちり『魅了』がかかっているぞ?〕

「えっ!?」

〔ボクの目はね、見つめた人間をそいつの理想の姿に錯覚させることが出来るんだ。そして手に入れることだけを考えさせ、心から渇望させる。だから理性のない、欲に塗れた鬼やそれに近い人間は、考えなしに惹き寄せ、襲ってくるんだよ〕

 最初は意識していなくても、まるで呪いのように惹き寄せる。それが『魅了』の力。

 六本の細長い瞳孔が花のように広がる瞳をキラリと光らせ、バクが春日へ視線を向ける。

〔ユースケ。お前時々、カズトが焦がれていた人間に重なって見えたこと、あるだろう?〕

 バクの言葉に、春日がハッとしたように目を見開いた。

 似ていないはずのあの人と、何故か姿が重なって困惑した覚えがある。

「……なるほど。あれは、そういうことか」

「え! 春日の好きだった人!? だれだれだれ!」

 途端に菅原が騒ぎ出したが、春日は眉を顰めて横を向いた。

「……言うわけないだろ」

「ええーー!」

 菅原と春日の様子に、バクが扇子で口元を隠しながらクツクツ笑う。

〔それでもカズトに手を出そうとしなかったのは、ユースケの理性と精神力が並外れているからだ。見事なものさ〕

 かつて祟り神として和都に取り憑いていたバクは、扇子をそのままに、スッと目を細めた。

〔──カズトが中学生の時、あまりに邪魔だからかなり強めにかけたりもしたんだがな。たいして意味をなさなかった。……本当、忌々しい奴よ〕

 中学時代、いくども死の淵へ追いやられる和都を、春日はその度に引き留め、救い上げている。その元凶であったバクにとって、春日はなんとも厄介な存在であったらしい。

「まぁでも、春日がそんな奴だったお陰で今の状態なら、いーんじゃねぇの?」

〔……コサカの言う通りだな〕

 怒りから生まれた祟り神。

 やってきたことは間違っていたかもしれないが、だからこそ、今は和都や仁科家を助けるモノとして存在しているのだ。

〔今、カズトに残っている『魅了』の力も以前ほど強くはないから、安心していいぞ〕

 バクの言葉に、和都はホッと胸を撫で下ろす。

「まだ、ちゃんと視えないことも多いんだけど、霊力が戻ったらその『魅了』もコントロールできるようになるの?」

〔ああ。必要に応じて特定の人間や怪異に向かって使えるようになるぞ。まだもうしばらくは難しいだろうが……。その目の霊視力が以前ほどになれば大丈夫だろう〕

「そっか」

 左目に残った、バクのチカラ。この先も付き合っていくことにはなるが、昔ほど不安はない。

 ──きっと、みんながいてくれるからだ。

 和都が全員の顔を見回していると、バクの言葉に菅原がニヤニヤしながら、仁科のほうを見ている。

「てことは、先生はまだ日課のでこチュー続けられるわけですね? よかったですねぇ」

「学校でアレ以上のことしたら、先生でも報告しますからね」

「だからしないってば!」

 菅原と春日の追い討ちに、仁科が呆れたように返していて、和都は笑ってしまった。



 食後の運動と称し、和都達はハクを交え、広い空き地を使った二対二の羽つき大会を始めた。どうしても春日の好きだった人を知りたい菅原が、対戦しようと言い出したらしい。

 仁科とバクは切り株の側からその様子を見守っていた。

「……なぁ、聞いていいか?」

 カン、カン、と羽を突き合う音の隙間で、仁科がそう口を開く。しかしバクは、盃をあおると、ふん、と鼻を鳴らした。

〔カズト以外の、かつて憑いていた人間の記憶なら、殆ど忘れてしまったよ〕

 かつて仁科家の末子を苦しめる祟り神だったバク。その祟りにより、自ら命を絶った仁科の末弟・雅孝が死に至った理由や真相を聞きたいと思っていたのだが、バクには仁科の聞きたいことなどお見通しだったらしい。

〔──マサタカが、どんな気持ちでお前に最期の連絡をしたと思っているんだ〕

「……!」

 死ぬ直前の最期の電話。それがあったことを知っているのは、ごく一部の身内か本人だけである。

〔お前に話せなかったことを、暴いてやる気はない。それがボクに出来る、彼への贖罪でもある〕

「そうか……」

 バクは忘れたわけではなく、忘れたことにしているのだ。

 雅孝をはじめとする、死に至らしめてしまった魂たちのために、彼らの苦しんだ記憶を全部、バクは一人で抱えておくつもりなのだろう。

〔……だが、カズトに関してなら話しておきたいことがある。アイツはまだ生きているし、この件については覚えていないだろうからな〕

「なんだ?」

 バクがジッと仁科の顔を見つめた。

〔アイツは、影を刻まれている〕

「影?」

〔ああ、呪いとでも言うべきかな。かなり半端な状態だが、条件が揃うと発動する。そういうものを刻まれている〕

 そう言ったバクが、羽つきの点数係をしながら笑っている和都に視線を向ける。仁科もつられて和都を見たが、特に変わったところは見えない。

「そんな気配、全く感じないんだが」

〔まだ発動していないし、刻まれていることを知らなければ分からないレベルのものだ。それにお前は感知能力が低いからな。ユースケが霊力を持っていることすら、全く気付いていなかっただろう?〕

「……う」

 バクが金色の目だけでチラリとこちらを視た。改めて言われると、頭が痛い。

〔分かるようになっておけ。今のままでは、発動しても見逃すぞ〕

「わかったよ」

 前もって言われるということは、よほど厄介なものなのだろう。それであれば一度安曇の家に行き、莫之守からの言葉として相談しておいたほうが良さそうだ。

〔……ひどく、不気味なヤツだった。見た目と内側の差が、あそこまで酷い奴は初めて見た〕

 バクはそう言うと、着ていた着物の袂から何かを取り出し、仁科に差し出す。

〔これを渡しておく〕

 手渡されたのは、手のひらで包めるほどのサイズの、白い勾玉。丸に牙の生えたような形をした石の中央には、金の丸が描いてある。

「これは?」

〔必要になったらこれを触媒にハクを呼べ。主従の契約はないが、お前の霊力なら呼び出すくらいは出来るだろう〕

 白い雲を固めたような勾玉は、陽光に透かすと内側でその雲が蠢いているように見えた。極限にまで神力を圧縮してあるのだろう。

「……お前が来てくれるわけじゃないのか」

〔ボクの分身のようなものであるカズトを、ボクが守れるわけないだろう? ボクを守るのはハクの仕事だ〕

「なるほど、ありがたくいただくよ」

 仁科はそういうと、大事そうにコートの内側のポケットに仕舞った。

〔使われないことを祈っているが、あの影と刻んだ奴がいる限りは必要になるはずだ。気をつけろよ〕

「……ああ」

 バクは言うだけ言うと、金色の瞳を閉じてしまう。仁科は仕舞った勾玉を入れた辺りをギュッと握りながら、その顔に小さく頷いた。



 日が暮れ始め、五人はハクとバクに別れを告げると、鳥居をくぐる。

 朱塗りの鳥居を改めて見上げた和都が、なんだか物足りなさを感じて立ち止まった。

「……この鳥居さ、真ん中に額がない、ね?」

 言われて他の四人も見上げる。確かに、他の神社ならよくある、横に渡された二本の柱の中央にあるべき額がない。

「ああ、神額のことか? そもそもここは正式な神社になってないしな」

 仁科の言葉に、そういえばそうだった、と和都も思い直した。

「元々『白狛神社』があった場所だし、『白狛神社』じゃだめなんですか?」

「でも、その『白狛神社』は移動して今も安曇神社にあるし」

「そっか」

 かつてここに祀られていた神様は、小さくはあるが安曇神社の敷地内にきちんと存在しているので、その名前を冠するのはやはり不自然だろう。

「じゃあ、新しく名付けちゃえば?」

「『狛山神社』とか?」

「それ、反対の麓に残ってる神社の名前だよ」

「あ、そうだっけ」

 かつてこの狛山には四つの神社があった。しかし白狛神社を含めた三つが移動してしまい、一つだけ駅のある方とは反対側の麓に現存している。その神社の名前は『狛山神社』だったはずだ。

 そうなると、名付けるには新たな名前を考えなければならない。うーんと頭を捻っていると、小坂がああそうだ、と思いついたように言った。

「じゃあ『狛杜神社』は?」

「えー、なんかありそうじゃない?」

「以前、周辺の神社を調べた時には見かけなかったぞ」

「いーんじゃない?『狛杜高校生が見つけた幻の神社』なわけだしね」

 二学期に行われた文化祭では、和都達の調べたこの神社に関する情報をもとに『お化け屋敷』を作ったのだが、そのレポートがよく出来ていたということもあり、地元の新聞で少しだけ取り上げてもらったことがある。

 その時の見出しに『狛杜高校生が見つけた幻の神社』と書かれていたのだ。

「まぁ、関わった人間全員が狛杜高校生だしね」

「じゃあ『狛杜神社』で!」

「ちょうど、安曇に行く用事があるから、ついでに名前のことも言っておくかな」

 そんな話をしながら帰っていく和都たちを、白い狼と黒い狼が鳥居の上から眺めていた。本来の、神獣としての姿のハクとバクである。

〔『狛杜神社』か。悪くない名前だな〕

〔うふふ、ついに名前まで付いちゃったね!〕

 白い狼姿のハクが、楽しそうに大きなしっぽを左右に揺らした。

〔そのうち、社を建ててもらえるかもしれないぞ?〕

〔いいね! そしたらまたいっぱい人間くるかなぁ〕

 バクはかつてここにあった、白狛神社の姿を思い出す。

 朱塗りの鳥居に参道、拝殿と本殿があって、大好きな宮司達が参拝する人々に手を振る姿。

 あの穏やかだった日々を、また送れるだろうか。

〔……そうなるといいな〕

 バクは金色の目を細め、呟くように言った。



 ◇



 小坂は自転車で先に帰ってしまい、車で狛山駅までくると、電車で帰るという菅原を降ろした。

 あとは、狛杜公園前駅近くにある春日の家まで行って、そのまま仁科の家に帰る予定だったのだが。

「……あれ、寝てる」

 仁科が隣の助手席を見ると、シートベルトをつけた和都が背もたれに背中をしっかり預けて、ぐっすりと眠っていた。

 後部座席から覗き込んで様子を見た春日が、口の端を小さく上げて笑う。

「今朝、何時起きだったんですか?」

「わかんない。多分、五時かもうちょい早いぐらいじゃないかなぁ。気付いたらもう起きて調理してたから」

「……そうですか」

「年末の買い出しから張り切ってたからねぇ」

「でしょうね。だいぶ気合い入った弁当でしたし」

 年の瀬の大晦日、年明けのお参りの時におせちを持っていきたいのだと言って、和都は楽しそうにスーパーで食材を買い込んでいた。その買い物に付き合った仁科は、その様子を思い出して目を細める。

「料理するとは聞いてたけど、なかなかの腕でビックリしたよ。うち来ると、だいたい外食しちゃうからさ」

「……アイツの料理は、なるべく食べてやってください」

「そりゃ作ってくれたら、ありがたく食べるけど。なんかあるの?」

「和都が『父親にしてあげたかったこと』の一つなんで」

 春日が車窓を流れる景色を見ながらそう言った。

「してあげたかったこと?」

「和都が料理を得意なのは、退院した父親に料理を振る舞いたくて練習したからなんですよ」

 当時小学生だった和都は、自分に妙な執着をしない家庭科クラブの先生から、病気で入院した父親がいつか退院した時、自宅で食べてもらえるような家庭料理をいくつも教わって練習していたらしい。

 しかしそれは叶うことなく、父親はそのまま病院で息を引き取ったそうだ。

「……そうだったのか」

 仁科はチラリと横目で助手席の和都を見る。

 そんなことを微塵も感じさせず、今朝は楽しそうに料理をしていた。

「あと、先生」

「なに?」

「今日はこの後、何か予定はありますか」

「ないけど、なんで?」

 思いもよらない言葉に、仁科がバックミラーごしに後部座席を見ると、外を見ていたと思った春日が、じっとこちらを見ている。

「俺を降ろした後は、和都の家に寄ってやってください」

「え、なんで?」

「……明日、親父さんの命日なんです」

「マジか」

「はい」

 春日の返答に、仁科は深く息を吐いた。

 実の父がいつ頃亡くなったのかまで、和都には聞いていない。年越しを妙に高いテンションで過ごしていたのも、命日が近いせいだったのだろうか。

「はーー、そうだったか……。教えてくれてありがとね」

「いえ」

「……まーだ信用が足りないんかな」

「単純に、甘え方を知らないだけだと思いますよ。変なとこ気にするんで」

「そうだといいな」

 そんな話をしているうちに、春日の家の近くまでやってきていた。

「今日はありがとうございました」

「いーえ。こっちこそ、大事な情報をありがとね」

 車を降りた春日が、未だ助手席で眠ったままの和都を一瞥する。

「……くれぐれも、健全にお願いしますね」

「わかってるよっ!」

 ではまた学校で、と言いながら春日がドアを閉めたので、仁科は車を和都の自宅の方へ向けて発進させた。

 あっという間に着いてしまったが、日暮れも早いせいか、山を降りた頃より辺りはすっかり暗い。

 和都の自宅近く、街路灯の点き始めた公園寄りの空いたスペースに車を駐め、エンジンを切る。それからまだ眠り続ける和都の肩を大きく揺すった。

「和都、起きろっ」

「……んぇ。もう着いたんですか?」

 ぐっすり眠っていたらしい和都が、目を擦りながら凭れていた身体を起こし、ぼんやりした目で外を見る。が、仁科のマンションの駐車場ではないことに気付いて、大きく二回瞬きをした。

「……え、うち?」

 驚いてこちらを向いたので、仁科は優しく笑いながら和都の頭を撫でる。

「明日、親父さんの命日なんだってな」

「……なんで、知って」

「春日くんに教えてもらったよ。挨拶、させてもらっていいか?」

 仁科の言葉に、和都の大きく見開いた目がゆっくりと潤んで滲んだ。

「……うん」

 二人して車を降りると、玄関に小さなしめ縄飾りがあるだけの、人の気配のしない家に向かう。

 中に入ると、室内はしんと静まり返って薄暗い。和都は玄関と、奥の部屋に繋がる廊下の明かりだけをつけて上がった。

「うち、仏壇とか神棚とか、そういうの無くてさ」

 ミシミシと小さく軋む廊下を歩きながら、後ろについてきた仁科に和都が困ったように笑いながら言う。きっとそれも、お墓や死者に近寄らせてはいけないという霊能者の言葉を信じていた母親のせいだ。

 二階に繋がる階段の近く、廊下の突き当たりにある部屋の引き戸を和都がそっと開け、明かりをつける。

 シーズンオフのものと思われる衣服や棚の置かれた、小さな部屋。

 その一角にあるチェストの上に、位牌と遺影が置かれているだけだった。

「お線香とかロウソクとか、そういうのも母さんが嫌がるから、置けなくて」

「……墓の場所とかは、聞いてないのか?」

「うん、二十歳になるまでは、教えられないって」

 きっと母親の小春は、和都の状態が改善したことを未だに認められないのだろう。そして、彼が二十歳までに死ぬかもしれないことも知っていて、だからこそ、その心配がなくなる二十歳を期限に設けているのかもしれない。

 ──だから、面談の時に驚かなかったんだな。

 修学旅行よりも前、安曇の伝手を使って学校まで引き摺り出し、担任の後藤も交えて行った面談で、小春は和都が二十歳前に死ぬ祟りを受けていたことを話しても、たいして驚かなかった。

 やはり和都の母親は、一筋縄ではいかないらしい。

 沈んだ顔で遺影を見つめる和都の頭を、仁科は優しく撫でる。

「……気持ちは伝わってるから、大丈夫だよ」

 遺影に映る、優しく微笑む男性の顔は、和都によく似ていた。

「手合わせていい?」

「あ、うんっ」

 和都と仁科は揃って手を合わせて目を閉じる。

 不可思議な特性を持つ和都を残し、独り旅立ってしまったこの人は、どれほど悔しい思いをしていることか。

 ──見守ってやってください。

 きっとまだこれからも、和都はいろんな問題に直面する。代わりとまではいかないが、そばで出来る限り支えてやりたい。

 ふっと目を開けると、和都がこちらを見て、なんだか嬉しそうに笑っていた。

「……お前、父親にソックリだな」

「へへ、よく言われる」

「俺の母親の、祖父じいさんにも似てるから、そっちの血かもな」

「そうなの? でもたしか曽祖母ひいおばあさんが兄妹なんでしたよね?」

「あー、祖父さん側も安曇の親戚でね。上の世代は結構、血族内での結婚が多かったから」

 強い霊力を維持するため、仁科家を含む安曇家は未だ親戚縁者での婚姻を優先しようとしている。未だ解消されない仁科と凛子の婚約もそのせいだ。

 ──問題は山積みだなぁ。

 けれど、大切な人の隣にいるためならば。

「祖父さんの写真、うちのアルバムになかったかなぁ」

「え、本当? 見たい!」

「じゃあ帰ったら探してみるか」

「うんっ」

 楽しそうに答える和都の肩を抱くと、嬉しそうに笑う。

 そのまま部屋の明かりを消して出ると、廊下と玄関の明かりも落とし、二人は家を後にした。

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