第3話
3
ある時に妙な女が迷い込んできた。全身に刺青をいれた少女は長柄の物を手に境内の中央に仁王立ちしていた。
「やあ、君も迷い込んだ口かい」と宗右衛門は控えめに笑って言った。
少女は眉間に皺を寄せて言った。
「随分と世慣れてきたな」
初めての事態に宗右衛門は硬直する。こんな堂々とした態度の女はいない。
「貴様が百九十九匹目だ」
「何のことだ」
少女は自分が祓魔師であると名乗った。
「この神社で百九十八匹の魔神を祓ってきた。貴様はこれから百九十九個目の墨となり私の体に刻まれる」
そう言って長柄の袋を剥いて、長刀を取り出し、宗右衛門へと向けた。もう眉間に皺は寄っていない。仏師が仏像に向かう時の目だ。
宗右衛門は生まれて初めて恐怖を感じた。
女とは、ただ逃げ惑うか、たやすく騙される存在のはずだ。これではまるで逆の立場ではないか。
宗右衛門が逃げの体勢に入ろうと腰をあげた瞬間に少女は一気に間合いを詰めた。長刀の切っ先が耳元を掠めた。転がるように逃げ出した宗右衛門は追撃を警戒し、灯篭の裏に隠れた。かつて自分が追い回した女たちのように。
そうだ、女たちも霧に乗じて社の裏に逃げたではないか。
低い姿勢になり、灯篭を挟んで少女の視線をかいくぐり、そのまま霧に阻まれるように姿を消せば上手く社の裏に逃げられるはずだ。
足を一歩、後ろに引いたときに異変に気付いた。
灯篭の上に影がある。
「実に浅薄だ。お前が殺してきた女たちと同じ方法で逃げようとしているのだな」
灯篭に乗った少女は切っ先を宗右衛門の鼻先に向けている。
「なぜ、俺は殺されなければならない」
「同じ台詞を女たちはずっと飲み込んで来たんだ」
宗右衛門はもはや逃げられる気がしなかった。命乞いが通用する相手とは思えなかったが何もしないよりはいい。
「名前は、何という」
「誰の話だ」
「もちろん、君のことだ」
一蹴されると踏んだ。だが相手は口を開いた。
「切子」
行動通りの名前だった。
「それがどうした」切子の顔が歪み、長刀の切っ先がわずかにぶれた。
どうして名前を名乗って自ら動揺するのかはわからない。わからないが好機には違いない。多少手傷を負うのは覚悟の上で刀を掴んだ。刃が食い込んだ指先から液体が流れる。刃の横面をもう一方の手のひらで押すと容易に切子は灯篭から落ちた。どう考えても灯篭の上に乗るのは浅薄としか言いようがない。
刀を放り投げ、切子の上に馬乗りになる。殴りつけてもよかったが、まずは抑え込みにかかる。頭を打ったのか、切子は朦朧とした表情を浮かべなすがままになっていた。
力ずくで首筋から血を啜った。甘美な味わいに今度はこちらが朦朧してきた。夢心地というのだろうか。手足から力が抜け、やがて呼吸もままならなくなり、そのまま切子の上に伏した。
切子は乱暴に宗右衛門の体を退けて立ち上がり、着衣を正し、刀を拾った。
「形勢逆転だな」
「何をした」
「これは飾りだ」刀を叩いて切子は言った。「殺傷には向かん。長すぎる」
「何をした」再び宗右衛門は言った。切子の余裕が癪にさわった。
「私の武器は血液にある。この武器を手に入れる為に何度毒の壺を飲み干したことか」
つまりどうあっても見下ろしているのは切子であったのだ。
「宗右衛門、貴様は一度死んで、百と呼ばれる魔神 になった」
名乗った記憶はない。そろそろ呂律も回らなくなってきた。
「なんだ、それは。俺は生まれたときから吸血鬼だ」
「私の98の刺青にはそれぞれ百が封じられている。一時的にその能力を使うことができる」
先ほどの言葉からすると刺青の数が100合わない。その事を指摘すると少女は馬鹿にしたように微笑んだだけであった。
それから少女は懐から短刀を取り出し、肩口の刺青を切り裂いた。血は流れず、代わりに小さなうめき声が聞こえた。傷口に指先をねじ込み、そこから真珠のような結晶を取り出す。
「思い出せ」
少女は結晶を男の顔の前にかざした。
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