グリモア・コレクト ~世界中にばらまかれた異能禁書を回収するために、異能の力を使って頑張ります!~

ケロ王

第1話 妖刀首斬

 都会の夜闇の中、一人の少女が人気のない公園を駆けていた。その右手には抜き身の刀。その刀身は血にまみれて、月の光に照らされて紅く輝いている。


 ふと、彼女の足が止まる。くるりと顔をそちら――憐れな犠牲者の方へと向け、駆け出した。


「ん? ひっ、ひぃぃぃ! た、助け……」


 男の首がゴロンと落ち、遅れて首から下が仰向けに倒れる。彼女の血塗られた刃が横薙ぎに振るわれ、男の首を鮮やかに斬り落とした。


 男の亡骸を前に、少女は高らかに笑い出した。


「あはははは、死ね、死ね、みんな死ね! 私をおとしめ、私をけがし、私をみ、私をいとう。そんな世界のヤツらなど、生きている価値などない!」


 彼女の刀はいっそう妖しく光り、さらなる得物を求めんと彼女をつき動かす。ふたたび駈け出そうとして――彼女は足を止める。そして歓喜の表情を浮かべ、足音のする方へと視線を向ける。


「やれやれ、間に合わなかったかぁ」

「凪よ。お前が支度に手間取るからだぞ!」

「ふん! せっかく女の子になったんだから、おしゃれするのは礼儀なんだよ! まったく、これだから男ってやつは……」

「やれやれ、お前も少し前まで男だったではないか!」

「僕を女の子にしたビーちゃんが言う?」

「我はビーちゃんではない。ビブリアという名前があるのだ!」


 夜闇から姿を現した少女――不知火凪しらぬいなぎは刀を持った彼女を見ても恐怖することなく、頭上に鎮座している黒猫とのんきに話をしていた。

 凪は黒いボブカットの髪にクリっとした目とふっくらとした唇の幼い風体。中学校の制服を身に着けていた彼女は、刀を持った少女を見つめたまま指差した。


「さて、あなたには二つの選択肢があります。一つは、その異能禁書グリモアを大人しく引き渡すこと。もう一つは、私に抗って、その命をもって償うことです!」


 それは少女にとって選択肢でも何でもなかった。命はもとより、彼女の得た力。それは命と同じくらい彼女の存在意義となっていたからだ。


 少女は迷わず剣を横に薙いだ。


「ひゃっ!」


 とっさに屈んだ凪の髪がわずかに斬られてひらひらと舞う。彼女の刀――妖刀首斬ようとうくびきりの斬撃は見えないはずである。生み出された飛ぶ斬撃は隔日に彼女の首を斬り落とすはずであった。


 だが、結果は凪の髪をわずかに斬っただけであった。


「おい、何をふざけてるんだ! さっさとお前も異能禁書グリモアを展開しろ!」

「むぅぅ、分かってるって。異能禁書グリモア蟲毒大全こどくだいぜん解放アクティベート!」


 彼女の胸の当たりから、光り輝く一冊の分厚い本が現れる。そのページが開くと共に彼女の姿が光に包まれた。光が収まると、凪の服装は先ほどの制服から、水色の内衣の上に桃色の上衣をまとった姿に変わる。右手には短いカラフルなステッキが握られていた。


「よし、これであなたの思い通りには――うわわわっ!」


 前口上のあいだにも、少女は刀を振るい斬撃を飛ばしてくる。凪は慌てて回避するが、いきなり防戦一方となっていた。


「おい、凪。ふざけるのもいい加減にしろ! こんな紙片相手に何をてこずっているんだ!」


 異能禁書にもランクがある。凪の持っている蟲毒大全は全書オリジンという最高ランクのもの、一方、少女の持つ妖刀首斬は紙片ピースという最低ランクのものだ。しかしランクが上ならば、あらゆる面で強いというわけではない。剣での戦いという一点に限れば、凪の異能禁書グリモアは無力だった。


「そんなこと言ったって、僕のは直接戦うのに向いてないんだよ!」

「そんなこと分かっておるわ! なんで相手の得意なフィールドで戦おうとするんだ?」


 少女は相手を防戦一方に追い詰めている。一方の凪は、それを必死の形相で回避している。それにもかかわらず、普通のことのように黒猫と言い合っていた。それが少女のプライドを逆撫でする。


「ふざけてるのは、お前ら二人だ! 私の力に、なぜ屈しない! なぜ生きている!」

「ほらみろ、凪。お前がちゃんと戦わんからだ!」

「ふん、見ているだけなのに……。ずいぶん偉そうだねッ!」

「うがあああああ、死ねえええええ!」


 怒りにまかせて剣を振るう少女を無視して、さらに言い合う一人と一匹。それが彼女の怒りを限界突破させた。あらんかぎりの殺気を込めて振り下ろされた刀から放たれる極大の斬撃――。


「蟲毒、毒蜘蛛!」


 その斬撃は、凪の前に現れた巨大な影のように黒一色の蜘蛛に呑み込まれた。それは彼女の臍の辺りからあふれ出す漆黒のどろりとした液体。常人であれば見ただけで吐き気を催すようなおぞましいモノ。それが蜘蛛の身体を形作るものの正体であった。


「そんな攻撃効かん……うっ?!」


 初手、蜘蛛は漆黒の糸で少女を絡めとろうとする。それを刀で斬り落とし――だが、それは悪手であった。斬り落とした糸、その正体は蜘蛛の毒そのものであった。液化した糸――蜘蛛の毒は、重力にしたがって彼女の身体に降り注ぐ。


「か、身体が……うご……ん」


 蜘蛛の蟲毒は獲物を殺すためのものではない。捕食するために動きを封じるためのものだ。それを浴びた少女は、あっという間に指一本すら動かすことができなくなった。


「これで終わり……」


 凪のつぶやきに合わせて、蜘蛛の身体が少女にのしかかる。その牙が彼女の身体に食い込み、彼女の存在そのものを吸い取っていく。


「あ、ああ、あああ……」


 苦悶の表情を浮かべているのだろう、そう感じるようなうめき声が漏れる。実際には身体が動かないので表情が見えるわけではない。だが、自らの存在を喰われる苦しみは、異能禁書グリモアによって自我を肥大化させられた人間にとっては死よりも苦しいものだ。


「あ、ああ、あああ……」


 だが、苦しんでいるのは少女だけではなかった。蜘蛛に存在を喰わせているはずの凪もまた、同じように苦しんでいた。


「やれやれ、普通に喰わせればいいのに。存在を喰わせたら、どうなるかなど理解してるだろう?」

「う、うるさいな! これは僕のけじめなんだよ!」


 苦しんでいる凪の傍らに立つビブリアは、彼女を見下ろしながらため息をついた。蟲毒によって作られた蜘蛛はいわば自分自身。それが少女の存在を喰らうということは、凪の中に彼女の存在全て――過去の記憶や経験、知識、願望などあらゆるものが入ってくるということに等しい。


「う、うわあああ――」


 少女の存在を蜘蛛が喰らい尽くし、抜け殻だけになったのと同時に凪の意識は闇の底へと沈んでいった。

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