第5話 レイ、山賊を求める 二

 秦山と呼ばれる、福県で一際高い山には山賊が住んでいる。バギーという狼男を頂点とする三百人による賊徒は、バギー組と呼ばれ民から恐れられていた。

 構成員は下は十代、上は六十代くらいと幅広く、三百人で構成され、獣人やら人間やらが加わっている。度々山を下っては民から金品や布、米を奪い、時には村人を襲い惨殺する。男は皮を剥がされ女は強姦されるという凶暴ぶりだ。

 しかし未だにこれを取り締まる者は無かった。何故なら彼らは金を福郡太守に贈る代わりに身分を保証されているからである。だから福県も福市も手出し出来ないのだ。既に下々の民にまで買収の話は広がっている。みんなその噂を信じ、抗議する者もあったが太守は無視を決め込んでいた。おかげでバギー組はやりたい放題。秦山を拠点としながら、福郡のほぼ全域から略奪を行っていた。誰しもがバギー組を恨んでいた。怒っていた。それに乗じ、彼らを叩こうと動いたのがレイだった。

 リュウユウが動かないのは、リュウユウは世捨て人であり、外界との関わりを絶っているからであった。しかしだからといって正義を行わない事は褒められない事だとレイは常々考えていた。義兄のクライムは師の教えで力を振るってはならないと教えられておりそれに素直に従っている。バギー組についてどう思うか聞いてものらりくらりとした対応だ。レイは力を振るわずして何のための力なのかと思っていた。将来の勢力の基盤とする為にも、名を上げるためにも、そして地元の民を守る為にも、バギー組を叩いて取り締まらなければならない。役人達ではバギー組をどうする事も出来ないのだから自分がやるしか無いのだ。

 バギー組が動き出したのは三年前からだった。当時からレイはこれを叩きたかったが実力が伴わず、また、リュウユウから力を振るう事を禁止されていたため、手が出せなかった。しかし今は違う。強くなった今のレイなら実力行使でバギー組を倒し取り締まる事が出来る。悪者の力を借りるなんてあまり気に進まない行為であるが、元来はこれを叩き潰し取り締まるのが本命だ。部下として利用するのは次いでである。

 従わないようなら容赦無く首を切り落とし、晒し首にするつもりであった。もし、行政に差し出して罪に問おうとしても郡からの圧力でお咎めなしとなることは目に見えている。レイは行政を信用していなかった。自らの手で裁くしかないと思っているのである。

 レイは人を殺した事が無い。殺しや盗みは悪い事だと教わった。そして強きを挫き、弱きを救えと、悪人を討ち、弱者を救うように教わった。レイは己の行いに正義があると信じていた。それを教えてくれたのはリュウユウだ。しかしそこまで言いながら、自分は動かず、兄弟子のクライムも動かないなんて何を考えているのやら。

 レイはリュウユウから口酸っぱくバギー組には関わるなと念を押されてきた。何故そこまでバギー組を特別視するのだろうかとレイは不思議に思った。だからこそ、レイはバギー組が許せなかった。必ずこれを叩き潰して懲らしめてやろうと思っていた。リュウユウにもクライムにも、何も言わずに出てきてしまった。バレれば叱られるかもしれない。しかし、これを倒せばきっと褒めてくれるだろう。民も安心出来ると言うものである。レイはそんな期待を胸に秦山に向かった。


 秦山に近付くにつれて、妖気がひしひしと感じられた。噂には聞いていたがバギー組というのは烏合の衆ではなく、余程の実力者達のようだ。一般人とは違い、気の扱いにある程度精通していると言おうか。

 この乱世の時代、戦場に向かう兵士達はみんな、気を操る術を身に着けている。それは護身にも繋がるからだ。元々は戦闘民族の妖鬼族の得意技だったが、彼らが天下を取って以来兵士達はみんな気を操る術を身に着けるようになった。かつて気を操る術は新兵器のような立ち位置であった。昔は神々のみが扱え、限られた人間のみが神から教わる超能力のようなものだったのが、民族単位で扱えるようにした最初の種族が妖鬼族なのである。

 今ではどの種族も兵士として戦場に出る者はみんな気を操る術を身に着けている。なので山賊のような賊徒の長も気の扱いに長けた実力者でなければ務まらないのだろう。感じる妖気の怪しさから見て、バギーという男はかなりの実力者だとわかる。リュウユウの屋敷にいた頃から感じていたが、近付くとその怪しさは増すばかりだ。レイは気を引き締める。おそらく今のレイにとって、リュウユウやクライムを除いて一番の強敵と戦う事になるとレイは思った。これはいわばレイにとっての初陣なのだ。ここで負けてはいられない。必ず勝たなければならないのだ。

 舗装されていない道を通り、ついに秦山のふもとに辿り着いた。凄まじい妖気に唾を飲む。秦山全体が一つの要塞のようだった。レイは足を踏み入れる。

 山道を登っていく。意外と言うべきか、敵襲は無い。妖気がこの辺り一帯を覆っているくらいだ。妖気の中に入り込み、人の気配もよく掴めない。そして妖気はみるみる内に殺気へと変わってレイの体に刺さっていく。殺意の籠もった視線がレイを貫く。いつ攻められてもおかしくないように思えた。

 しばらく進んでいるとガサッと葉が動く音がした。と思うと木の枝の上を何者かが飛び回る気配がした。レイは気配で追う。三人の中々の熟練者達だとすぐにわかった。彼らはしばらくレイの頭上を飛び回った後、レイの前方へと着地した。二十代くらいの男二人と女一人。三人とも筋骨隆々だ。男達は庶民には似合わぬキリッとした布衣を着用、女の方はハイレグレオタードにニーハイソックスを身に着けている。女の露出が多いのでかなり目立つ。胸も大きい。レイは一瞬彼女に目を奪われてしまった。

 三人の男女はレイを見てニヤニヤと笑っていた。侮蔑の眼差しを以て、レイを睨みつける。とても幼い女の子の見た目でも容赦無い様子だった。


お嬢ちゃん・・・・・、こんな山の中に一人で何の用だい?」


 男の一人が口を開いた。レイは一呼吸置いて、声を張る。


「バギー組を懲らしめようと思ってね。あんたらの主に用がある。案内してもらおうかな」


 レイがそう言うと三人はケラケラと笑い出した。すると女が口を開く。


「あんた相当な馬鹿だね。見た所、妖鬼族らしいがその幼さではどうしようもないわ。妖鬼族ってのは自信過剰の馬鹿みたいね」


 そして男が答える。


「ガキと言えど、俺達に喧嘩を売るなら容赦はしねぇ。死んでも文句言うなよ?」


 男がレイに飛び掛かった。渾身のパンチが打ち込まれる。レイはそれを避けずに受けた。レイは吹き飛びも怯みもしなかった。男が驚いたように口を開ける。他の二人も驚きを隠せない。


「だぁ!」


 レイの回し蹴りが男の顔面に直撃。男は吹き飛ばされ、そのまま地面に倒れた。かなりのダメージを受けたようで立ち上がれないでいる。他の二人は互いに顔を見合わせる。するともう一人の男が姿を消した。女一人が残った。女は侮蔑するように倒れた男を見下ろしている。すると鼻で笑って男の頭を蹴った。


「情けない男。あんな小娘にやられるなんて」

「くく……すまねぇ。あいつ、かなりの実力だぞ。見くびらない方が良い」

「いいわ、私がやる。あんたは仲間にこの事を報告しなさい。ほら早く立って!」


 男はふらふらと立ち上がると早々とその場を去っていた。残った女は余裕の表情を浮かべてレイを睨めつけた。


「小娘、お姉さんが相手してあげる。安心して。あんたが負けてもバギー様に会わせてあげるわ。たっぷりかわいがってあげるから、ね?」

「悪いけど勝つのは私だよオバサン」


 女の額に血管が浮かび上がる。途端鬼のような表情でレイを睨みつけた。凄まじい殺気だ。


「口の聞き方に気を付けろよてめぇ!? 私はまだ二十七歳だよ、このクソガキがぁぁ!!」


 女は突進する。先程の男よりも速いスピードだ。ボールを蹴る要領でレイに蹴りを放つ。レイはそれを足で受け止めた。女はすぐさま裏拳を放つがそれも受け止められた。


「十二歳になったら大人って聞いてるよ。二十七歳はもうオバサンじゃん」

「生意気なクソガキね。半殺しにしてやる!」


 女は掌をレイに向ける。するとエネルギー波が放たれた。レイの全身を飲み込み、後方の木々を薙ぎ倒す。女は後ろに下がり様子を伺う。するとレイが何事も無かったように立っていた。女は目を丸くする。


「まさか、受け切ったというの? 私の渾身のエネルギー波を……?」

「エネルギー波とはこうやるんだ!」


 レイが右手を突き出す。すると掌からエネルギー波が放たれた。それは掌サイズの光球から半径五メートルもの巨大な熱線となり女を飲み込んだ。女は避けようとしたが、間に合わないのでガードして受け切ることにした。エネルギー波に飲まれるとまるで全身が熱湯風呂に落ちて焼けるような感覚に襲われた。全身の皮膚が火傷し、凄まじい激痛に襲われると共に、まるで大砲の弾に全身を撃たれたような、体が砕けるような衝撃。女は悲鳴を上げてエネルギーの波に飲まれていった。


「きゃああああ!!」


 やがて、エネルギー波は虚空へと消えた。地面は抉れ、木々は薙ぎ倒された。凄まじい破壊力の破壊光線。山の一部が丸裸になってしまった。女は抉れた地面に倒れて動けないでいる。ダメージは大きいが、死んではいない。レイは女の近くに寄るとニコリと笑みを浮かべた。


「大丈夫。殺しはしない。殺すのが目的じゃないからね。そこで眠ってなさい」

「……」


 女は言葉も話せない。彼らはこれまで民から散々略奪を繰り返してきた。民を苦しめてきたのだ。これくらいの痛みは受けて然るべきである。流石に殺す事は憚れるし、目的では無いので、命までは奪わないでおく。レイはバギーの姿を探しに山の奥へと歩いていった。

 しばらく歩いていると、今度は三十人程の男達が姿を現した。かなりの巨体だ。筋骨隆々、身長は三メートルを超える。全身には体毛が生えておりまるで獣のようだ。彼らは獣人と呼ばれる種族だ。頭はライオン、熊、虎、狼などである。どれも人間にとって脅威となる肉食獣達だった。彼らから吹き荒れる気の量は絶大でレイも思わずたじろいだ。しかしこの程度で戦意喪失はあり得ない。レイはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。男達もニヤニヤと笑っている。先程の三人とは比べ物にならない戦闘力だ。


「報告は受けている。てめえ、名は何と言う?」

「妖鬼族の娘、レイ。六歳だ! でも不変幼という病気のせいで体は三歳だ! でも凄く強いぞ! 戦闘力には自信あり! お前ら全員叩き潰すから覚悟しておけ!」

「くっくっく。世の中の怖さを知らぬ無知な愚か者が。俺達バギー組に喧嘩を売った愚行、死ぬ程後悔させてやるぜ。なぁ!? 野郎共!!」

「おおーっ!!」


 男達が雄叫びを上げる。レイは変わらず余裕の表情だ。自信があるのは確かだが別に敵の勢力を見誤っているわけでは無い。しっかりと敵の戦闘力は把握出来ている。三十人の獣人達は確かに強者揃いだ。しかしそれでも、レイには勝つ自信があった。


「来いよ。相手してやる」

「泣きべそかいても許さんぞ! 母親に別れの挨拶、済ませときな!」


 獣人達は一斉にレイに飛び掛かった。


 レイが秦山に入って数十分が経過した。レイはその凄まじい戦闘力でバギー組を蹴散らしていった。三十人の獣人達には苦戦はしたものの退けた。その後も様々な刺客がやってきたが全て退けた。そしてある獣人の一人を捕まえてバギーの居所に案内させた。秦山の山頂付近で、レイは遂にバギーと対峙した。

 バギーは三メートルを超える巨体の獣人だった。蛇の頭を持ち、牙は鋭い。鎧を着ていて剣を帯びていた。バギーの背後にはまだ数人の手下達が残っていた。手下から報告は受けていたようで、レイと対峙するとようこそと言ってきた。対するレイは全身傷だらけだった。所々の傷から出血し、傷付いていたが闘志は潰えていなかった。レイは変わらず得意気の表情でバギーを睨め付けた。


「よくここまで来たなレイちゃん。余程の熟練者と見える。我が手下共を全て退けるとはな。それで、この俺様に何の用だ?」

「お前達バギー組の民を虐げる行いを正すためにきた。もう一つ、私は挙兵しようと思っている。その足掛かりとしてバギー組を傘下に加えたい。バギー組は私、レイの傘下に加われ」


 レイは当初からの目的を赤裸々に告げた。するとバギーは細長い舌を出してケラケラと笑い出した。後ろの手下達は神妙な様子であった。


「てめえの軍門に下れと言うのか? そいつはてめえがそれ程の力を持っていたらの話だぜ。俺に勝ったら、バギー組三百人はてめえに降伏してやる。その代わり俺が勝ったら……わかってるな?」

「この体、煮るなり焼くなり好きにしろ。私は逃げない。しかし、負ける気も無い」

「上等だ小娘。いくぞ!」


 バギーは雄叫びを上げる。まるで獣の咆哮だ。それは秦山全体に響き渡った。と同時に、バギーの体に気が集中していき、やがて緑色の凄まじい気のオーラが体から炎のように立ち上がった。レイは思わず息を漏らした。


「流石はバギー組首領。気を操る術に長けているな。はぁっ!」


 レイも掛け声と共に気を開放する。レイの体から白銀のオーラが吹き荒れた。二人のオーラがぶつかり合い、その衝撃はまるでその場に台風が現れたかのようだった。木々は軒並み倒れて地面は抉れる。凄まじい風圧に手下達は吹き飛ばされないように踏ん張るのがやっとだった。


「あの小娘、まさかここまでとは……!」


 手下の一人が呟く。レイの力は本物だ。その強さに驚きを隠せない。


「行くよ!」


 レイが叫んだ。


「来い」


 そして二人が激しく激突した。激しい拳と拳の応酬。肉と肉とぶつかり合いが始まった。バギーの拳はレイの体を打ち付け、レイの拳はバギーの体に衝撃を与える。それは互角の攻防。いや、バギーがやや優勢なようだった。バギーの戦闘力はクライムに匹敵するかそれ以上だった。レイは苦戦を強いられた。レイは喜んでいた。バギーの強さも、バギー組の強さも予想以上だった。金を出さなくても郡では手が出せないレベルだろう。バギー組を取り締まる者がいないわけである。これ程の強さの軍を取り込めたなら、挙兵の際に凄まじい戦力になる。必ずバギーを倒して傘下に加えなければならない。必ず傘下に加えたい。そして民への暴力を取り締まらなければならない。レイは全霊の力を振り絞ってバギーと戦った。

 二人の戦いは互角か、バギーが優勢に見えた。バギーの攻撃は重く、レイは体中の骨がへし折れそうな感覚に襲われた。それでも果敢に立ち向かっている。しかし、正直に言ってバギーは強かった。レイの劣勢は誰の目にも明らかだった。

 バギー組の者達が歓声を上げる。主を上げて褒め称え、レイを下げて貶している。いつの間にかレイに倒されたはずのバギー組の者達が山頂には集っていた。みんなバギーとレイの戦いを見守っているのだ。

 レイは息を乱し、肩で息をしていた。全身汗でびっしょりだ。対するバギーはまだまだ余裕があるようだが、上手く事が運ばない事に苛立ちを感じていて歯を食いしばっていた。


「ハァハァ……」

「大分バテてきたようじゃねーかレイちゃんよ。流石はリュウユウの弟子だ」


 バギーから思わぬ言葉が出てきてレイは驚く。


「何故先生の弟子とわかった?」

「お前程の腕前、独自の訓練では到達出来んだろう。ましてやたった六歳、肉体が三歳ではな。妖鬼族とはいえ無理だ。そしてその気の使い方はリュウユウのもの。隣の山から刺客として送り込まれたって所かな?」

「ふーふー。それは違う。ここに来たのは私の独断だ。先生は関係無い」

「なんだ、リュウユウは知らないのか」


 バギーは再び雄叫びを上げた。その気の圧力にレイは驚愕した。その気の練り上げ方はリュウユウ流というべき気の流れだったからだ。レイは驚きを隠せない。リュウユウ、いやクライムによく似た気の流れだった。


「その気の流れは兄ちゃんに近い! な、なんで?」

「ふふふ。良い事を教えてやる。俺は過去にリュウユウに師事した事がある。つまりお前の兄弟子なんだよ」

「なんだと!?」


 すると突然、バギーの姿が消えた。いや、高速で移動したのだ。レイとの離れた距離を一気に詰めて、瞬きする間にレイのすぐ目の前まで移動。そして口を大きく開き、牙を向けた。レイは咄嗟に腕を上げてガードする。するとバギーはレイが出した腕に思い切り噛み付いた。牙が皮膚を突き破り、肉や血管を貫く。


「ぎゃあ!」


 レイは咄嗟に腕を振ってバギーを吹き飛ばす。バギーは宙に浮いて着地した。バギーはニヤリと笑っている。レイは腕を抑えて歯を食いしばっている。


「いきなり噛み付きしてくるなんてよぉ……。予想外だよ」

「ふっふっふ。噛み付いた意味、教えてやろうか?」

「……教えてもらおうかな?」

「俺は半分毒蛇だ。俺の牙にはある毒が溢れ出るようになっている。その毒を受けた者は心と体が俺の思い通りになる。つまり、お前は俺の術中に嵌ったというわけだ」

「なにぃ!? バカな!」


 レイは気を開放して突進する。バギーは無防備のまま立ち尽くした。その目をレイの目にじっと合わせる。レイは無意識にバギーの目を睨みつけていた。時間にしてほんの数瞬の出来事だった。ほぼ同時にレイの心がざわめき、脳裏にあの嫌な夢の光景が蘇った。そしてバギーの顔が、赤子のレイを剣で斬りつけた両親の姿と重なった。一瞬レイの動きが止まる。バギーはにやりと笑った。

 すると途端に、レイの体から気が抜ける感覚が起きた。


「……!?」


 レイの高速パンチがバギーの腹に直撃した。しかしダメージを受けたのはレイの方だった。レイの手首がグギッと鈍い音を立てる。レイの手首は壊れてしまった。殴った衝撃で、逆にダメージを受けたのだ。一方バギーは無傷だった。レイはかつて弱かった頃の昔の自分が大木をへし折ろうと何度も木の幹を打ち付けて手を痛めていた時の事を思い出した。気のコントロールが未熟で、身体能力の向上が出来ず、年相応のただの幼子だった頃。まるでその頃に逆戻りしたような感覚に襲われた。

 レイはある事を察してしまった。気をコントロールしようとするが上手くいかなかった。ふとバギーを見つめると、バギーの顔が、体が、みるみる内にレイの両親と重なって見えた。彼らに剣で斬り刻まれる光景が脳裏に浮かび焼き付いていく。まるで映画の映像を目の前で見ているように、レイの視界が、嫌な夢の光景でいっぱいになった。レイは酷く混乱し始める。


「これは……どうなってるんだ……?」


 バギーはほくそ笑む。


「お前のトラウマが引き起こされたんだ。お前には俺が何に見えている? 俺にはわからんが、それは心を乱すには十分のはずだ」

「く、くそっ!」


 レイは顔を横に何度も振った。あれは幻覚だ。目の前にいるのは両親と思われる怖い影ではなく、バギーだ。今はバギーと戦っているのだと、レイは自分の心に言い聞かせた。そして再び突進する。すると何故かバランスを崩して転倒してしまった。


「なっ!?」


 地面を蹴った時の進み具合が明らかに劣っている。一蹴りで距離を詰めるつもりが、わずかにしか進んでいなかった。それで転倒してしまったのだ。しかも膝に焼けるような痛み。見てみると皮膚が擦りむいて出血していた。転倒しただけで怪我をするなんていつぶりだろうか。

 レイは驚きを隠せない。レイは立ち上がり気をコントロールしようとする。しかし気のコントロールは出来なかった。頭に浮かぶのはあの嫌な夢の光景。剣で斬り刻まれた記憶。レイの心がみるみる内に掻き乱される。焦燥感に駆られて現実味が薄れていく。何故か底知れぬ恐怖と絶望、不安が心から爆発するように溢れてくる。この上ない恐怖。恐ろしさのあまり身が震え出した。その事にレイは気付いていない。気付かない程に恐怖に支配されていた。まるで悪夢を見ている最中と錯覚するようだ。レイは辺りを見渡すが一面に広がるのは全て悪夢で見た光景だった。レイの呼吸が乱れ始める。過呼吸が始まった。上手く呼吸が出来なくなり苦しくなる。立っていられなくなってその場に両膝を崩した。


「ハァッハァッハァッ!! ふぅっ! ふぅっ! これは一体? 私はどうしちゃったの……!?」


 バギーはニヤリと笑う。


「おやおや、その年で相当なトラウマを抱えているらしいな。戦いどころではない、とよ」


 するとバギー組の者達がケラケラと笑い出す。その笑い声が、レイには親の憎悪を向けられる声に聞こえた。


「だ、黙れ! 戦いの邪魔をするなぁああ!!」


 レイは周囲に向かって目標も定めずにがむしゃらにエネルギー波を放った。しかしそれはまるでガス欠した炎のように小さいもので空中で掻き消えてしまった。


「レイちゃんよ。気とは精神と肉体が合わさる事で初めて力を発揮出来るのだ。どちらか一つでも欠ければ気は扱えない。お前は今、精神がやられてしまったのだ。今のお前に気のコントロールは出来ない。どういう意味か分かるか? 身体能力の向上すら出来ない。つまり今のお前は――」


 バギーはそこで言葉を区切りレイにゆっくりと近付いていった。レイは夢の中にいるような感覚であり、幻覚に襲われて頭を両手で抑えていた。その中でも必死にバギーの姿を探している。辛うじてバギーの姿を捉えて睨み付けた。しかし睨み付けるのが精一杯だった。過呼吸で呼吸もままならず、体も震えて自由に動けない。まるで金縛りにあったかのように、あるいは鉛のように体が重かった。


「身体能力を向上出来ない今のお前の体はな、年相応。三歳児の幼児の体と変わらないんだよ」

 

 バギーはレイの目の前まで来るとボールを蹴飛ばすように、レイの腹部を思い切り蹴飛ばした。レイの体が宙に浮き、そのままうつ伏せに倒れる。レイの体は内臓破裂を起こして、内出血で腹がみるみると赤黒く変色していく。レイは今まで感じた事の無い激しい痛みに襲われて、腹を抑えて蹲った。


「うげぇえええ!! えっ、えっ! げぇえええ!!」


 口からは大量の黒い血が滝のように溢れ出た。今のレイは気による身体能力の向上を行っていない。いや、出来ない。バギーの言葉通り、一般的な三歳児の体と変わらないのだ。本来なら守られるべき非力でか弱い女の子の体でしか無いのだ。そこに、超人並みの全力の蹴りを腹に受けた。耐えられるはずも無く、内臓は破裂して多量の出血。はっきり言って体が分断されなかったのが奇跡と言えるだろう。しかし、そのたった一蹴りで、レイは戦闘不要に陥った。その間にもレイの視界には悪夢の光景が映像として、音声として、目や耳に入り込んでいく。腹を蹴飛ばされても尚、レイは現実と夢の区別が付かなくなっていた。

 レイは腹を抑えたまま、全身が痙攣し、過呼吸を起こして口からはよだれを垂らす。蹲り立ち上がれない様子を見てバギーはケラケラと笑った。


「勝負ありだな。たっぷりとかわいがってやるか。……はて、どう料理しようかな?」


 バギーは残酷な微笑みを浮かべた。レイの頭を踏みつけて不敵に笑う。仲間達が称賛の声を上げた。


「バギー様万歳! バギー様万歳! バギー様万歳!」


 レイには自分を殺そうとする両親の声に聞こえていた。

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