4.駅へ向かうタクシーにて

 配車サービスでやってきたタクシーから降りてきたのは、初老くらいの見た目をした男性型の自動人形だった。

「意外でしょう?」

「ええ、まあ」

「接客用の自動人形って、女性型がほとんどですもんねぇ」


 よく通る声で気持ちの良い笑い声交じりの言葉を投げてくる姿は、タクシーの運転手というより、農家のおじさん然としていた。

 ゆったりとした制服を着て、僕の荷物を手早くトランクに詰め込んだ彼は、後部ドアを開いて僕を促す。

「さあ、どうぞ。一軒、お迎えに立ち寄りでお間違いないですね?」

「はい、お願いします」


 友人の家にたどり着くと、玄関の前でファノが立ったまま骨壺を抱えて待っていた。

 傍らには小さなスーツケースがあり、いくつかのステッカーやキーホルダーが見える。意外だが、旅行に行ったりしていたのだろうか。

「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」

「はい、よろしくお願いします」


 簡単な挨拶をしている間に、トランクを開けた運転手が帽子を取ってファノに向けて頭を下げた。

「おはようございます。スーツケースをトランクに入れさせていただきます」

 ちらり、と彼の視線がファノが抱えるものを見たが、何も言わずにそのままスーツケースのグリップを畳み、トランクへと運び込む。


「さあ、どうぞ」

 運転手が促すまま、後部座席にファノと並んで座る。

 軽く触れた肩の感触は、柔らかで人間とほとんど区別がつかない。

「どうかされましたか?」

「いや、こういう時、人間相手ならよく眠れたかと聞くのでしょうけれど、と考えていまして」


 ファノの額、左寄りにあるパネルには、彼女の状態が『正常』であることが表示されているし、何かの不調があればはっきりと口頭で伝えてくるだろう。

「特に問題はありません。万一、明日の目的地まで充電環境が得られない場合でも活動停止せずに済む程度の充電は完了しております」

「わかりました。では、運転手さん。お願いします」


 車がするりと滑らかに進み始めた。

 近年のタクシーはほぼ自動運転であり、自動人形がセンサー系の補助を務めている状態なので、人間が自動運転車に乗っているよりも事故率は少ないとされている。

 細やかな気配りを求めて、観光タクシーなどでは未だ人間の運転手が活躍している分野は多いらしいが、街中ではあまり見なくなった。


「自動人形のお客様は久しぶりです」

 駅までの道中、車が進み始めてすぐに運転手が口を開いた。

「ご旅行ですか?」

「ええ、そんなところです」

 僕は本当のことを言うのが少し面倒になっていたのだけれど、ファノの方は素直だった。


「夫の散骨と、私自身の処分に向かうのです」

「処分……」

 その言葉の意味をじっくりと噛みしめるような運転手の沈黙は、彼の中で何かを処理している時間だったのか。それとも、処理の結果を出力すべきか否かの迷いだったのか。


「私は、本来介護のために開発された自動人形なのです」

 先ほどまでとは違う、落ち着いた声音で運転手は続ける。

「自動人形の中でも、業務で人と直接関わる仕様になっていると、耐用年数が短く設定されています。私も、十五年の耐用年数を迎えて処分される予定でした」

「どうして、今は運転手に?」


 ファノの問いに、運転手は「運が良かった」と答えた。

「私が最後に担当した方が、このまま生を終えるのはもったいないと言って、ご自身が経営するタクシー会社で働けるよう、ご尽力くださったのです」

「聞かせていただけますか、運転手さん」

 ファノの要望を聞いて、ルームミラーに移る運転手の目が、僕を見た。

 僕は頷きで応える。


「……私が所属していた施設は、終末期ケアのための場所でした。治療が不可能な病にかかった人々ができるだけ穏やかに最期を迎えられるように、お世話をするのです」

 ホスピスに所属していた当時の運転手は、施設の中でも数少ない男性型の自動人形だったが、それなりに忙しくしていたらしい。

 女性が男性のケアを嫌がることが多いのと同様、男性も女性からのケアを避けたがるケースは少なくないからだ。


 耐用年数の上限が近づいていた運転手は、その男性を最後のケア担当患者とすることになった。

 施設の人間たちは運転手が引退し処分されることを残念だと言っていたが、“設備”の更新は医療の現場ではさほど珍しいことではない。最先端技術はさほど長くないうちに古い技術となり、新しいものに取って代わられる。技師たちも医師たちも、残念と思いつつも受け入れていたのは想像に難くない。


「その人……社長さんは入所した最初の内、それはそれは私に辛くあたりました。仕方がありません。自分が死ぬということを受け入れるのは、人間にとって難しいことですから」

 物を投げつけられたり、食事を放り投げられたり、罵声を浴びせられたことも一度や二度ではなかったという。

 だが、運転手は腹を立てるようにはプログラムされていなかった。


「私はたくさんの人を見送ってきました。最後の瞬間に立ち会うこともありましたし、重篤化されて、お看取りができなかったことも沢山あります。私は自動人形ですが、普通の生きている人が一生の間に触れるより多く、死へ向かう人々と同じ時間を過ごしました」

 その中には、自分の死を待つことに耐えられず自らで終わらせようとする人も時折存在した。件の社長もその一人だった。


 ある日、個室で首を吊ろうとしていた社長を抱え上げ、ベッドに寝かせた運転手は、そのロープを密かに処分し、報告はしなかった。社長の性格から騒ぎになるのは好ましくないと思ったからだ。

「私の中にある、ある感情アルゴリズムが、そう決めたのです。説明はできませんが、ログは今でもそう記されています」

 運転手の言葉は、どこか誇らしげだった。


 社長はベッドの上で運転手から視線を逸らしたまま「……すごい力だ。人間とは違うのだな」と嘆息した。

「人間は脆い。たかだか数十年で肉体は弱まり、精神はすり減る。機械の身体であればと思ったことは一度や二度ではない」

「機械の身体を得たなら、あなたはとっくにいなくなっていますよ」

 そう答えた運転手は、自分がもうすぐ引退して処分されることを語った。


「私は満足しています。製造された理由を把握し、全うできるのは幸福なことです」

「そう言うようにプログラムされているのだろう。お前は自分が機械として使い潰されることを肯定するようにできている」

 吐き捨てるように言う社長に、運転手は否定するように首を横に振る。

「社長さん、自動人形には自分で考えるための感情アルゴリズムがプログラムされています。私は私の経験や、同じ仕事をしていた自動人形の記録から話をしています」


 ベッドの上で身体を起こした社長は、窓の外の夜空を見上げた。

「経験か。……お前は、処分されるのは怖くないのか」

「怖い、という感情はありません。ただ、私はこの十五年の間に沢山の人々を見送りましたが、その皆さん一人一人が、違った人生を歩まれてここに来ていました。製造された時点で使用目的が決まっていた私と違い、自分の人生を自分で選ぶ……可能性を探るということを経験してみたかったとは思います」


 社長は肩を震わせていた。

 寒いのか、あるいは泣いているのかと運転手は毛布を手に取ったが、そうではなかった。

「は、ははは。それはお前、怖いと言っているようなものだ。経験してみたかったって言葉は後悔の言葉なんだよ。……そうか。血の流れない機械でも、今は後悔するのだな」

「わかりません。わかりませんが、そうなのでしょうか」


 ひとしきり笑った社長は、ベッドの上で大の字になって言った。

「朝になったら、会社に連絡して息子と嫁に来てもらうよう伝えてもらっていいか」

「わかりました。理由を伺っても?」

 終末期の患者が家族を呼ぶ理由として、遺言を残したいというものがかなり多い。そういった希望がある場合、司法書士を呼ぶマニュアルがある。


「一人、新人を雇うように伝えたい」

 翌日から、運転手はタクシー運転用の自動人形として生まれ変わるための手続きに入った。所属を変更し、医療・介護向けではなく一般サービス向けの自動人形として耐用年数を延長する登録及びメンテナンスを受けた。

 そうして、製造されたときに決められた道ではない、新たな役割を得た自動人形として、彼は今ハンドルを握っている。


「それからしばらくして、社長さんは亡くなりました。これが、私がここにいる理由です」

 運転手は、最後に「私は、満足しています」と紡いだ。

 自動人形は普及しているが高価である。耐用年数を超えて稼働している個体もあれば、この運転手のようにメンテナンスによって文字通り寿命を延ばしている個体も存在する。

 それはつまり、ファノにもあり得る未来なのだが。


 僕が隣へ視線を向けた時、ファノは何の表情も見せていなかった。

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