月は多重奏の愛を知るか
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第1話 ムスカリの咲く音
月は
『
__かつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、1人の人間の中に全く別の人格が複数存在するようになることを指す。』
今日も僕はいつも通りだ。
制服に身を包み、ネクタイを締める。重いカバンを肩にかけ、メガネ越しに通学道路を見渡す。校門を潜り、靴を履き替え、教室のドアを開け__
「やぁおはよう深月くん!」
「おはよ…って、今日は君なんだね、
毎日この子…
僕は
「…………よくわかったねぇ……。」
「長年一緒だからね。」
この子が一緒だから。
__この子は雨晴奏音。でも今僕が話しているのは奏音自身ではない。彼女は解離性同一性障害……要するに多重人格なのだ。
唯智は奏音の人格の1人だ。
「…ゃ…やっぱり…深月は僕らに詳しいね……これくらい、僕の好きなアニメも詳しくなってくれたらいいのに。僕の推しの真似したんだよ今!」
「それとこれとは関係ないよ……奏音は?今日も…出てくるのは難しそう?」
「……出て来れなくは…ないと思う…けど…お昼になったら…出てくると思う…。」
「そっか。了解。」
奏音は多重人格が原因なのか、どうなのか分からないが、たくさんの人がいる場所は苦手だ。もちろん、学校も。だから、唯一幼馴染である僕と2人の時しか、奏音は出てこない。2人でいる時に、人前に出る訓練をしようとは試みているものの、結果は出ずじまいだ。
__僕は正直、彼女のそばにいられるなら別にこのままでいいと思ってる。だけど、それは彼女の為にはならないから。僕は全力で彼女の味方をするし、手助けをする。だって。
好きだから。
(…この思いは一生伝えないつもりではいるけどね…)
「…ぉ…おーい…聞いてる…?」
「…んぁ、何話してた?」
「アニメの話…」
「じゃあいいや…ほら、授業始まるよ。」
学校のスピーカーからいつものチャイムがなる。日常の中の1ページ。僕にとっても周りにとっても、いつもと何ひとつ変わらない日の繰り返し。今日も僕は、教科書を開くのだ。
_お昼時。
「……おーい、授業終わったよ。」
「…っ!…寝ちゃってた…ありがとう深月君。」
「…おはよう、奏音。…今日も屋上で食べよっか。」
授業中から始まった睡眠と共に起きた主人格__奏音と共に屋上へ向かう。これが僕らのルーティーン。
「今日も眠かったなぁ……。」
「よくあんなに寝られるよね。…またノート見せなきゃいけない?」
「…お願いしてい?」
「……その媚びた顔でお願いしてくんのやめてよ。断れないの知ってるでしょ。」
「んふふっ、深月君は優しいなぁ♪」
楽しそうに弁当を頬張る奏音を横目で見やる。吹く風が奏音の柔らかそうな頬を撫でるのを、まるで宝石を独占しているかのような優越感を隠しつつ眺めていると。
ふいに奏音が言葉を紡いだ。
「…そういえば、もうそろそろ進路、考えなきゃ…だよね。…深月君はお医者さん志望だっけ。」
「うん、そのつもり…まぁ、もっと言うと研究医なんだけどね。…奏音の病気のこと、ちゃんと知りたいし。」
僕は将来研究医になるつもりだった。もちろん、奏音の多重人格を緩和する為。解離性同一性障害は、今のところ薬物療法が見つかっていない。精神的な病気だから、薬でどうにかする方が難しいのだろう。…でも、僕は、奏音がどれだけ苦労してきたかを知っている。…だから、奏音を楽にしてやる方法を見つけてあげたいのだ。
「……別に、私の病気に固執しなくていいのに。好きな道に進んでいいんだよ?」
「これが僕の好きな道だからいいんだ。奏音の面倒見れるのは僕だけだし。」
「そゆこと言わなくていいの…!…まあ…でもそうだなぁ…深月君がそばにいてくれれば…私も落ち着くし…大学とか行ってもさ、手助けしてくれるでしょ?」
「大学は違くなると思うよ?僕目指してるの医学部だし。」
「…それでも、家が近いから、一緒に帰れるよ。」
「…まぁそうだね。」
奏音が僕を見て微笑む。まるで桜の花のような、儚い笑顔だった。
僕はこの笑顔を近くで見ていられればそれでいい。僕の好きな彼女の幸福が僕の1番の喜びなのだから。
この日常が変わらなければいい。
こうして毎日彼女の笑顔が見られるなら。
……そう思っていた。
◇◇◇◇◇
今日もいつもと変わらない日常。隣の席では、先生の声を子守唄と間違えたかのようにぐっすり眠る奏音がいて。そんな横顔を時々眺めながら、先生の話を聞いてノートを書いて…
「雪雲!!!!!」
焦ったような慌てたような大声が教室に響いた。担任の声だ。
「…はい、どうしましたか?」
「今すぐ先生と職員室来い!!!早く!!」
いつもは温厚で、おふざけが大好きな先生の青ざめた顔を見て、ただ事では無いことを察した。
日常が壊れる音がした。
「……両親…が………事故…死…………?」
頭をガラス瓶で殴られたかのような衝撃が走った。
「…君のご両親が、営業に向かう途中で、飲酒運転の車とぶつかってしまったらしい。…即死、だったそうだ。」
……思考停止。
まさか。そんなこと。
頭が回らないまま、連れられたのは、病気をしたとしても滅多に行かないような大きな病院だった。俯いた医者と共に入った病室には、顔に白い布を乗せられた、紛れもない両親。
「………かあ、さ………とう……さ…ん…」
目の前でピクリとも動かない、冷たくなった両親に、何も言葉が出てこなかった。
「………………。」
少しずつ状況が理解できるようになった頭で、今朝までの両親が思い出とでも言うかのように流れていく。
そうだ。
本当だったら、今日だって学校から帰れば母さんが料理を作って待っていたはずなのだ。
風呂から出た頃には父さんも帰ってきて、一緒に話が出来たはずなのだ。
そんな、当たり前の日常が、こんなに早く崩れるなんて。
「……………んな…そんな………っ…」
僕の頬に流れる涙はしょっぱかった。
…涙がしょっぱいのは、悲しいからだ…って、母さんが教えてくれたんだっけ____
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
大切な家族を失った。
当たり前を失った。
どうしたらいい?
どうしたらいい?
頭が回らないまま、僕は叫び続けた。
迷惑なんて知るもんか。
騒音だなんて知るもんか。
僕は家族を失ったんだ。
変わらない日常を失ったんだ。
思い出と共に流れる涙は、とめどなく流れていって。
涙が枯れる頃には、空の星が煌々と輝いていた。
その日から僕は急にやることが増えた。担任と一緒に葬儀のことを計画したり、人を手配したり、色々。
僕は親戚や、血の繋がりがある人に手紙を書いたりしていたけど、ちっとも身が入らなかった。言葉にも感情が乗らなかった。
僕は、感情を失った人形のようになっていた。
そして、葬儀の日。
地方の親戚や、東京に住む親戚、担任、クラスメイト数名が、葬式にやってきた。
その中には、奏音もいた。
「………深月君…。」
「……奏音……。」
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
葬式は無事終わり、両親は骨となった。
骨を拾う親戚達が泣いている中、僕は、泣くことが出来なかった。
「……ねぇ、深月君。」
「………………今日は…奏音のままなんだね。」
「…いくら人が多いとはいえ…深月君のことだから…他の子に代わるのは…違うかなって…」
「…そっか。」
いつもみたいに上手く受け答えができない。
奏音の顔が不安そうなのに、何も言葉が出てこない。
自分の両親の葬式だと言うのに、涙ひとつ出ない僕を、彼女はなんと言うだろうか。
人でなしだと思うだろうか。
心がないと思うだろうか。
いつもどうやって話していたか、思い出せない。
そもそも、いつもってなんだっけ____
「っ深月君!」
「…っ…ごめん…ぼーっとしてた…」
「…………深月君……。」
「……早く…帰りなよ…親御さん…心配するよ。」
「………っ」
「…奏音………?…………!」
…ふと奏音の顔を見ると、そこには一筋の涙がつぅっと頬へ流れていた。
「…深月君っ…!」
「っ?!」
彼女の身体が近づいたと思った瞬間、僕は奏音に抱きしめられていた。
ふわっと、石鹸のようないい匂いが鼻を掠める。
「…っ辛かったよね…!苦しかったよね…!大事な人2人も失ったんだから…!」
「……か……のん…?」
「…何も気の利くようなこと、言ってあげられなくて、ごめん…!……辛すぎて…涙なんて、出ないよね………」
「…………」
口下手な彼女から出る言葉は、震えていて、だけど暖かかった。
「………ねぇ…深月君……」
「…?」
「……あのね…上手く…言えないんだけど…私はさ…!居なくならない…から!」
「………」
「…………そばにいる…から…頼りないかもしれない…けど…支える…から…」
「………奏音……」
「…ひとりぼっちじゃないよ………」
ひとりぼっちじゃない。
奏音は…そう言った。
家族が居なくなった僕のそばに、奏音は居てくれるの?
「………あり…がとう…………。」
絶望の中に、一筋の光が射した気がした。
続く_____
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