明け渡る幻想第四次、歌ってWinnie-The-Pooh

雑務

明け渡る幻想第四次、歌ってWinnie-The-Pooh

 こうして風の強い夜、夢を見ていたプーさんは風船と一緒にハチミツの木の上に飛ばされました。ハチミツをお腹いっぱい食べて、プーさんはとても幸せでした。『東京ディズニーランド・プーさんのハニーハント』


 これは僕のパパ活の物語。いったい誰が、僕ではなかったのか。誰が、僕になりそこねたのか。

 

 あまりにも幼くて意地汚くて不快。ちいさくて白いのが無性に腹立たしい。そんなキャラクターがしっちゃかめっちゃか。それでもこの漫画は売れた。この漫画のキャラクターとコラボしたコンビニの一番くじは販売開始してから1時間で完売した。超絶怒涛の大ヒット。印税はびっくりする程の額なんだろう。

「それがね、印税がびっくりするほどの額でね」

 ウニ軍艦に手を伸ばしながら彼は呟いた。

「グッズとかが売れるとね、入ってくる額がえげつなくてね」

 ウニ軍艦を頬張ると、彼は目を閉じてゆっくり咀嚼する。二人の間に沈黙が流れる。ちらっと彼を見ると、頬に米粒が一粒ついている。

「まあ、分かりやすくて単純な物語ってみんな大好きだからね。複雑なものってあまり求められてないんだよね。で、まあ、とにかく売れたから君を、こんなにいいお寿司屋さんに連れてこれたんだけどね」

 つらつらと語る彼と、あくびを嚙み殺す僕。バフンウニとムラサキウニの違いも分からない大学生の僕には、場違いな空間のように感じる。

 「緊張していて可愛いね、手がちょっと震えてるね」

 たしかにウニ軍艦を持つ指は震えている。場違いな場の雰囲気に呑まれてしまっているのも一因としてあるのかもしれないが…………。男同士、しかも大学生とおじさん。この異様な二人の組み合わせを、彼は何とも思っていないのだろうか。

 一流の江戸前寿司は基本、大将の「おまかせ」らしい。玉子が出てきたらコース終了の合図、というのが一般的。玉子を当てつけがましく突き付けられた僕たちは、会計をして退店する。彼はアメックスのブラックカードをこれ見よがしにちらつかせた。

「さっきからずっとほっぺに米粒がついてるよ」

 彼の人差し指が僕の頬を撫でた。


 さっきまでの落ち着いた寿司屋の雰囲気とは対照的に、新宿の夜の街は、ネオンの灯りがドラッグの臭いに乱反射して朧気だ。この立ち並ぶラブホテルのどこかがこの夜の目的地なんだろう。

「今日はちょっと太っ腹に、4万でどうかな?」

「うん、それでいいよ」

「ねえ、ちょっとくらい笑顔つくってくれてもいいじゃん。笑顔はタダなんだから」

「そうだね」

 血も涙もない冷淡な会話も僕らの大事なコミュニケーション。僕と彼は呑み込まれるようにラブホテルへと入っていった。部屋に入ると白いダブルベッドが目に入る。僕と彼はベッドに腰かける。彼が慣れた手つきで部屋の照明を薄明りにする。スマホのスクリーンが天井を四角く照らす。

「最近はさ、曲作ってるの?」

「まあ、うん」

 僕は大学で軽音サークルに入り、ギターを始めた。だけどなんかすごくどうでもよくなって以来、サークルには顔を出していない。本当は曲の作り方すらも知らない。憧れてはいるんだけれど。しかし彼の前では、『ミュージシャンを目指していてレコード会社から何社かスカウトを受けたこともある』という話にしている。なんとなく、彼の前ではいろいろ頑張っているように振舞った方が喜ばれる気がしたから。そしてお金もいっぱいくれる気がしてるから。本当は大学もずっと通えてないし、バイトも辞めたし、ほとんど引きこもり状態。ピングーを157話全部見た。夢なんかとっくに消えた。

「いいね、ミュージシャンになるっていう大きな夢があって」

「漫画をヒットさせた方がもっとすごいじゃん」

「あの漫画にはそんなに思い入れがなくってね。本当はさ、他の漫画をヒットさせたくてずっと夢見てたんだよ」

「前言ってたラブストーリーの漫画のやつ?」

「そうそう、それそれ」

「買ったよその漫画。たしか1冊だけ。家の本棚にあるよ。タワマンから男の人と女の人が天の川を眺めてる絵が表紙のやつ」

「第ニ巻だね」

「その漫画の表紙みたいに、あんなたくさんの星、街中じゃ見られないと思うよ」

「せっかく物語の中の世界なんだからさ、物語の中くらい、寂しい星空より満天の星空の方がいいでしょ」

「そういうものなのかなあ」

「そういうものだよ」

「それに、ゲイでしょ? よく男女のラブストーリーを描こうと思ったね」

「ゲイなのはお互いね。物語の世界を創り出すコツはね、自分に2回言い聞かせることだよ。自分はこの物語の主人公、自分はこの物語の主人公。自分は女の子と恋愛している、自分は女の子と恋愛している、満天の星空が見える、満天の星空が見えるって。2回唱えて自分に言い聞かせることで、物語を創り出せるしその中に入り込めるんだよ」

「何それ」

 いつの間にか部屋の照明は真っ暗になっていた。


『遺体は大ヒット漫画の作者…………自殺!?事故!? -芸能ニュース』

 ネットニュースの記事は一斉に全国へ広まった。世間からすれば寝耳に水だろう。僕でさえ、まだ飲み込み切れていない。

『28日夕方、横浜駅近くのビルから38歳の男性が飛び降りた。男性は死亡が確認され、警察が当時の詳しい状況を調べている。』

 記事の横には、二足揃った革靴が透明の袋に詰められた写真が添えられている。

『…………アイデアとギャグを生み出し続けることに疲れてしまったのだろう』

『…………コロナ禍における孤独感が彼を追い詰めたのか』

 自殺の真実を探る憶測コメントがどんどんと出てくる。ほんわかとした漫画の雰囲気に似つかわしくない死はあまりにも衝撃的で、民衆の頭を混乱と不安で満たしてしまった。死を自分たちの納得のいく物語で再び覆い隠して日常生活から切り離しでもしなければ、人の頭は簡単に破裂してしまう。

『家に閉じこもる生活を強いられたストレスから…………』

『ポストコロナ時代に世界が変わってしまうことの不安によって…………』

 ネットの様々な場所でこういったことが囁かれている。そんな単純な理由なんだろうか。あのとき、死の直前まで彼と一緒にいたが、不安やストレスを抱えた表情はしていなかった。ビルの屋上から飛び降りる直前まで…………。

 

 彼が飛び降り自殺をした日の夜、自宅に帰った僕は、そそくさと全てのカーテンを閉めた。

「もう僕にかまってくれるのは君しかいなくなっちゃったよ」

 プーさんのぬいぐるみを抱きながらソファに座る。子供のころに家族で東京ディズニーランドに遊びに行ったときに買ったプーさんのぬいぐるみだ。腕で抱きかかえるのにちょうどいいサイズ。プーさんといっしょだから毎日さみしくない。

「お金くれるパパももういなくなっちゃたし、これからどうやって生活していこうね」

 プーさんと言葉と心は通わない。でも温もりだけならある。

「これからどうしよう、ねえたまにはなんとか言ってよ」

 プーさんは一切言葉を発しない。

「どう生きていったらいいのか分かんないよ」

「プーさんだったらこれからどうするの」

「あの人、飛び降りるとき言ってたよ、夢を叶えてねって」

「夢って、ミュージシャンのことだよね」

「今からミュージシャンになれるわけないし」

「もっと早く頑張ってればなれたのかな」

「でも頑張り方も分かんないよ」

「あの人は本当の僕なんか知らないまま死んだんだね」

「僕もあの人が飛び降りた理由だって分かんないし」

「プーさんは本当の僕を分かってる?」

「分かりっこないよね」

「眠いね、プーさんはもう寝てるの?」

「おやすみ」


 夢の中で僕が見た光景は、あのビルの屋上だった。雨あがりの夜空に、僕と彼はいっしょに立っている。ジンライムのようなお月様が空に輝いている。夢の中で、彼の飛び降り自殺当日の風景が鮮明に再現されていた。

「君の夢、叶うように願ってるよ」

 彼は僕の目を見て笑顔で呟いた。僕は彼の目をまっすぐに見ることが出来なかった。

「よかったよ、こんな日にこんな満天の星空で」

 雲がかかっていて、星は数えるほどしか見えていない。

「じゃあさようなら、僕はもう一度夢を見ることができる場所に行くよ」

 彼は僕に背中を向ける。一歩ずつゆっくりと歩く。僕は声をかけるでもなく、ただ茫然と見ているだけだ。僕はもう一度夜空を見上げてみた。やはり星はわずかにしか見えない。彼の、もう一度夢を見ることができるという場所に僕はいるのだろうか。彼は革靴を脱いで、雨露で濡れた柵をよじ登る。そして、気が付くとそこに彼の姿はなくなっていた。


 夢から目覚めると抱きしめていたはずのプーさんがベッドから落下していた。朝焼けがカーテンを赤く染めている。ベッドから起き上がると軽く伸びとあくびをする。

「おはよう、プーさん」

 ポットが浮き上がるとティーカップに紅茶を注いだ。カーテンが開くと大きなフクロウが垂直に飛び上がった。電柱の上からスローロリスの大きな丸い目がこちらを見つめている。

「今日はすごく変な日だね、プーさん」

 テレビをつけるとテレビスタジオにライオンが乱入して大混乱の最中、アナウンサーが淡々と天気予報を読み上げていた。その後アナウンサーは咬み殺された。緊急速報のテロップが入る。『救急車28台が破裂。ハチミツの吸いすぎが原因と見られる。』

 カーテンを開けてみると、飛行機はブラックホールに吸い込まれ、そこら中をぴょんぴょん跳ね回る野良猫のせいで街は上下に揺れていた。そして、どかんと僕の家の玄関の扉を突き破ってタクシーが入ってきた。そして洗面台の横に停車する。運転席にはプーさん、助手席にはピグレットが座っている。

「このタクシーはどこに行くんですか」

「お客さんから運転手の私に目的地を聞かれたのは初めてですよ」

「プーさんってしゃべるんだ」

「目的地がどこだったとしても文句言わないでくださいね」

 タクシーで流れるラジオはスローロリスに警戒するよう呼び掛けている。唯一毒を持ったサルで、噛みつかれるとアナフィラキシーショックの危険があるのだとか。よく見ると、道路標識は全てプーさんの絵になっている。地下につながるトンネルから子供の叫び声が聞こえた。どこにつながるトンネルなんだろう。地下からハチミツが噴き出してマンホールが吹き飛ばされる。ブンブンという音がだんだんと大きくなってくるといつの間にか、タクシーの周りをミツバチの大群が飛び交っていた。

「大丈夫ですよ、気にしないでください」

 間もなく空飛ぶゾウがどこからともなく現れ、ミツバチを一匹残らず吸い込んだ。しかし僕の記憶まで吸い込まれてしまったような気がする。何事もなかったように車外が静かになると、日差しが車内に差し込んだ。


「じゃあここが目的地でいいですね」

 タクシーが停車すると同時に、プーさんとピグレットも凍ったように静止した。静寂が不気味で恐ろしい。タクシーから飛び出すように降りると、そこはビルの屋上だった。僕はパジャマのままだ。僕の足元にプーさんのぬいぐるみが落ちている。僕の右手でプーさんの左手を握って持ち上げる。そのまま前に歩き出す。目の前には新しい物語への扉がある。あとはドアノブを握るだけだ。

「僕たちの新しい歌だよ」

 僕は鼻歌を奏でる。メロディーが次々に頭に浮かんでくる。

「プーさん、ずっと一緒だよ。プーさん、ずっと一緒だよ」

 そう呟くと、扉が開く。満天の星空が広がった。

 僕は一歩踏み出した。

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