3走目 指導の条件

 ヴィクトリアさんの提案に、私は驚いて言葉が出なかった。私がヴィクトリアさんの指導を受ける? ヴィクトリアさんといえば、全盛期のアウリスさんと唯一競えた選手で、試合によっては彼女が勝利したこともあるくらいの実力者だよ。私にとっては、アウリスさんと並ぶ伝説の選手の一人なんだ。彼女の冷静な走り方や、障害物を計算し尽くした動きは、子供の頃に魔導スクリーンで見た時から忘れられない。

 もちろん、私の憧れはアウリスさんだけど、ヴィクトリアさんの指導を受けられるなら……きっと私は伝説に近づけるよね。どうするべきだろう。頭の中がぐるぐるして、心臓がドキドキしてる。こんなチャンス、二度とないかもしれない。でも、私なんかが本当にいいのかなって不安もあって、思わず口を開いた。


「あ、あの……私なんかで良いのでしょうか?」

「あら? ご謙遜なさらなくてもよろしいのよ? それとも貴女はアウリスの指導じゃなければ受けられないと?」


 あ、あれ? なんでだろう。ヴィクトリアさんの目が急に怖くなった。まるで獲物を狙う獣みたいな鋭さで、私をじっと見つめてる。ちょっとビクッとしちゃったよ。でも、私はアウリスさんやヴィクトリアさんのような……名前を残す選手になりたいんだ。その気持ちが、私の背中を押してくれた。


「是非! お願いします!!」


 私が勢いよくそう言うと、ヴィクトリアさんはにっこりと笑ってくれた。彼女の紫色の瞳が柔らかくなって、ホッとしたよ。そして、私の肩にそっと手を置いて、穏やかに言った。


「なら決まりですわね。と、言いたいところですが、私の指導を受けたい選手は沢山います。とりあえずこの街で開催される公式レースで、一か月以内に一着になりなさいな」


 え? いきなり一着!? 私は頭が真っ白になって混乱した。だって、私が走ったアルバローザ村の野外レースって、いわゆる非公式なものだったんだ。アマチュア選手から趣味で走る人、中にはダイエット目的で参加する人もいるくらいゆるいレースで、私もその中でやっと勝てただけ。それが私の唯一の経験なのに、公式戦で一か月以内に一着って……。

 公式戦は全然違うよ。アマチュア選手とプロ選手がしのぎを削って戦う、ガチの舞台なんだ。スキルを使って競うのも当たり前だし、私みたいな新人がいきなり勝てるなんて想像できない。ヴィクトリアさんの言葉に、思わず口が開かなくなっちゃった。


「あら? もしかして怖じ気づきました?」

「い、いえ。大丈夫です」

「ならよろしいですわ。では私はこれで失礼しますわ。私はいくつか公式戦を観戦に行きますので、いずれまた」


 そう言って、ヴィクトリアさんは颯爽と去っていった。彼女の背中を見ながら、なんだか楽しそうだったなって思ったよ。まるで私を試してるみたいで、ちょっと悔しい気持ちもある。でも、それ以上に問題が……。私、この後どうするか全く考えてなかったんだ。ヴィンテール市に着けばなんとかなるって漠然と思ってたけど、まず宿を探さないとだよね。お金もそんなに持ってないし、どうしよう。

 街の中を歩き回りながら、宿を探し始めた。やっぱりヴィンテール市は大きいなぁ。アルバローザ村とは比べものにならないくらい人が多くて、建物も立派なんだ。石畳の道を歩いてると、荷車や馬車がガタガタ通り過ぎて、賑やかな声があちこちから聞こえてくる。ちょっと迷子になりそうだったけど、ふと目に留まった看板があって、「あ、ここよさそうかも!」って思った。そこは『ヴィルマ亭』っていう宿だった。

 木造の建物で、少し古びてるけど温かみのある雰囲気。看板には「宿と酒場」って書いてあって、ちょうど良さそう。


「とりあえずここにしようかな……少なくとも一か月は滞在できると良いんだけど……」


 私は意を決して中に入って、受付で宿泊手続きを済ませることにした。あ、そうだ、お金のことも考えないと。一応、村から持ってきたお金で一週間くらいの宿泊料はあるんだけど、それだけじゃ足りないよね。ヴィクトリアさんの条件をクリアするには、レースのトレーニングもしなきゃいけないし、何かお金を稼ぐ方法を探さないと。

 レースの賞金? いやいや、簡単に勝てるなんて思っちゃダメだよ。公式戦で一着なんて、私にはまだ夢みたいな話だ。スキルがあるから冒険者の仕事もできるけど……。


「冒険者……は、辞めておこうかな。怪我したくないし」


 レース以外で怪我したら元も子もないもんね。とりあえず、どこかで働かせてもらいながらトレーニングできたらいいなって思った。それで、宿の女将さんに相談してみることにしたんだ。


「あの、すみません」


 私が声をかけると、女将さんはにっこり笑って対応してくれた。少しふくよかで、優しそうな目をしたおばさんだよ。


「はいよ! なんだい? 宿泊かい?」

「はい! とりあえず一週間ほどお願いします」

「食事は?」

「朝はお願いします、昼は不要で、夜は必要な日は朝お伝えします」

「はいよ! なら一週間分なら銀貨一枚だよ」

「はい、これでお願いします」


 私は銀貨一枚と銅貨五枚を差し出した。女将さんはそれを受け取って、にこにこしながら部屋まで案内してくれた。部屋は狭いけど清潔で、木のベッドと小さな窓があって、ほっとする感じ。私は荷物を置いて、勇気を出してもう一度女将さんに声をかけた。


「あの……実はお金を稼ぎたくて、怪我の心配の少ないお仕事って何かありますか?」


 そう言いながら、銅貨一枚をそっと渡すと、女将さんは少し考えてから答えてくれた。


「そうだねぇ……危険を伴う冒険者は難しいとして、飛び込みで働かせてくれるところだろう? 期間は?」

「短期間になります……場合によっては延長もあるかもです」

「そうだねぇ……それじゃあ、うちの酒場で働いてみるかい? 料理はできる?」

「はい! できます!」


 私は即答した。料理なら任せてほしい。田舎で家族のご飯を作ったり、家事をこなしてたから、こういうのは得意なんだ。宿酒場で働かせてもらえるなら、生活費も稼げるし、トレーニングの時間も確保できそう。


「はいよ! なら明日から働いてもらうね。お給金は一日銀貨一枚だよ」

「え!? そんな高い……」

「うちは宿泊客が多いからね。それに、あんたはまだ若いのに元気で沢山働いてくれそうな娘なんてそうそういないんだし、これくらい出してあげないとねぇ。その代わり、ちゃんと働くんだよ?」


 そう言って、女将さんは私の肩をポンと叩いた。うう……ちょっと痛い……でも、嬉しい。この優しさに応えなきゃって気持ちが湧いてきた。私は決意を新たにした。宿酒場で働きながらトレーニングを始めて、公式戦に挑むんだ。ヴィクトリアさんの条件をクリアして、絶対に指導を受けたい!

 それにしても……女将さん、私は十六です。そんなに子供に見えるかな…………


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