海に沈むジグラート33
七海ポルカ
第1話
「アデライード。
僕はもしかしたら処刑されるかもしれないなあ」
穏やかな朝の光景である。すっかり気温が下がって来たので、温かな紅茶が注がれる雰囲気は、幸せな景色になって来た。
「まあ」
血腥い話に、元修道院暮らしの令嬢は一端紅茶を淹れる手を止め、悲しい表情をした。
「どうなさったのですか?」
「ちょーっと外交上のミスしちゃったかもしれないなあ。
いや、悪気はなかったんだよ。寝ぼけてたの。
夜中に騒ぎで叩き起こされたもんだからぼーっとしたまま行っちゃって、それでついつい王妃様に余計なことを言っちゃったかもしれない」
「まあ……そうですの……」
アデライードは処刑されるかもしれない、などと言いながら今日も優雅ないで立ちの兄に、紅茶を差し出した。
その日の朝に出る紅茶にだけ、彼女は摘み立ての花を添える習慣があった。
ラファエル自身は別にそこまで自分を大層だとは思っていないが、彼女は大変な任務に就いている兄の一日の始まりを気遣うつもりでそうしているらしく、この妹の優しい気遣いをラファエルは気に入って、感謝していた。
「ん~。今日もいい匂い。僕が今日城に行って捕らえられて処刑されることになったらこれが人生最後の紅茶ということになる。これが人生最後の紅茶でも全然悔いはないなあ」
まあ、お上手。
アデライードが優しく笑った。
「悪気がなかったなら、きっと真摯に謝り弁明なされば、王妃様もご理解下さいますわ。
一時はあんなにご親切にして下さったのですもの。それでも、もし誠意が伝わらず、処刑されることになったら必ず私に連絡下さいまし。こんな私を大切にして下さったお兄さまのご遺体を、本国のオルレアン公、奥方様にお届けするのが初対面なんて、悲しすぎます。
私などがお兄さまの側におりましたのも、いつかお兄さまが愛する方とご結婚されるまでお世話をしようと思ってのことですわ。今まで妹として何も出来なかったことへの、償いなのです。ですからお兄さまだけ処刑されるなんて、わたくし耐えられません。
連絡下さればどうぞ兄と共に処刑してくださいませと妃殿下にお願い申し上げますから」
「アデライードはそんなことを気にしないでいい。そうだ。陛下に君のことを頼んでおこう。そうすればフォンテーヌブローの城は僕の死後は君が継げるようになる」
「わたくしお兄さまのお城なんていりませんわ」
妹は可愛らしく、つん、と首を反らした。
「違うよ。アデライード。僕の城の管理を頼みたいのさ。あそこにはジィナイースの為の城もある。何から何まで僕が全て彼の為に整えたんだから、いつか彼が住んでくれるまで綺麗に整えてほしいんだよ」
「ジィナイース様の……そうですか……。お兄さまのお願いならお聞きしたいですけれど。他の方に頼んで下さいませ。わたくし、ラファエル様が処刑されたら一緒に死のうと、もう心に決めてこの地に来たのですもの」
「おや……」
「卑しい生まれでも、私もフランスで名高きオルレアン公の一族の血を引く者。王の騎士の血ですわ。一度決めた約束は違えませんの」
「まったく。可愛い顔をして頑固な子だ」
ラファエルは優しく、妹の頭を撫でてやった。
アデライードも微笑む。
「そうです。わたくしこう見えて結構頑固なのです。申し訳ありません」
「仕方ない。君の決めたことを力ずくで僕がどうこうすることは出来ないからね。分かった。僕が処刑されたら仲良く兄妹で死のうか」
「はい。嬉しいですわ。これで全く寂しくありませんわね」
「ありがとう。君のおかげで元気が出て来たよ」
「ラファエル様は笑顔が一番ですわ」
兄妹は仲良く笑いあった。そこへ、ラファエルの補佐官であるアルシャンドレ・ルゴーがいつものように、時間通り現われる。
「おはようございますラファエル様。アデライード様も」
「おはよう。ルゴー」
「おはようございます」
「お迎えにあがりました」
「いつもありがとう。とはいえ、お迎えも今日が最後になるかもしれないなあ」
「? なんでですか?」
「もう君の元気いっぱいの口うるさいお小言を聞けないなんていざそうなったら寂しいものだね」
「何の話ですか……朝から部下を皮肉で苛めるなんて、上司としてカッコ悪いですよ」
「先だって外交上の大失敗をしてしまったから、今日城に行ったら捕まって私は処刑されるかも」
ルゴーは瞬きをする。
数秒後。
「ど! ええええええええええええっ⁉」
ラファエルは優雅に立ち上がった。
「これだから外交は怖いね。あはは」
全然怖がってない言い方で笑っている。
ルゴーが慌てて彼の袖を掴んだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 外交上の大失敗ってなんですか⁉」
「アデライードは妹として一緒に死んでくれるそうだ」
ねーっ、と兄妹が仲良く笑い合っている。
ルゴーは呆気にとられた。
「いえあの……ラファエル様……冗談なんだか本当なんだか全く分からんのですが……」
「冗談はもっと可愛らしい単語を使ってやる。『処刑』なんて物騒な単語は私は好かないよ」
「はあ……。じゃあ、本当なんですか?」
「うん」
「異常なくらい王妃様と仲良しだったんじゃないですか」
「うん。友情なんて、儚いものだね」
「いや。世を儚んでないで何とかしてくださいよ。早く靴でも舐めて許してもらって来て下さい」
「そりゃ靴舐めて許してもらえるならどんだけでも舐めるけど」
「……フランス王弟の子にしてフランスの大貴族としてその返答もどうかと思いますが」
「んでも多分今回は靴を舐めるどころか食べたって許してもらえないかもしれないなあー」
「はあ……。じゃあ、どうするんですか?」
「だから打つ手がないって言ってるじゃない」
「打つ手が」
「ない!」
ラファエルは笑顔で笑いかけて来る。
「僕は暴君じゃないから強制はしないけど、君はどうする? 一緒に死んでくれる?」
ルゴーは叫んだ。
「死にませんよふざけんな!」
補佐官の快活な返事にラファエルは大笑いをした。
「行ってらっしゃいませ、ラファエル様」
笑いながら妹が手際よく上着を肩にかけてくれた。
今日も華やかな青い軍服を身にまとい、ラファエルは輝く太陽のような笑顔を浮かべて頷く。
「じゃあ、元気いっぱいに断頭台に向かいますか」
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