第1話 運命の出会い

「おい、そこの君!」

朝市の活気に満ちた街の通りで、アレン・ライトは新鮮な野菜を物色していた。英雄としての名声はあるが、地味な生活を好む彼は、こうして庶民の中に紛れて買い物をするのが日課だった。

「うーん、今日のトマトは少し熟しすぎか……」

そんなことをぼんやり考えていたアレンの耳に、突如として鋭い声が飛び込んできた。

「おい、そこの君!」

「え? 僕?」

振り返ったアレンの視線の先には、長い黒髪を風に靡かせた一人の女性が立っていた。その姿はあまりにも美しく、そしてどこか異様な雰囲気を纏っていた。周囲の人々も彼女に目を奪われ、次第にざわめきが広がる。

女性は一歩、アレンに近づく。そして――

「私と結婚しなさい。」

市場全体が一瞬で静まり返った。パンを売っていたおばさんは、手に持ったバゲットを落とし、リンゴを積んでいた少年はポロポロと果物を転がした。

「……は?」

アレンは思わず間抜けな声を上げた。

「私と結婚しなさい。」

女性はもう一度、はっきりと言い放つ。その口調には迷いも遠慮も一切ない。むしろ当然のように、まるで契約を結ぶかのような真剣さがあった。

「ちょ、ちょっと待って! 君は誰だ? いきなり結婚って、そんなの普通じゃ――」

「私はリリス。元・大魔王です。」

「……え?」

「元・大魔王です。」

その言葉を聞いた瞬間、アレンの脳内に警鐘が鳴り響いた。

「ま、魔王って……君が?」

リリスは微笑を浮かべたまま、アレンの手を取り、ぐいっと引き寄せた。

「そうよ。でも、安心して。今の私はただの女性。世界征服なんてもう興味ないわ。」

「そ、そんなこと言われても……」

アレンの困惑をよそに、リリスはまるで恋人同士のように手を絡ませてくる。その手は驚くほど冷たく、しかしどこか心地よい温もりも感じさせた。

「あなた、勇者でしょう? 私がずっと探していたの。」

「探していたって……結婚相手を?」

「そうよ。」

市場の人々は耳をそばだて、二人のやり取りを興味津々で見守っている。誰もが衝撃を受けながらも、まるで劇場の一幕を見ているかのように楽しんでいた。

「ねぇ、どうなの? 返事は?」

「待て、待て、ちょっと待て!」

アレンは頭を抱え、ため息をついた。平和な一日になるはずだった朝が、まさかこんな形で狂うとは思いもしなかった。

「……本当に、君は大魔王なのか?」

「ええ。かつてはね。でも今は、ただの花嫁志望の女よ。」

アレンは目の前の女性をじっと見つめた。そして、心の中でひとつ確信した。

――これは、厄介なことになりそうだ。

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