あるアイドルの軌跡

かねぴー

序章: センターの喪失

楽屋の一角、七瀬ひかりはそっと用紙を握りしめていた。それは新曲のポジション表。そこに記された「センター」の文字の横に、自分の名前はなかった。代わりに書かれていたのは、最近人気を急上昇させている後輩メンバーの名前だった。


一瞬、視界がぼやけた。用紙を握る指が白くなるほど力が入る。何度も見間違いではないかと確認するが、そこに自分の名前はない。ふと下の列に目をやると、2列目の端に小さく「七瀬ひかり」の文字があった。その場所は、かつて自分がいたセンターとは程遠い位置に思えた。


(私、ここまで落ちちゃったんだ……)


胸の奥がズキズキと痛む。それでも、周りにいるメンバーたちの視線を感じ、表情に出さないよう必死に気持ちを押し殺した。目の前では新センターに抜擢された後輩を中心に、メンバーたちが明るい声を交わしている。その輪に加わることもできず、ひかりは静かに立ち上がり、楽屋の隅を後にした。


もうセンターから遠ざかって1年が経つ、廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫でる。ひかりは深呼吸をしながら、心の中の不安と焦りを無理やり押し込めた。壁に寄りかかり、目を閉じる。


(どうして……私じゃダメだったんだろう?)


かつて、グループのセンターとして輝いていた日々が脳裏をよぎる。中学生でグループに加入し、その清楚で初々しい魅力から一気に注目を集めた。デビュー曲のセンターに抜擢されたときの眩しいスポットライト、ファンたちの熱い声援、メディアの称賛。その全てが、彼女にとっての原動力だった。


(あの頃は、みんなが私を見てくれていた。)


だが、時が経つにつれて状況は変わっていった。新しいメンバーが次々と加入し、新鮮さや個性で目立つ後輩たちが増えた。一方で、ひかり自身は「安定したパフォーマンスができるベテラン」として扱われるようになり、徐々にセンターから遠ざかっていった。


新曲の制作発表会で「次期センター」の名前が告げられたとき、心にチクリとした痛みを感じた。しかし、同時にそれを「仕方ない」と受け入れている自分がいた。今の自分が、かつてのような輝きを放てていないことを自覚していたからだ。


楽屋に戻ると、ポジション表を手にしたまま席に腰を下ろす。表情を取り繕っても、心の中では押し寄せる虚無感に苛まれていた。


「ひかり、大丈夫?」


隣に座る同期のメンバーが、心配そうに声をかけてきた。ひかりは慌てて笑顔を作り、「大丈夫だよ」と返す。だが、その笑顔がぎこちないことは自分でもわかっていた。


新曲のレッスンが始まると、ひかりは自分の立ち位置を確認するため、鏡に映る自分の姿を見つめた。2列目の端。センターに立つ後輩と目が合うたび、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。


(これが、今の私なんだ。)


自分に言い聞かせるようにそう思った。だが、それは納得ではなく、諦めに近い感情だった。


その夜、帰宅したひかりは、机に向かって何度も深い息を吐いた。まだ手つかずのノートが目に入る。それはファンとの交流や感謝を記録しようと買ったものだったが、書くことができずに放置していた。


(今の私が何を書いたって、意味なんてない。)


そう思うと、手に取ったペンをそっと置いた。部屋の窓から見える月が、ひっそりと彼女を照らしている。その光をぼんやりと見つめながら、彼女は静かに目を閉じた。

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1年半前、ステージに立つその日、七瀬ひかりはまだ中学生だった。清純な美しさと、初々しさを併せ持つ彼女は、加入してわずか半年で中規模アイドルグループ「ルナグロウ」の次期センターに選ばれていた。その快挙は業界でも話題となり、初のセンター公演には注目が集まっていた。


公演当日、会場は異様な熱気に包まれていた。ファンたちはステージに立つ少女たちの姿を一目見ようと、会場を埋め尽くしている。ひかりはステージ裏で深呼吸を繰り返していたが、緊張で呼吸が浅くなるたびに、先輩メンバーが背中を軽く叩いて励ましてくれた。


「ひかり、貴方なら絶対に大丈夫。今まで練習してきたことを信じて!」


その言葉に、彼女は小さく頷いた。心臓の鼓動がまるで音楽のビートのように速くなっているのを感じながら、彼女はステージに向かう。


場内の照明が暗転し、イントロが流れ始める。ひかりの胸に緊張と興奮が一気に押し寄せた。グループの代表曲「Lunar Glow」のイントロが流れると、歓声が大きく広がり、ペンライトの光が月夜の波のように揺れ動いた。


スポットライトがひかりを中心に灯る。彼女の白い衣装は、月明かりに照らされた花のように輝いていた。その美しさに、客席が一瞬静まり返った。


(私は、今日からこのステージの中心に立つんだ。)


彼女は心の中でそう誓い、一歩前へと踏み出した。最初のポーズを取ると、歓声が会場を包み込む。小さな手を胸元に当て、深呼吸を一つ。音楽が始まり、ひかりはダンスを踊り始めた。


サビに入ると、彼女がセンターの位置に立つ振り付けになっていた。後ろから照らされる光が、彼女の輪郭を際立たせ、まるでステージ全体が彼女を引き立てているかのようだった。


「ひかりちゃーん!」「最高!」


ファンたちの歓声がひかりの耳に届く。彼女はそれに応えるように、満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、まだ幼さの残る可愛らしさとプロとしての自覚が入り混じり、見る者すべての心を掴んで離さなかった。


曲が終わると、彼女は一歩前に出て、少し震える声で挨拶をした。


「皆さん、今日は来てくださって本当にありがとうございます!これからも一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!」


まだ幼い声には、純粋で真剣な思いが詰まっていた。その言葉に、観客席から大きな拍手と声援が湧き起こる。


ステージを降りたひかりは、息を切らしながらも充実感に満ちた表情を浮かべていた。先輩メンバーたちが「最高だったよ!」と声を掛けてくれるたび、彼女は「ありがとうございます!」と何度も頭を下げた。


「センターってこんなに大変なんだ……でも、もっと頑張らなきゃ。」


その日の夜、ひかりは疲労感とともに、夢に向かって踏み出した自分の姿を思い浮かべながら静かに眠りについた。

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イメージイラスト

https://kakuyomu.jp/users/kanepi/news/16818093091530456085

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