君の手料理が食べたい
遠村椎茸
君の手料理が食べたい
君の手料理が食べたい
遠村椎茸
今日は、彼女の部屋でおうちデートだ。
交際が始まって二か月になるが、部屋を訪れるのは初めてのことである。
教えてもらった通りに駅からの道をたどってやってきたのだが……。
本当に、ここでいいのだろうか?
目の前に聳え立つタワーマンション。
ぼくは普通のアパートを想像していた。
アーバン・レジデンス・クライスト。
間違いないよな。
5203号室。
長い部屋番号だとは思ったけれど……。
五十二階の三号室ということだろうか?
見上げると高層階は霞んで見えない。
エントランスは豪華で、まるで高級ホテルのよう。
とりあえず中に入ってみようかと近づいたのだが……。
おかしい。
自動ドアが開かない。
どうすりゃいいんだろう?
じたばたしているうちに、横に操作盤があることに気がついた。
操作盤にはテンキーがついている。
オートロック式というやつか。
入口で部屋番号を押せと言われたのは、このことだったんだ。
5、2、0、3と入力し「ベル」ボタンを押す。
しばらくして、「はぁい」と返事があった。
わ! ほんとに住んでる。
彼女の声である。
しどろもどろで名乗ることも忘れ「あ、ぼくです」とぼくは応えた。
「いま開けるね」
彼女が言うのと同時に、エントランスのドアが開く。
「入ったら、正面右のエスカレーターを上がってね。エレベータ・ホールは二階にあるの」
「わかった」
そう応えて中に入る。
すごい、一階にコンビニまである。
キョロキョロしながらエスカレーターで二階に上がると、正面にコンシェルジュ・カウンターがあった。
綺麗なお姉さんに挨拶され、照れながらエレベーターに乗る。
なぜか、押してもいないのに五十二階のボタンが点灯している。
そして、エレベーターは音もなくあっというまに該当階に到着した。
長い廊下を歩き、表札を確認してインターホンを鳴らす。
ピンポン。
「ちょっと待ってて」とスピーカーから声がして、しばらくするとドアが開いた。
「いらっしゃい」
彼女が笑顔で迎えてくれる。
「すごいところに住んでるんだね」
「うん。パパがね、人でなしの悪党で悪いことばっかりしてるからお金だけはあるの」
謙遜のつもりか冗談なのか。
「またまた」
只ならぬプレッシャーから逃れるため、ぼくは話題を変えようと試みる。
「あ、そうそう。これ、途中で買ってきたんだ。あとで食べよ」
ケーキの入った箱を彼女に渡しながらそう言った。
「わぁ楽しみ。ありがと。上がって。すぐにお茶を入れるから」
「うん」
どこで靴を脱いだらいいのか分からないほど広い玄関の横に、これまた馬鹿でかいシューズ・イン・クローゼットが設けられている。
三人ぐらいなら中で暮らせそうだなと思いながら、廊下を歩いてやっとリビングにたどり着いた。
十七畳ほどのリビング。それにアイランド・キッチンが隣接している。
もったいないくらい広い。
窓の外に目をやると遠くの方に富士山が見えた。
近づいて見下ろせば、地上を歩く人間がまるでごみのようだ。
はぁ。
思わずため息が漏れる。
まるでアニメのような世界観。
美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、我に返って振り向くと、IHクッキングヒーターに大きな鍋が掛けられている。
「なにか作ってるの?」
ぼくが訊くと、えへへと彼女は笑った。
「なにご馳走してくれるのさ?」
そう尋ねると、「ひひひの秘密」と応えて、彼女は電気ケトルに水を入れスイッチを押した。
「ちょっとトイレに行ってくるね。くつろいでて」
と、小走りに部屋を出て行く。
まったく頓着がない。遠慮のないところがとても可愛い。
モテる筈だよな。
才色兼備でお金持ち。
恋にまつわる噂は絶えたことがない。
そんな艶っぽい話を耳にするたび、ぼくは心を痛めていた。
まさに高嶺の花。手の届かない崖に咲く一輪の可憐な高山植物だったのに……。
ぼくなんかで良いのだろうか?
今のこの状況を彼女の歴代のボーイフレンド達が見たら、なんと思うことだろう?
おまえごときが! 身の程を知れ! 分をわきまえろ!
袋叩きだな。
でも、正直、月収二十五万のこんな男とじゃ釣り合いが取れないだろうに…。
そんなことをぼうっと考えていると、再び美味しそうな香りが鼻をくすぐった。
キッチンの鍋に目を向ける。
料理好きだとは聞いている。
本当にいい匂いだ。
なにを作っているんだろう?
気になって鍋に近づき、蓋を取って目を疑った。
手が入っている。
あはは。
ばかな。
おちつけ。
おまえは、いま、とても緊張している。
なんせ初めてのおうちデートだ。
そっと蓋を閉じる。
深呼吸して、もういちど開けてみた。
やはり、手が、おそらく醤油に砂糖、酒とみりんで甘辛く煮込んである。
臭みを消すためだろう、スライスしたショウガまで入っている。チューブ入りを使わないところなど、手が込んでいる。手料理だけに……。
なんてのんきなことを考えている場合ではない。
しかし、まさかな。
ちょっと疲れてるだけだ。
最近、仕事が忙しかったし。
興奮して昨夜は眠れなかったし。
なにか特殊な食材を使ってるんだ。きっと。
そうだよ、見間違いだ。アヒルとかブタの足だ。そうに違いない。
キッチンの隅にやたらと大きな冷蔵庫が置いてある。
業務用かな?
本当に、料理が好きなんだな。
悪いとは思ったが、確認のため、そっとドアを開けてみた。
冷蔵庫の中から、青ざめた顔の見知らぬ男がこちらを見つめている。
膜が張ったような白い眼をして……。
なんかちょっと不自然だなと思いよく目を凝らすと、首から下が見当たらない。
えーと?
まとまらない考えをなんとかまとめようと必死になっているとき、後ろから彼女の声がした。
「違うのっ!」
なにが違うのだろう?
状況に追いつけず動くことも出来ないまま、ぼくは考えた。
血を吐くように彼女は言葉を続ける。
「これは……。これは、弟なのっ!」
なんの言い訳だ?
元カレと言ってもらった方が、まだ腑に落ちる。
恐怖が二倍増しになって返ってきた。
祈るように見つめる彼女が必死の面持ちで訴えた。
「私の言うことが信じられないの?」
ボーイフレンドに弟を食べさせようという女の子の、なにをどう信じればよいのか?
だめだ、逃げなきゃ!
玄関に続くドアは、どれだ?
慌てたぼくは、いくつかある扉のうち自分に一番近いドア・ノブをつかんだ。
彼女が叫ぶ。
「あっ、だめ! そこは食糧庫なの!」
動転して開けてしまったウォーク・イン・クローゼットの中から冷たい空気が流れ出す。
中には、ぼくの知らない男達の無数の死体がぶら下がっていた。
ねえ、もうすぐ誕生日でしょう。プレゼントはなにがいい?
なんでもいいよ。君がくれるものなら、なにをもらっても嬉しいから。
なにか選んでよ。
じゃあね……、君の手料理が食べたい。
その懐に呑んだな
<終>
君の手料理が食べたい 遠村椎茸 @Shiitake60
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