シスターが血を吸ってきます。
工場長
プロローグ
雨の降る中、ふたりの人影が睨みあうように立っていた。
雨粒は酷く大きく、冷たい。痛みすら感じるほどに降りしきっている。
そんな中でも、ふたりは睨みあっていた。
片方はシスター服に身を包んだ少女だ。
可憐で儚い印象を受ける。雨雲のような鉛色をした髪は雨に濡れ、艶やかな毛先から水が滴り落ちている。こんな雨の中でどこかを駆けずり回ったのか足元はぐずぐずだ。
可憐で儚い――それは事実だ。晴れやかな空の下で見ればそうなるに違いない。
ただ、今の彼女は違った……。
「それが聖女の顔かよ」
話しているのはもう片方の人影。男だ。
こちらも酷く雨に打たれ、全身が濡れている。特に、男にしては長い髪が鬱陶しいのか、時折くすぐったそうに髪をかき上げていた。
口ではへらへらと笑いながらも、目は真剣。格好もどこか気品あふれる騎士風の装備。
男はなおも続ける。
「はっ、あの女のことがそんなに大事だったのか? だが残念、死んで当然だ、あんな――木っ端」
変わらぬへらへらとした顔で、男は少女の何か大切なものをけなすように口を歪ませる。
「黙れぇっ‼」
それを聞いた少女はヒステリックな叫び声を上げ、駆けていた。放たれた矢のように男へ向かって駆けていた。周囲の雨粒を蒸発させんとするほどの赤い感情を胸に宿し、燃え盛る炎のような熱を血に混ぜて――。
拳を振りかざし、男の顔面にめり込ませる……そうなるはずだった。
そうなる前に、男の回し蹴りが少女の腹部に深々と突き刺さったのだ。
当たったのはみぞおち。決して軽い蹴りではない、体格差も相当ある、普通なら地面を転げまわるほどの苦痛なはず。
なのに、少女は倒れながらも男を睨みつけていた。
「っ……ほんっと、それが聖女の顔かよ。返り血を吸って、腐臭と死臭を振りまくその装い。怒りに歪んだその顔。そしてなによりもその殺気立った目」
可憐で、儚い印象の少女。ただ、ただ一点……その顔だけには印象とかけ離れた歪みが刻み込まれていた。
アメジストのような瞳は殺意と怒りに濁りきっていた。
常人ならひるんで一歩二歩下がり、謝罪の言葉がひとつくらい口をついて出ただろう。だが、この男はそれでも言葉を続ける。
「とても二十手前のガキにゃ見えねぇな。まるで『鬼』だ」
確かに、そういった表現が当てはまる。聖女も、可憐で儚い印象の少女も、この男の前にはいない。
怒りと殺意のままに自らを動かす幽鬼――そういった表現が正しいと言える。
幽鬼を地に伏せさせた男は、更にその顔面に靴底を押し付けた。
「噂通り綺麗な面じゃないか。ったくそんな目すんなよ、お前シスターだろ? なら優しく慈母みたいに微笑んでみろよ。今更恩人ひとり死んだくらいでピーピー泣きわめくことねぇだろ?」
「お前に、私のなにがわか――」
「分かんねぇよ、お前らみたいに狂った連中の頭の中はよ……魔女窯の底の方がまだ理解できる」
幽鬼は許せなかった。
自分をけなすならまだいい。一度恩人をけなすのも、この際まだいい。だが、二度も恩人をけなし、あまつさえ共に戦った仲間までも否定するのは断じて許せなかった。
自分の心と頭の中に、真っ赤に熱された鉄のような感情が渦巻いていく。それは怒りか、恥か、悔しさかどれかは分からない。
とにかく、こんな舐めたことをされて、殺意を覚えるほど憎い相手に言わせるだけ言わせているこの状況が、狂いそうなほど辛い。
こいつは、こいつだけは絶対に許さない。地獄の谷底に落としてやる。
そう、心に刻んだ。
自ら心に刻んだどうしようもない感情の奔流の中で少女は思った。
それは、水底に溜まった泥が水中を舞うような思いの欠片だった。
あぁ――普通に生きることすらこんなにもままならないのか、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます