第2話 言いたいことが山程あるわ。

 朝エメリンを見送ってからは何年もずっとこなしてきた日々の雑務にとりかかかっていたが、それもいつも通り四時にはすっかり終わる。私の仕事は時計と同じ。


 ただひたすらに正確に、特に時間割を組んでいるわけでもないのに毎日同じ時間に終わるのだ。


 さっき一日の授業の終了を報せる鐘が鳴ったところだが誰も門限より早くは帰ってこない。これもいつも通りだ。私は生徒達が帰ってくる門限の六時まで趣味の洋裁に取りかかった。


 二階の角部屋にある自室はエメリン以外に訪れる人がいないので雑多に洋裁のアイテムが揃えられている。ちょうど最近肌寒くなってきたので自分のお仕着せ用に買っておいたウールの生地に手を伸ばした。しっとりと温かな手触りに思わず口許が綻んだ。形はもちろん今のものと全く同じにする。


 すでに何度も仕立てているので型紙も揃っている。そのため生地を裁断したら後はひたすらに縫っていくだけで良い。基本シンプルなデザインなので運針する間は何も考えないですむ。仕事用の制服は機能美が命。


 したがって動きを阻害するフリルもリボンも不要なのだ。そこでふと、運針の手を止める。


 今朝のエメリンの制服。あれは洗い替えがないのだろうか?あれだけの破れかたをしたのに彼女はあれを着て学園に行こうとしていた。いくらキレイに取り繕っても近寄ればさすがに分かるだろう。


 彼女は一応平民の母親を持つとはいえ今は伯爵家のご令嬢のはずだが……無駄に良い生地だから一着が高いのだろう。彼女は妾腹だから言い出しにくいのかもしれない。別に彼女の制服事情なんて私にとってはどうでも良いことだけれど。


 ――けれど、どうにかしてやれないものかとちょっと考え込む。


 似た生地さえあれば全く同じとは言えなくてもほとんど同じものが出来るのではないだろうか?はっきり言ってあんなゴテゴテとした制服なんてちっとも造りたい構造ではないけれど。


 人助けだと思えば何とか……いや何で私がそこまでしなくちゃならないのよと突っ込む。いくら寮生であっても過度の肩入れは良くない。そう思い直した私が再び針を持ち直した時だ。


「あら雨? 嫌だわ、朝はあんなに良いお天気だったのに――」


 窓枠にポツポツと小さなシミが出来始めたことで雨が降ってきたのだと分かった私は慌てて洗濯物を取り込もうと部屋から出た。廊下で洗濯係のおば様方と鉢合わせて「降るとは思わなかったわね~」などと言葉を交わす。


 おば様方は洗濯物の多い裏口に、私は人目に付かない裏庭に干しているので途中で別れる。


 最近寒くなってきたから洗濯物を乾かすのに苦労している。いつもなら決してしないのだけれど、スカートの裾を大きく持ち上げて廊下を走った。しかし、玄関先まで駆け下りて異変に気付く。


 何と寄宿舎門のド真ん前に大きな黒塗りの馬車が停まっているではないか。どこかの貴族が娘の面会に来たのかと思ったけれどそんな連絡は今日なかったはずだ。私は訝しく思いながらも洗濯物は諦めて寄宿舎門に向かう。


 近寄ってみて改めて思ったのはこの馬車に乗っているのは相当なお金持ちなのだろうということだった。夜を溶かしたような曇りのない車体に金地の線で縁取られた窓やドア。


 と、御者と目があったので軽く会釈する。御者の方も会釈を返してくれ、何やら中にいる主人に伺いを立てているらしい。視線だけでここに残るように釘を刺される。その態度は気に食わなかったものの、一応この寄宿舎の管理人として迎えなければならない。


 私はドアが開く音を訊いてスカートの裾を軽く摘まんで降りてくる相手に淑女の礼をとーーろうとしたのだけれど……。


「マクスウェルさあぁぁん!!」


 何故か泣きながら飛び出してきたエメリンに体当たりされてその場に尻餅をつく。湿気った地面の感触がスカートを通して伝わってくる。冷たい。


 転んだままの状態で抱きつかれた私は突然のことに意味が分からず目を白黒させるしかなかった。ただ酷く彼女が取り乱しているのは理解できたのでジリジリと馬車から離れながらその背中を撫でる。


「大丈夫よエメリン。それより何があったのか話してちょうだい?」


 生来の声が厳しい印象を与える硬質なものなのでなるべく優しく聞こえるように気を使う。私はまず御者を射るように睨んでからまだ降りてこない馬車の主に苛立つ。そしてふと彼女を撫でる手触りが朝と違っていることに気付いた。


 彼女のフワフワの栗毛もぺしゃんこになっておまけに濡れている。これは何やらただ事ではなさそうだ。そこで私は一度エメリンを引き剥がしてその身体をくまなく観察したのだが……。


「エメリン、貴女その格好はどうしたの!?」


 濡れネズミよろしく全身びしょ濡れのエメリンは寒さに震えている。あの頼りない制服は彼女の成育のよろしい身体にピッタリと張り付いて、同性の私からしても目のやり場に困る状態だ。それにしても白い制服って濡れると下着が透けてそれだけで着ている時よりもエロく見えるのは何故だろう?


 ――は、違う違う!


 馬鹿なことを考えるよりも先にまず彼女を人目につかない寄宿舎内に連れて行かないと。あと何かかけるものを――。しかし困ったことにエメリンはまた私に抱きついて泣き出してしまう。もがく私としがみつくエメリン。よく分からない攻防戦になっていたらようやく馬車の中の人物が姿を現した。


「突然女性の寄宿舎に馬車を乗り付けた無礼を許して欲しい。貴方がこの寄宿舎の管理人で間違いないか?」


 あら、低くて深みのある私好みの声――じゃなくて、エメリンに何をしたのか問いたださなくては! そう意気込んで顔を上げたのだけれど、私は声の主を睨みつけるどころか吹き出してしまった。


 だって仕方がないでしょう? 熊みたいな大男がフリルのついたドレスシャツを着ているんだもの。思わず「美女と野獣!」と叫びそうになったほどだ。


 私が笑いの発作に襲われてブルブルと震えているのを何を勘違いしたのか腕の中のエメリンが「違うんです! 見た目はちょっと怖い人なんですけど優しい方なんです!」と弁解してくれる。


 相手の顔を見上げたらそれが逆に失礼だったのではないかと思われた。だって苦虫を噛み潰したような表情ってきっとこういうのをいうのでしょう? 手にした外套を見るにあれをかけてきてくれたのか。


「――えぇ、私はこの寄宿舎の管理人をしておりますジェーン・マクスウェルと申します。失礼ですが貴方様はどこのお屋敷の方でしょうか?」


 声に緊張感があるのは笑いを堪えるのに必死なせいだが、相手は私が怯えていると思ったのか少し探るような瞳になった。


 くすんだうねる赤銅色の髪にそれと同色の瞳。鷲鼻のせいで猛禽類のような厳しい印象を受けるが、どちらかというと真面目で愚直そうな人だ。


 たださっきも触れたように逞しくて威圧感のある身体にその衣装センスは本当に勘弁してほしい。それともこの世界では貴族はあれがスタンダードなのか? だとしたら大変気の毒である。


「すまないが家名はここでは……それにわたしは主人の代理で彼女を送り届けただけなのだが」


「あら、それはうちの寮生がお手数をおかけしてしまいました。申し訳ありません。ですが少々訊きたいこともございますので、よろしければ中でお茶でも如何でしょうか?」


 ぐずる彼女を立たせてその背中を抱えるように撫でながらそう提案すると、相手も渋々了承してくれた。馬車は目立つので先に帰っていただいて私達三人は寄宿舎内にある食堂に移動する。


 途中でエメリンに着替えてくるように言い渡し、先に私とフリルの熊で食堂に向かう。女子寮なのであまり彼女達の部屋の前を横切るわけにもいかず、身体の大きな彼には悪いが狭い使用人用の通路を使ってもらった。


 この寄宿舎にも昔は各家からメイドさんを連れてきたりしていたのでこういった隠し通路のようなものがある。いつもはあまり価値のないものだがこういうときは便利だ。もっともあまり使わないので埃っぽくて申し訳ないけれど。


 途中で食堂の台所を覗いてお湯を失敬する。話し好きのおばさんに捕まりそうになったので「お客がいるから」と退散した。


  私の後ろをついて来る彼は終始無言。彼がいま何を考えているのか分からないのでちょっと怖い。ようやく食堂まで辿り着く。彼に椅子を勧めて私はトレイの上に載せてきたお茶の準備を始めた。


 ポットにカバーをかぶせて砂時計をひっくり返すあたりでタイミング良くエメリンがやってきた。


 クリームイエローのタートルネックのセーターに赤と黒のギンガムチェックのロングスカート。一見なんてことのない普通の恰好も着る人間が可愛ければ映える。暖かそうな格好に着替えてくれてホッとした。


 そういえば私はそのままこちらに来たのでちょっと寒い。しかしここに彼女とこの彼を二人にして何かあれば職を失うので我慢する。軽く両手を蝿のようにこすり合わせていたらフリルの熊が気付いて外套を貸してくれた。どうも彼は見かけによらず紳士である。


 砂時計の砂が落ちきったのを確認して各自のカップに注いでいく。お客様用の茶葉はやはり香りが違う。カップに唇をつけたままつい微笑んでしまった。


「――それでエメリン、結局何があったのかしら?」


 全員が一口ずつ飲んだのを見計らってそう声をかけたら彼女が怯えたように肩を揺らした。表情も紅茶を口に含んだ時と違って沈んでいる。なんだなんだ、まるで私が苛めているみたいではないか。微妙な空気に内心焦っていたら、意外な方面から援護があった。


「彼女はまだ動揺しているようだからわたしから話そう。構わないか?」


「え、えぇ。そうして下さると助かります」


 エメリンはカップに残った紅茶に視線を落としたまま黙りである。少し心配だが今は彼の話を訊くことにした。話の内容はまぁ、だいたいの予想通りと言うか……学校のお嬢様方からの苛めである。


 何でも私がいる寄宿舎内では目立った行為をしない彼女達は、主に学園内でエメリンを苛めていたらしい。


 それも複数人で人目の付かない場所に連れて行かれてのことらしく教師達は気付かないらしい。前世の記憶を取り戻した私から言わせてもらえれば「いや、絶対気付いてるから。自己保身に走ってんだよ」と言ってやりたくなる。


 ただそれが激化したのは最近のことらしく、その原因が何と――。


「苛めの激化した原因が貴方の主ですって?」


 いや、初めてエメリンを見たときからうっすらモブと呼ばれるキャラクターにしては可愛い娘だとは思っていた。


 しかし話の内容から私が導き出した答えなので確定なのかはまだ分からないのだが――彼女、なんとこの乙女ゲームのヒロインキャラクターらしいのだ。どうにもこの流れで行くと前々から苛めてきていた主謀者が悪役令嬢なのだろう。


 そしてフリルの熊こと彼はこの国の第三王子様の従者。……これだけでプレイしたことのない私には充分理解の範疇を超えている。


「それで彼女が――エメリンは相手が王子様とは知らないで、いつの間にか中庭で知り合って一緒に昼食をとる仲になっていたのが……?」


「今日ご令嬢方に知られてしまったらしいのだ。それで呼び出されて頭から水を--本当に申し訳なかった。彼女がこんな目に会ったのはこちらの落ち度だ」


 あまりにお約束な展開に私が呆れて中途半端に投げ出した説明を彼が横からすかさず補ってくれる。しかもご丁寧に謝罪まで。あまり詳しくはないのだがこれが俗に言う“フラグが立つ”というやつなのだろうか? だとしたらエメリンにとっては良い迷惑だろうに。


 それに何よりも私が気に食わないのは――。


「何故この場に王子様は謝罪に来られないのですか? 元はといえば身分を隠して親しくなればこうなることが目に見えていたはずなのに、注意を怠った彼がここに謝罪にくるべきではありませんか! 貴方ではなく!」


 何をこんなに腹を立てているのか自分でも分からなかったけれど、私は思わず身を乗り出してフリルの熊を糾弾した。彼は彼で思うところはあったのだろう。女の、しかも身分だってだいぶ下の私に好き勝手言われているのに言い返しもせずうなだれてしまった。


「もう訊きたいお話は大体訊かせていただいたので、今日はお帰りになって下さい。それから貴方の主人に伝言して」


 私達が話している間にまた泣き出してしまったエメリンを抱きかかえて慰めながら私は言った。


「ご自分で謝罪も出来ないようでしたら今後うちの寮生に粉をかけるのはお止めになって下さいませ、と」


 唖然としているフリルの熊に「お帰りは先ほどの道順で。ご機嫌よう」と言い残して私はエメリンを連れて食堂を後にした。


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