くらげの願い

柊 こはく

第1話

私たちは、生まれた瞬間から一緒だった。

どちらが先に生まれたかなんて、どうでもいい。

あの子は私が守らなければならない存在だと、生まれた時から知っていた。

でも、弟は私よりも身体が弱かった。

反対に私はとても元気で、2人でママのお腹にいた時に、私が弟の分のまで全部栄養を取っちゃったのかもしれないって思った。


そんな身体の弱い弟は外に出ることが出来なかった。

少しでも動くと息切れを起こして倒れてしまう。

だからいつも海の見える窓から外を羨ましそうに眺めていた。

その表情を見ていると、胸がぎゅっと締め付けられる。ずっと病院のベッドで過ごしているのがどれだけ退屈だったか、すごく私にも伝わってくる。

「お姉ちゃん、海ってどんな感じ?」

そんな弟の疑問に私は何度も海の話をした。

少しでも外のことを伝えたかったから。

「えっとね、ザザーって音がして海の水がね足の方にくるの。水はしょっぱい!砂浜はさらさらして、夏だととっても熱いの。」

「お水がしょっぱいの?なんで?」

「……なんでだろう……?海だから……?」

海に行ったことがない弟にとってはどんなものなのか想像するのは難しいのかもしれない。

いつか弟を海に連れて行ってあげたい。

そんなことはできるわけがないことは分かってたので少しでも喜んでもらいたくて、貝殻をたくさん拾ってきてあげたり、願いを叶えてくれる海の神様がいるって噂を聞いていっぱい調べて弟に話した。きっと辛い思いをさせ続けた弟に対して懺悔の気持ちもあったのだと思う。


そんな弟が言うのはいつも同じ言葉だった。

「僕の傍にずっといて」

そんな弟の願いを私は叶えてあげたいと思った。

だから常に一緒にいて、弟を楽しませようと頑張った。

合間を縫っては、以前聞いた願いを叶えてくれる神様についてもいっぱい調べた。

図書館にいったり、近くに住んでるおじいちゃんやおばあちゃん達に話を聞いたりした。

とある日おばあちゃんに話を聞いたらこう言われた。

『ここは海の神様が守ってくれてる土地だからね。昔の食べ物がなかった時代や海が荒れて街に被害が出たときにお願いごとをして叶ったことがあるからそんなお話が出てきたのかもねぇ。ほら、あそこの海の近くに祠があるんだ。あそこに神様がいるんだよ』

そう言われ私は時間があれば祠に向かい神様に願った。

『何でもするから、弟から苦しいを辛いを無くして。ずっと一緒にいたいの』

毎日、毎日そう願った……


なのに、弟のことを診ていたおじさんがある日こう言った。

『****くんの余命はあと1年程です』と……

余命って何?どういう意味?って隣にいたママの服を引っ張り私は聞いた。

だってすごく嫌な予感がしたから。

ママは数秒固まりおじさんのことを見てたけど、私が大きな声でそう言うとはっとし私の方を見て震えた声で言った。

「****とさよならしなきゃいけない日が近づいているの」


どうしてさよならしなきゃいけないの?

私たちはずっと一緒にいるって決めてたのに。


そんな中おじさんがこう言ったの。

「****くんの好きなようにさせてあげましょう」

ママは少し考えていたようだったけど、

最後にはそうね。そうしましょう。

と言って弟のやりたいことをさせた。


弟はお絵描きに、パズル、絵本を読んだり、いつもよりたくさん遊ぶことが出来てとても嬉しそうにしていた。

弟は絵を描く時は必ず家族みんなで楽しそうに遊んでる絵を描く。

鬼ごっこをしていたり、かくれんぼをしていたり。わんちゃんのお散歩をしてたり……

今までやりたくても出来なかったこと。

私はそれをみて辛くなる。

一緒にやりたくても出来ないことがとても辛い。

弟もパズルは辛いことを考えなくていいから好きだといい、絵本は病室でも私と一緒にいれるし、読んでる姿を見るのが好きだと言ってくれた。

前までならママやおじさん達からもう寝なさいとか無理しちゃダメとか言われてたけどあの日からそんなことを言う人は居なくなった。


だけど弟が楽しそうに色んなことをすればするほど、どんどん顔色が悪くなり苦しそうにするようになった。

前までには無かった弟の身体に繋がれる管。

ぷくぷくとした可愛い頬はどんどんと痩せこけた。

起き上がって絵もかけなくなった。

ただ、弟はベッドの上で息苦しそうに呼吸をして……時折涙を流した。


『その苦しいの、お姉ちゃんにも分けてよ……

私の分の元気をあげるから』

弟が苦しい中、私が元気なのが辛かった。

弟が辛いなら私の元気を分け与えたら元気になってくれる?

何でも半分こにしたいのに、どうしてできないんだろう。

そんな気持ちで溢れる。


そんなある日、弟がふと言った。

「サヨナラする時は、お姉ちゃんも一緒がいい。お姉ちゃんと一緒なら頑張れるの」

そういう弟の目から光はどんどん失っているように見え、ますます心が締め付けられた。

「ずっと一緒だよ……約束する。」

震える声でそう言い弟の手をギュッと握る。

サヨナラの意味を考えるのは怖かった。

涙が出そうだったけど我慢した。

ここで泣いてはダメ。私は強くならないといけないの。弟を守るためにも弟の願いを叶えるためにも……そう自分に言い聞かせた。

『ねぇ、神様。お願い。

ずっと一緒にいる方法を教えてちょうだい。』

そんなことを思いながら弟の手をさらに強く握った。


ずっと張り詰めた空気の中で過ごしていただろうか、私は疲れていたらしい。

弟と一緒にいたいからなるべく起きていたかったけど小さなこの身体ではどうしても眠気には勝てず、うとうとしていたところどこからか私たちを呼ぶ声が聞こえた。

優しい優しい声。

その声に釣られるように眠たくぼんやりとした頭で海を見ると、キラキラと海の上にお月様が映っていた。

気づいたら寝ていた弟も身体を起こして窓から海を見てポツリと言った。

「お姉ちゃん……僕、海に行きたい」

「……無理だよ。あんな遠くまでは歩けないよ」

昔と違い今は細くなってしまった手足で歩くこともままならない。

起き上がっているだけでも息切れを起こすほどだった。

いや、海に行くということは弟にとって小さい頃から叶わなかった夢だった。

外にも出ることを許されず

"海に入ってみたい"

という願いも産まれてから1度もできなかった。

病気が進行してからそういった"何かをしたい"ということを口に出さなくなった弟が今になって行きたいというお願いごとを言った。

「……お姉ちゃん、前に海の神様のお話してくれたでしょう?その神様がね、僕を呼んだんだ。こっちにくれば僕達の願いが叶うって」

私は思わず目を見開いてしまう。

私が毎日願っていた事は神様に届いていたのだろうか。

「それにねお姉ちゃん、今ね、なんだか調子がいい気がする。歩けるよ、きっと。だから……お願い、行きたいの。」

ギュッと私の手を掴んで私の目を見て弟にそう言われてしまい断れなくなった私はみんなの目を盗んで弟と2人病院から抜け出した。


歩くことに慣れない弟は何度も転びそうになったが、今までにないほど調子がいいのか自分の足で歩けていた。

夜の街は私たちを闇の中に引きずり込みそうなほど暗くて少し怖かった。でも、弟と手をつないで歩いていると、不思議と心が温かくなった。ぼんやりと街灯の光に照らされた道は、まるで大冒険の始まりみたいでドキドキする。

「みて、ねこちゃん」

そう弟にいわれ指の指す方向を見ると

すやすやと眠っている猫がいる

「ほんとだ!ねこちゃん。ねてるね……」

「もふもふなの可愛い!触れるかな……?」

そういい弟は近づこうとすると、気配に気づいた猫はすぐに起き上がり逃げてしまった。

「あー……」

伸ばした手が空を切ってしまい、悲しそうに猫が消えてしまった場所をずっと見てる姿を見て思わず笑ってしまった。

「……ふふ。いつかまた触れるよ」

「触れるようになる日来るかな」

「絶対にくる」

そう強く言うと、弟はまたギュッと私の手を強く握り微笑んだ。


夜風が肌を撫で、潮の香りが鼻をくすぐる。海に続く道は静かで、どこか神秘的だった。弟は目を輝かせながら、見つけたもの全てに感動していた。「見て!」と指差す先にあるものがどんなに些細なものであっても、弟にとっても新しい体験だ。

そんな時間がとても楽しくてゆっくりとゆっくりと街を見ながら海へと向かった。


砂浜にたどり着き1歩踏み出すと弟は盛大に転んでしまった。病院の床しか歩いたことの無い弟に取ってはとても歩きづらいだろう。

それでも弟はすごい!楽しい!と喜び、何度も転びそうになりつつも波が足首にあたる位置まで私たちは歩いた。

病院の窓から見ていた景色が今は手に届く距離だ。

夜の寒さなんてものは感じなかった。

今感じるのは弟の暖かな体温だけ。


……歩くこともままならず、ずっと病院のベッドで過ごしていたあの日々はとても退屈だっただろう。

そんな未来を考えることが出来ず目に光を灯すことも無くなった弟の目が今はキラキラと輝いていて笑っていた。

弟が私の方を見て笑顔で言った。

「お姉ちゃん、ありがとう。お姉ちゃんと一緒なら僕怖くないよ」

その言葉聞いて、また心が締め付けられる。

ずっと一緒だと約束したのにどうしてこんなに辛くなるんだろう。

……ここでは私たちは幸せになれない。それがわかってしまったからだろうか。


私はそっと弟の手を引いて海へと近づく。

いけないことだって、わかっていた。


微睡みの中、波や風の音に混ざるように優しい声が聞こえた。

その声はたしかに私たちのことを呼んでいた。

それはどこか懐かしく、そして抗えないもの……

「お姉ちゃん、神様が僕たちを呼んでる」

弟もこの声が聞こえていたのか。

同じ声が弟にも聞こえていたことにドキドキと心が高鳴り始める。

私が毎日祠で願っていたことは神様に届いていたのか。

「行こう。お姉ちゃん」

そう弟に言われ私たちはそっと海に足を踏み入れた。

冷たいはずの水が不思議と暖かく感じる。

月夜の光が道しるべのように海に続き、波は私たちを海の中へと誘導するように優しく足を撫でる。

ちゃぷちゃぷと音を立て海の中に入ると海の水は私たちを守ってくれるように優しく包み込んでくれた。

懐かしく感じた。まるで、お母さんのお腹の中に二人でいた時のような安心感だ。

ふわりとした感覚に身を委ねながら、弟の手を握りしめ私たちはそっと目を閉じた。


━━━━━懐かしい夢。

いつの間に寝ていたのだろうか。

ゆっくりと身体を起こし、まだぼやける頭で夢の内容を思い出す。

あれはきっと昔の私だ。

昔の私と記憶はここに来てからほとんどなかったけど、あの夢の中で起こったことは実際に昔私たちが体験したことなんだとなんとなく思った。


そんなことを考え顔を上げると弟が遠くに見えた。

楽しそうに笑って遊ぶ可愛い弟。

大きな声で名前を呼ぶと声を

振り向きニコニコと笑いながら私の方に走って飛びついてきた。


あぁ、弟が走ってる。笑ってる。

こんなに元気に遊んでる姿を見れるなんて……

これからはずっと一緒にいられるんだ。

━━こんな当たり前の幸せがこんなにも嬉しいなんて。

ギュッと私に抱きついてきた弟の温もりを身体全身で感じ私は溢れるほどの幸せを感じた。


これからは辛いことも幸せなことも、苦しいも楽しいも、全部半分こにできるんだ。


私たちが幸せになれる場所で

神様は私たちに仕事を与えた。

この海を守り、神様の手伝いをすること。


ありがとう、神様。私たちのお願いを叶えてくれて。こんな幸せなことはない。

これからはずっと一緒だ。

神様に守られながらこの幸せを分かち合って生きていく

━━━━それが私たちの新しい役目

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