記憶喪失な青春に俺の想い人がいたんです
花頼団子
第1話 雪のような「彼女」
記憶の中をほじくれば、誰しも恋の経験というものが出てくると思う。
それが良い思い出である人もいれば、ほじくった勢いのまま記憶の奥底に埋めておきたいような人もいるだろう。
良くも悪くも、恋というのは抱いた者の心を大人へと成長させる。成長性の違いというのは、
その恋という果実が酸いか甘いかの違いだろう。
一つ言えるのは、恋には人の心情を変える狂気的な力があるということだ。
小学校三年生の俺は初めて恋をして、そしてその恋は実ることなく終わりを迎えた。
『必ず、また─────』
俺の恋慕を伝えられた彼女は泣いていた気がする。それが喜びか悲しみか、俺には判断が出来ない。
だが俺のそれ以降の記憶に「彼女」が存在しないと言う事は、その恋は失敗したと結論付けても早計ではないだろう。
自分の記憶なのに断定することが出来ない。
記憶の中の初恋は、曖昧だった。
なぜなら俺────
♢♦︎♢♦︎
寒空が体を吹き抜ける。1月の初旬、俺は近所にある閑散とした神社へと足を運んでいた。鳥居の近くに生えている桜は葉を落とし、境内はどこか物悲しさを帯びている。
俺はそんな神社の賽銭箱の前に立っていた。
「頼む。俺の人生はここに掛かっている…!」
片目を閉じて見やったその先には一枚の封筒。
それは高校受験の合否通知が入れられた、人生の命運を左右するといっても過言ではない封筒だった。
ペリッと、糊付けされた封を開けて中身を取り出す。
「ふー…………っおらぁ!!」
バッ!っと紙を広げ結果を確認する。仰々しく書かれた言葉の1番上には大きく「合格」と書かれていた。
その文字を何度も確認して、俺は安堵の息を漏らす。
「う、受かってる……よし…よっし!!」
境内に人が居ない事を確認して、俺は勝ち誇った喜びの声をあげる。
俺はとある理由で、自身の平均値のワンランク上の高校に受験していたのだ。だから合格した時の感動もひとしおだった。
その場でしばらくクルクルと踊る。神様も困惑しているだろう、今だけは許してほしい。
感動の余韻に浸りつつ、封筒に合否通知をしまいそれをポケットに突っ込む。
さてと…
俺は賽銭箱の方へ向き合い5円玉を投げ入れた。賽銭箱の中からチン…と軽い音が鳴る。そのままパンパンと手を叩き参拝の所作を行う。
─────どうか「彼女」に出会えますように
俺が神社に来たのは、合否の結果を神様に祈るためではなかった。祈るのはその先の事、俺の記憶の中にいる彼女との再会だ。
背伸びした高校受験も、ある条件からその高校に「彼女」がいる可能性が極めて高いからという単純な理由であった。
別に寄りを戻そうとしているワケじゃない。
俺は、過去の俺を知るために彼女にもう一度会いたかった。
「帰るか」
そう言って神社の本殿に踵を返し、顔を上げる。
そして、俺はある違和感に気づいた。
鳥居の近くの桜の木、その真下に生えている低木から綿菓子のような何かが生えていた。
いや、生えているというより…動いてる?ここからじゃ茂みに隠れてよく見えない。
訝しみながら、行きの時も通った石畳を恐る恐ると歩く。
「───は」
俺は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
そこにはいたのは、可憐な美少女だった。
短く整えられた白い髪に、吸い込まれそうな黒い瞳。オーバーサイズの黒いコートから覗かせる雪のように白い肌はまるで彼女の体から全ての色が抜け落ちたかのような、浮世離れした神秘的な美しさを醸し出していた。
だがそれ以上に、彼女の容姿で目を惹くあるモノがあった。
それは頭から対になって伸びている、天使の羽のような形をした白い角、そしてその角と釣り合いを保たせるように、尾骨の部分から生えている綿菓子のような大きな尻尾だ。
そんな神秘的な容姿の彼女は、その大きな尻尾を左右にゆらゆらと揺らしながら茂みに膝を落として探し物をしているらしかった。
そんな彼女が俺の視線に気付いたのか、大きな瞳をパチリとこちらへ向ける。
彼女の面持ちは綺麗でありながらもどこか幼さを宿していた。
「すみません。こんな大きさの御守り見ませんでしたか?白い色で、良縁祈願って書いてあるんです」
彼女は両手を使い、御守りの大きさを示すジェスチャーを取る。すいっと指を動かすたびに彼女の白い髪がサラサラと揺れた。
「いや、見てないな」
「う〜ん、そうですよね。どこに落としたんだろ〜…」
彼女はすっと立ち上がると右手の人差し指を唇に置いてうんうんと唸り出した。背格好は女性の身長の中でもやや小柄といった感じだ。
それにしてもこの子、仕草があざとすぎる。角の見た目も相まって本当に天使みたいだ。
「…あの、もしよければ俺も探すの手伝うよ」
「え〜優しい。じゃあ、お願いします!」
彼女の顔に朗らかな笑みが溢れた。心なしか彼女の周りには花が飛んでいるように見える。
天使みたい、じゃない。これは天使そのものだ。
俺は彼女の天真爛漫さと、その整った美しい顔立ちに緊張してしまい、逃げるようにして彼女の探していた場所とは反対の場所へと向かう。
「お名前、何て言う…っんですか?よいしょ……」
俺の後ろから彼女の声が聞こえる。御守りを探しがてらの雑談だろう、俺もそれに応える。
「青井湘。君は?」
「ふふっ、きみって、不思議な呼び方〜。私、
「代宮小雪…なんかすごい似合ってるな。
まんま雪って感じがする」
「そう?私、この名前ちょっと可愛すぎると思ってるんだけどなぁ」
そう答えた彼女からぽふんぽふんと可愛らしい音が聞こえた。おそらく尻尾が地面に当たって鳴っているんだろう。
「青井くんはなんか、かっこいい響きだね。男の子って感じ」
「そうなのか…?あんまりそう感じたことないな」
「…う〜ん、まぁちょっとテレビ番組みたいかも?青井ショー…みたいな」
「感想の落差!!かっこよさの欠片も無くなったな!?」
「ふふふ。冗談だよ」
そう軽口で話す代宮さんの声は、ふわふわとした柔らかさを帯びてる。正直に言うと男に与える刺激としてはかなりよろしくない声だ。
「そういえばさっきさ、青井くん何か喜んでたよね?よっしゃーって、あれは何だったの?」
「……もしかして、聞いてました?」
冷や汗が流れる。まずい、周りに誰もいないから上げた歓声なのに、クリアリングが甘かった。というかもしかして、あの小っ恥ずかしい踊りも見られてた…?
振り返ると、ちょうど代宮さんも大きな瞳で俺を見つめており、小首を傾げていた。
「……高校受験の結果を確認してたんだよ。少し背伸びした受験だったから反射的に声が出た」
「えっ受験結果!?見たい見たい!どこ受けたの?」
代宮さんの瞳が爛々と輝き出した。彼女の興味は俺のポケットからはみ出している封筒に注がれている。
彼女の様子を見るに、恥ずかしい踊りは見られていないだろう。多分。
代宮さんは小走りでこちらに近づいてきて、ちょこんと小動物のような仕草で俺の隣にしゃがみ込んだ。
本当に、ピッタリと俺の
「うおっ!…そ、その、近くないか?あんまり年頃の男にくっつかないほうがいいと思うぞ」
「ん〜、それ友達にもよく言われるかも。でもこれくらい普通だと思うよ?それよりもさ、結果見せて?」
彼女にとってこの距離感は至って正常らしい。俺の男としての本能など意に介さず、封筒を手渡すようにと手を差し出している。
俺は己の煩悩を振り払うために、封筒を渡した。
「あれ?私と同じとこだ。
「…マジで?てことは代宮さん同い年なの?」
お互いに目を見合わせる。
彼女の可愛らしい顔からは驚きの表情が浮かび、見開いた目からは長い睫毛が伸びていた。
美少女というのは、驚いた顔一つ取っても絵になるものだ。
「ふふっ何だかすごい偶然だね。ねぇねぇ、青井くん、どうして水灘受けたの?もしかして
代宮さんは、こくんと首を傾げながら上目遣いでこちらを見上げる。
彼女の口から発せられた言葉。
報告例も非常に少なく、謎が多い。
確信を持って言える事は、生まれてくる
代宮さんの容姿を見るにその説も正鵠を射ているといえるだろう。
何より、
物心がついて、自身の考えに『閃き』を持った時に力が宿る事。そして頭に生えた角が鬼を想起させる事から文字って
だが、そんなポテンシャルを持っていても彼女たちは世間から見れば圧倒的な少数派だ。
彼女らの容姿も常識も、常人の物差しでは測ることが出来ない。その事実に他でも無い彼女たちが一番手を焼いているだろう。
そんなマイノリティな
「好きと言うか…探している人がいるんだ」
俺は少し気恥ずかしさを感じ、頬をポリポリと掻いた。
俺の不自然に抜け落ちた記憶。この不可思議な現象は、
俺は自身の記憶を思い出そうとしていた時、その結論へと思い至った。記憶の中の彼女は、
そんな真剣な俺の様子を察したのか、代宮さんも顔をきゅっと引き締めた。
「……もしかして、彼女さん?」
「ゴフゥッッ!?」
彼女の思わぬ角度からのアッパーに、俺は思わず吹き出してしまった。
「いやっ彼女というワケじゃなくて!」
「えぇ〜!?青井くん図星さんなんじゃないの?
今の反応は彼女さんでしょ!どんな人?可愛い系?」
「待て、そんな怪訝な目で見ないでくれ。これには複雑な事情があるんだ」
代宮さんは揶揄いの意を含んだ表情で、ぐいぐいと俺に顔を寄せてくる。俺はそれに合わせて後ろへ距離を取った。
代宮さんは本当に距離が近い。
初対面でコレなのだから、今まで一体どれほどの男が彼女の誘惑に籠絡されたのだろうか。
「実は俺、記憶喪失なんだ」
「…へぇ〜かっこいいねぇ」
「いや違うからね!?厨二病的な意味じゃなくて!
ホントに記憶が無いんだって!!」
今度は代宮さんが後ろに距離を取り、パチパチと小さく手を叩く。
どうやらソッチ系の人と思われたらしく、わざとらしい世辞を述べられた。
…代宮さんの方がよっぽど不思議ちゃんだと思うのだが、そんな彼女に不思議な人認定されるのは何だか複雑な気分だ。
♢♦︎
「なるほど〜。それで、青井くんの過去の手掛かりを持っている人が、その
俺が経緯を説明すると、代宮さんは一応納得してくれた。
彼女の声は語尾が伸びる独特なイントネーションをしており、ニュアンスだけでは本当に理解を示してくれたのかの判断が難しい。
この独特な声が、彼女の纏う不思議ちゃんらしさを助長させているのだと思う。
「ああ。…って言っても全部憶測だから、顔も名前も、そもそも彼女が
「…う〜ん。それって彼女さんが水灘にいたとしても、青井くん分からなくない?」
「その可能性は十二分にある。…でも僅かでも可能性があるのなら、俺はそれに賭けたいんだ」
「おぉ〜。一途だねぇ」
代宮さんはそう言うと、すっと立ち上がる。
冬にしてはあまりに無防備な、彼女の真っ白な太ももが目の前に広がる。
上半身は厚手の服なのに、そこから覗かせる魅惑的な太ももは彼女なりの覚悟を持ったおしゃれなのだろう。
「じゃあ、そんな青井くんにはこれをあげてしんぜよう!」
「これって…」
そういって代宮さんから手渡されたのは、白い御守りだった。表面には"良縁祈願"と書かれている。
「あれ、この御守り探してたやつじゃないのか?」
「そ〜。実はちょっと前から見つけてたんだ。
青井くんとお喋りしたかったからずっと黙ってたの」
「……ほんとそう言う事、言わない方がいいぞ。
絶対勘違いする奴がいるから」
代宮さんは何の事か分からないといった様子で小首を傾げる。
これも彼女の計算の内なのか、はたまた天然なだけなのか、いずれにせよあざとい。
「ていうかこれってかなり大事なものなんじゃないか?俺に渡すことないだろ」
手渡された御守りに目をやる。くたびれた様子からかなりの年季を感じるが、それを持って余りあるほどの綺麗さがあった。おそらく相当大切に扱われてきたのだろう。
だからこそ、そんな大切なものを他人である俺に手渡していいのかと代宮さんに問いかける。
代宮さんはしばらく考えたあと
「まぁ確かに大切なものなんだけどね。でも、縁を必要としてる人に渡した方が、その子も喜んでくれると思うんだ」
「御守りってそういうものだっけか」
「そういうものだよ〜。でもその代わり、ちゃんと肌身離さず待っててね。御守りとの縁も、きっと大切だと思うから」
「…そう言う事なら、有り難く受け取っておくよ。
ありがとな」
彼女がそう言うのなら、断る理由も無い。俺はポケットに譲り受けた御守りを大切にしまった。
それを見届けた彼女は、また柔和な笑みを溢した。彼女の尻尾はゆらゆらと、振り子のように揺れている。
「じゃあ私、そろそろ帰ろっかな」
「ああ。俺も目的は果たしたし、お
そう言って代宮さんは、俺に向けて軽く手を振る。
代宮さんの容姿とこの光景だけ見ると、この神社に住む神の遣いのように思う人がいても可笑しくはないだろう。
「学校でもよろしくね〜」
「ああ、同じクラスだといいな」
「…うん?同じクラスだよ?」
「え…?もう、クラスの割り当てとかって出てたっけ?まだ合否だけじゃ?」
「あ〜、まだ出てないよ。でも同じクラス」
「……?」
……どう言う事だ?代宮さんは、極めて普通な様子で俺の目を見つめ返している。
それは、俺が何に疑問を抱いているのか理解出来ないといった面持ちだ。彼女の白い髪が風を受けて光を反射させている。
ただその極めて普通な様子が、逆に俺の心を強く不安にさせた。
────
俺は、
その疑念を確信づけるように、俺に向けられた手は彼女の唇の方へと置かれ、代宮さんは言葉を発した。
「だって私、運が良いもん。私が一緒がいいって思ったから、青井くんは一緒のクラスだよ」
「それって…」
「それだけ!」
「え!?ちょっと待って、状況が理解出来ないんですけど!?」
そう告げるや否や代宮さんはくるりと、背中を向けて小走りで去ってゆく。
「そうだ〜!私も、彼女さん探すの手伝うよ〜!」
離れていく彼女は最後にそう言い残して、見えなくなった。
花のような出立ちを想起させる代宮さんが発した言葉は、その花を巻き上げる嵐のように俺の頭を吹き抜けていった。
「……帰るか」
俺はその場に立ち尽くし、しばし逡巡した後に
辛うじてそう呟く。
ポケットの中の御守りは、彼女の手のひらで熱を帯びていたのか、ほんのりと暖かかった。
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