時代劇の悪代官に転生してしまったので成敗エンドを回避しようとしたけど、上様に全部持っていかれた

劉度

哀愁切々 吉宗よ怒りを燃やせ

8時

「皆の者、おもてをあげよ」


 命じられるがままに顔を上げた西川にしかわ土右衛門どえもんは、生まれて初めて将軍の顔を見た。

 鋭くも優しい目、真一文字に引き結ばれた口、それらを備えた無駄のない輪郭。同性の西川ですら一目で憧れてしまう程の男前だった。

 松浦まつら健太けんた。日本を代表する時代劇俳優、それも若さと貫禄が絶妙な均衡で釣り合ったシーズン5のころの顔である。テレビの画面越しとは別物の男前オーラを受け、西川は頬を緩めた。


 シーズン5?

 知らない言葉が脳裏に浮かび、西川は困惑する。


 途端、西川の脳裏に過去の記憶が蘇った。それは彼が西川土右衛門として生を受ける前、今から300年以上後の日本で生きていた頃の記憶である。

 地方公務員として一生を終えた彼は、定年を迎えた後、テレビで再放送されていた時代劇にハマった。『副将軍紀行』『一文十手』『仕留めてそうろう』『発狂頭巾』『破壊奉行』『江戸三羽烏』、いろいろ見たが、一番面白かったのは『将軍乱舞!』だ。

 『将軍乱舞!』とは、江戸幕府の八代将軍である徳川吉宗が正体を隠して江戸の町に繰り出し、そこで出会った様々な事件を解決するという時代劇だ。一話完結の勧善懲悪という痛快なストーリー、吉宗を演じる松浦健太の整った風貌、悪党を成敗するハイレベルな殺陣たてが幅広い視聴者を虜にし、シーズン12まで続く大ヒット作となった。

 西川も『将軍乱舞!』を大いに楽しんだ。他の時代劇もつまみながら全話観て、二周目に突入するほどだった。残念ながら途中で寿命が尽きてしまったが。


「お主らに任せるのは、余が将軍となって初めて開発した新田じゃ。腕を奮って、豊かな村に育ててくれ」

「ははーっ!」


 吉宗の言葉を受けて、周りの旗本たちが一斉に頭を下げた。西川も慌てて頭を下げる。

 吉宗が部屋を去る。続いて、居並ぶ旗本たちも部屋を出ていく。西川も流されるように部屋を出た。


「ワシ、死んだはずなんじゃがなあ……」


 江戸城の廊下を歩きながら、西川は考える。自分は死んだはずだ。しかし今は『将軍乱舞!』の世界の旗本、西川土右衛門として生きている。

 転生、というものだろうか。孫が見ていたマンガを思い出した。


 好きなドラマの世界に転生したが、西川はちっとも喜べなかった。なぜなら西川は『将軍乱舞!』シーズン5第85話「哀愁切々 吉宗よ怒りを燃やせ」に出てくる悪代官だからだ。

 西川土右衛門、悪役俳優として有名な川上かわかみ信彦のぶひこが演じるこの男は、農民たちから過剰に年貢を搾り取り、更にその年貢を横領し、密告する者は刺客を放って殺すなど、悪の限りを尽くしていた。それが吉宗の怒りを買い、共犯の越後屋共々成敗されたのだ。

 つまり、このままでは西川は殺されてしまう。それだけではない。悪事を働き将軍に刃を向けた罰として、家族も連座させられ、家もお取り潰しになるだろう。


 自分の顔を見た時に、川上信彦そっくりだと思い出すべきだった。そうすれば代官の就任をなんとしても断ったのに。まさか自分の顔ではなく、大スターの松浦健太の顔で前世を思い出すことになるとは思わなかった。

 こうなってしまった以上、何としても成敗エンドを回避しなければならない。しかし、その方法は限られる。

 まず、吉宗を返り討ちにするという方法は不可能だ。将軍が強すぎる。ドラマでは毎回20人ほどの悪党を薙ぎ倒している。時代考証を無視した舶来物の六連発銃リボルバー回転式火縄銃ガトリングガンすら制したこともあった。万一討ち取れたとしても、次は幕府軍が旗本八万騎を引き連れてやってくる。詰みだ。

 ならば悪事を隠し通すか。これも難しいだろう。ドラマで出てきた密告者は1人だったが、その前にも多くの密告者が江戸に向かったという話があった。西川が悪事を働く限り、密告者は生まれ続けるだろう。それらすべてを阻止できるとは思えない。


 となると、西川にできることはひとつしかない。


「横領なんてしないで、越後屋とも付き合わないで、真面目に働こう」


 代官の任期は三年。その間に吉宗に目をつけられないように代官の責務を全うする。

 西川の孤独な戦いが始まった。

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