星のまたたく夜に
かやの
星のまたたく夜に
また、熱が出た。
甘ったるい風邪薬の匂いが、喉の奥で苦みに変わる。私はその瞬間が嫌いだった。甘い薬は嫌なの。母にそう訴えても、薬を嫌がる子どものわがままみたいにいなされるのがさらにしゃくに障る。
早く大人になって、子ども用ベッドの端から手足が出るほど大きくなって、なにもかもを自分の自由にしたい。そう願う。
これでもう眠れるからね、優しく言って母が私の部屋から出ていく。熱は38.1。視界がちかちかと光る。私はベッドの上から天井に向かって手を伸ばし、浮かんだ星を握り込もうとした。当然のことながらなにもつかめない。
弱い体だった。真理がお腹の中にいた時に、心臓の弁膜というところに欠損が見つかった。それでも産みたいと思ったの。母さんは目に涙をためてそう言ったし、自分もその言葉を信じたい。だが、ネットで、子どもに障害が見つかっても、妊娠22週を過ぎたら堕ろせないと知ってからはいまいち信じきれずにいる。
真理は寝返りをうつ。パジャマの中に入れられたタオルが不快で引きずり出したい。でもそれをしたら母は怒るだろう。
もし私が健康な子だったら。心臓に欠陥が見つかっても、通常生活するのには困らない人はたくさんいる。だが自分はそうではなかった。たびたび熱を出し小学校を休んだ。
病弱な、かわいそうな真理ちゃん。みんな優しくしましょうね。周囲の生暖かい空気がいつもやさしく真理をつつんでいた。
あれは2年前。小2の時に、クラスの西田という乱暴な男子が真理に意地悪をしたことがあった。教室を歩く真理に足を引っ掛けて転ばせた。女子に限らず男子も彼を非難し、帰りの学級会で西田はひどく怒られた。
真理は怒る気にはなれなかった。おかしな――ひどくおかしく聞こえるかもしれないが――嬉しかったのだ。初めて、クラスメイトとして、対等に扱われた気がしたから。
でも真理の気持ちは西田には伝わらなかった。簡単に許した真理をみんなが持ち上げて、とうとうクラス替えがあるまで一度も彼とは話すことがなかった。
ああ、今日はどうして昔のことを思い出すのだろう。昔といえば。止まらない。熱のせいだ。
目の裏に浮かぶのは兄と私がまだ仲が良かったころのことだ。転んで泣いている小さな私に、兄は両手をつないで、小学校の水泳の授業で習ったばかりの呼吸法をしてくれた。すってー、はいてー。はい泣き止んで! 唐突に涙を終わらされて、私はきょとんとして泣き止んだ。なのに、よし! なんて言って満面の笑顔を浮かべるものだから、おかしくなって、ふたりでけらけら笑ったっけ。
ああ、なつかしい。なつかしくていっそいまいましい。このイヤな弱い体と一緒に、いますぐ溶けて消えてしまえ。
こんこん。部屋のドアがノックされる。母さん?
「真理。起きてるか?」
「……お兄ちゃん、どうしたの」
珍しい。私はドアの方を見ずに返事をした。入るぞ、と声がする。
「悪い、寝てるところだったか」
「いいよ。なんの用?」
「お前にプレゼントがある」
お兄ちゃんが言うには、クラスメイトの女の子にルビーのマスコット作りを手伝ってもらったらしい。ルビー。その一言に、亡くなった愛犬の最後の姿を思い出し、わたしの言葉はつっけんどんになる。
「いらない。出ていって。しんどいの」
「……わかった」
怒りも悲しみもない、聞き分けのいい静かな声に、私は布団に潜り込む。熱で目の前がちかちかする。かすれてよく見えない。
私がもし病気じゃなかったら、今でも普通に接してくれていただろうか。むげにした私を怒ってくれただろうか。思って自分の勝手さに苦笑する。
……大嫌いだ。お兄ちゃんも、うまくいかないこの体も。
涙が頬を伝う。目の前で手を何度も握った。
いつまで経っても、星は掴めないままだった。
星のまたたく夜に かやの @marumi_kayano
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