鈴木正好のXday

葵染 理恵

farfalla(ファルファッラ)

「すみません、遅くなりました。鈴木正好の迎えに来ました」と、正好の母みきこが保育園の事務所の小窓から声をかけた。

園長に「少しお待ちくださいね」と、言われて待っていると、奥の部屋からバタバタと駆け足で向かってくる音が聞こえてきた。

「ママー!」

5歳の正好は担任の先生を置き去りにして、みきこに駆け寄り抱きついた。

「まーくん、遅くなっちゃって、ごめんね。お腹空いたでしょ?」

「うん、ペコペコー早く帰ろう」と、言って、みきこの手をとる。

すると担任の先生が「ほら、お靴履かないと帰れないわよ」と、にこやかに声をかけた。

そして母みきこに会釈する。

「お仕事、お疲れ様です。今日はお天気が良かったので、午前中は近くのお日様公園に行ってきました。正好くんは、いつもと変わらず元気に遊んでよく食べて楽しく過ごしてましたよ。連絡帳に詳しく書いてありますので」と、伝えて、連絡帳をみきこに渡した。

ノートを母に渡したら帰れると知っている正好は笑顔で「先生、さようなら」と、手を振った。

「はーい、さようなら。気を付けてね」

担任の先生に見送られながら二人は保育園を出た。

「今日は遅くなっちゃったから、夕飯はスーパーのお惣菜でもいいかな?」

「いいよ。じゃ寝る前に絵本読んで」

「いいわよ。何の絵本にする?」

「僕の蝶々は女神さま。が、いい!」

「まーくん、その絵本ほんと好きねー」

「だーいすきだよ!だって女神さまと……」

二人は冬の夜空に包まれて消えていった。


スマホのアラームがけたたましく鳴り響く。

正好は手探りでスマホを探すとアラームを止めた。ボーと天井を見上げたまま夢の内容を思い出していた。

「なんで、あんな夢を見たんだろう……」

不思議に思いながらも起き上がる。少し感傷的な気分になりながらも朝の準備に取りかかった。全自動の珈琲メーカーでエスプレッソを淹れている間に歯磨きと顔を洗う。身支度をしているうちに胸のざわつきは消えていき、いつもの朝を向かえていた。

出来立てのエスプレッソを持ってリビングに向かうとテレビを付ける。

「次は芸能ニュースです。グラビアアイドルの橋本くるみさんとサッカー選手の沖田晃一郎さんが15日に婚約発表をいたしました。なお橋本くるみさんは妊娠16週目に入っているそうです。次のニュースです。本日15時から絵本作家ロマさんが銀座の画廊で開催される【ロマの世界展】のオープンセレモニーに出席する事が発表されました。メディア嫌いのロマさんが表舞台に立たれると言うことで注目されています。次のニュースです……」

ロマのニュースを目にしたとたん正好の体はマネキンのように固まった。

「……えっ…ロマさんが顔出し…嘘だろ……すげ!!」

幼い頃、母親から誕生日プレゼントで貰った絵本【僕の蝶々は女神さま】の作者がロマで、それはロマの処女作だった。今でもロマの新作絵本が出ると購入して大切に保管するほどロマの大ファンなのである。

 黒のパンツにサーモンピンクのシルク生地のワイシャツ。その上から黒いセーターを着きると、ウェーブヘアにムースをつけてバランスを見ながら念入りに調えた。ダークコートを身に纏い意気揚々と自営の美容室に向かった。

 鈴木正好が住んでいる高田馬場は、絵に描いたような晴天で、自然と正好の歩幅が広くなる。

いつもの満員電車に揺られること25分。渋谷に到着すると、乗降客の流れに乗って降りた。すると背後から聞き慣れた声で正好を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと唯一の従業員・蒲田直哉が手を振っていた。

「おはようございます」

「おはよう。あれ?今日は11時半出勤だよね?」

「そうなんですけど……今日は朝イチでキャメロンさんが来るじゃないですか。朝ならすっぴんで来店する可能性が高いから早めに来ました」と、言って、茶目っ気たっぷりな表情で、正好を見上げた。

「えっ、まさか直くんって……」

「ん?あぁ違いますよ。ただの興味本位です。正さんじゃあるまいし、僕はお客さんに手は出しませんよー」

「はあ?人聞きが悪いぞ。俺がいつ手を出したんだよ」

「厳密に言うと、これから手を出す予定って感じかな」と、言うと、怒られる前にダッシュでfarfalla(ファルファッラ)に避難した。

 farfallaは正好が開業した美容室で【僕の蝶々は女神さま】の舞台であるローマをイメージしている為、店名もイタリア語にしている。

因みにfarfallaはイタリア語で蝶という意味である。

「正さーん、早く開けてくださいよー寒いよー」 

と、直哉は、ゆっくり向かってくる正好に訴えかけた。

「子供じゃあるまいし、君が勝手に走るからだろ。それに変な事を言うやつは、店に入れたくないなー」

「そんな事、言っちゃっていいんですかー?あとで霧山さんに報告しちゃいますよー」

「な…なんで、急に霧山さんが出てくるんだよ」

直哉はニヤニヤしながら、ダークコートからチラッと見えるピンクの襟を指差した。

「それ、ヴェルサーチェのシャツですよね?僕、知ってますよ。霧山さんが来店する日だけブランドの服を着てくること」

「たっ…たまたまだよ。ほら、開けたぞ、早く準備に取りかかりなさい」と、言って、直哉を店内に押し込んだ。

入口から見て左側にレジ、右側には待合椅子が2脚。

その横に小さな噴水が設置してあり、2つの空間を作るように真ん中に鏡が設置してある。カット台がレジ側に2席、噴水側には1席あり、その奥に控室がある。

直哉は「寒い寒い」と、言いながら控室に入り、一目散に暖房を付けた。

各々、開店準備に取りかかると、あっという間に時間が過ぎていった。営業時間10分前になると、簡単な朝礼が始まる。予約の確認や申し送りなど伝えた。朝礼が終わると直哉は噴水の電源を入れてから、クローズの札をオーブンに変えた。

オープンまもなくすると、大きなキャリーケースを引っ張って高身長の女性が入店してきた。

「キャメロンさん、おはようございます」

と、正好が出迎えると、キャメロンは、大きなサングラスを外して「正ちゃん、おはよう」と、気怠そうに挨拶をした。

そこへ元気いっぱいの直哉が控室から出てきた。

「おはようございます!あっ…すっぴんじゃない…」

「え?すっぴん?」  

困惑したキャメロンに見えないように、正好は直哉を睨みつけた。

「あっ、すみません!なんでもないです!」

「もしかして、朝イチだから私がすっぴんで来ると思っのかしら?」

「あっ…はい、実はそれを期待して早く出勤したんですよね」

「やだー直ちゃんたら可愛い!そんなに私のすっぴんが見たかったの?けど、駄目よ。すっぴんは愛する殿方にしか見せないのよ」

と、言いながら、キャリーケースを直哉に渡した。

「では、こちらへ」と、正好は、レジ側の奥のカット席に案内した。

「朝イチからご来店ありがとうございます。昨夜もお仕事だったんじゃないですか?」

「そうなのよ。おかげで2時間くらいしか寝れてないけど、妹の為に、太陽の下に出てきたわよ」

「妹さんの為ですか?」

「今日は妹の結婚式なの。だからマレフィセントのようなゴージャスなドレスに合う髪型にしてほしいのよね。ドレスを出すのは大変だから、写真撮ってきたわ」と、言うと、スマートホンで撮ったドレスの写真を見せた。

そのドレスはスタイルの良いキャメロンだから着こなせるような深紅のタイトなロングドレスで、そのドレスを覆うようにラメが散りばめられた漆黒のレースが飾りつけされていて裾が大きく広がっていた。

「綺麗なドレスですね。まさしくマレフィセントてすね」

「僕も見ていいですか?」

と、直哉が尋ねると、キャメロンに手招きされた。

「すご!これ、オーダーメイド?」

「もちろん。店、専属の仕立て屋に頼んだのよ」

「気合入ってますねー。ドレスで行くって事は姉として出席するって事ですよね?」

デリカシーのない発言に正好が注意しようとするが、キャメロンは、面白がって「さあー?直ちゃんはどう思うの?」と、質問した。

「兄として行くならタキシードとかのスーツだと思うから、やっぱり姉だと思います!」

キャメロンは不敵な笑みを浮かべる。

「残念!ハズレよ。答えは【人間として】でしたー」 

「えっ、何ですそれー」

「久しぶりに人間らしい時間に起きて行動しているからかしらね。ね、正ちゃん」  

「キャメロンさんは美しきヴァンパイアですからね、夜がお似合いです」と、言って、微笑んだ。

「やだー!正ちゃんたら、私を誘惑してるー」と、キャメロンは嬉しそうに、正好を見つめる。

「いや、俺にとってキャメロンさんは高嶺の花。誘惑なって恐れ多くて出来ませんよ」

歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく言えてしまう正好をまじまじと見つながら直哉は思った。

(あの人、絶対、美容師やりながらホストやってたな…)


店内に流れる森林のBGMと噴水の水音が心地よく合わさって、いつしかキャメロンは眠りに落ちていた。

その間にセンター分けをした髪を左右4つのブロックに編み込む。中間くらいからUピンなどを駆使して、ふわふわな団子を左右1つづつ作り上げた。

そして店舗に用意してある髪飾りの中から孔雀の羽根で作られたゴージャスな髪飾りを片方の団子に付けた。

正好は色んな角度からバランスの確認をすると、キャメロンをそっと起こした。

短い時間で深い眠りについていたキャメロンは目をパチクリさせながら、鏡に映る自分を見て驚いた。

「ステキ!いいわね。イメージ通りだわ。この羽根の髪飾りも気に入ったわ」

「ありがとうございます。こちらの髪飾りはサービスで付けさせていただきました」

「えっ、いいの?」

「勿論です。キャメロンさんには、いつも御贔屓にしてもらっているので、ささやかなプレゼントです」

「あら、ありがとう!主役の妹より目立っちゃったりしてね」と、言って、高笑いをした。

レジのパソコンで口コミの返信をしていた直哉は(あのドレスからして、確実に目立つだろう…)と、思ったが、また正好に睨まれると嫌なので口を噤んだ。

すると新規の女性客が来店した。

「いらっしゃいませ。ご予約のお名前をお願いします」

「予約はしていないんですが、カットとカラーって大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫ですよ。では、こちらへどうぞ」

と、直哉は、キャメロンの隣の席に案内した。

するとキャメロンの姿を見た女性客は、その場に立ち止まり目を見張った。

直哉はあえてキャメロンに聞こえるように言う。

「綺麗でしょうー、これから大切なパーティーに出席するんですよ」

「あっ…そうなんですね。とても綺麗です」

キャメロンは「ありがとう」と、言って、軽くウィンクをした。

「お疲れ様でした」と、言うと、正好はキャメロンとともにレジに向かった。

会計が終わるとキャメロンにキャリーケースを返却した。

「ありがとうございました。気をつけて行ってらっしゃいませ」

「ありがとう。じゃまた来るわねー」

と、言って、ご機嫌で駅の方へ向かった。


「カットは整える程度にしてもらって、カラーはブリーチ無しのブランクピンクにしたいです」

「分かりました。色のサンプルを持っていますので、ちょっと待っててください」と、言うと、控室の手前にある薬剤の調合スペースから二つ折りのサンプル冊子を取ってきた。

「ブリーチ無しのブラウンピンクにすると、この辺りくらいになりますね」

「じゃそれでお願いします」

「かしこまりました。では、カラーからやっていきますね」と、言うと、カラークロスを客に付けてから調合スペースに向かった。

すると正好が控室に戻るところだった。

「正さん、ちょっと聞いていいですか?」

「ん?なに?」

「羽根の髪飾りって、この日の為に用意していたんですか?」

「違うよ。キャメロンさんの口コミのおかけで出勤前のヘアセットが増えてきたから、その方たちのイメージにあった髪飾りを何個か用意していただけだよ。まぁあの羽根はキャメロンさんをイメージして購入した物だから、俺のイメージは合ってたって事だね」

「へー、すげー!しっかり考えてやってたんだー」

「当たり前だろう。直くんさー、俺を何だと思ってるわけ?」

直哉はカラー剤と正好を交互にチラチラ見ながら「ぼんぼん…」と、答えた。

「ぼっ…ぼんぼん?!君ねー」と、反論しようとした時だった。店内から「こんにちはー」と、女性客の声が聞こえた。その声を聞いた正好は一目散に向かった。直哉はカラーの調合をしながら、ニヤリと楽しそうに笑った。


「いらっしゃいませ。霧山さん、お待ちしておりました」

霧山柊は軽い会釈をすると正好にコートと手荷物を預けた。荷物をロッカーにしまうと噴水側の席に案内した。

「随分、伸びましたね。7ヶ月ぶりですよね」

「ええ、このところ忙しくって…」

「自営業ってやる事が多くて大変ですからね」

「ええ、まあ…」と、相槌をすると、肩まで伸びた髪を持ち上げた。

「今日は前髪ありのベリーショートでお願いします」

「かしこまりました。カラーはどういたしますか?」

「ダークバイオレット系がいいかな。最近、目立ってきた白髪も染まればいいんだけど…」

「そうですねー、白髪染め用を使うほどてもないですし、かと言って黒染め用とかでは染まりにくいんですよね。市販で売ってる部分用白髪染めとかを使ってみるのはどうですか?」

「ありがとう。ドラッグストアで探してみるわ。あっ色合いはお任せします」

「了解しました。では先にカットから始めさせていただいてます」と、伝えると、霧山にカットクロスを付けた。

いつものようにシャキシャキと軽快な音を鳴らしながら切っていくが、今日はいつもと違った。

普段の霧山はカットが始まると目を閉じて、そのまま舟を漕ぎ始めるところだが、今日は、船を漕ぐどころか鏡越しに正好の事を覗いていた。

施術をしらながら霧山の視線に気づく。

「ん?どうかしました?」

「……あの…初めて来店した時から気になってた事があって、訊いてもいいかしら?」

「えっ、は…はい、なんなりと!」

何を訊かれるのか期待と不安で心臓がバクバクしていた。

「このお店のコンセプトってもしかして、絵本ですか?」

「えっ!」正好の手が止まった。

「私、小さい頃から絵本が好きで、19歳の時に読んだ【僕の蝶々は女神さま】という絵本の世界観と何か似ているような気がして…」

「いっ、いや、気のせいじゃないです!実は俺も小さい頃から絵本が好きで1番好きな絵本が【僕の蝶々は女神さま】なんです!店名もイタリア語で蝶々と言う意味で付けました!」

「あーやっぱり!噴水もあるし、私の思い違いではなかったんだ」と、すっきりした表情を見せた。

そこへ、カラーを塗り終えた直哉がやってきた。

「お二人とも同じ絵本が好きだなんって運命じゃないですかー」

「なっ直くん!霧山さんに失礼だろう」

「私なら大丈夫ですよ」

「正さん、良かったですねー」

正好は嬉しい気持ちを隠してカットに集中した。

「ところで、どんな話なんですか?僕、絵本って読んだことないから…」

直哉の質問に霧山が答えた。

「時代は古代ローマ。主人公は孤児の【僕】という小さな男の子です。僕は、1日を生きるために必死で働いていて、そんな僕の唯一の癒しが、広場の噴水に現れる綺麗な一匹の蝶々と遊ぶこと。僕が来ると、何処からともなく現れて、僕の体に止まったり追いかけっこをしたりと、友達の居ない僕にとって大切な友人だったのです。そんなある日、僕は、病にかかり体を動かすことが出来なくなりました。熱い、熱い…けど寒い…と呟きながらも僕は噴水まで辿り着くと、水の中に入ろうしました。しかし綺麗な女性が僕の行動を止めました。そして僕を優しく抱きしめて包み込みます。その女性が着ていた服の柄は僕の友人の蝶々と同じ柄でした。僕は女性の優しい温もりの中、次第に意識が途切れていった。そして僕は笑顔で天に昇っていきました。と、いうお話です」

と、言って、直哉にむかって微笑んだ。

もっと可愛らしい話かと思っていた直哉は言葉を失っていた。

「おおまかな説明だけど伝わったかしら?」

「……はい、分かりました。ありがとうございます。それにしても絵本なのに壮絶なストーリーだったんですね」と、正好に共感を求めた。すると、正好の目頭が熱くなっていた。

「正さん…もしかして感動しちゃってます?!」

いつもならすぐ否定をするところだが、正好は鼻をすすった。

「すみません…霧山さんのお話を訊いていたら1ページ1ページ頭の中に浮かんできちゃって…」

「えっ、正さんって、そんな涙もろくないですよね?どっちかって言うと、現実主義と言うかクールと言うか…それに、貧しい人の気持ち分かるんですか?」

「はぁ?それどういう意味だよ」

「だってー、この店って親にプレゼントしてもらったって言ってたから、正さんってお金持ちの御坊ちゃんなんですよね?」

それを訊いた正好は、今までの直哉の言動を理解して高笑いした。

「だから、俺の事、ぼんぼんだなんって言ったのか」

「違うんですか?」

「全然、違うよ。俺は片親で育ってるから、一般家庭より苦労もしているし、貧乏も経験しているんだよ」

「えっ、じゃ店をプレゼントしてもらったって、どういう事ですか?」と、尋ねると、ピッピッピッとタイマーがなった。直哉の客のカラー染めの終了時間だった。

「ちょっと、また後で詳しく教えてくださいね」

と、言って、直哉は仕事に戻った。

「私には今、教えてもらえますか?」

「えっ…はい、勿論いいですけど、俺の家の話なんか訊いても面白くないと思いますよ」

「いえ、とても興味深いです」

「そうですか?では、カラーの準備をしてきますので、入れながらお話しますね」

と、言って、正好は急いでカラーの調合を始めた。

同じ絵本好きで、自分に興味を持ってもらえた事にテンションが上がっていた。

「お待たせしましたー。それではカラーを入れていきますね」

「お願いします。お話の続きもお願います」

「あっはい…」

正好は、少し照れた様子で話し始めた。

「俺は岐阜県出身です。片親になった理由は父のDVです。まだ小さかった俺はあまり父の記憶ないんですが、不幸中の幸いだと思っています。母は、朝から晩まで働いて副業もしていたので、とても痩せ細っていて髪もパサパサで実年齢より老けて見えていました。そんな母に甘える事が出来ず凄く寂しかったんですが、誕生日プレゼントで貰った【僕の蝶々は女神さま】の絵本を母に読んでもらった時に気付いたんです。俺は母親がいるだけ幸せなんだから、もっと強く生きていかないといけないんだと。そして、俺にとっての女神さまは母だけど、見た目も女神さまみたいに美しくして幸せにしてみせると強く心に決めたんです。それで美容師の仕事を選びました。苦しい事や辛い事の方が多い人生を送ってきましたが、絵本と母親と過ごした幸せな思い出が俺の支えとなって今がある感じです…って、ちょっと大袈裟ですかね」と、言って、照れ笑いした。

「そんな事ないです。素敵なお話ですね」

「ありがとうございます。霧山さんが【僕の蝶々は女神さま】を好きになったきっかけって何ですか?」

「私は単純に【僕】と境遇が似ていたから共感したからです。次はこのお店をプレゼントしてもらったというお話を訊かせてください」

「あっ…はい」

いつも寝ているか話してもすぐに会話が途切れてしまうくらい話下手だと思っていた霧山が積極的に話をしてくれる事に対して戸惑いを見せつつも嬉しさが勝った。

「俺が26歳の時、母に会ってもらいたい人がいる。と言われて会ったのが資産家の彼氏で、母とクルーズ船で世界一周旅行をしたいから、その許しをもらいたいと言われたんですよ。そんな娘さんをくださいみたいに言われてもと、思ったんですが、母を幸せにしてくれるなら良いですよ。と、伝えたところ、優しい息子さんだ。と、なり、3ヶ月以上も大切なお母さんを独り占めしてしまうのは気の毒だから、何か欲しいものはないかい?何でもプレゼントする。と、言われたので、冗談半分で渋谷に自分の店を持ちたい!と、言ってみたら、この通り夢が叶った感じです」

「小さい頃に決断した事をしっかり叶えるなんって、かっこいいですね!」

「そうですか?ありがとうございます。けどまぁ店は自分の力で建てたわけじゃないんで複雑なところもありますよ」

「建物はプレゼントでも営業を続けられているのは鈴木さんの力なんですから、そんな引き目を感じなくていいと思います」

「そう言って頂けると、ありがたいです」

「いえ、本当の事ですから。因みに何故、渋谷なんですか?」

「それは…」と、言いながら、思い出し笑いをした。

霧山は不思議そうな顔で正好を見つめる。

「実は、母たちと会った後で友達と渋谷で呑みの約束をしていたから、つい渋谷って言っちゃったんですよね。ほんと安易な考えですよね」と、言って、笑うと、霧山もつられて笑った。

 他愛もない会話をしながら順調に施術が進んでいく。

そして反対側にいる客の施術が終わる。女性客は天使の輪を輝かせながら帰っていった。

「ありがとうございましたー」

直哉は、片付けも早々に正好の方へ駆け寄った。

「なんだか今日は、一段と楽しそうですねー。僕も仲間に入れてくださいよー」と、ちゃちゃを入れる。

「たく…今日はやけに絡んでくるな。君を雇ったのは間違えだったかもな」

「そんなー」

「いいから、次のお客様の準備をしなさい」

「はーい」と、拗ねた子供のように背中を丸めて戻っていった。

「すみません。後でしっかり叱っておきますので」

「いいえ、大丈夫ですよ。あの子ってワンちゃんみたいで可愛いですね」

「可愛いですか?」

「鈴木さんに遊んで遊んでって、すり寄ってくるワンちゃんみたいで可愛いですよ」

「まあ確かに懐に入るのが上手というか、どんなお客様にも可愛がられるところはありますね」

「鈴木さんもその可愛さにやられて雇ったんでは?」

「いやいや、単なる同情ですよ」

「同情?」

「直くんは、お客様ウケは良くても仲間からは煙たがれてたそうで、ちょっとした虐めにあってたそうなんですよ。直くんがお客さんとしてこの美容院に来た時に話してくれて、急に思いついたかのように、何でもするから僕を雇ってほしい!って、言われちゃって…始めは1人やっていくつもりだったので、断ったんですが…」

「可哀想になっちゃったんですね」

「えぇ、まあそんなところですかね」と、苦笑いした。

微調整のカットも終わると二つ折り鏡を出した。

「後ろはこんな感じで大丈夫ですか?」

と、後ろとサイドの確認をしてもらう。

「はい、いい感じです」

「ありがとうございます。お疲れ様でした」

正好はカットクロスを外すして少し離れた場所でバサバサとカットした髪の毛を落とした。

その間、霧山は鏡に向かって新しくなった自分を色んな角度から観察していた。光加減によって黒紫に見えたり青みかがった紫に見えたりしていて、とても気に入ってる様子をみせた。

「髪型も気に入ったけど、久しぶりに潤艶が戻ってきて嬉しい!ありがとう」

「喜んで頂けて俺も嬉しいです」

「今日は大事な日だから、これで気合が入ったわ!」

「大事な日……あの…もしかしてデートとかですか?」

と、不安げに訊く。

だか、霧山はニコと笑ってレジに向かった。

一方、正好は胸にモヤモヤを抱えながらレジに向かい、桐山の荷物を返却した。そして会計が終わると、霧山はバッグから1枚の紙を正好に渡した。

「これ、よかったら…」

それは、ロマの世界展の招待券だった。

「え?これ……招待…券…」

「申し遅れました。私、ロマというペンネームで絵本作家をしている桐山柊と申します」

と、言って、名刺を渡した。

「………えっっ!?!?ロマ…さん!えええーーー!!ちょっ…ちょっと待って!俺、ずーっとロマさんの髪をカットしていたってこと!?」

目玉が飛び出るほどの勢いで驚いている正好を目の当たりにした霧山は、逆に驚いてしまった。

「あ…はい…そういうことになりますね」

「うそ!?そんな事って!!では大事な日と言うのは」

「はい、メディア嫌いロマが初お披露目する日なんです」と、言って、うつむき照れた。

(ヤバすぎる!どうしよう!)

正好の脳内では、この2つの言葉がグルグルと駆け巡る。

「霧山さん!いえ、ロマさん!俺、小さい頃からずっとロマさんのファンです!ファンと言うか好きです!大好きです!ロマさん、俺と付き合ってください!!」

突然の告白に霧山と、それを訊いていた直哉もその場で固まった。

噴水の水音と店内のBGMが静かに流れる。

静まり返った空気を動かしたのは霧山だった。

「鈴木さん、ありがとう」

と、にこやかにお礼を言って、店を出ていった。

困惑する正好は、後を追うことも出来ず、直哉に「今のは……どっち…」と、尋ねることしか出来なかった。

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鈴木正好のXday 葵染 理恵 @ALUCAD_Aozome

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