be the bell
@karas_saibi
第1話 モノローグ
私である翔音という個体として、、いや私である必要があるとすれば孫の意図だったのかもしれないと彼女が産まれてから思う。
イロハ歌、無量寿経が発端でもある落語の寿限無の様な文字が連なりである様に、私達も連なりであり通過点、そしてそれは『おまじない』じみたモノが確かにそこには有りそうだ。
宿命を感じるまでもなく過ぎ去っていく、少なくとも私はそうだった。
唯の霊媒師として、坂木翔音として、立ち会ったその物語を振り返ってみよう。
私が気付けなかった事も偶然ではないはずなのだ。
しかしながら私は生物としてそれを選んでいるはず。
そして今振り返るのも私の為でしかない。そう思っている。
またもっと身近なもので言えば「ABC」と続くのも「あいうえお」と続くのも意味があるはずなのだ。
そこには今呪術は隠されていないとみるのは自然だろう。
その理由は異変を起こさない為か?或いは人を守る為なのか?
其れは民度と同じ様に私達の当たり前が与えるモノ。
例えば民度は一万人の客に対し三千の警備をつける事で滅茶ができない様にする。
其れが続く事により何も起こらない事が自然だと思う様になる。
そんな積み重ねで民度という常識をこの国は作ってきた。
同じ様に「あいうえお」つまり五十音と言われるモノも何かあるはずなのだ。少なくとも何か利点があるはずなのだ。
例えば母音を並べ、母音に準じる。ローマ字で表した時に理解しやすくなる。
ではローマ字の影響が少ない戦前や江戸時代はどうだったのだろう?今とは違う形式のモノがあっただろう。
また昔の呪術がそこに隠されていると考えるのも不思議ではないだろう。
言葉は人を戒め。また律してきた。その戒律を、変遷を私達は今考えるべきなのかもしれない。
そこに隠された意図を呪術を今私は掘り起こす。
いや私の記憶を紡ぐだけだろう。人は未だ完璧ではない。
全て曖昧な感情が先立って、回帰するものに過ぎない。
私は間違っている事を恐れない。何故なら感情論において、私が生きる事も不文律に過ぎず、極論いない方が良いのだ。
まぁ長くなったが孫たちの情の物語の始まりを私の主観で始めよう。
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