死んだ幼馴染がラジオのパーソナリティをしている件
そこいち
第1話
──ピピピピ!
予めセットしておいたスマホのアラームが深夜二時を迎えて大きい音を鳴らした。
一瞬で目覚めたオレは反射のように飛び起きる。
寝坊しないよう念のためにセットした、腕につけたスマートウォッチの振動アラームもブルブルと鳴っている。
寝たのは0時くらいなのでほんのちょっとしか寝ていない。
明日も学校なので少しでも寝ていたほうがいい。
体はだるく、睡眠不足をこれでもかと訴えてきいる。
それでもオレの意識はこの上なく晴れ渡っていた。
まるで小学校の頃、楽しみにしていた遠足当日の朝のように爽快な気分だ。
今日もこの時間がやってきた。
待ち遠しくてたまらない、この時間。
エアコンを強くして寝たせいで少し冷えた体を温めるように、腕をさすりながらオレは自分の部屋の押し入れを開けた。
「重っ」
押し入れから取り出したのは古びたラジオ。
親父が昔使っていたもので、筐体がデカく電池を無駄に使う今の時代にはそぐわない骨董品だ。
「電源は……よし、入るな」
燃費が悪いのか、電池を四本も使うくせにすぐに電池切れになってしまうので注意が必要だ。
絶対に聴き逃せない番組。彼女がしゃべってる途中で電池切れなんてたまったもんじゃない。
「さあ、今日も声を聞かせてくれ」
この時間にしか現れないチャンネル。
スマホのアプリではダメだった。
ダイヤルを捻って周波数を合わせる、古いタイプのラジオ機でしかこのチャンネルは現れない。
ガガガガ、と放送局が存在しないチャンネル特有のノイズが響く。
現在の時刻は二時二十分。
放送が開始されるまで、あと二分だ。
──ガガガガ、ガ──。
聞こえてくるのはノイズのみ。
机に座り、どでかいラジオ機を目の前においてじっとその音を聞く。
待っているこの時間にはいつも慣れず、毎回緊張してしまう。
今日はもう無いんじゃないか、今までのは全て幻だったんじゃないか。
そんな不安をどうしても胸に抱いてしまう。
だってこれから始まるのは彼岸のラジオ。
自分が会いたいと望む死者の声を聴くことのできる唯一の手段。
ここ最近はこの時間のために生きていると言っても過言じゃない。
オレ──山本颯太の時間はあの時から止まっているのだから。
『さあ始まりました! 真夜中ラジオのお時間です!』
──ああ。
変わらないその明るい声。
ゲームのネーミングをそのままパクったような名前を告げるタイトルコール。
いかにもあいつらしくて、オレをからかってニヤニヤ笑う彼女の顔が鮮明に脳裏に浮かんだ。
「柚子……今日も元気そうだな」
ラジオのパーソナリティを務めるのは先月の初めに亡くなったオレの幼馴染。
意味深にオレに話があると言っておきながら、会う前に勝手にこの世からいなくなってしまった女性。
もう二度と聴くことができないと思っていた
※ ※ ※
「颯太! 約束忘れてないわよね⁉︎」
「え?」
高校の授業終わり。
ようやく迎えた放課後にワクワクしながら帰宅しようとしていたオレに幼馴染の柏木柚子がいきなりそんなことを言ってきた。
長い黒髪をポニーテールでまとめ、いかにも運動部って感じに引き締まった体が健康的な印象を与える。
運動が好きなくせに日焼けはいやらしく、肌のケアを欠かさないらしい。その甲斐あってか、彼女は活発な割に肌が白い。
ただそもそも元がいいのにそんなに気にする必要もあるのかと疑問に思うほどには柚子は美人だ。
その見た目通りにアクティブな性格で、同性にも異性にも人気のある柚子は事あるごとにオレを振り回す。
対してオレは友達も多くなくて、授業が終わったらそのまま机に突っ伏して時間が過ぎるのを待つのが日課な人間だ。
多少なりとも喋る友達はいるが、クラス替えしたばかりの高校二年の始まりは初っ端の関係構築に失敗し完全において行かれた。
もちろん、女友達なんて柚子以外にいない。
幼稚園からの付き合いじゃなければオレは絶対に柚子とは関わらなかっただろう。
「ああ! やっぱり忘れてる!」
「な、なんのことだよ……」
「質問です! 明日は何の日でしょう!」
眉を吊り上げ、気丈なその性格を表情でこれでもかと表現にしながら彼女はオレを問い詰める。
明日は何の日かと言われても困る。
学校があるから祝日じゃないし、普通の平日ど真ん中だ。
そう考えると全体的なイベントじゃなく、個人的なイベントだろう。
平日であれば何かの特売日だったろうか?
彼女の好きなクッキー屋、音楽バンド、人気カフェのイベント……あっ。
「柚子が前言ってたメガ盛りマキシマム生クリームパンケーキを食べる日?」
「違う! それは食べるけど明日じゃない!」
違った。
覚えているのは顔の大きさくらいの生クリームをソフトクリームのように乗せた、五重の塔のように聳え立つ五枚重ねのパンケーキ。
更に上から雪のように砂糖を塗して完成させ、食べ物というにはもはや疑問の残るそのパンケーキの写真を嬉しそうに見せてきた彼女が、連れて行けとやたらしつこくねだってきたのを思い出したのだけど……違ったようだ。
「あ、でもそれでもいいわね」
「それでもいいって何だよ! 変動するのかよ⁉︎」
「黙りなさい! いいからさっさと思い出して!」
いつものごとく、理不尽な彼女。
他の人の前ではもっと思いやりのある女性のくせに、オレにはいつもこんな調子で我が儘だ。
内容は変動してもいい、でも明日は何か特別な日?
そこまで考えて、オレは今日の日付を思い出した。
「七月七日……柚子の誕生日か!」
「正解! なんで忘れてたのよ⁉︎」
「いや正解したのに怒んなよ⁉︎」
「問題はそこじゃない!」
柚子はどんどんオレに顔を近づけてくる。
相変わらず綺麗な肌だ。
白い肌に若干茶色の入った大きな瞳。
柚子のくせに、女の子みたいな良い匂いがフワッと鼻に香ったせいで、変に意識してしまった。
「あのね、この前約束してくれたじゃない! 私の誕生日に好きなところに連れてってくれるって……なによ?」
「い、いや別に」
普段は勝手に喋りまくってこちらの疲弊した様子なんてちっとも気にしない癖に。
柚子の顔を直視できなくなってしまったオレの変化にはめざとく気づいてしまった。
「あれぇ? もしかして︎ぇ……照れてる?」
「て、照れてねえよ!」
「あははは! 颯太のくせに私に照れちゃったのぉ! もう颯太も男の子なんだからぁ!」
「やかましい!」
しつこく絡んで背中をバンバン叩いてくる柚子に辟易する。
やっぱりこいつは女として見れん。こんな鬱陶しい彼女なんて絶対嫌だ。
たまたま身近に仲のいい同い年の女の子がいないから、柚子を変に意識してしまうだけなんだ。
もっと他の女子とも仲良くなったら、こんな気持ちをこいつに抱くはずなんてない!
「痛いって叩くな!」
「あははは、はあ……ほんと颯太って面白いわねえ」
「はいはい、そうですか」
「まあ? 颯太がぁ、私とぉ、どうしてもデートがしたいってなら、あのカフェにご一緒してあげてもよくってよ?」
「どうしても」の部分を強調しながら、サディスティックな笑みを浮かべてくる柚子。
とても嬉しそうにオレを見つめる彼女は、どうやらまだオレのことを揶揄い足りないらしい。
みんなは明るくて人懐っこく、社交的という仮面に隠されたこいつの意地悪な本性を知っているのだろうか?
これ以上、何か言われても嫌なので適当にここらで反撃をしておく。
「あんなグロテスク・ハイカロリー・モンスターを食べたいなんて正気か? デブまっしぐらだぞ」
「何? なんか言った?」
「何でもありません」
反撃したはいいが、真顔に戻った柚子が怖かったのでここらで切り上げておく。
君子危うきに近寄らずであり、触らぬ神に祟なしだ。
「……ねえ、颯太」
「何だよ?」
真顔に戻ったついでに声のトーンまで変わってしまった。
さっきまでのふざけた感じではなく、真面目な雰囲気でオレの名前を呼んでくる。
「どうした?」
感情の振れ幅が凄すぎるだろう。
実は深刻な悩みでも抱えていたりするのだろうか?
あれほど楽しそうにしていたくせに、柚子はどこか思い詰めたような表情を浮かべている。
表情をコロコロ変えるのは柚子の得意技だが、この表情はオレの好むものじゃない。
オレの返しにも答えず、黙ってしまった。
そのまま続く気まずい沈黙。
仕方ないのでオレはスマホを取り出して、彼女の言っていたカフェのホームページを開いた。
「柚子」
「……」
「ほら、柚子の食べたいって言ってたパンケーキ。予約取ったぞ」
「え?」
彼女の言っていたパンケーキは、人気店なだけあって予約しないと食べられない。
明日も平日だったおかげか、満席ということはなく予約がすんなりと取れた。
「学校帰りに直接行こうぜ。制服のままでいいよな?」
「……うん、勿論! ありがとう颯太!」
どうやら機嫌を持ち直してくれたようだ。
しかしいきなり気分を急降下させるとは、一体何なんだ。
嫌なことでもあったのかと、少しばかり心配になってしまう。
「どうした? 何か話したいことあったんか? 聞くだけならいくらでも聞くぞ。暇だから」
「え、そ、それは……」
少し黙った後、柚子はとても変な言葉を口にした。
「颯太はさ、好きな女の子とかいるの?」
「は?」
一体何を言ってるんだこいつは。
オレにそんなものがいればもっとオレの人生は色鮮やかなはずだ。
この数ヶ月間、クラス替え早々ぼっちになったオレのどこを見ていたというのか。
「だって、昨日さ。二組の紗季ちゃんと楽しそうに一緒に帰ってたじゃん」
──ああ!
柚子の言っているのは一年の頃に同じクラスだった相島紗季。
長い黒髪を腰まで伸ばした、柚子と同じくらいに美人と評判な子だ。
でもその性格は柚子と正反対である。
大人しく、窓から吹き込む風で靡く髪を抑えて物憂げに外の様子を見ているような、大人しいというかミステリアスな雰囲気を感じる女子、それが相島紗季だ。
まあ、今のはオレの妄想からのイメージでそんな光景を見たことはないけど。
相島紗季は休憩時間は机で本を読んだりと、一人で過ごすことがほとんどだった。
キッカケはもう覚えてないけど、同じぼっち気質の共鳴故か、少し会話を交わす仲になったのだ。
昨日もクラス替え以降、久しぶりに下駄箱でばったり会ったので、オススメの小説とか映画の話をしながらたまたま一緒に帰ったくらいの仲。
あんな綺麗な子と仲睦まじく恋人のように帰れればそれはとても嬉しいことだけど、残念ながら全ては妄想だ。
しばらく歩くともう家が近いからと言われて、すぐに別々の道で帰ったしな。
「たまたまだよ。一緒に帰ったけどそんなに仲がいい訳でもないぜ?」
帰り道から始まるオレと相島の物語、なんてものはモテない男の……オレの妄想にすぎない。
でも、どうやら柚子にはそうは見えなかったようだ。
柚子から見た光景が真実だったらどんなに良かったろうか。
その長い黒髪を片手で耳にかけてこちらに微笑む相島紗季の姿を妄想していると、ぼそっと柚子がつぶやいた。
「私、颯太のこと待ってたのに」
「え? なんか言った?」
妄想の世界に片足突っ込んでたオレはその言葉を聞き逃してまう。
思わず聞き返すと、柚子はなぜか怒ったように言ってきた。
「何も言ってない!」
「なんで怒ってんだよ……」
「怒ってない!」
「ええ⁉︎」
明らかに怒ってるのに、怒ってないと怒りながら言われた。
理解不能とはこのことだ。
「とにかく! 明日は絶対に待ってなさいよ! 誰かと勝手に帰ったら怒るからね⁉︎」
「いや、流石にそんなことしねえよ!」
「ふん、どうだか」
「あのなあ、お前の誕生日を祝うために一緒に行くのに、誰かと帰るなんて頭おかしいだろ」
「信じらんない!」
「ええ⁉︎」
一体、何が柚子の機嫌をここまで損ねてしまったのだろうか。
あまりの理不尽さにムカつく気持ちもあるが、明日はこいつの誕生日だ。
仕方ないのでここは自分の気持ちを押し込めて、柚子を立てることにした。
「わかったわかった。じゃあ放課後になったらオレが柚子を教室に迎えに行くから、それでいいだろ?」
「え? 来てくれるの?」
「ああ。そのまま一緒に行けば余計な心配もないだろ」
「へえ、迎えに来てくれるんだぁ」
途端にニヤニヤしだした柚子。
もはや彼女の感情の起伏は、宇宙の真理並みに理解し難いものへと変わっていく。
なぜ宇宙は生まれたのか、なぜ地球にだけ生命が繁栄しているのか、なぜ柚子の機嫌はこうもコロコロ変わるのか。
考えても仕方のないことは考えないようにしよう。
昔の偉いバンドの人は言いました。
レット・イット・ビー、あるがままでと。
「颯太、約束だよ?」
「ああ、約束だ。絶対破らないから安心しろ」
「うふふ!」
「ていうか、お前こそ忘れんなよ」
「はあ⁉︎ 私が忘れる訳ないでしょ!」
「そうかい」
機嫌が治ったらしい柚子とくだらない会話をしている時、下校を告げるチャイムがなった。
このチャイムが鳴って以降、部活もないのに校舎に残っていると先生に目をつけられてしまう。
面倒ごとは御免だ。
「そろそろ帰らないと、先生がうるさいな」
「あ、そうだね。ねえ颯太、一緒に帰ろ」
「あ、わり。ちょっと今日は用事があるからまた明日な」
「ええ⁉︎ 颯太に用事⁉︎」
「うるせえ! オレにだって用事くらいあるわ!」
オレのことを何だと思っているんだこいつは。
まあ、あながち間違ってはないけど。
「ねえ、用事って何よ?」
「用事は用事だよ」
「ふーん、やっぱりあの女の子?」
「はい? ありえねえよ。ていうか、まあ……一人でやらなくちゃならないことがあるんだ」
何だかまた機嫌が悪くなり、オレに絡み出した柚子。
でも今は彼女を相手にしている時間はない。
明日が柚子の誕生日だなんてすっかり忘れていたんだ。
流石にパンケーキを奢るだけじゃダメだろう。
この時間ならセンター街のショップはまだ空いている。
早く行かないと、閉まったら大変だ。
「じゃあまた明日な!」
「あ、ちょっと!」
「わり、急ぐんだ!」
「もう! 明日あんたに話したいことあるんだから絶対学校来なさいよ!」
不満気な表情を浮かべる柚子を置いて歩き出す。
今が夕方の五時だから、選ぶ時間も含めるとそんなに余裕はなかったのだ。
てか、話したいことって何だろう?
何だか妙に気になるので、今ここで聞いてみたい気もするけどあいにくこちらにも時間が無かった。
「話したいこと? ああ楽しみにしているよ!」
「楽しみ⁉︎ しょ、しょうがないわねえ! じゃあね、颯太。楽しみにしてなさい!」
「おう!」
──今、思えば。
もしオレがこの時、柚子と一緒に帰っていたら。
もしオレが柚子の誕生日を忘れずに、プレゼントを事前に用意していたら。
あんなことにはならなかったと後悔する日々を送らずに済んだかもしれない。
もっとオレが、柚子を大切にしていればよかったんだ。
※ ※ ※
夏とはいえ、夜の八時にもなると辺りはとっくに真っ暗だ。
なかなかしっくり来るものが見つからず、時間がかかってしまった。
妥協せずに探し続けた甲斐あって、柚子にぴったりな誕生日プレゼントを無事に買えたのだ、明日はあいつの喜ぶ顔を見られることだろう。
アイツがオレに期待していないことなんて長年の付き合いでわかっているので、このプレゼントはきっと柚子の意表をつくことになる。
オレが選んだプレゼントが好みにピッタリで、嬉しがりながらも驚く柚子の顔を想像すると、不思議と自分の顔まで綻んでしまう。
このプレゼントをいつ渡すのか、パンケーキを食べ終わった後か、食べている途中か……なんて妄想を繰り返しながら歩いていると、いつの間にか家にたどり着いた。
「ただいまー、腹へったあ……ん?」
いつもなら帰ってくる母親の返事がなかった。
母さんには遅くなるとLINEで伝えたけど、流石にこの時間になると怒られるかもしれないと気にしていたけど……まさかめっちゃ怒ってる?
いつもなら、返事の一つも返ってくるはずなのに、LINEが既読になっただけで特に反応は無かった。
不思議に思いつつも、用意してある晩飯を期待してリビングに入ったオレを待っていたのは、遅いと怒る母親じゃなく、何故か泣いて目を腫らした母親の姿だった。
「颯太! 柚子ちゃんがね、柚子ちゃんが……」
「──え?」
泣きながら声を振るわせる母親から柚子の名が出た時、背筋が一瞬でつめたくなった。
あまりに不吉なその雰囲気が、柚子に良くない事が起きたと物語っていたからだ。
まさかそんはずはない、そう思うとした時、母親から柚子がどうなったかを明確に告げられた。
「車に撥ねられて……さっき病院で亡くなったって……」
「柚子が……?」
そんなはずはない。だって柚子とはつい数時間前まで話していて。
あいつは明日の約束を楽しみに待っているんだから。
「学校の帰りにね、車が歩道に突っ込んできて……すぐに病院に運ばれたんだけど……さっき……」
「……う、嘘だ……」
テレビで特集もされた信濃林檎のブランド。そのロゴ入りの紙袋が床に落ちる。
オレはぼうっとその場に突っ立ったまま、ただ母が啜り泣く声をずっと聞いていた。
※ ※ ※
葬儀はすぐに執り行われた。
あれだけ楽しみにしていた柚子との約束の日は通夜に変わり、その翌日は葬式となった。
オレが見たのは嬉しがる柚子の顔じゃなく、棺桶に入り綺麗に整えられた柚子の顔だった。
よく死者を眠る表現するけれど、眠っているなんて表現は間違っているのだと知った。
筋肉が動かなくなり、硬く閉ざした瞼と唇はモノのようだった。
更にその上、血が巡らず土色になった肌を白くしようと死化粧で飾られたその顔はまるで蝋人形のようで、死と眠りの違いを明確にしていた。
固まった蝋のような彼女の顔を見て、何故か目の前の彼女は柚子ではないように感じてしまった。
どれだけ綺麗になっていても、目の前にいるのはただ柚子の形をしているただのモノで──柚子はもうここにはいないんだと、遺体を見てそう思ってしまったのだ。
だっていくら名前を呼んでも彼女は笑わない。
いくら軽口を叩いても彼女は怒らない。
変わらないその表情は、肉が硬直して動かない証。
「柚子……」
涙を溢れさせないためだろうか。
どうしようもない喪失感が広がるこの心を慰めるためだろうか。
柚子の形をしている彼女はもう、柚子じゃないんだと。
オレは彼女の棺の前で、ずっと自分にそう言い聞かせていた。
焼香を上げ、柚子の棺に花を添え、告別の言葉を聞いても出なかった涙は、彼女の棺を見送る時にようやく溢れてきた。
──もう、彼女の姿を見ることはない。
その実感がどうしようもない喪失感を突きつけてきた。
オレは崩れるように、しばらくその場で泣いてしまった。
※ ※ ※
部屋に帰るとすぐに喪服を脱ぎ捨て、下着姿のままベットに転がる。
彼女を乗せた霊柩車が出棺した後は、親族のみが付き添って行きオレは自分の家に帰っていた。
ぼうっと天井を見ていると、考えたくないのに柚子のことばかり思い返してしまう。
マクドナルドで二人で昼飯を食べた時。
オレからポテトを奪い、楽しそうに食べている小学生の柚子。
無理やり第二ボタンを取られた中学の卒業式、ニヤニヤしながら肩を組んできた柚子。
話したいことがあると言って、夕日に紅く染まって綺麗だったあの時の柚子。
そして最後は蝋のように固まった柚子。
「ううっ……」
友達も多くなくて、恋人の気配も全くない、彩りのない人生だと思っていたけど。
オレの人生は十分、柚子に彩られていたんだ。
いつ、どこで、何をしていても。
思い返せば、楽しそう笑う柚子が当たり前のように隣にいた。
失って気付くなんて本当に愚かだ。
オレは柚子に惚れ込んでいたんじゃないか。
ずっと側にいてくれて、ずっと心を温かくしてくれていた彼女。
オレは柚子なしじゃ、まともに生きてさえいけないんだ。
「柚子ぅ……」
あいつの入った棺を見送る時に出し尽くしたと思っていた涙が、またもや溢れてしまう。
そのまましばらく、オレは部屋で一人、また泣き続けてしまった。
しばらくして、ふと目を覚ます。
心の中にあった悲しい気持ちが落ち着いていることに気づいて、ようやく自分が寝落ちしたのだと知る。
時計を見れば夜の十一時。
日はとっくに沈んでいて、部屋の中は真っ暗になっていた。
天井から垂れ下がる紐を引っ張ると、ぶつぶつとした音が鳴り、少し間を置いて部屋が一気に明るくなった。
ふと机の上に目をやると、柚子の誕生日プレゼントに買った林檎の形をしたガラス細工が嵌め込まれたペンダントトップのネックレスが置いてあった。
祭に行けば必ずリンゴ飴を食べ、カフェでは必ずアップルパイを頼むほど林檎が好きだった柚子のために買ったもの。
葬儀の時、棺に一緒に入れておけばよかったと、ぼうっとした頭で思い返して後悔の念が浮かんできた。
「歩くか」
ネックレスを眺めているとまた柚子のことを思い返して泣きたくなってしまう。
なんとなく林檎のペンダントを持って外を歩きたくなった。
もしかしたら、これを持って歩けば柚子と一緒に歩いているような気分になれると思ったのかもしれない。
渡してもいないプレゼントに、故人の思い入れなんてないはずなのに。
この時のオレはやっぱり頭がどうにかしていたんだと思う。
りーりーと、虫の鳴き声が一定間隔で聞こえて来る。
夏とはいえ、夜の道は涼しかった。
虫の音が響くだけで、あたりは静寂に包まれている。
それでもそんな虫の音は、ぼうっとした頭で歩くオレには丁度いいBGMだ。
しばらくあてもなく住宅街を歩いていると、今度はカエルの鳴き声まで聞こえてきた。
──ゲコゲコゲコ。
どうやらカエルの数は多いようで、複数の鳴き声が重なりそれなりに大きな音になっている。
「って、この辺に池なんてあったっけ?」
鳴き声の重なり方からして、まあまあな数がいるのだろう。
もしかしたら、ここらの家の庭に大きな池があるのかもしれない。
そう思っているとどこからかフワッと、濃厚な土草の匂いが鼻に香った。
田舎の畦道を歩く時の匂いを、こんな住宅街で嗅ぐなんて。
匂いの元を探すと、林というには大袈裟な木々が並び立ち、ソレらに覆われるように建つ赤い鳥居があった。
「神社?」
カエルの鳴き声は木々の奥から聞こえていた。
木々の間には石で作られた階段があり、左右に等間隔で並んだ灯籠に照らされている。
こんなとこに神社なんてあっただろうかと疑問に思いながらも、目の前にある大きな鳥居を見上げる。
闇の中でもぼうっと赤い輪郭を浮かべる鳥居には迫力があった。
カエルや虫の鳴き声が聞こえる薄暗い夜の神社なんてゾッとしない。
ここだけ自然が多いおかげで気温が下がっているのか、ひんやりとした空気が肌を撫でて肺を満たす。
局所的な真夏の冷気は、妙な気配さえ感じさせてしまう。
普段のオレなら、気味悪がって絶対に入らなかっただろう。
でも──。
「出てくるなら出てこいよ。なあ、柚子」
もしお化けや幽霊がいるのなら、柚子にもう一度会える可能性もあるのではと考えてしまう。
本当にそんなものがいるのなら、人間には魂があって柚子の幽霊だっているはずなんだ。
なら怖がる必要なんて全くない、むしろ望むところ。
まあまあな高さのある石段を登っていくと、明かりの灯った灯籠に照らされる小さい社が見えた。
賽銭箱や鈴紐はなく、社に上がるために拵えられた三段ばかりのこじんまりとした階段があるのみ。
明かりが灯っているということは神主か誰か残っているのだろうか?
「事務所も賽銭箱もないなんて変な神社だな」
人の気配はしない。
この場にはオレ一人で、何かがいるとしたらそれは人間ではないかもしれない。
「なあ、お前もまだこっちにいるのか柚子?」
箱に入った林檎のネックレスを取り出して彼女に語りかける。
もしまだ柚子が生きていて、柚子にこのネックレスを渡せていたのなら。
彼女は喜んでくれただろうか。
──うわあ、ありがとう! 颯太のくせにやるじゃない!
──うっせ! くせにってなんだよ!
くだらない言い合いをしながら、それでも柚子が喜ぶ姿を鮮明に想像できてしまう。
でもこれは妄想なんかじゃなくて、確実に訪れた未来のはず。
もしあの時、オレが柚子と一緒に帰っていれば。
柚子を置いてさえいかなければ、確かにこの未来はあったはずなんだ。
柚子が轢かれたのは信号のない交差点。
横断歩道を歩いていたところを飲酒運転の車に猛スピードで跳ね飛ばされたんだ。
ほんの数分でも時間がずれていれば、彼女はきっとまだ生きていたはず。
オレがあいつの誕生日を忘れてさえいなければ。
あの時、一緒に帰ろうと言った柚子の誘いをオレが断らなければ。
別に一緒にプレゼントを選ぶこともできたんだ。
でも、オレは柚子を誘うことが恥ずかしくて……あいつをあの時、教室に置いて行った。
「ああ、くそ」
そんなことばかりを考えて、また柚子のことで頭がいっぱいになってしまった。
わかっている、どれだけ悔やんでも過去は変えられない。
柚子はもういなくて、二度と会えない。
オカルトなんてものはまやかしで、不思議なことが起きて柚子にもう一度なんてあり得ないんだって。
「ひぐっ……うう……」
力なく、項垂れるように社の縁に腰を下ろす。
誰もいないこの空間で、それでも込み上げる涙を誰かに見られたくないかのように声を殺し俯きながら、林檎のペンダントを握り締めみっともなく泣いてしまった。
──その時だった。
「だいじょうぶ?」
「え?」
不意に幼い子供の声が不意に耳に届く。
顔を上げると、目の前には着物姿の少女がいた。
「き、君は?」
「……」
オレの問いに答えず、着物姿の小さな子はじっとオレの顔を見つめていた。
見かけからして四歳か五歳くらいだろうか。無表情だけど、くりっとした大きな瞳と、ふっくらとしたほっぺが可愛らしい、お雛さんみたいな黒いおかっぱ頭の女の子だった。
いや、こんな着物姿の少女が一人でこんな時間に、こんな場所にいるなんて怪談以外の何者でもないだろう。
もしかして本当にお化けなのか?
そんなことを考えながら少女を見ていると、その子の視線がオレの手をじっと見ていることに気づいた。
「これ、欲しいの?」
「……」
黙って答えない少女の髪には林檎の髪飾りがついていた。
もしかしたら、この子も柚子と同じように林檎が好きなのかもしれない。
「林檎、好きなのかい?」
「うん」
今度はちゃんと答えてくれた。
林檎が好きな女の子とこんな時間に神社で出会うなんて、なんだか柚子に導かれたみたいで少しだけ気分が高揚した。
この子にあげるため、オレをこの場に導いたのか?
心の中で柚子にそう尋ねながら、オレは林檎のネックレスを着物の少女に差し出した。
「じゃあ、あげるよ。オレにはもう必要ない物だから」
表情ひとつ変えず、手にしたネックレスをじっと見ている少女。
不意に顔を上げてオレを見ると、その子も何かを差し出してきた。
「あげる」
「え?」
代わりにということだろうか。
女の子が差し出してきたのは、古ぼけたお守り。
夜の神社で着物姿の女の子に渡されるお守りなんて、なんだか超常じみている。
(まさか本当にお化け?)
なんてことを思ってお守りからふと視線をあげると、案の定というべきか少女はいなくなっていた。
「え、マジで……って、なんだ」
視線をもう少し上げると。女の子は階段に向かって走っていた。
階段を登って来た背の高い男の人が見えたので、きっと少女を迎えに来たんだろう。
お化けでもなんでもなくて、ちゃんと父親がいる女の子だったみたい。
男の人は駆け寄ってきた女の子を抱き上げると何やら話しかけ始めた。
内容は聞こえなかったけど、二人はそのまま話しながらどこかへと歩いていった。
出会う時間と格好が珍しかっただけで、ただの親子のようだ。
男の人も和服だったから、もしかしたらこの神社の神主か管理者だったのかもしれない。
「それにしても、お守りか」
悪霊退散とはいうけれど。
善霊なら逆に呼び寄せてくれるのだろうか。
柚子の魂を呼び寄せてくれたりはしないだろうか。
「そんなこと期待しても意味ないよな」
もらったお守りをズボンのポケット入れて、背後を振り返る。
賽銭箱も鈴紐もない社だけど、手を叩いてお祈りしておく。
──どうかもう一度、柚子に会わせてください。
絶対に叶うはずのない願いだと解っているはずなのに。
オレはしばらく、じっとその場で祈っていた。
※ ※ ※
「死者の話が聞こえるラジオ?」
「ええ。私の友達は彼岸のラジオって呼んでいたわ」
柚子が亡くなって一週間ほどしたある日の学校で、たまたま帰り道が一緒になった相島紗季がそんな話を教えてくれた。
明日から夏休みということで、盛り上がりを見せる級友たちの中、一人帰るオレになぜか相島は一緒に帰ってくれている。
なんでこんな話をいきなりと思ったけど、彼女曰く、柚子がいなくなってから憔悴していくオレを見てられなかったらしい。
「相島ってオカルトとか信じてるんだな」
「私もオカルトなんてものを信じてはいなかったのだけど……不動恵子って知ってる?」
不動恵子。確か新聞部にいる女性だ。肩で切り揃えたショートヘアーと茶色に染めた髪色が似合う美人。
確か相島と同じくらい人気のある子だったはず。
もちろん、オレは会話なんてしたことないし、たまに廊下ですれ違う際に目で追うくらいだ。
「まあ、名前くらいは。その子がどうかしたの?」
「彼女とは仲が良くてよく一緒にいたのだけど、実はね……」
つい最近、不動恵子の母親が病気で亡くなったらしい。
元々高校に入る前から彼女の母はずっと入院していて、容体もあまり良くなかったようだ。
不動恵子も、そんな母親の状況は理解しているようで、何かあっても覚悟はできていると相島に話していた。
でも実際、先月に母が亡くなると不動恵子は学校に来なくなったらしい。
いくら覚悟していてもキツかったのだろう。
大切な人の死なんて、簡単に割り切れるものじゃないから当然だと思う。
「でも最近、恵子がまた学校に来るようになったのよ」
「そうか、彼女も踏ん切りがついたんだな」
「それがね、違うみたいなのよ」
「え?」
顔を俯かせた相島は、喉に引っかかるような声で話し始めた。
「彼女、変なのよ。とっても元気で、まるでお母さんのことなんて気にしてないみたいで」
「明るく振る舞ってるんじゃないのか?」
そんな風に振る舞えたら、どんなにいいだろう。
オレは
「──そうじゃなかったの」
「え?」
相島が足を止めたので、振り向いて彼女を方を見た。
顔を上げた彼女は、なんだか怖い顔をしている。
「お母さんの声を毎週聞いてるんだって。だから大丈夫なんだって、彼女そう言ったのよ」
「はい?」
相島は不動恵子の変化の原因を話してくれた。
不動恵子が新聞部で企画したこの夏に向けたホラー特集、全てはそこから始まったという。
「恵子が面白い怪談話ないかって聞いてきたの」
相島紗季と不動恵子は一緒のクラスで、よく二人で話していたそうだ。
不動恵子は新聞部に入っているだけあって、活字を読むことに抵抗がなく、相島とは小説の話でよく盛り上がったのだという。
ジャンルを問わず、小説というものを手当たり次第に読み耽る相島は知識も豊富で、不動恵子も興味を持ったようだ。
「私もホラーはたまに読んでたから……」
初めはどっかの小説で読んだことのあるエピソードを新聞に体験談として載せようとした。
しかし恵子が難色を示し、小説で語られる完成された話ではなく、もっと現実味のある体験談が欲しいと言い出したそうだ。
「でも、私は小説でしかそういうのに触れたことがないから……でもね」
不動恵子のネタ探しに付き合う中、相島が見つけたのはネットのオカルト掲示板。
一応実話怪談の体をとっている投稿の数々は、現代に生まれた怪異として有名な話もたくさんある。
「そこから一つ拝借しようとしたのだけど……」
「っておい」
平気でパクろうとする相島だが、怪談話ひとつに時間をかける恵子に若干しんどくなっていたのだという。
「で、そこで見つけたのよ、あるラジオの話を」
「それがさっき言ってた彼岸のラジオってやつか?」
「ええ、そういうこと」
深夜にラジオのチャンネルを合わせると、望む死者の話を聞けるという怪談。
アナログなダイアル式のものしかダメで、十七と十三の数字が書いてあるものを用意する。
十七に4回、十三に9回ひねりを合わせると、死者の話が流れ始めるという。
しかも時間は深夜二時にしかダメという無駄に凝った設定だ。
「胡散くせえ」
「ええ、ネットの怪談ってね、無駄に詳しい手順が乗っていてどれも胡散臭いのよ。でも、今回は違ったわ」
「……それが不動恵子が元気になった理由?」
「みたいよ。もちろん、こんな話を信じてはいなかったけど……あなたもどう?」
相島の言葉に胸が高鳴る。
暗闇の中でパッと光が灯ったように、一気に希望が溢れてきた。
もしかしたらもう一度、柚子に──。
「……馬鹿馬鹿しい」
でも、冷静になったオレはそんな言葉を吐き捨てるようつぶやいた。
散々、柚子のこと放っておいて、大事にしなかったくせに。今更悲劇のヒロインみたいな雰囲気を出して、挙句相島に心配されている自分がどうしようもないくらいにみっともなく思える。
特にそこまで親しくない彼女にまで心配をかけて、オレは何をしているのだろうか。
自分の中にこんな感情があるなんて驚いたけど、未だ柚子を引きづり続けてぐだぐだする自分にいい加減、自分で嫌気がさしていたのかもしれない。
「ごめんなさい、やっぱり無神経よね。こんなこと言って……」
「あ、いや」
相島が顔を伏せたのを見て、後悔した。
あの言葉は自分自身に向けたものだったけど、相島に言ったように捉えられてしまったのだ。
途端に、申し訳なさで心が一杯になる。
「い、今のは……」
「ごめんね」
相島が一瞬、泣きそうな顔をするのを見てしまった。
最悪なことに、オレはわざわざ心配して付き合ってくれた相島を傷つけてしまったようだ。
関係の浅いオレに親身になろうとしてくれた相島の気持ちを踏み躙る形になり、心が痛い。
今まで自分に向かられた好意を台無しにしていたんだって、最近ようやく気づいたくせにまた繰り返すのかと自己嫌悪に陥った。
「──じゃあね、颯太くん」
そう言って相島は、いつもオレと別れる道よりもだいぶ手前の道を曲がって去っていった。
「明日、朝イチで謝るか……て、あっ」
すぐに謝罪しようと思ったけど、そうえいば明日から夏休みで相島とは一ヶ月近く会わないことを思い出した。
また自分に対して苛立ちが増える。
「何やってんだよ、くそ」
取り残されてどんどん増していく自己嫌悪に陥りながら、ぼうっと空を見上げて帰路を歩く。
我ながら、なんて惨めんなんだろう。
寄り添ってくれた人を大切にせず、寄り添おうとしてくれた人を傷つけて。
「こんな時、柚子なら怒ったかな?」
自嘲しながら考えたのは、結局また柚子のことだった。
どれだけ惨めだと分かっていても、やっぱりオレは柚子のことを忘れられない。
もし、柚子が生きていたら──不意にそんなことばかり考えてしまう。
「死者の会話が聞こえるラジオ、か。柚子の声がもう一度聞けるのかな」
そんなもの、ある訳がない。
いや、そもそも柚子が亡くなってまだ間もないのに、こんなオカルト話を持ちかけてくるなんて相島もどうかしている。
オレの中に渦巻く憤慨する気持ち。
──でも。
もし、相島の言うことが本当だったなら?
不動恵子という女性の体験談が、友人を揶揄うためのホラ話ではなかっとしたら?
オレは結局、一日中そんなことをばかりを考えながら過ごしていた。
※ ※ ※
「そろそろ2時、か。そういや親父の骨董品が役に立つなんてな」
学校から帰って真っ先に探したのはラジオの筐体。
相島の話では数字を合わせると言っていたので、ラジオの聞けるアプリとかでは彼岸のラジオとやらは聞けないのだろう。
夕食の時、昔親父が使っていたラジオの存在を教えてもらったオレは、自分の部屋の押し入れの奥に母親がまとめて仕舞い込んだガラクタの群れの中から、その骨董品を引き摺り出した。
初めて見るラジオの筐体は昔のCDコンポよりも大きかった。
「いかにも昭和って感じで時代を感じるぜ」
太いアンテナを伸ばして長くする。
こんなに必要なのかと疑問に思うくらいに伸びたそれを確かめて、ひねりを回していった。
「十七に4回、十三に9回っと」
…………。
そのまましばらく待ったけど、当然のように何も起きない。
時刻は深夜の二時で間違いない。
そりゃそうだ、オカルトなんてものは現実に起きるものじゃない。
あの神社の時だって、結局着物の女の子は父親がちゃんといたのだ。
タイミングとか場所とかに整合性が見つけれないことをオカルトと言っているだけで、わかってしまえば何のこともない。
きっとこのネットの投稿も、誰かの作った創作か、たまたま混線したラジオの声が、自分の会いたい人に似ていたのを大袈裟に言っただけなんだろう。
不動恵子が元気になった理由は気になるけど、きっと相島は揶揄われていただけに違いない。
「くだらねえ」
ラジオをしまおうと、押し入れの扉をもう一度開く。
元あった場所に戻そうとした時、オレは大事なことを見落としていたことに気づいた。
「…………電池?」
ラジオがあった場所に転がっていたのは見たこともないぶっとい電池。
記載されているのは単二の文字と、とある有名メーカーの名前。
しかもその名前は改名前の有名メーカーの名前だった。
ラジオも昭和なら、電池も昭和だったのだ。
「電池ないと動かねえのかよ!」
渋々もう一度ラジオ机の上に置いて、背後にあったカバーを開いて電池を入れた。
「しかも電池切れ……」
当たり前だけど、押し入れに眠って久しいこのラジオと一緒に転がっていた電池に残量なんてある訳がない。
結局、何度か電池を入れ直してもラジオは動かなかったので諦めた。
元々オカルトなんて信じてなかったし、わざわざラジオに合う電池を買いに行くのも億劫だったので、彼岸のラジオを試す気はとっくに失せていたのだ。
かちゃかちゃと、何気なしにハマった電池を回転させて遊び、外したカバーをもう一度セットした。
その時だった。
──ブツっ。
「ん、電源入った?」
終わりかけていた電池が機能を果たし、僅かに残っていた電気がうまく通電したらしい。
骨董品とも言える筐体に電気が通り、ラジオとしての機能を回復させた、その時──。
『──初めましてみなさん! 今回このラジオのパーソナリティを務めるのは私、柏木柚子です! 全七回の短い間ですがどうぞよろしく!』
「え?」
──懐かしい声が、目の前のラジオから聞こえてきた。
二度と聞けなくなってしまった柚子の声。
無駄に明るくて、無駄に元気な様はまるで変わっていない。
「嘘、だろ──」
『この番組の名前ね、私が勝手に決めていいんだって! だからこの番組の名前は真夜中ラジオで決定します! じゃあ早速、今日のお話!』
柚子の声がカンフル剤となって、一気に彼女との記憶が蘇る。
ずっと隣にいてくれて、賑やかに会話した時の彼女の雰囲気が、ラジオを通して生々しく伝わってきた。
驚きに満ちていた心が、じんわりと喜びに染まっていく。
『私が生前、最後に食べたかった物はねえ、豚カフェのメガ盛りマキシマム生クリームパンケーキ!』
ああ、柚子だ。
これは間違いなく彼女で、どうやらあっちでも元気に死んでいるらしい。
あまりに変わらない柚子の有様に、じんわりと胸が温かくなる。
『私が死んだ日って、実は誕生日の前日だったんだ。本当はね、次の日に幼馴染の颯太って子がパンケーキのお店に連れってくれるはずだったんだけど』
オレの名前だ。
柚子が、あの世に行った柚子がもう一度オレの名前を呼んでくれた!
『その前に死んじゃったんだよねえ。しかも本当は私、颯太にあの日──』
ああ、間違いない。
彼女と最後に交わした約束、それを彼女も覚えていてくれた。
柚子が言っていた『伝えたいこと』っていうのも、どうやら聞けるようだ。
ずっと引っかかっていたんだ、あの日に柚子がオレになんて言おうとしたのかって。
もう二度と聞くことはないと思っていた彼女の声が、あの日の続きが、まさか聞ける日が来るなんて。
期待と興奮に息を荒くしながら、オレは彼女の言葉を待った。
『────』
「お、おい? オレがなんだよ⁉︎」
でも、何故かそれ以上柚子の声は聞こえなかった。
ラジオに語りかけるなんて無駄なことをしても。
それ以上、柚子が何かを言うことはなかった。
「なんで……ってマジかよ⁉︎」
原因はすぐにわかった。一番大事な部分で、ラジオの電源が落ちていたのだ。
今の電池残量では彼女の声を継続してくれない。
「柚子! 柚子‼︎」
もう一度、電池を取り外して再装着する。
また動力が復活しないかと期待して、さっきと同じようにくるくる電池を回していじるが、残量を使い切ったようで二度とラジオに通電することはなかった。
「ああ、くそ!」
オレは財布を掴んですぐに家を飛び出す。
近所のコンビニに駆け込むと、そのまま単二の電池を買い占めたのだった。
※ ※ ※
『この番組名の真夜中ラジオはねえ、私の好きなゲームから名前を取ったの! あの世なら著作権とか大丈夫だよね?』
相変わらず、楽しそうに柚子は喋っている。
僅か十数分しか流れない真夜中ラジオはこの一ヶ月、唯一オレの心を癒すかけがえのない時間になっていた。
『幼馴染の颯太って子がいてね。颯太にもそのゲームを貸したんだけど、なんか全然やらないのよ。早くやれって言ったら喧嘩になったんだよねえ』
「ちょ、柚子! それはお前がいきなり貸してきてその日にやれって迫って来たからじゃないか。全く……」
聞こえる彼女の話に返しても、当然返事は返ってこない。
これは配信で一方通行だから当たり前だ。それがひどく悲しくなる時もある。
それでも懐かしいこの声が、この雰囲気が。
楽しかった柚子との思い出を鮮明に掘り起こしてくれる。
ただ、彼女が楽しそうに話しているのを聞いて、放送が終われば柚子との思い出に耽りながら余韻に浸る。
『じゃあ今日はここまで! また来週ー!』
言葉を交わすことはできないけど、彼女の声が聞こえるだけで幸せだ。
そのまま朝日が差し込むまで、オレはずっとラジオの前に座っていた。
※ ※ ※
それから夏休みの間、オレはずっと引きこもりになっていた。
柚子のラジオは一週間に一度だけ、最初に聞いたあの日からちょうど七日後に配信される。
真夜中ラジオを聴く習慣ができたせいで、すっかり昼夜逆転生活になってしまった。
高校二年の夏休みだというのに、オレはどこにも出かけずただただ柚子のラジオを聞いて、また一週間後を待ち望みにするという生活を送っていた。
そんな風に過ごしたものだから、夏休みもあっという間に終わってしまう。
気付けば登校日の朝を迎えており、オレは憂鬱な気持ちで登校していた。
憂鬱なのは学校が始まることもそうだけど、もう一つ理由がある。
夏休みに入る最後の日、相島との一件をずっと覚えていたオレは、謝罪しようと決めていた。
ただ学校が近づくにつれて、実際に謝るとなると気まずくて吐きたくなってきたのだ。
しかも一ヶ月も前のことだから、余計に気まずい。
辛い現実をなんとか中和しようと柚子のラジオを思い出して、心を幸せで満たす。
最近は真夜中ラジオのおかげでオレの心は穏やかで満ち足りたものだった。
そんな心に重たくのしかかる気まずさで足取りを重くなりながらも、少し早めに登校したオレは相島のいる教室へと向かった。
相島のいる二組の教室を覗くと、久々の再会を喜ぶクラスメートたちがそれぞれグループを作って楽しそうに話していた。
だが、残念なことに相島の姿は見えない。
まだ登校してないのだろうか?
同じクラスだった去年、確か彼女はいつもオレより早く学校に来ていたのだけど。
「ねえ、相島さんいる?」
仕方なく、目の前にいた女子に話しかけた。
これから友達と喋ろうとしていたのに、隣のクラスの知らない男子に話しかけられた彼女は警戒心を露わにしながらオレを見た。
──いや、そんな目で見なくても。
睨むに近い目でオレを伺う、目の前の女子。話しかける相手を間違えたかもしれない。
「あ、あの──」
黙ってこちらを伺う女子との沈黙に耐えかねたオレはもう一度声を掛ける。
「──紗季ちゃんなら来ないよ」
「え」
「……ふうん、知らないんだ。君、山本くんでしょ? この前紗希ちゃんと一緒に帰ってたよね?」
「あ、ああ」
何故か探るような視線を向けられるオレ。
目の前の女子の態度も気になるけど、それよりも気になるのは相島が来ないと知っているかのようなその言葉だ。
「あの、その……相島が来ないって、どうゆうこと?」
「入院中なの。だから学校に来れない」
「な、何かあったのか?」
「不動恵子ちゃんって知ってる?」
「え? 知ってるけど……」
相変わらず探るような目つきで話す女子。
でも、不動恵子という単語に反応したオレを見るや今度は目を輝かせた。
「紗季ちゃんね、恵子ちゃんの家で倒れてるの見つかったのよ。しかも恵子ちゃんは行方不明!」
「う、嘘だろ……」
「嘘じゃないわよ! ていうか私たちも知りたくてその話題で持ちきりなの! あなたこそ、もしかして何か知ってるんじゃない?」
「え、いや……」
「噂だと二人して変な怪談に夢中だったって聞くけど?」
──彼岸のラジオ。二人が同時に何かあったのならそれしかない。
不動恵子はラジオに夢中になっていると相島は言っていた。
そう、まるで今のオレのように。
「そんな、まさか──」
心が一気に、冷たくなった。
※ ※ ※
「相島!」
質問攻めをしてくるあの女子になんとか相島の入院先を聞き出したオレは、学校を勝手に抜け出して病室に来ていた。
大部屋ではなく個室にいた相島はベッドの上で寝ていて頭には包帯を巻いている。
「え、山本くん?」
一瞬、寝ているかと思ったけど起きていたようだ。
ベッドから体を起こすと、パジャマ姿の相島がキョトンとした顔で病室に入って来たオレを見た。
「ちょっと、まだ学校のはずじゃないの? 今日からでしょ?」
「相島が心配で抜け出してきた」
「……あ、あらそう」
咎める相島に理由を答えると、何故か彼女は黙ってしまった。
顔を俯かせているからその表情は計り知れないが、まだ夏休みに入る前のあの日のことを怒っているのかもしれない。
こういう時、なんて声を掛ければいいんだろう。
オレには物語の主人公のように誰とでも仲良くなれる会話スキルなんてないんだ。
勢いのままここまで突っ走って来たけど、そもそも彼女とは気まずい関係だったことを思い出して次の言葉が見つからないオレ。
気まずい沈黙を感じるオレに、相島は両手で自分の頬を軽く叩いて「……よし」と小声で呟くとオレの方を向いた。
「ねえ、山本くん。彼岸のラジオ、聞いてるでしょ」
「……うん」
「お願い、今すぐやめて」
悲しそうな顔で懇願してくる相島。
やっぱり不動恵子との間に、ラジオを巡った何かがあったのだろう。
「なあ、相島。その怪我ってもしかしてラジオが?」
相島の頭に巻かれている白い包帯。
おでこの方にはガーゼまで付けられていて、怪我が大きさを物語っている。
「これね、恵子にやられたの」
「え? 不動さんに?」
てっきり何かの怪奇現象に巻き込まれたと思ったが、怪我の原因は不動恵子だという。
「な、何で……」
「恵子もね、あなたと同じ顔してたのよ」
「え?」
「ほら」
そう言って手鏡を渡してきた相島紗季は、早く自分の顔を見ろと急かしてきた。
仕方なく見ると、目の下に大きな隈をつけた不健康そうな男の顔。
オレってこんな顔だったっけ?
「寝不足、かなあ?」
「私、冗談は嫌いなの。あのね、夜中の二時に起きてちょっとラジオを聞くだけでそうならないのはわかるわよね?」
間違いなくあの彼岸ラジオのせいだと、相島が言う。
そりゃあ、自分でも薄々気づいていたさ。
柚子の放送を聞いたあの日から、自分がどんどんやつれていくことを。
夏休みの間で、体重は十キロも減った。
ずっと引きこもって、飯もちゃんと食べていたにも関わらずだ。
それでも体に不調はなく、眠気を伴う気怠さも感じないので放っておいたのだけど。
「ごめんなさい……私が勧めてしまったから。でも、まさか本物だなんて……」
「ちょ、泣くなよ⁉︎」
何故か泣き出した相島。
この前は泣きそうな顔をさせてしまったのに、今回は泣かせてしまうなんて。
彼女のことを心配して来たはずなのに、また余計な気を使えわせてしまったようでならない。
「恵子もね、日毎にひどくなっていって」
だから相島は不動恵子にラジオを聞くのをやめるように言ったという。
──でも。
「お母さんがいるんだって、お母さんが来週来てくれるんだって……最終回だから絶対にお母さんは来てくれるんだって、恵子はずっとそんなことを言ってたの」
「来てくれる?」
「うん、何言ってもその一点張りで……だから私も恵子と一緒にラジオを聞こうとしたの。ちょうどその日が最後だって言ってたから、なんだか心配になっちゃって」
「で、こんな事態に?」
そこまで話すと相島は息を呑むように、ごくりと喉を鳴らした。
そしてオレをまっすぐに見据えると、こちらの心を刺すような瞳で尋ねてくる。
「──ねえ山本くん。そのラジオで喋ってるの、本当に柏木さんなの?」
「え」
「だって、恵子と一緒に聞いたラジオはノイズしか聞こえなかった。でも、恵子はお母さんが喋ってるって。もうすぐ来てくれるって」
「……来たのか?」
「──わからない。お母さんがすぐそこまで来てるって、外に出ようとする恵子を止めようとしたら突き飛ばされちゃって」
「じゃあ、頭の怪我はその時の?」
「うん、ちょうど机に額をぶつけてね。割れちゃったみたい」
相島紗季の怪我の理由は不動恵子が突き飛ばしたことだった。
入院するほどの怪我なんて、余程大きな怪我だったんだろう。
こんなのただの傷害事件だ。
──でも。
「起きたら病院で、恵子は行方不明。何度も警察や恵子のお父さんが事情を聞いて来たけど……」
「話したのか、ラジオのこと」
「まさか。お母さんに会いにいくってどこかに行こうとする恵子を引き止めようとしたらこうなったって話したわ」
「そ、そうか。でも、じゃあ不動さんはどこに……」
「連れてかれたんだと思う」
「え?」
「私にはノイズしか聞こえなかったラジオだけど、でもあの時の雰囲気は覚えてるわ」
相島はベッドの上で膝を抱え、体育座りの姿勢をとった。
体を抱くその形は、身を守っているようにも見える。
いや、事実そうなんだろう。
不動恵子が消えたあの夜のことを話す彼女は、確実に怯えている。
「クーラーがあるとはいえ、八月の真夏の夜に白い息が出るくらい寒くなることなんてある?」
「い、いやそれはないだろう……」
「限界まで設定温度を下げてもそうならないはずよ。でも、恵子がお母さんが来るって言った瞬間、気温が一気に下がったのよ」
「じゃあ、彼岸のラジオは……」
「死者が生者を連れて行く。私はそう思っているわ」
柚子が、オレを?
──あり得ない。柚子はそんな人間じゃない。
誰かを道連れにするような、そんなことをするはずがない。
「柏木さん、そんなことする人じゃないでしょう?」
「当たり前だ! 柚子が誰かを死なすなんて……」
あんな楽しそうに話している柚子が。
生前と何も変わってない、元気で明るくてちょっとおバカなあの柚子が。
誰かを──オレを殺そうとするなんて。
「だからもう一度聞くわ。本当に、そのラジオの声は柏木さんなの?」
「ああ、柚子だよ」
間違える訳が無い。
オレが騙される訳が無い。
いくらナニカが柚子の声を真似していたって、あの口調、あの雰囲気まで真似ることなんてできないはずだ。
オレはラジオから聞こえてくる柚子に、疑惑を抱いたことは一度もない。
「しゃべってるのは確かに柚子だよ。あんなに楽しそうに、自分が死んだことなんてまるで気にしてないあの明るさは間違いなく柚子だよ」
「本当に?」
「当たり前だろう! 声だけじゃない。食べたがってたパンケーキの話も、幼い頃に喧嘩したオレとの思い出も話してたんだ! 間違いなく柚子だよ‼︎」
あれが柚子じゃないなんてあり得ない。
あんな楽しそうに思い出を語る彼女が、別のナニカ?
相島には聴こえないからわからないんだ。
一度あのラジオを聞けば、あれが本人だなんてことは誰だって理解する。
「でもね、じゃああなたの体の変化は何?」
「そ、それは」
肋が浮き出た体。
細くなった腕。
元々太ってはいなかったけど、親にも心配されるくらい最近のオレは痩せていた。
「もしかしたら柏木さんには何の悪意もないかもしれない。でも、死者の会話を聞くという行為自体が命を吸われているのかも」
そう考えれば納得はいく。
不動恵子は母親が迎えに来たと言っていたけど、本当にそうだったのだろうか。
柚子の真夜中ラジオを聞く限り、こっちに来るとか迎えに行くとかの話はなくただ生前の思い出を……オレとの思い出を楽しそうに話しているだけだ。
柚子には何の悪意もない。
「そ、それはそうかもな。柚子が誰かを道連れとか、そんなのある訳が無い」
「ええ、そうね。でもね」
相島はとても悲しそうに、言いにくそうに言葉を続けた。
「恵子も同じことを言ってたわ。お母さんはそんな人じゃないって。やつれていく恵子を心配する私に、彼女はとても怒っていたわ。」
「……」
でも結果、不動恵子は母親に連れられて行ってしまった。
「私には何も聴こえなかったから分からない。だから今の……彼岸のラジオを聴きつづけた二人を見て客観的な事実しかわからないけど、あなたたちは確実に衰弱している。しかも本人に自覚がないままね。それって、
このままいけば、遠からず命を失うかもしれないと。
相島は暗にそう仄めかした。
「私があなたに勧めてしまったから、ごめんなさい」
相島は泣きそうな顔でそう言った。
また、こうだ。
夏休み前と何も変わらない。
自分の感情を整理できず、判断を迷う。
相島のこと、そして柚子のこと。
どう言葉にすればいいか分からず、ただ黙って立ち尽くす。
それがなんだか、みっともない。
「──ああ」
なんとか言葉を返そうとしたけど結局、曖昧な返事しか返せなかった。
柚子の声を、聴いていたい。
もっと色々話しておけばよかったと後悔しているから、尚更彼女が話す思い出話が恋しくて愛おしい。
でも、目の前の相島を泣かせて、命を失ってまですることじゃないかもしれない。
いや、命を失うなんてあり得ないと、この期に及んでオレは疑っていたんだ。
──本当にあれは柚子なのか。
柚子はそんなことしない、する訳が無い。
でも、じゃあ何でいきなりラジオを?
柚子は、何故ラジオ配信を始めたかの理由は一度も言わなかった。
もしかしたら、初回を聞き逃したせいかもしれない。でも、あのラジオは誰が最初に始めたのだろう。
話を聞く感じ、柚子も誰かがセッティングしたから配信している感じだった。
──何のために?
「ねえ、山本くん。彼岸のラジオって、本当に生前の人に向けたラジオなのかな?」
「……」
その通りだ。
生前の思い出を語る柚子は、一回もオレに向けて語りかけたことはなかった。
ただ、生きている間のエピソードを語っているだけ。
これは生者に向けたモノではなく、もっと別の何かに向けたモノだとしたら?
こっちはただ正しくない手順を使って盗み聴いているだけ。
そんな愚かな生者に害が及んでも不思議じゃないだろう。
「──だからお願い、山本くん。最終回だけは絶対に聴かないで」
泣きながら懇願する相島。
──柚子。
どうしたらいいかわからず、何をどう考えたらいいかも分からず、オレはただ柚子の名前を思い浮かべていた。
※ ※ ※
『じゃあいよいよ最後を迎える来週の真夜中ラジオ! ここまで聞いてくれてみんなありがとう! それではまた来週ー! ……はあ、これって誰か聞いてんのかな? こっちじゃわかんないんだよねえ。お便りとかもないし……あ、やばまだオンエア中だった⁉︎』
やっぱり柚子は当たり前のように、柚子だった。
マイクを切り忘れて放送事故を起こすあたり、いかにも柚子って感じだ。
多分、彼女は本物だ。これが偽物なんてのはあり得ない。
だからやっぱり、
体を衰弱させ、命を失う危険を冒してオレがこのラジオを聴いているなんて柚子も想像だにしていないだろう。
だから、オレがもうラジオを聞かないのが正解なんだ。
これでオレが死んだら、相島を泣かせ、向こうの柚子まで泣かせるかもしれない。
──だから今日で終わりにしよう。
そう決意したけど、これで失うのかと思うとまた涙が溢れてきた。
でもこれ以上は聞いてはいけない。
死者との交信なんて、本来生者には許されないこと。
これは神様が与えてくれたほんの一瞬の奇跡で──多くを望んではいけないのだ。
「ごめんな、柚子」
ラジオの前で謝るオレ。
でも、彼女がここまで楽しそうにしているのなら。
生前と変わらずあの世でも明るく喋っているのなら、こんなに嬉しいことはない。
失ってから大切な人だって気付くなんて……柚子にはバカだのアホだの、ドジだの間抜けだのと罵られそうだけど。
あっちでも柚子が元気だとわかったのなら、もう十分だ。
もう十分だと、そう思おう。
震える手を伸ばして、柚子に最後の別れを祈りながらラジオを切ろうとした──その時だった。
『ちょ、まだ続いてたなんて……あ、じゃあ最終回の内容を言うね! なんと来週は私が生きている時、最後に伝えたかった颯太への想いを告白します!』
「え?」
『また聴いてねえ! 今度こそ本当にさようなら!』
相島は言っていた。
絶対に最後まで聞いてはダメだと。
「そんな……」
でも、柚子の気持ちが聞けるなら。
あの時、柚子がオレに伝えたかったことを聞けるなら。
例えオレに何があっても、オレは彼女の放送を聞かなくちゃならない。
仮にそれで命を失ったとしても──本望だ。
「相島……」
泣きながら忠告してくれた病室の相島が頭に浮かぶ。
彼女は心からオレの心配をしてくれた。
でも、もしこれでオレがどうにかなってしまったら責任感の強い彼女は気に病んでしまうだろう。
オレに彼岸のラジオを教えた責任を感じているとはっきり言っていたのだから。
あんなに優しい彼女を、傷付ける真似はしたくない。
柚子に会いたい気持ちと、相島に対する気持ちで揺らぐ。
当然、柚子に会いたい気持ちの方が遥かに強いけど、相島の言っていることは正しいとわかっていたから揺れてしまう。
でも──。
「ごめんな、相島。オレはやっぱり柚子に──」
たとえこれで命を失うことになったとしても、最後に柚子の想いを聞けるならオレに後悔はないのだから。
※ ※ ※
待ち望んでいたその日は直ぐにやってきた。
日々というのは過ぎるのが本当に早い。
この一週間、オレは相島の見舞いにも行かず、ただただ普通に毎日を過ごしていた。
最初は悔いが残らないよう、やりたいことリストを作って最後の七日間を楽しもうとしたのだけど、結局いつもと同じように過ごしてしまった。
面倒臭さが勝ったのもあるけど、理由はそれじゃない。
どこに行こうと、何をしようと。柚子が一緒じゃなければ楽しくなんてないと気付いたんだ。
『さあ、ついに最終回を迎えた真夜中ラジオ! メインパーソナリティは私、柏木柚子がお送りします! まあ、メインも何も私しかいないんだけど』
とうとう迎えた深夜二時。
慣れた手つきでチャンネルを合わせたオレは柚子の最後の配信を聞いていた。
もし不動恵子と同じなら、オレは今日死ぬ。
でも、それはあり得ないのではと心のどこかで疑念を抱いていた。
不動恵子は母がやってくると言っていた。でも、柚子はそんなこと一言も言ってない。
ただ、あの日オレに伝えたかったことをオレに言いたいと、そう言っただけなのだから。
──なんてことを思った矢先、柚子は突然変なことを言い出した。
『今日はなんと! 直接、颯太に想いを伝えようと彼の家の前まで来ています!』
「え?」
柚子が家の前に?
急いでカーテンを開けて外を見るが、暗くて何も見えない。
本当に、そこに柚子がいるのだろうか。
手首につけているスマートウォッチがぶるっと震えて、心拍数の急上昇を警告してきた。
『うふふ、颯太の部屋なんて久ぶりだなあ。わあ、懐かしいこの玄関の匂い!』
「柚子……?」
柚子が、とてもおかしなことを言った。
そんな訳ない。
そう、そんな訳ないんだ。
『二階が颯太の部屋なんだよねぇ。いっつも散らかしててさあ……あ、エッチな本とかないかな⁉︎』
オレが今の家に引っ越したのは去年のことで。
その時にはもう高校生になっていた柚子は何だか妙に恥ずかしがって、家に来ることなんて無かった。
昔、柚子がよく来ていた家はとっくに他人の家になっている。
ましてや柚子がオレの部屋に入ったことなんて一度もない。
『颯太も、もう高校生だもんねえ』
ギシ、ギシ、と。
誰かが階段を上がる音が聞こえきた。
もう少しで、柚子に会える。
柚子が、彼岸からオレに会いにきてくれた。
──彼女は本当に柚子なのか?
『本当、久しぶりだなァ』
そんな疑念が頭に浮かんだ一瞬、ラジオから流れる柚子の声が変わった。
声の変質と同じタイミングで、階段を登る音が何かが這う音と入り混じった。
──ギシ、ギシ、ズルル。
『颯太の部屋までェ、あとちょっとオ』
「ひっ⁉︎」
──ズルルルルル‼︎
階段を登る音が、急ぐように這い迫る音に変わる。
──違う、これは柚子じゃない。
そう悟った時、一斉に全身に鳥肌が立った。
『颯太ア、迎えニ来たよォオオ』
「うわあああ⁉︎」
急いでラジオの電源を切ろうとする。
聞こえてくる声は、既に柚子の声ではなくなっていた。
女とも男とも取れない、この世のものと思えない異質な声。
「なんで、なんで⁉︎」
でもいくら捻りを回し電源を切ろうとしても、ラジオは止まらず恐ろしい声が聞こえ続けている。
『私ガァ、一緒に連れテッテアげるウウ‼︎』
電池カバーを外して中にある電池を抜いたとき、ようやくラジオの音が止んだ。
柚子のフリを辞めたナニカは、もうその本性を隠そうとしていなかった。
相島の言っていたことは本当だったんだ。
誰かが柚子の振りをしてあのラジオを流していたなんて……。
でも、間一髪ラジオを止めることができた。
もう、ラジオから声は聞こえない。
同時にすぐ扉の外から聞こえてきた、ナニカが向かってくる音も消えた。
電池を抜いてラジオを止めた今、ぎりぎりでそのナニカを完全こちらに引き寄せることを防げたようだ。
──ガチャ。
ブブっと。スマートウォッチがまた心拍数の急上昇を警告した。
それでもオレはドアから視線を外せず、じっと目を見開き、ゆっくりとドアノブが回る光景を凝視する。
「颯太ァ」
「あ……あああ……」
ギギギ、と軋む音を立てて扉が開く。
僅かに見えたドアノブを掴む手は、黒ずんで干からびている。
ドアよりも高い背をした、髪の長い女がいた。
ボロボロの白装束に身を包む黒ずんだ肌は、まるで放置されて腐ってしまった遺体のようだ。
のっそりと、くぐるようにその女が部屋の中に入ってきた。
「柚子……」
ああ、やっぱり会いにきてくれた。
見てくれは大きく違ってしまっているけど彼女は柚子だ。
「ソウタァ」
ほら、だってこのしわがれた声なんて生前の彼女の声そのままじゃないか。
ゆっくり柚子に近寄ると、彼女は両手を広げて迎えてくれた。
「柚子、来てくれたんだな……」
柚子がオレを受け入れてくれる。
生前彼女にこの想いを伝えることはできかなかったけど、彼女は全てをわかってくれるようにオレを抱きしめてくれた。
濃厚な腐臭が、鼻に香る。
──ああ、懐かしいこの香り。
いつも隣にいた柚子から漂っていた匂いだ。
「ぢが、ゆずのにおいじゃな──」
鼻の詰まったような声が聞こえたが、まさかこれはオレの声だろうか?
我ながら何を言っているのやら……柚子の匂いに決まっているのに。
不躾なことを言ったオレを咎めるように強く抱きしめる柚子。
強く、強く、柚子がオレを絡めとる。
さあ柚子、一緒に行こう。
「ああ、やめで、いきだぐなっ」
抱きしめる力が強すぎで声がまともに出ない。
柚子がこれほど熱烈に抱いてくれるなんて、なんだか嬉しいじゃないか。
「いい、いだああいいい、ああ、やめ……」
さっきからおかしい。
心はこんなにも満たされてるのに、オレの口から出るのは苦痛を訴える悲鳴だった。
こんなことを言って柚子に嫌われないだろうか。
そんな心配をしていると、次第に頭がぼうっとしてきた。
「うぁあ、じゅ……ず……」
頭がくらくらしてきて、まともに立っていられなくなる。
でも大丈夫、柚子が抱きしめてくれているから。
きっとこのままオレは彼女と一緒に旅立つのだろう。
真夏の夜だというの、体が震えっぱなしで凍えるほどに寒い。
柚子が抱きしめてくれているのに、一向に体温が暖まらない。
「ああ、ぢが……じゅずじゃなぁ……」
相変わらずオレの口は思ってもいなことを口にする。
さっきから何故か怖くて仕方ない。柚子がいるのにおかしなことだ。
でも、もう大丈夫。
あとちょっとでオレの意識も体もそのまま彼女が連れ去ってくれる。
「ぢぐう! じゅずじゃなあ! じゅずじゃああ‼︎」
さっきからうるさい声が聞こえるが、何かを挟んだように音がくぐもっていて意味を理解できない。
体から全ての力が抜け落ちる。
脱力と共に、まるで自分の意識が闇に落ちるかのように視界が暗闇一色に染まった。
「うあああ……」
肺から空気が抜ける感覚に、さっきまでの音が自分の声だったのだと気付いた。
オレは一体何を言っていたのだろう?
知らなければならないと強烈に思うのだけど、意識が散ってまともに思考することができない。
きっとこのままオレの意識が浮上することはもうないのだろう。
ぼうっとした頭で、これが何を意味するのかだけは理解できた。
「じゅ……ず……」
最後の息を出し尽くすついで、声に出たのは柚子の名だった。
目の前に彼女がいるに名前を呼ぶなんて、おかしなことだ。
いや、さっきから何かがおかしいけど……わからない。
暗闇しか見えず、耐え難い腐臭すら漂わなくなった今ではもう、全てが遅いだろう。
意識が散っていく。
もう二度と、オレの意識がまとまることはないだろう。
これが死か──ならもうすぐ、柚子の所に。
まとまらない頭でふとそう思った時、不意に誰かの声が頭に響いた。
『この、バカ颯太‼︎』
──それは懐かしい、本物の柚子の声だった。
「柚子⁉︎」
散っていた意識が一瞬でまとまり覚醒する。
オレは自分を抱きしめるソレを突き飛ばし、反動で後に倒れてしまった。
気付けば大きく胸を上下させながら、激しい呼吸を繰り返していた。
さっきまでのぼうっとしていた頭が嘘のように、オレは全てを認識したのだ。
「───キィアアアアア‼︎」
「うわっ⁉︎」
全身が汗でびしょ濡れだった。
凍えるように寒いのに、シャツがビッチョリ体に張り付いていて床についた手が汗で滑る。
視線を上げると、目に映ったのは甲高い悲鳴をあげる柚子とは似ても似つかない異形の姿。
オレは一体、なぜこれを柚子だと思ったのだろう。
激しく前後に体を揺らす柚子だったはずのモノは、そのままもがき苦しむように倒れると床の上でのたうち回ると、黒い霧となって消えていった。
「まさか……」
真夏の夜だというのに、吐く息が白くなるほどに凍てついたオレの部屋。
全身がまともに動かせないくらい体が冷えているのに気が付いた時、ズボンのポケットだけが唯一暖かかった。
「──これのおかげなのか?」
温かい物の正体は、前に神社で女の子にもらったお守りだった。
どうやらお守りが目の前のアレから守ってくれたようだ。
ポケットに入れたまま、忘れていたのが幸いした。
『ちょっと! 私にも感謝しなさいよ!』
「え?」
その声に、胸が高鳴った。
懐かしい声。それはついこの前まで当たり前にオレの側に存在していたもので。
鬱陶しいとしか思っていなかったくせに、無くなった途端に恋しくてたまらなくなったもの。
「ゆ、柚子……?」
『久しぶりだね颯太』
オレの後に立っていたのは柚子。
ついこの前に亡くなったはずの幼馴染が、そこにいた。
「ほ、本当に柚子なのか?」
溢れる涙に視界がぼやけて、たださえ薄い彼女の姿がよりぼやけてしまう。
それでも、確かに柚子はオレの目の前にいた。
恐る恐る手を伸ばし、彼女の体に触れようとする。
でも、その手は彼女の輪郭を掴むことなく通過してしまった。
『本物よ。死んでるけど』
「ああ、本物だ」
透けているけど、そのムッとした表情は飽きるほど見たものだ。
彼女は確かに柚子で、オレの目の前に存在した。
『全く、何騙されてんのよこのバカ! あんなのと私を一緒にしないでよ! どう見ても似てないでしょ⁉︎』
「柚子……ごめん、ごめんなぁ」
『ちょ、ちょっと、泣かないでよ……もう』
「うう……」
いつもだったら喧嘩に発展していた彼女の怒った物言いも。
オレにとっては全てが懐かしくて愛おしい。
それをもう一度聞けた喜びと、やっぱり彼女が死んでしまっている現実に感情がうまくまとまらず、オレはただ泣くばかりだった。
『はあ……あのさ、私に会いたかったんでしょ?』
「ああ、オレさ。好きだったんだ、柚子のこと」
『え……』
「今更こんなこと言っても遅いかもしれないけど……」
『嬉しい! 私も颯太のこと好きだったから──本当はね誕生日の日に告白しようと思ってたんだ!』
生前と全く変わらず、とても嬉しそうに笑う柚子に、心がどんどん温かいもので満ちていく。
それは嬉しさだったけど、柚子が喜んでいるからだけじゃない。
柚子もオレのことを──両思いだったと知って高揚した心が、どこまで熱を帯びていくのだ。
「じゃあ、あの日言ってた伝えたいことって!」
『うん……まあ、そういうことよ』
恥ずかしそうに笑う柚子に、心だけじゃなくてこちらの頬まで熱を帯びてしまう。
──ああ、こんなことって。
オレは柚子と恋人になれたんだ。
柚子が生きていれば、あの日は人生でお互いに人生で最高の日になっただろう。
でも、彼女は……。
「ごめんな……オレがあの時お前を置いていかなければこんな事に……」
『颯太のせいじゃないよ。それに私に会いたいって神様に願ってくれたんでしょ?』
「え?」
『そのお守り……颯太ってほんと変なところでいつも運がいいよね』
手に持ったお守りを二人で見る。
古びたお守りはとっくに熱を失っていて、何の変哲のない普通のお守りになっていた。
「もしかしてあの神社の時のこと、知ってるのか?」
『女の子にあげたんでしょ? 林檎のペンダント』
「え、ああ……本当は柚子に渡すモノだったんだけど……」
『ふふ、林檎だなんて颯太のくせにセンス良いじゃない! 私ために選んでくれたんでしょ? 見たかったなあ、私も』
「──ごめん」
『ちょっと、そんな顔しないでよ』
やっぱり彼女は喜んでくれた。
自信のあったあのペンダントは、確かに柚子が好いてくれるモノだったんだ。
でも、目の前の彼女に届けることは叶わなかった。
それがどうしようもなく悔しくて、柚子の前だというにの、オレはまたみっともなく泣き始めてしまう。
『泣かないで颯太、おかげで私はここに来れたんだから。また、颯太に会えたんだから』
「え? おかげって?」
『うん。私、死んだでしょ? 死んだ後のことは良く覚えてないんだけど、なんかね、誰かに呼ばれたのよ。で、気付いたら大きなお屋敷の中にいたの。そこにいた髪の白い男の人がね、会いたいって熱心に祈った人がいたから行ってやれって教えてくれて……そのお守りがあるなら、ほんのちょっとの時間だけど言葉を交わすことはできるだろうって』
大きな屋敷に白い髪の男の人。
オレの祈りを聞き届けて彼女をここに送ったのなら、もしかして神様なのだろうか。
「そ、それって神様……なのか?」
『うーん……多分。なんかお庭の縁側で寝転がってお酒飲んでたけど……』
「なんだそりゃ? 神様っぽくないな」
『でしょ⁉︎ 私も思った! でもペンダントのお礼だって言ってたよ。あの子が喜んでいるからって』
「え?」
まさか、じゃああの女の子は神様の使いか何かで本当に人間じゃなかったのだろうか。
どこからどう見ても人間としか思えなかったけど……そうなるとあの時迎えにきた男の人は誰だったのだろう。
普通に髪は黒かったし……背は高かったけど、どこにでもいる普通の人にしか見えなかった……いや、よそう。
大屋敷とか髪の白い男の人とか、気になることはたくさんあるけど、今はそんなことより優先しないといけない事がある。
「なあ、柚子。オレずっと言いたかったんだ」
『え、何よ?』
「──今までずっとありがとう。変な態度取ったり、憎まれ口叩いたりしたけど、オレは柚子のおかげでずっと笑えてたんだ」
『ひえ⁉︎』
自分の内側にあった正直な気持ちを伝えると、柚子は目をぱちくりさせながら驚いた顔をした。
透明なせいでわからないけど、もし実体があったら顔を真っ赤にしているだろう。
その証拠に彼女はいつものように怒ってきた。
『こ、このばか颯太! 最後に照れさせないでよ! もう!』
ばかってなんだと、いつもならムキになって反論していた彼女の言葉も、その理由と大切さに気づいた今では全てが愛おしい。
あまりにあの日の続きっぽくて、また涙が溢れそうになるのを堪えながら、考えないようにしていたことを彼女に尋ねる。
「……なあ、柚子。ずっといられないのか⁉︎」
『あのねえ、そんな訳ないでしょ? 私、死んでるんだし。それに、ほら』
そう言って自分の手を見せてきた柚子。
彼女の言いたいことはすぐにわかった。
その輪郭がさっきより薄くなっていたのだ。
『ほんの少ししか居られないけど……でもよかったわね颯太。危ない所だったんだからね、もう!』
「よくなんてねえよ……だって柚子は死んじゃったじゃないか……」
『そんなこと言わないでよ。私は嬉しかったなあ。最後にまた会えるなんて思ってなかったし。しかもこうして言いたかったこと言えたんだから!』
「柚子……」
『でもね、もう時間みたい』
「ああ、そんな……」
彼女の輪郭がどんどんぼやけていく。
その表情が認識できなくなるほどに、彼女が薄れていってしまう。
だから言いたいことだけ最後に言うねと、僅かに見える表情で彼女はオレに微笑んだ。
『大好きだよ、颯太』
ずっと聴きたかったその言葉。
もう全てが遅いけど、こうして聞かなかったはずの言葉を聞けただけで十分だ。
だからオレも後悔のないようにしっかり彼女に伝えないと。
「ああ、オレも大好きだよ柚子」
抱きしめた彼女の体に感触がなくて、オレの腕は宙を一人で抱きしめる。
例え予想していた感触が得らなくても、オレはそのまま彼女の体を抱いていた。
──バイバイ、颯太。元気でね。もう変なのに騙されちゃダメなんだからね。
最後までオレの心配なんて、本当に柚子らしい。
その言葉を最後に、柚子の姿は完全に消えてしまった。
まるで今までの出来事は嘘のように、後に残ったのはいつものオレの部屋。
暗い部屋の中で一人泣き続ける、男が残るだけだった。
※ ※ ※
相島紗季は無事、退院した。
大きな後遺症もなく少しばかりの傷を頭に残すだけで、大事には至らなかったそうだ。
何度か見舞いに行ったけど、すっかりいつもの調子を取り戻していて病室のベッドで小説を読んでいた彼女。
相変わらず窓から吹く風に髪を靡かせながら、相島紗季はいつも通り絵画のように過ごしていた。
結局彼女が学校に来るようになったのは、柚子が助けてくれたあの日から一週間もあとのこと。
放課後、下駄箱に行くと相島が待っていたように一緒に帰ろうと誘ってきた。
退院してようやく登校を始めた相島だけど、どうやらまだオレの心配をしてくれたようだ。
青い空に浮かぶ入道雲を見上げながら、いつか柚子と当たり前のように一緒に帰っていた道を相島と歩く。
隣にいる彼女に柚子の面影を重ねたりはしないけど、歩く道は柚子と一緒の道なのでどうしても思い返してしまった。
しばらくすると夏の暑さで顔が汗まみれになったが、隣の相島は涼しそうな顔で汗ひとつかいていない。
美人って汗すらかかないのかと彼女の顔をじっと見ていると、相島の額にうっすら傷跡が見えた。
確か彼女は不動恵子を助けようとしたけど、あの怪異を母親と信じる不動恵子に突き飛ばされて頭を打ったと聞いている。
病院では頭に包帯を撒いた姿しか見てなかったから傷の箇所までは確認してなかったけど、まさかこんな見える位置に傷跡があるなんて。
「傷、残るのか?」
「前髪伸ばしたら隠れるから問題ないわ」
「そうか、ならよかった」
心配するオレを他所に相島はなんでもないように答えた。
女子の額に傷というのは結構気にするんじゃないかと思ったけど、相島は特に気してないらしい。
──いや、そうじゃない。
相島だって、親友が殺されたんだ。
自分の怪我を気にしてないだけで、もっと他のことを気にしてるのかもしれない。
「悪かったな、色々と」
お礼は言ったけど、ちゃんと謝ってなかったことをふと思い出し口にする。
不動恵子も山本颯太も、彼女は助けようと一人で奔走していたんだ。
だが相島は嫌そうな顔を浮かべると、オレの謝罪に言い返した。
「ちょっとやめて。元は私が原因なんだから」
「いや、そんな訳──」
「あるの!」
オレの言葉に被せ気味で強くいう相島は、どうやら主張を曲げる気がないようだ。
ここでこっちも引かないと、くだらない喧嘩に発展することはよく知っている。
だっていつも、柚子とそんな喧嘩をしていたから。
だから今度は感謝の気持ちを込めて謝意を伝えることにした。
「──ああ、かもな。でも、オレは相島に感謝しているよ。結果はどうあれ、あのラジオの話を教えてくれて本当にありがとう」
相島が後悔しているであろうラジオの話に感謝するオレ。
彼女がまた嫌そうな顔をするかと思いきや、今度は驚いた顔で見つめてきた。
「颯太くん、なんだがすごくスッキリした顔してるね」
「それは──柚子にちゃんと気持ちを伝えれたし、聞けたから」
そう、と。
それだけ言うと彼女は前を見た。
相島と別れる道が近い。オレはまっすぐ進み、彼女は右に曲がって帰るんだ。
「少しカッコ良くなったんじゃない?」
「え?」
そんなことを言って微笑む相島に、少し前までの自分なら舞い上がっていた事だろう。
――でも。
「ありがとう」
もう一度、感謝を述べておく。相島のように綺麗な女子に褒められても、自分でも驚くほどなんとも思わなかった。
もしかしたら、今もオレの心は柚子の側に在るのかもしれない。
正直、気持ちの整理なんてついちゃいない。
死んだ人を想う気持ちは、いつになったら消えるのだろうか。
時間だけが解決してくれるのか?
いつかオレも、柚子のことを忘れて前に進む日が来るのだろうか。
──なんかそれはそれで嫌!
そんなことを考えたら、心のどこかに柚子の怒る声が聞こえた。
でも頭の中に浮かんだ彼女の顔は、その台詞とは裏腹に笑っていた。
「心配すんな」
「え?」
彼女への返事をつい、言葉にしてしまった。
独り言だと言うと、相島が頭を打ってないか検査を勧めてきた。
心配してくれる相島になんでもないと誤魔化せば、呆れた顔でこちらを見てくる。
「まあいいわ。じゃあね、颯太くん。また明日」
「ああ、じゃあな相島。明日は学校行かないからまた明後日だな」
「え?」
「じゃ」
ぼけっとした顔で立ち止まる相島に挨拶をして去る。
柚子、そんなに心配しなくていい。
そもそもオレはモテるほうじゃない。
だからしばらくは、オレの心は柚子のことを想い続けるよ。
この想いがいずれ薄れて無くなるのかどうか、それはオレにも分からないけど。
でも──。
スマホを取り出してあの日と同じように柚子が好きだったカフェのホームページを開く。
幸いなことに明日は平日。
店は空いているようで予約はすんなりと完了した。
「さてと、学校サボってパンケーキでも食いに行きますか」
蝉の鳴く声があちこちで響き、分厚い雲が空に漂う晴れやかでうだるような暑い日も。
綺麗な紅葉が色づいては散り、やがて白い結晶がしんしんと降り出す寒い日も。
この先もオレは色んな想いを抱えて生きていく。
いつか向こうで柚子に会えたなら、お前が食べたがってたパンケーキを食べたと自慢してやるのだ。
オレはまだまだ生きていくから、もっと色んな経験をすることだろう。
それを全部、まとめてドヤ顔でアイツに語ってやろうと思う。
死が永遠の別れだったとしても。
幽霊や妖怪が実在するのなら、あの世だって存在するはずだ。
──だから、また会おう。
柚子の悔しがる顔を見るのは、もうしばらくお預けになりそうだ。
死んだ幼馴染がラジオのパーソナリティをしている件 そこいち @booby8492
★で称える
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