短編集

再々試

第1話 鰻

「兎、あんたこの家出てき。」


中学3年生の秋いきなり母親から告げられた。

ぼさぼさの髪によれたシャツ染みのついたズボンを着た母親は罪悪感の一つも無さそうにテレビを見ている。


「何で?あたしまだ中学生やで。」


「もうあたしは育てられん。東京の正樹の家

 に行ってーな。」


正樹とは母親の弟、つまり叔父だ。


「学校はどうすんねん。あたし陽ちゃん達と離れとうない。」


「知らんわそんな事。捨てへんだけ感謝して。」


「そんなん当たり前やん。なあ何でそない身勝手なん?一度もあたしに母親らしくした事ないやん。何であたしのこと産んだん?育てられへんやったら産まんでよ。」


必死に叫んだ言葉も母親には届かなかった。

いや届いていないふりをされただけかもしれない。


「もうええわ何言っても伝わらんわ、陽ち

 ゃん達の所行ってくる。」


そう言って私は家を飛び出した。本当は違う。

あそこに母親と同じ空間にいたくなかったのだ。近くの公園のブランコに揺られてぐらぐらと煮えた心を冷ました。秋風が心の穴を吹き抜けていく。

それからニヶ月後


「兎そろそろ出る時間やで」


母親に言われて家を出た。もうこの家には帰ってこない。そう兎は決意した。


「最後になんかいっしょに食べいくか」


母親の気まぐれで空港の近くの鰻屋で昼食を食べる事にした。


「蒲焼定食と鰻重一つ」


ご飯が来るまで兎は何だか気恥ずかしく膝の上に乗せた自分の手を見ていた。

ジュゥゥゥ

鰻を焼く音が聞こえてくる。母親は金銭に困っている筈だがこんな所に行く金はあるのだろうか。


「お待たせしました、蒲焼定食と鰻重です」


湯気の経った鰻が目の前に運ばれてきた。タレがかかったご飯がその下に見えている。

カチャ

一口口に入れた瞬間熱気が口に広がった。できたてなのだろう。いつものレンチンの後のコンビニ弁当とは違った温かさがあった。


「体に気いつけるんやで」


母親が唐突に放った言葉を兎は上手く掴まえられなかった。あっという間に吹き抜けていった言葉に兎は戸惑った。


「分かっとるそないな事」


か細い声が飛んでいった。母親の方を見たいが見れなかった。今どんな顔をしているのだろう。


「お会計4382円になります。」


「兎はよ行きなさいそろそろ時間やで」


「うんじゃあね」


母親が何か言ったが聞き取れなかった。どうせ碌なことでは無い。でも聞きたかった。


「兎ちゃんお母さんね昨日亡くなってるとこ

 ろが見つかったらしいんだ。一緒に警察に

 行こう。」


そう叔父から告げられた時何故だか鰻を食べた時を思い出した。炭とタレの味がした鰻を何故だか私は思い出した。



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