ただいまを君に

花宮守

ただいまを君に

 あと一回、星が流れたら。君に想いを伝えよう。流星群を見るんだ!と張り切って真夜中のピクニックに出掛けてきたのに、早々に寝入ってしまった君。「願い事たくさん叶うね!」とはしゃいでいた。俺はもう一人で十個は見たよ。君の健康と幸せを何度も祈った。眩しくてたまらない存在。いつまでも子供だと思っていたのに、この夏は急に大人びて、俺をドキッとさせるようになった。来年はもう、ほかの誰かと星を見ているんだろうな。

 でも、もしも。この気持ちをぶつけていいなら。受け入れてくれるなら。心のどこかでほんの少しでも、俺を一人の男として見てくれるのなら。

「諦めない。逃がさない……」

 俺の膝を抱きしめるようにして、あどけない顔でくぅくぅと眠っている。髪を撫で、指先で頬に触れてみる。それ以上は――今は、まだ。

 あと一回、星が流れるまでの間は、今までどおり兄と弟のような関係でいよう。こんなに静かな気持ちで共に夜を過ごせるのは、これが最後かもしれない。


 ♢ ♢ ♢ 


「ただいまー」

「お帰り、圭太けいた

「あれ、今日は早いんだ」

「特別な日だからな」

「へへっ」

 その笑顔は無邪気で、俺に罪悪感と優越感を抱かせる。幸福感は、言うまでもない。

 いつもは俺が「ただいま」を言うことが多いけど、誕生日の時ぐらいは出迎えてやりたかった。肉がたっぷりのビーフシチューは、昨日から準備しておいた。

「んー、美味そうな匂いっ」

 手洗いとうがいを済ませた圭太は、キッチンに飲み物を取りにきて目を輝かせた。

しょうちゃんのも、コーヒー足しといた」

「お、サンキュ」

 自分のだけじゃなくて俺のコップにも注いでくれるなんて、かわいいじゃないか。「お帰り」と「ただいま」を毎日言える関係。長年の付き合いから、言わなくても通じることも多い。傍から見れば同棲だが、肝心のことが欠けている。

 俺はいまだ、彼に想いを告げていない。

 こくこく、とアイスコーヒーが流れ込んでいるのが分かる喉。俺の視線に気付いて「ん?」と目で問う表情が、どうにも色っぽくて困る。

「あー……風呂とメシ、どっちにする?」

「ちょっと汗かいたから、シャワー浴びてくる」

「わかった」

 覚えたばかりの曲を口ずさみながら、踊るように風呂場へ向かう。こんなにかわいくて学校では大丈夫なのか? 別に特別小柄でもないし、華奢でもないんだが……下心のある身としては、いちいち目のやり場に迷う。

 しかも、だ。

 くるっと振り向いて、

「今の、何かさ。夫婦みたいだったね!」

 そういうことを、こっちの心の準備ができていない時に言うんじゃない! 

 部屋の明かりの加減なのか、彼の瞳はどこか妖しげな色を湛えている。俺の願望がそう見せているんだろう。

「大人をからかうんじゃない。さっさと入ってこい」

「はーい」

 姿が見えなくなって、ため息をつきながら考えた。今の発言は、「そう言ってくれるのは嬉しいけど冗談なら悲しい」っていう意味にならないか?

「まさか、知ってるわけじゃ……ないよな」

 俺の、今はまだ告げないと決めた恋心。


 シチューを温めながら、あの星空を思い出していた。


 あと一回星が流れたら、という俺の決意は、星ではないものの光によって保留となった。

 小さな山に流星群を見に来て、さっさと眠ってしまった想い人。室橋むろはし圭太、十七歳。高校三年生。俺の膝を抱えて寝息を立てているのを起こさないようにして、ライトで着信を知らせるスマホを手に取った。

「はい、藤波ふじなみです」

『奨君? ごめんね、急に』

「いえ。実は圭太が眠ってしまって、帰るに帰れないでいたんです」

『ああ、いいのよ。奨ちゃんと出かけるんだ!って大喜びして、そわそわしてたからねー。だから私たちも、あなたにお願いしてみようと思ったわけなんだけど』

 電話の向こうは隣家のおばさん。より詳しく言うと圭太のお母さんだが、話が読めない。

「私たちっていうのは」

『私と旦那……あ、ちょっと!』

 貸せ、と低い声がして、電話の相手が圭太のお父さんに変わった。

『奨君、済まないね。要領を得ない話で』

「いえいえ。何かあったんですか」

『今日会社で言い渡されたんだが、近いうちにロンドンへ転勤することになってね』

「それは……急な話ですね」

 身勝手な俺は、圭太が遠くに行ってしまう、と考えて鼓動が早くなった。

『圭太は日本にいたがるだろうから、我々だけで行く方向で考えているんだ。そこで君に頼みたいことは、だ』

 話が見えてきて、鼓動が通常運転に切り替わった。

「圭太のことなら俺が面倒見ますよ。今も休みの日は、こっちの家に入り浸ってますしね」

 がっついた感じになってしまっただろうか。

『そう言ってもらえると助かるよ。親戚でもないのにな』

「俺の方が今までお世話になってきたんですから、少しはお返しさせてください」

 俺の両親は、俺が大学に入った年に飛行機事故で命を落とした。学費や生活費は十分すぎるほど遺してくれたが、喪失感はひどいものだった。隣の家の明るい夫婦と、一人息子の圭太がいたから、光を失わずに済んだ。

 室橋夫妻は何かと俺を家に招いてくれたし、家族旅行にも同伴させてくれた。「圭太が、お兄ちゃんがいないと行かない!って言うのよ。悪いけど、また一緒に行ってやってくれない?」と、優しい言葉で誘って。俺の居場所を作ってくれた人たちなんだ。

『もう十分すぎるほどだよ。気にすることはないんだよ。さっきはあえてああいう言い方をしたが、私たちは君をもう一人の息子だと思ってる。本音を言えば、四人で向こうへ行きたいくらいだ』

「おじさん……」

 見上げた星空が、ぼやけてきた。この人は時々こうやって、不意に俺の涙腺を刺激するんだ。

『圭太を預けられるのは君しかいない。何しろあいつは、ここへ越して来てからしばらくの間、君を兄弟だと信じていたくらいだからねぇ』

「あー、そんなこともありましたね」

 初めて会ったのは、膝の上のこの子が二歳の時だ。中学に入ったばかりの俺をきょとんと見上げて、抱っこをせがんだ。小さい子を抱き上げるなんて初めてだったけど、胸にじんわりと、温かいものが広がっていった。俺の両親が死んだ時は、この子の前でだけ、涙を流すことができた。

「俺も、圭太がそばにいてくれると助かるんです。本当に」

 もしかしたら一生、この恋を秘めておかなければならないとしても。それよりも前から、大切な家族なんだ。

『ありがとう。じゃあ、細々としたことは明日以降に、圭太も交えて話すとしようか。その前に、確認しておきたいんだが』

「何です?」

『この話を出せば、圭太は君の家に行って住むと言い出すに決まっている。それについては、君はどう思う?』

「あー……確かに」

 喜び勇んで、おじさんたちが発つ前から同居を始める姿が思い浮かぶ。元は三人家族だったから部屋はあるんだが、そういう問題じゃない。好きな子と同居するという、幸せのメーターが振り切れる状況に、俺がどう対応していくかということだ。簡単に言うと、自制できるのか。おじさんの質問は、そこまでの話じゃないはずだけど。

「その方が、面倒は見やすいですよね。おじさんの家は、不用心にならないように俺と圭太で見張っておく感じになるのかな」

『あいつ、面倒くさがりなところがあるだろ?』

「はい」

『自分の部屋のものは、特に教科書やなんかは、ほとんど置きっ放しで君の方へ転がり込むと思うんだよ。必要なものはそのつど取りに行くということにしてね。ちょくちょく行き来することになる気がするんだ』

「ハハッ、なるほど。おじさんのその予想は当たると思います」

 ん、と声を漏らした圭太が、もぞもぞと体を動かした。かわいいな。

 じゃあ続きはまた、と電話を切ってから、さてどうしたものかと考えた。

 星は、その後も二回流れた。自分で設定した告白の条件は満たしたわけだ。しかし……。

「気まずくなるのも……我慢できなくなるのも、よくないよな」

 一際強く輝く星に問いかけてみても、返事はない。振られたら気まずいし、両想いになれたとしたら、手を出さない自信はない。両親のいない隙に高校生を家に連れ込んで、自分のものにするっていうのは……二十九歳社会人としてはアウトだろう。おじさんの信頼を裏切るのも申し訳ない。

「呑気な顔しやがって」

 ほっぺたをつっついてみても、起きない。警戒心ゼロ。

「わかんねー……どっちなんだよ」

 脈があるのか、全くないのか。

 そろそろ足が痺れてきた……。


 圭太が目を覚ましたのは、あれから十分後だった。眠そうなのをなだめすかして車に乗せ、家に連れ帰った。室橋家の電気は消えていたから、おじさんたちを起こすのも気が引けて、俺の家に担ぎ込んだ。

 圭太が泊まる時は、俺が書斎にしている一階の洋間のソファーで、いつの間にか寝入っていることが多い。「近くにいたいから」と言って。俺は一階でも二階でも寝られるようにしてあるから、圭太を一階で布団に入れて、自分は二階で寝る。だけどこの夜は、ソファーに寝かせて、いつまでも寝顔を眺めていた。

 次の日、室橋家の夕食に招かれた。話を聞いた圭太は、両親の転勤を寂しがる素振りは見せず、俺と暮らせる喜びを全身で表していた。「それなら今日からそっちの家で寝る」と言い張るのを、「おじさんたちが日本にいる間は、少しでも長く一緒にいて親孝行しろ」と言って止めた。

 おじさんとおばさんの見送りには、俺も行った。帰りの車の中で、うちの合鍵を渡した。

「いいの?」

「ないと、これから先困るだろ」

 何でもない風に言いながら、それまでの人生のどんな場面よりもドキドキした。


 今ではもう、生まれた時からこの家に住んでいるみたいな顔で、「ただいま」と「お帰り」を言う。その言い方がまた、かわいかったり、男っぽかったり。まだまだ、子供なんだけどな。


 シチューは、いい具合に温まってきた。タイミングを狙ったかのように風呂から出てきた圭太は、上半身は肩にタオルを引っ掛けただけ。

「さっぱりしたー」

「あのな、シャツは手に持って振り回すものじゃない。着るものなんだぞ」

「分かってるって」

 機嫌よく笑ったかと思えば、次の瞬間、射るような目で俺を見る。同居を始めてから、たまにこういう目をするようになった。

 独占欲?

 無意識の恋情? ……だったら、俺はどうすればいい?


 シチューもサラダもぺろりと平らげ、デコレーションされたアイスケーキに歓声を上げる様子は、やっぱり子供だ。

『けいた お誕生日おめでとう』

 メッセージが書かれたプレートは薄いクッキーで、「食べないでとっときたい」なんて言ってる。

 大人と子供の間を揺れ動くこの時期を、一番近くで見守る立場にいられるのは、俺に与えられた試練なのか。それとも、ただ幸福に浸っていればいいのか。


 自分なりにブレーキはかけている。高校生の間は手を出さない。そのあとは……彼が「ただいま」と、いつでも帰ってきてくれる存在になれたらと思う。大人になっても。何があっても。

 俺の方は、この先、ほかの誰にも「ただいま」を言うつもりはない。

 彼だけだ。


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