002 無駄

 教室から出た俺を待っていたのは、はやりと言うか何というか――宵乃であった。

「早かったね」

 壁に凭れ掛かっていた宵乃は肩で息をしながら言った。その手には、湯気を立たせながら香ばしい匂いを放つ缶コーヒーがあった。実に美味そうである。別にコーヒーは好きではないが、冬の缶コーヒーだけは異様な魅力を感じる。

「貴君。皆まで言うな」

「いや、何も言ってねェし」

「私は聖母よりも慈悲深く、天使よりも優しく、神よりも気の利く女の子だ。だから――ほら。貴君の分も買っておいた」

「お、気が利くじゃ――いや冷たい!」

 投げ渡されたそれは湯気どころか冷気を放つアイスコーヒーであった。

「お前、この嫌がらせをするために自販機までダッシュしたんだろ?」

「その通りだ」

「アホだな」

 そんなアホな事の為に全力疾走する宵乃の体力も無駄だが、何よりもそんなアホな事の為に支払われたコーヒー代一〇〇円はもっと無駄だ。那由他さんが汗水流して働いて稼いだ金をこんな事に使うなんて……。

 俺はアイスコーヒーをリュックサックに仕舞うと、愛車が停まっている駐輪所に向かって歩き始めた。

 宵乃は小走りで俺の隣につく。

「貴君、貴君。チラッと耳にしたんだけど、進学せずに働くってマジ?」

「お前、聞き耳まで立ててやがったのか」

「チラッと聞こえただけだよ。で、マジなん?」

「マジだよ。俺は卒業をしたら家を出る」

「なんで? みんなで暮らすのが嫌になった?」

「……まさか」

 願わくば、一生みんなで暮らしていたい。

 口が裂けても言えないが。

「俺はこれ以上、那由他さんに負担させたくないだけだ」

「那由他さんは貴君が負担だと言ったのか?」

「いや、言ってはいないけど……」

「貴君が負担させたくないのは那由他さんじゃなくて貴君自身なんじゃないか?」

「はァ? なんだよ、そりゃ」

「貴君は、『那由多さんが負担に思ってるんじゃないか』っていう思いが自分自身への負担になっていて、それから逃げたいだけなんじゃないか?」

「またわかったような口を利きやがって……」

「生きたいように生きようぜ、貴君」

 そう言って、宵乃はズズズとコーヒーを啜った。

 お前は生きたいように生き過ぎだ。

「貴君。那由多さんに相談してみるべきじゃないか?」

「言えるかよ。言ったら絶対に反対されるに決まってる」

「でも言わないと、問答有用で大学に進学させられるぜ? ここだけの話、那由多さんは最近、貴君に予備校を通わせるつもりで資料請求しまくってる」

「那由多さんも無駄の多い人だな」

 大学進学も無駄だし、予備校なんざもっと無駄だ。

「無駄な事こそが人生の醍醐味なんだぜ、貴君」

「さっきからなに深い事言ってる風の雰囲気出してるんだよ。一七歳の小娘がよォ」

「貴君こそ、何さっきから無駄無駄言ってるんだ? 汐華初流乃かよ」

「ジョルノ・ジョバァーナを普通は汐華初流乃とは呼ばないし、無駄無駄って言ってるのは心の中だけだ。ナチュラルに心を読むな」

「貴君の心くらい、コボちゃん読むくらい手軽に読めるぜ」

 そう言って、宵乃は自販機を通り過ぎるついでにその横にあったゴミ箱に空を缶を捨てた。

「ほう。言うじゃねェか。じゃあ今の気持ちを読んでみろよ」

「『宵乃マジ可愛いわー』『自慢の姉だわー』『マジ推せる』って思ってるだろ?」

「そのメンタルが羨ましいわ」

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