014 神戯

 不眠症気味の俺は、毎晩寝る前に三〇分間の読書タイムを取らなければ寝られない。

 逆に言うと、寝る前に三〇分間読書をするだけで安眠できる。

 という事で、今日も今日とて俺は布団に包まって小説を読んでいた。

 今日の読み物はアガサ・クリスティー著の『オリエント急行殺人事件』だ。あの有名な名探偵ポアロが出てくるミステリー小説で、誰もが知る大ヒット小説である。だが、俺はお恥ずかしながら今日が初見だった。

 故に――どんどんページが進む。面白くて堪らない。

 恐らく三〇分以上読んでいるだろうが、俺は自分を止められずにいた。そんな俺の耳がノックを捉えた。

「ちっ……良い所なのに……」

 本を置いて時計を見る。現在一一時四八分を指している。こんな時間に尋ねて来る奴は一人しかいない。

 無視をしても良かったのだが、そのせいで噛みつかれて余計な時間を過ごすのも嫌だったので、俺は布団から出た。そして、襖を開けた。

 しかし、そこには宵乃はおらず――代わりに、凌子ちゃんがちょこんと立っていた。

「ど、どうしたんだ?」

 思わぬ来客に少し動揺した俺が尋ねると、凌子ちゃんは「夜分遅くにすいません」と頭を下げた。

「ちょっと……ご相談したいことがありまして……」

「どうした? 何かあったか?」

「ストーブを……壊してしまったかもしれません……!」

「ストーブ?」

 訊き返すと、凌子ちゃんはまた頭を下げた。

「申し訳ございません……!」

「どういう風に壊しちゃったんだ?」

「スイッチを押しても……カチカチと言うんですが……中に火が点かずにピーピーって言うんです……」

「それはたぶん壊れたんじゃなくて、灯油切れだ」

「とーゆぎれ……?」

「ちょっと見せてくれ」

 凌子ちゃんは二個隣の自室に招き入れてくれた。

 凌子ちゃんも俺の部屋と同じ四畳半だ。北側の窓と対面するように置かれたデスクも、東側の壁を埋め尽くす棚の数々も、西側の押し入れも、部屋の隅っこに置かれたFF式ストーブも、全て俺の部屋にある物と同じだ。違う点と言えば、物が置かれていないという点だろう――デスクの上にも何も置かれていないし、本棚には教科書以外置かれていないし、押し入れも恐らく布団以外何も入っていない。まだ家に来て間もないから仕方がないと言えば仕方ないのだが、恐らく彼女は……。

「これです」

 凌子ちゃんはヒーターの隣に座った。

 俺は一目見て、ヒーターが臍を曲げている理由がわかった。

「ほら、凌子ちゃん。見てごらん。給油ランプが点滅してるだろ? 灯油が空になった証拠だ」

「は、はぁ……」

 いまいちピンと来ていない様子である。

「灯油を入れたら治るよ」

「ホントですか……?」

「ああ。ちょっと入れて来る」

 俺はヒーターの上部の蓋を開け、タンクを取り出した。タンクが軽かったのは言うまでも無い。

 それを持ってベランダに向かい、給油ポンプを使ってポリタンクから灯油を汲み上げた。そしてすぐに戻り、タンクを本体にセットする。

 すると、すぐにストーブは元気を取り戻し、自分の仕事に取り掛かった。

「ありがとうございます」

 三度頭を下げる凌子ちゃん。

「どういたしまして。今度灯油の汲み方教えてあげる。そうすれば、次からは自分で対処できるだろ?」

「はい……すみません……」

「いや、別に嫌味を言ったワケでも、謝って欲しいワケでもないよ」

「そうでしたか……すみません……」

「………」

 完全に謝るのが癖になっているようだ。

「そう言えばさ――」俺はポケットからスマートフォンを取り出し、とある写真を表示させた。「これ、どういう意味かわかる?」

 見せたそれは、キョンシーハトの足環の写真だ。

 針姫五角門の者ならすぐにわかるはずだが――

「死骸を使役する妖術のようですが……」

 凌子ちゃんは考える様子もなく言った。

「間違いないか?」

「はい。枕野家が得意としている妖術ですから……よく目にしました」

「凌子ちゃんは使えるのか?」

「私は妖術の才能はなかったので使えませんが……知識はそれなりにあります……」

「そうか」

 似ている――そう思ったが、口には出さなかった。

「凌子ちゃんは戦闘訓練は受けているのか?」

「はい。一応、一通りは……。任務にもたまに行ってました」

「へぇ、どんな任務?」

「それはちょっと言えません……ごめんなさい……」

「まぁ、そりゃそうだよな」

 神妖シンヨウの世界における『任務』は大抵、クライアントから依頼された暗殺業務などを指す。その内容を他言する事はご法度である。

「戦闘訓練だけで任務に就くのは相当大変だったんじゃないのか?」

「そうですね……。素人相手だと問題ありませんけど……妖術遣い相手だと……。あ、でも、私、神戯ジンギが使えるんでなんとか……」

「へぇ、じゃあ神児カミコなんだ」

 神戯ジンギとは妖術なしで発動できる神や妖の如き技で、簡単に言ってしまえば『超能力』である。通常、神戯ジンギは一人一つで、どういうワケか神戯ジンギが使える奴は妖術が使えない傾向にあるらしい。ちなみに神戯ジンギが使える人間が生まれる確率は数万人に一人らしく、そのレアリティの高さから神児と呼ばれている。

「どんな神戯ジンギが使えるんだ?」

「手首の関節を……変な方向に回転させる能力です……」

「それは神戯ジンギなのか?」

「八回転くらいします……」

 言って、凌子ちゃんは胸の前で右掌を上に向けた。だが、何も起きない。不思議に思った凌子ちゃんは「あれ? あれ?」と右掌を揺さぶったりしてみるが、結果は変わらない。

「能力は発動しないぜ」堪らず俺は言った。「俺の周囲二メートル以内は、妖術も神戯ジンギも発動しないんだ」

「どうしてですか……?」

「それが俺の神戯ジンギだからだよ」

「針姫では『禍点カテン』と呼ばれてた。宵乃は――」

「『災厄ディザスター』と呼ぶ」

 そう言ったのは、いつの間にか部屋の入口に立っていた宵乃であった。

「凄い能力だと思うだろ? 確かに、対妖術戦とか対超能力戦とかでは使えそうだが、味方の妖術や超能力も不発にさせるから結構使い勝手が悪い。というか、邪魔だ。実際、針姫に埋められたのは『災厄ディザスター』がウザかったのが原因だ」

「う、埋められたって……もしかして葦子ですか……?」

「そうだ。他に質問はあるか? あるなら全部私が答えてやる。ないなら今すぐクソして寝ろ。寝なくてもいいから黙って布団に包まってろ」

 宵乃は言った。

「私の安眠の邪魔をする奴は殺す」

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