第2話 父親としての本能



  ◆



 ……10分前。



「……ん?」

 私―――親船正雄は、正体不明の悪寒を感じて身震いした。……今までの経験上、これは良くないことの予兆である可能性が高い。それも、私自身ではなく、家族の身に何かあるパターンだ。

「由美は……そろそろ学校が終わって下校している時間か」

 娘の由美は、今年で中学二年生になる。今は丁度下校時間だった。妻はまだ職場だろうが、職場で危険な目に遭うことなんて早々ないし、そもそも彼女は大抵のことは自力で対処できるので、この手の予感は滅多に働かない。となれば必然、これは娘の身に何か良からぬことが起きているということだろう。下校時には危険なことも多いからな。

「由美……心配だ」

 もう中学生とはいえ、まだまだ子供である。それに、大人であっても危険な目に遭うことは少なくない。幸いにも家の掃除はひと段落したし、丁度買い出しのために家を出ようと思っていたところだ。私はエコバッグと財布を掴むと、ポケットに捻じ込んで家を飛び出した。

「とりあえず、学校のほうへ行こう」

 由美が通う中学は徒歩20分程の距離だが、走れば5分も掛からない。まずは下校ルートを辿るべきだろう。

「待っていろ、由美」

 娘の身を案じながら、私は学校に向けて全力疾走を始めた。他の歩行者を巻き込まないように細心の注意を払いながら、5分も掛からず学校に到着した。……ここまで、由美の姿は一切なかった。

「由美はまだ学校に……? いや、それならそこまで危険はないはず」

 由美がまだ下校していない可能性を考えたが、それならばこの嫌な予感は発生しないはずだと思い直す。妻もこの学校で働いているし、私が出張らなくても対処できる程度のトラブルであれば予兆を感じたりしない。思い過ごしならば笑い話で済むが、そうでなければ笑い事じゃない。

「ならば、どこかに寄り道を……? 確か、もうすぐテスト期間だったな」

 娘の動向を、少ない情報を頼りに推理する。……こういうときのために、由美にはスマホを持たせるべきか。だが、それを検討するのは後だ。今は由美の安否を確認するのが先決。

「だったら、みんなで図書館に向かってる可能性が高いな……」

 娘の行き先に見当をつけて、私は図書館のある駅方面へと走り出した。

「……ん?」

 駅に近づくにつれて、人が増えてくる。それ自体は当然のことなのだが、人々の様子がおかしい。何かから逃げ出すような、慌てた様子。嫌な予感が的中してしまったのではないか、そんな思いが強くなる。

「あれは、由美、か……?」

 群衆の奥、チラリとだが、娘らしき姿を見つけた。そちらのほうへと急ぐ。他人にぶつからないように、それでも限界まで速度を上げる。

「由美……!」

 ようやく開けた場所に出て、由美の姿がはっきり見えた。近くには由美の友達もいた。やはりこちらに来ていたか。

「あれは……?」

 すると、由美に何か黒い靄のようなものが近づいているのが見えた。あれが何かは分からないが、この騒ぎの元凶だと思われる。いや、そうでなくても、娘に害を成す可能性がある時点で看過できない。

「由美……!」

 私は全力で、由美と黒い靄の間に割って入った。拳を固めて、黒い靄に叩きつける。

「……!」

 黒い靄は、拳に当たると霧散した。とりあえず、目の前の脅威には対処できたようだ。

「……大丈夫か、由美?」

 私は振り返って、由美に声を掛けた。娘の安全を確保した後は、心身のケアだ。父親たるもの、どんなときも子供のことを第一に考えなければならない。それが私の信条だ。

「え……」

 由美は目を瞑っていたが、私の声に顔を上げて目を開いた。そして、その目が限界まで見開かれる。

「パパ……?」

「ああ、パパだよ」

 出来る限り安心させるように、由美に声を掛ける。とりあえず、怪我をした様子もないし、一安心だろう。

「下がっていなさい。由美のことはパパが守るからな」

 黒い靄は、さっきのだけではなかった。であれば、まだ気を抜けない。……親たるもの、我が子を守るのは当然だ。勿論、必ずしも身体を張って拳一つで戦う必要はない。荒事は警察にでも任せておけばいい。それでも、警察が間に合わないようなとき、己の身を盾にしてでも我が子を守るくらいの気概はあって然るべきだと思っている。だったら、取るべき行動は一つだけだ。

「……昔から鍛えに鍛えたこの筋肉、今使わずしていつ使う」

 全身の筋肉に力を込めて、迫ってくる黒い靄に拳を振るって散らす。手応えこそ薄いが、この靄を打倒せるのならば、娘を守れるのならば、なんの問題もない。

「由美のことは、絶対に守る!」

 親としての責務を果たす。そのために、私は拳を振るい続けた。

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