第33話 帰る場所
ぜんぜん、未来ってどうなるのか、予想がつかない。私がここに残りたいことを、ガンジーとテレサに伝えると、ふたりはあのおんぼろの軽自動車で飛んできてくれた。家に根がはえてうごかない(うごけない)テレサが来るあたり、事態の重大さをかんじさせた(けっこうな旅程だったろうに、助手席と後部座席をつなげたオットマンに投げだした足を、するっと優雅に滑らせて降りてくるなり、まぶしそうに「日傘がほしいわね」と言ったテレサは、やっぱり姫だったし、ネコメロが折りたたみの傘を出すまでなにもしなかったガンジーは、すばらしい無能だった)。夏美がガンジーになんども謝っていたのが印象的だった。なんというか、夏美はぜったい謝らない人間のように見えたから。それから、この町を案内したいとつよくいわれ、棒にあたった犬みたいにまぬけな顔をしたガンジーは、夏美とイミに連れられ、もとい、拉致されて、ミニのリアウィンドウからうらめしそうにこちらを見たまま、でこぼこしたあぜ道の向こうへ消えてしまった。未来は学校の部活。てれくさそうに「お姉ちゃんの絵」を見せてくれたものの、口から火(あかいゲロ?)を吐いてるのはどうなんだろう。絵描きになりたいという彼女の夢を、姉として応援したほうがいいのか、戸惑ってる。トンガリはプログラミングの仕事にいそがしい。博士課程ではアラン・ケイに師事しチューリング賞候補にあがるほど著名な教授の引き留めをふりきって、こっちの大学を受けるみたい。行き詰まり感のある人工知能にブレイクスルーをもたらす若手ホープだと期待されてるんだって。さいきんは、「この町の日本酒だけは飲める気がする」と多少たしなむようになり、晩酌がたのしい。ネコメロはむかしお父さんが乗ってたらしい倉庫のスーパーカブをレストアして図書館に通ってる。もっといろんなことを知りたいというのと、伝えるべく、まずは大都市の医療を統括する父親にむけ、子宮頸がんのワクチンを若い子に啓発するためのYouTubeを撮るらしい(彼女自身は子宮筋腫で、十代での発症はまれだったそうだ)。「長いほうがかわいいよ」というと「そう?」とまんざらでもなさそうに、髪をまた伸ばしはじめたネコメロは、くろいほうがコントラストでどきっとするほど口紅に艶っぽさがあり、動画ができたらまっさきに私に見せてくれるらしいのがうれしかった。家にふたり、テレサとのこされた私は、小説を書くためテーブルのうえに私物を散らかす彼女をめずらしく邪魔し、トリスのポケット瓶をうばって、「ちょっと散歩しようよ」とそそのかした。彼女が小説を書くのはいつもすきで、いつも、さびしかった。テレサはまっくろいワンピースにあかいサブリナで、ふわふわ歩くから、魔女か、そうでなければ、数センチ浮いた少女にみえる。ススキとアワダチソウにおおわれた海までのまっすぐな道をならんで彼女のペースにあわせゆっくりと進んだ。私がテレサの手をにぎると、彼女もよわよわしく、にぎりかえしてくれた。子どもみたいに、なにもしらないような手だった。かつて荒地はアワダチソウに侵略されていたけれど、いまはススキがぎゃくに盛り返していることをおしえた。「時間がたったのね」と、テレサはうたうように言った。そのほか、私はここで知ったいくつかをテレサにおしえた。いいながら、やっぱりテレサはお母さんかもしれないと、当たり前のことをおもった。テレサはひとつひとつの話を、これまでずっとそうであったように、たしかめるようにうなずき、「おしゃべりなくせ素直じゃないあなたの心のなかを小説に書いたような世界ね」と足元のシロツメクサを一輪たおり、私はいきなり、泣きそうになった。いつかの誕生日、「私を小説にしてよ」とテレサに頼んだところ、私を主人公にした「夏の前、子どもの集会」という小説を仕立てくれてからずっと、たのしいことばっかりで、ぜんぶテレサが書いててくれてたのかもしれないと思った。「なんで私を引き取ろうと思ったの?」と、すきでもなかったトリスを呑みながら、訊かなくていいことを訊いた。ぜんぶ、わかってたから、ほんとうに余計なことだった。ほんとうの余計なことを話したかった。彼女らしくなく、しばらく悩んだテレサは、「私は反対だったんだけど」と、言葉をえらぶように、「ガンジーがあなたを欲しがったからというのと」で音をくぎり、「悲しみを知らない世界で生きる子がもしいるなら、私たちはその居場所になれるかなって」と、ちいさな花の輪を左手の薬指に結んでくれた。幻想文学の女王だから、きっとそうだと思った。「やっぱり帰るよ」と、あのおもちゃ箱を散らかしたみたいにめちゃくちゃな部屋をなつかしく思い、私が鼻水を垂らしながらうったえると、「もう大人なんだから、きみが自分で決めたらいい」と突き放した彼女は、そういうのが嫌いなはずなのに、みたことのない顔をしていた。夏美が帰ってきたら、私はぜんぶを話すだろう。震災のない世界で私が見たこととか、聞いたこと、体験したことすべて。ガンジーが私を引き取るときエクセルでプレゼンしたことも、テレサと終電を逃し湖畔で泣きべそをかいたら初めて抱きしめてもらえたことも、トンガリが好きなミステリー漫画の犯人にチェックを付けておいたらなぜか感謝されたことも、ネコメロとのいつもの(数えきれないぐらいたくさんの)帰り道も。そして私は「小説」から「現実」に逸脱したい。そのとき私はほんとうに震災だとか復興の意味がわかり、わからなくなったとき、私はちゃんと好きなひとたちのutopiaに帰るんだ。
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